第16話「守りたいもの」
【第3刻限】残り15日 0時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100
南の荒野。
乾いた風が、色褪せた天幕を揺らしていた。
砂の匂い。獣の汗。鉄と油の混ざった、戦の匂い。
その中心で、一人の男が地図を睨みつけている。
オルハン・アテシュ。
顔の右半分には、痛々しい火傷の痕が残っていた。
黒曜の森で負った傷。あの若造に刻まれた屈辱の証だ。
「オルハン様。偵察隊より報告です」
兵士が天幕に入り、膝をつく。
「カヤディビ村の警備兵は十数名。住民は二百名ほど」
オルハンの口元が歪んだ。
「……舐められたものだな」
黄土色の瞳が、地図の一点を射抜く。
カヤディビ村。カランルク領の南端に位置する、小さな村。
「セリム様からは、動くなとのご命令が──」
「黙れ」
低く、鋭い声が兵士を貫いた。
「セリム殿にはいつも世話になっている。だが──」
オルハンは火傷の痕を指でなぞった。
そこに熱が蘇る。怒りが、蘇る。
「この屈辱を、このまま飲み込めと? ……笑わせるな」
舌の先で笑い、牙を剥く。
「五百で十分だ。村を焼き払う」
その目には、狂気の炎が宿っていた。
◇
「五百だと!?」
カディルの怒号が執務室に響いた。
レイスは椅子に深く腰掛けたまま、表情を変えない。
――変えられない、が正しい。
(五百……? うちの常備戦力は三百五十)
(即応できるのは二百未満。正面衝突したら、普通に死ぬ)
(これ、攻略Wikiに載ってない分岐なんだけど……!)
内心で絶叫しているが、顔には出さない。
出したら終わりだ。領主の顔が崩れた瞬間、現場は崩壊する。
ナズが補足する。
「偵察によれば、アテシュ家の軍旗が確認されました。ただ、セリム本人ではないようです」
「またオルハンか……」
レイスは地図に視線を落とした。
カヤディビ村。人口二百。
畑作と牧畜で細々と暮らす小さな集落。
そして――ガラスペン工房の所在地でもある。
(見捨てたら評判が死ぬ)
(経済的にも、外交的にも、ここは落とせない)
(でも、正面から殴り合ったら“私が”消える)
カディルが拳を握りしめた。
「閣下、放置すれば村が焼かれます。しかし正面からぶつかれば損害は計り知れません」
「分かってる。だから手は打つ」
レイスは静かに告げた。
怪訝そうな視線が集まる。
――よし。説明する。戦略は共有しないと回らない。
「キュル伯爵から情報を得た。“鉄狼団”という傭兵団がこの近辺で仕事を探している」
「傭兵……ですか」
カディルの声に警戒が混じる。
「信用できますか?」
「金で動くが、契約は守る。少なくともオスマン・キュルはそう言っていた」
レイスは肩をすくめた。
「贅沢を言える状況じゃない」
(傭兵雇用とか、前世の私なら絶対に稟議落ちる案件だけど)
(今は納期が命。むしろ派遣より健全)
「村民は避難させる。戦場は村の外周で受ける。罠で足を止めて、包囲して叩く」
「そして――フィーネも連れていく」
「フィーネ様を……戦場に?」
ナズが目を丸くした。
「エルフの魔法は結界が得意だ。防衛戦には適任だろう」
表向きの理由はそれだ。
(本音を言えば、フィーネの“覚悟”を見ておきたい)
(机上の面談だけじゃ、人は測れない。……OJTってやつよ)
◇
カヤディビ村の外れ。
乾いた土の上に、一人の大男が立っていた。
筋骨隆々の体躯。短く刈り込んだ髪に無精髭。
顔には古傷がいくつも走り、目だけが獣のように冷たい。
使い込まれた長剣と、実用的な革鎧。
魔族の男だ。
鉄狼団団長、ケナン。
「あんたが辺境伯か」
男は値踏みするような目でレイスを見る。
「若いな。指揮を執れるのか?」
(出た。年齢マウント)
(前世でも散々食らった。“女のくせに”“若いのに”ってやつ)
レイスは顔色一つ変えない。
「どうかな。現場で判断しろ」
そして、ほんの一歩横へずれた。
カディルが前に出る。
空気が変わった。
ケナンの目が鋭くなる。
傭兵の本能が、目の前の男の危険度を嗅ぎ取ったのだ。
「……そいつは、確かに強そうだ」
ケナンが喉を鳴らし、唇を歪める。
「条件を聞こうか」
「勝てば継続して仕事を回す。報酬は仕事ごとに支払い。戦の間は食事と宿舎を保証」
「前金も出す。逃げたら追う。守れば倍払う。シンプルでいいだろ」
レイスは布に包まれた何かを投げ渡した。
ケナンが受け取り、怪訝な顔で開く。
中には、揚げ物が入っていた。
「……は?」
「試食だ。福利厚生の一端」
ケナンが半信半疑で一口齧る。
次の瞬間、その目が見開かれた。
「……美味いじゃねぇか。こんなの、初めてだ」
ピリ辛鳥のから揚げ。
アシュチュに作らせた、前世の記憶を元にした一品。
「もう少しもらってもいいか?」
「新入りの歓迎は揚げ物に限る。どうする?」
ケナンは残りを一気に頬張り、ニヤリと笑った。
「いいぜ。金と飯、その二つがあれば働く」
「それに――どのみちオルハンは気に食わねぇ」
交渉成立。
(よし。福利厚生で釣るのは、どの世界でも有効)
(人類、揚げ物に弱すぎる)
◇
夕刻。
土煙を上げて、アテシュ軍がカヤディビ村に到着した。
先頭を駆けるのはオルハン。火傷の顔に復讐の炎を宿している。
「村を焼き払え! 一人残らず――」
号令が、途中で止まった。
村に、人の気配がない。
家々の扉は開け放たれ、中は空っぽ。
家畜の鳴き声も、炊事の煙もない。
「……逃げたのか? 全員?」
部下が馬を寄せる。
「オルハン様、これは罠では。静かすぎます」
「むぅ……」
オルハンの顔が歪んだ。
予想と違う展開。だがここで引き返せば、また笑い者だ。
「探せ。隠れている者がいるはずだ!」
兵士たちが村に散開した。
その時だった。
「ぎゃあああ!」
先頭の兵士が地面に消えた。
落とし穴だ。
「罠だ! 罠があるぞ!」
別の場所で投網が発動する。
五人の兵士が絡め取られ、身動きが取れなくなった。
「囲まれてる! 敵だ!」
混乱が連鎖する。
足元を疑えば、前が見えない。
前が見えなければ、隊列は崩れる。
――そして。
「今だ。全軍、突撃!」
レイスの号令が響いた。
村の四方から黒い軍旗と狼の傭兵団旗が立ち上がる。
カランルク軍と鉄狼団。
罠で陣形を乱されたアテシュ軍を、完全に包囲していた。
「馬鹿な……いつの間に……!」
オルハンの顔から血の気が引いていく。
魔導連弩の一斉射撃が、敵陣に降り注いだ。
「ひるむな! 数で圧倒しろ! 突撃!」
オルハンが絶叫する。
残存の騎馬隊、約八十騎が突進した。
だが――。
キィン!
硬質な音が響く。
先頭の騎士が、馬ごと吹き飛ばされた。
続く二人、三人が、次々と叩き落とされる。
「あれが噂の……!?」
敵兵の悲鳴。
カディルの腕で、龍鱗の腕輪が青白く輝いていた。
(強い。強すぎる)
(戦力バランス、完全に壊してる)
「鉄狼団、行くぞ!」
ケナンの号令。
傭兵たちが突撃し、混乱した敵兵を次々と打ち倒していく。
戦況は、一方的にこちらへ傾いた。
――が。
その瞬間、右翼で叫び声が上がった。
「馬が暴れてる! 落とし穴の位置が――!」
罠の一部が踏み荒らされ、空いた隙間に敵の歩兵が雪崩れ込む。
(……まずい)
(勝ち筋はある。でも“事故”は起きる)
レイスは歯を食いしばり、旗を振った。
「右翼、第二列を回せ! 鉄狼団、三十名を補強に!」
ケナンが舌打ちしながらも即座に動く。
「ちっ、手が早ぇな。……いいぜ、仕事を見てくれよ」
数十秒の遅れが、死者の数を決める。
だからこそ、ここで崩したくない。
――その綱渡りの最中。
◇
村の奥。
小屋の陰で、小さな影が震えていた。
五歳ほどの女の子。
その隣には、顔色の悪い母親が横たわっている。
病で動けず、避難に遅れたのだ。
「お母さん……怖いよ……」
「大丈夫……大丈夫だから……」
母親の声も震えていた。
その時、小屋の扉が蹴破られた。
「ここに誰かいるぞ!」
「女と子供だ! 殺せ!」
三人の敵兵が剣を抜いて迫る。
母親が娘を庇うように抱きしめた。
「この子だけは……!」
敵兵が剣を振り上げる。
女の子が目を閉じた、その瞬間――
「──バリア」
静かな声が響いた。
淡い光の膜が、母娘を包み込む。
敵の剣が、光の壁に弾かれた。
「なっ……!?」
金髪のエルフが、母娘の前に立っていた。
フィーネ。
結界魔法。エルフが得意とする防御術。
敵兵が再び斬りかかる。
だが結界は揺るがない。
「くそっ、何だこの壁は――!」
言葉の途中で、味方の兵士が駆けつけた。
敵兵は瞬く間に打ち倒される。
母親が涙を流しながら叫んだ。
「星の巫女様だ……! 私たちを守ってくれた……!」
――遠い昔から、村に伝わる言い伝え。
“星に祈り、災いから人を守る者”。
「お姉ちゃん……すごい……!」
女の子が目を輝かせてフィーネを見上げる。
フィーネは自分の両手を見つめていた。
「……守ることが、できた」
声が微かに震える。
けれど、その震えは恐怖だけじゃない。
自分が“役に立った”という実感。
誰かの命を、自分の手で繋いだという確信。
レイスは少し離れた場所から、その光景を見ていた。
(よかった)
(あの子にも、守れるものができた)
◇
「閣下! 敵将です!」
カディルの声が響いた。
退路を塞がれたオルハンが、自暴自棄になって単騎で突っ込んでくる。
その目は狂気に染まっていた。
「カランルクゥゥゥ! 貴様だけは俺がこの手で――!」
刃が迫る。
あまりに近い。血の匂いがする距離。
レイスは息を呑む――が、声は落ち着いていた。
「カディル」
「御意」
一閃。
銀色の軌跡が黄昏を切り裂いた。
オルハンの体が馬上で二つに分かれる。
上半身と下半身が、別々の方向に落ちていく。
復讐の炎を宿していた男の、最期だった。
「オルハン様がやられた!」
「逃げろ! 退却だ!」
アテシュ軍が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
追撃はしなかった。
これ以上の犠牲を出す意味がない。
「……終わったな」
レイスは静かに呟いた。
(終わった。今回は)
(でも、BPは増えない。契約は“まだ”足りない)
◇
夜。ゲジェカレ城、執務室。
レイスは報告書に目を通していた。
「鉄狼団二百名、継続契約を締結しました」
ナズが書類を差し出す。
「戦の度に報酬を支払う形式で、しばらくはこちらに留まるとのことです」
「ケナンは約束を守る男だ。問題ない」
(契約社員二百名追加。人件費は痛いけど、戦力は確保)
(“戦場に出せる即戦力”って、だいたい高い)
「それと、オルハンとは別ルートで、戦場から逃げてきた難民が百五十名ほど城外におります」
「受け入れろ」
レイスは即答した。
「戦える者は兵として雇う。そうでない者には、農民や職人として仕事を与えろ」
ナズが嬉しそうに頷いた。
その時、扉が開いた。
ケナンが新しい外套に袖を通しながら入ってくる。
「悪くない待遇だな。飯は美味いし、金払いもいい」
「働きに見合った報酬だ。これからよろしく頼む」
「ああ。約束は守る主義でな」
ケナンがニヤリと笑った。
背後からカディルも入ってくる。
「閣下。本日の戦果報告を」
「ああ、頼む」
(常備三百五十)
(捕虜出身の志願兵と黒猫運輸の戦闘員で百五十)
(鉄狼団二百)
(……これで、戦力“総数”は七百)
(前世では考えられない規模だわ)
(部下五人で精一杯だったのに)
報告を聞き終え、レイスは窓の外を見た。
月明かりの中庭に、フィーネが立っていた。
その横顔に穏やかな光が宿っている。
今日、彼女は初めて「守る」ことを経験した。
道具としてではなく、自分の意思で、誰かを守った。
(守れるものがある、か)
(いい言葉だな)
(……私も、守らなきゃいけないものが増えた)
人が増えた。
それはつまり――失いたくないものが増えたということだ。
(残りBP、六十)
(あと二人、契約しないと死ぬ)
(どうすればいいのか……)
窓の外で、フィーネが振り返った。
蒼穹色の瞳が、月光を受けて煌めく。
レイスは小さく頷いた。
(守りたいものが増えるのは、怖い)
(失う可能性も増えるから)
(でも――)
(だからこそ、必死になれるんだろうな)
月が、静かに二人を照らしていた。
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【第3刻限】残り13日 12時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100
<レイスのひと言:傭兵の福利厚生は揚げ物から>




