第15話「灰色の使者」
【第3刻限】残り18日 2時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100
背筋が、強張った。
「黒曜石鹸の独占販売権を、我がキュル家に譲渡していただければ……状況は変わる」
挨拶から、わずか十分。
灰の伯爵は、世間話も探り合いも全て省いた。
(……いきなり喉元に刃? アイスブレイクとかないの、この人)
◇
話は、朝に遡る。
朝靄の中、十数騎の騎馬隊と一台の馬車が城門前に止まった。
掲げられた旗には、灰色の地に積まれたコインの紋章──キュル伯爵家。
オスマン・キュル。
カランルク領の経済を握る「灰の伯爵」。
灰色の髪。灰色の瞳。端正だが、感情の色が削ぎ落とされた顔。
馬上から降りた瞬間、その視線が城壁を、兵士を、門前の警戒を舐めるように走った。
(全部、数字に変換されてる)
こちらへ向けられた目は、客人のそれじゃない。
金と物流を握る者が、領地の「価値」を査定する目だ。
「遠路ご苦労。歓迎する、キュル伯爵」
レイスは領主としての笑みを作り、礼を尽くした。
(もっとも、歓迎はしてない)
(この男、条件次第で一番最初に裏切る"ルート"がある)
護衛を城門に残し、伯爵本人だけが城内へ足を踏み入れる。
(護衛なしで来る? 自信か、それとも私を脅威と見ていないのか)
どちらにせよ、油断できない。
――だからこそ、今日ここで「中立」を引きずり出す。
◇
応接室。
茶が運ばれるが、オスマンは口をつけない。
視線だけが、部屋の隅々を撫でるように走る。
(会話しながら周囲を計算してる。兵数、備品、生活の匂い……)
「単刀直入に言おう」
オスマンは前置きを削った。
「我が家は、今後の情勢において……特定の立場に与することを急いではいない」
「……ほう?」
レイスは表情を変えない。
(来た。"中立"の皮を被った値踏みだ)
商人のような慎重さ。伯爵らしい冷淡さ。
言質を残さず、こちらの出方を測っている。
「ただし、あくまで『今のところ』だ」
オスマンの灰色の瞳が細くなる。
「黒曜石鹸の独占販売権を、我がキュル家に譲渡していただければ……状況は変わる」
空気が、一段冷えた。
(やっぱり、これが本命か)
黒曜石鹸は現在、タジル商会を通じて流通させている。
そこを切れ、と言っている。
「貴殿にとっても悪い話ではないはずだ」
オスマンは指を組んで言う。
「我が家と繋がれば、周囲もそれなりに……配慮するだろう」
滑らかな言い回し。
しかし意味は明確だ。
――「守ってやる。ただし首輪は付ける」。
だが、レイスの左目。
第2刻限の報酬『策謀の魔眼』は赤く光らない。
嘘ではない。彼は本気で「配慮」を与えるつもりだ。
(本気なのが厄介なんだよ)
(本気で、"私の首根っこ"を握りに来てる)
レイスは静かに首を横に振った。
「断る」
オスマンの眉が、ほんの僅かに動いた。
「……理由は?」
「タジル商会とは既に契約を交わしている。カランルクの名において、信義を破るわけにはいかん」
「信義、か」
オスマンが鼻で笑う。
「そんなもので腹は膨れんよ。タジルなど、所詮は中小の商会だ。我が家の網を使えば利益は十倍になる」
「それでもだ。私は契約を重んじる」
レイスは一歩も引かない。
だが――"綺麗事"で終わらせると、こいつは舐める。
レイスはさらに一言、刃を足した。
「それに独占は渡せない」
「ほう?」
「一社に握らせた瞬間、こちらは喉元を掴まれる」
「物流も、価格も、情報も。命綱を他人に預けるつもりはない」
オスマンの目が、僅かに細くなる。
"理解した"顔だ。
この男は綺麗事より、戦略を評価する。
「……なるほど。貴殿は思った以上に、頑なだ」
オスマンの唇が薄く弧を描く。
「しかし頑固さは時に孤立を招く。我が家の影響力を敵に回せば……物流が滞る。金も、人も、情報も」
(経済封鎖で詰むやつだ)
(しかも、冗談じゃない)
胃の奥がきり、と痛む。
だが顔には出さない。
「キュル殿の力は理解している。……だが、石鹸は無理だ」
「ならば交渉決裂か?」
灰色の瞳が冷ややかに光る。
レイスは、そこで手札を切った。
「早まるな」
声を落とす。
「石鹸以外に、"もっと儲かるもの"に興味はないか?」
レイスは懐から一本の細長い棒を取り出し、卓上に置いた。
カトリ、と硬い音。
透明なガラスで作られた、優美な筆記具。
螺旋状の溝が刻まれたペン先が、窓の光を受けて宝石のように煌めいた。
「……なんだ、これは」
オスマンの視線がそこに吸い寄せられる。
「『ガラスペン』だ」
レイスはインク壺を引き寄せ、ペン先を軽く浸す。
そして羊皮紙の上を走らせた。
滑らかに、途切れず、線が生まれる。
文字が"滲まず"に並ぶ。
「……」
オスマンが息を止めたのが分かった。
説明を重ねたくなる。
だがここは"体験"だ。商人は、頭より手が先に動く。
レイスが試し書きした紙を差し出すと、オスマンはひったくるように受け取った。
震える指でペンを握り、自ら線を引く。
「……なっ」
表情が、初めて崩れる。
「こ、この滑らかさは……! インクが垂れない……! それに、この輝き……!」
声が上ずっている。
抑えようとして抑えきれない"欲"が漏れていた。
(食いついた)
(よし……! まずは首輪じゃなく、餌を見せた)
この世界には羽ペンしかない。
削る、交換する、汚れる、折れる。手間も損耗も多い。
それに比べて、ガラスペンは――"手が止まらない"。
「貴族も文官も商人も、文字で生きている。帳簿も契約書も、全部だ」
「道具が変われば、仕事が変わる」
レイスは余計な説明を削り、価値の核だけを置いた。
「……量産は可能か?」
オスマンの声が、もう商談のそれに変わっている。
「職人を抱えている。供給は問題ない」
どこで作っているかは言わない。
そこはこちらの手札だ。
オスマンもそれを察したのか、追及してこなかった。
ただ、ペンを握ったまま、指先で光を確かめる。
「独占販売権を」
「……条件次第だ」
レイスは立ち上がった。
「机上の話はここまでだ。もう一つ、見せたいものがある。……外へ」
◇
中庭には、一台の馬車が用意されていた。
一見すると普通の荷馬車だが、車輪周りの構造が明らかに違う。
金具の数、軸の位置、そして――"しなり"の余地。
「これは……?」
オスマンが目を細める。
「車軸の上を見てくれ」
レイスが指差した先には、長さの違う薄い鉄板を何枚も重ね合わせ、緩やかに湾曲させた部品が取り付けられていた。
「『板バネ』だ。路面の衝撃を吸収する」
レイスが荷台に手をかけ、ぐっと体重を乗せる。
ギィ、と音がして車体が沈み込み、手を離すとゆっくり元に戻った。
「衝撃が直に伝わらない。荷崩れが起きにくい。割れ物も運べるし、馬への負担も減る」
オスマンの目が光った。
だがまだ、疑念が残っている。
「……口で言うのは容易い。実際に機能するのか?」
「なら確かめればいい」
レイスは客席を示した。
「一周してこい。城の周囲を」
オスマンは一瞬躊躇し、馬車へ乗り込む。
御者台にはカディルの部下が控えていた。
馬車が動き出す。
石畳の凹凸を越え、砂利道を走り、あえて荒れた路面を選んで進む。
揺れが大きいほど、"差"が出る。
やがて戻ってきた馬車の扉が開き、オスマンが降りた。
その顔色が、明らかに変わっていた。
「……馬鹿な」
呻くように言う。
「揺れが、ない……いや、ある。あるが──」
言葉を探すように虚空を睨む。
「……波に乗っているようだった。衝撃が……消えている」
「輸送効率は倍になるだろうな」
レイスは、そこで声を落とした。
「そして──軍用馬車に使えば行軍速度が変わる。補給物資も傷まない。兵の疲労も軽減される」
「これは──」
「戦場の地図を、塗り替える」
オスマンが、レイスの言葉を引き取った。
その目はもはや商人のそれではない。
帝国の勢力図を俯瞰する、戦略家の眼差し。
「……恐ろしい男だ」
オスマンは車輪を撫でながら呻いた。
「これほどの技術を隠し持っていたとは。……いくらだ? いくら出せば、この技術を売る?」
「金では売らん」
レイスはきっぱり告げた。
「ガラスペンは売ろう。だが、板バネはまだだ」
「これは信頼できるパートナーにしか渡せない」
「……私が信用できないと?」
「信用とは積み重ねるものだ。違うか?」
オスマンはレイスを睨みつけ――やがて、ふっと肩の力を抜いた。
「……ああ、その通りだ。契約と信用。それが全てだ」
短い沈黙。
だがそこに混じる苦味が、妙に濃かった。
(契約を破られたか。裏切られたか)
(どちらにせよ――この男は"秩序が好き"だ)
レイスは一歩踏み込む。
「ドゥマン伯爵とは、親しくないようだな」
鎌をかける。
策謀の魔眼は、赤く光らない。
つまりこの問いに、嘘で返す気はない。
オスマンの顔が一瞬だけ険しく歪んだ。
言葉よりも雄弁な反応。
「……商いをする者として、相容れん」
「ドゥマンの古狸め。あの男はそこが分かっていない」
(今、魔眼が反応しなかった)
(本音だ)
レイスは確信した。
(キュルとドゥマンは相性が悪い)
(ここを割れば、三家連携は崩せる)
「私は利益を愛するが、無秩序は嫌いだ」
「アテシュの蛮勇も、ドゥマンの詐術も、経済の敵だ」
オスマンはレイスを真っ直ぐに見据えた。
「カランルク殿。貴殿は……彼らとは違うようだな」
レイスは頷く。
「私は私の領地を守りたいだけだ。そのために経済が必要なことも理解している」
「よかろう」
オスマンは中庭の砂利を踏みしめた。
「今日のところは、これ以上深入りはしない。だが、ガラスペンの取引は進めよう」
「……貴殿が生き残れば、先の話もあるかもしれん」
(よし)
("中立"を固定した。しかも将来の協力の余地も残した)
拳を握りたくなる衝動を、腹の底で抑えた。
◇
そのままレイスはオスマンを訓練場へ案内した。
ただのサービスではない。
こちらの戦力を見せ、余計な野心を封じるための"提示"。
「やぁぁぁっ!」
三人の騎士が同時にカディルへ斬りかかる。
逃げ場のない包囲攻撃。
だが。
カキィン!
硬質な音が一度だけ響いたかと思うと、三人の騎士が同時に宙を舞った。
カディルは一歩も動かない。
ただ剣を一閃させただけで、三方向の攻撃を弾き返し、吹き飛ばした。
「……ほう」
オスマンが目を細めた。
「見事な腕だ。それに……あの腕輪」
視線が、カディルの手首に嵌められた『龍鱗の腕輪』に吸い寄せられる。
「魔力を感じる。ただの装飾品ではないな。身体強化の魔道具か? それも国宝級の」
(さすが、目ざとい)
「先代からの遺産だ」
レイスは曖昧に誤魔化したが、オスマンの脳内で計算が回るのが分かる。
カディルの武勇と、強力な魔道具。
武力制圧のコストを、一瞬で上方修正したに違いない。
その時だった。
「カディル様、お水をお持ちしました」
訓練場の端から、フィーネが駆け寄ってくる。
手には水差しとタオル。
「おお、フィーネ殿。かたじけない」
カディルが顔を綻ばせる。
フィーネは美しい金髪を揺らし、甲斐甲斐しく汗を拭った。
以前の怯えが薄れ、城での役割を少しずつ得始めている。
「……エルフか。この地では珍しいな」
オスマンが目を細める。
その目は、さっきよりも鋭い。
「客分だ。少し事情があって預かっている」
レイスは素っ気なく答えた。
フィーネが水を渡すために袖をまくった、その一瞬。
手首に浮かぶ、奇妙な紋様が見えた。
オスマンの視線がそこへ吸い寄せられるのを、レイスは見逃さなかった。
(……見られた)
だがオスマンは何も言わない。
ただ、その灰色の瞳に一瞬だけ"計算の光"が宿った。
(嫌な光り方だな……)
「……では、そろそろ失礼する」
オスマンは興味を失ったように踵を返した。
「有意義な商談だった。ガラスペンの納品、楽しみにしている」
その背中は来た時よりも雄弁だった。
――『新たな獲物を見つけた』と。
◇
夕刻。執務室。
報告を受けたナズは、目を丸くして喜んだ。
「キュル家と中立、そして取引開始ですか! すごいです、お兄様!」
「ああ。これで三家の連携は崩れた」
「ドゥマンとキュルの仲が悪いことも分かったしな」
レイスは椅子に深く沈み込む。
(……胃が痛い)
(商談って、戦闘より体力削られる)
「ガラスペンの生産ライン、すぐに手配します。カヤディビ村の工房にも伝令を」
「頼む。……それと、オスマンの動向には注意しろ」
「あの男、ただ帰ったわけじゃなさそうだ」
「はい?」
レイスは窓の外、赤く染まる空を見上げた。
フィーネの手首。
オスマンの視線。
胸の奥に、嫌な予感が燻っている。
◇
南へ向かう街道。
揺れる馬車の中で、オスマン・キュルは手帳にペンを走らせていた。
もちろん先ほど手に入れたガラスペンだ。
「……カランルク辺境伯。侮れん」
若造だと思っていたが、中身は老練な商人のようだった。
こちらの狙いを見透かし、的確に餌をぶら下げてくる。
板バネという切り札を隠し持つ慎重さも評価に値する。
ドゥマンの狐どもより、よほど話ができる。
勝ち残るかもしれん──オスマンはそう考えた。
だが、思考はすぐ別の事象へ移る。
あの、エルフの少女。
手首に見えた紋様。
二匹の龍と、王冠。
「……どこかで」
記憶の糸を手繰り寄せるように、オスマンは虚空を見つめた。
明確には思い出せない。
だが古い文献か、伝承か。どこかで見た覚えがある意匠だった。
オスマンの唇が、三日月形に歪んだ。
希少なエルフ。謎の紋章。それを囲う辺境伯。
すべての符号が、莫大な「利益」を指し示している気がする。
馬車の窓から、遠ざかるゲジェカレ城が夕闘へ沈んでいく。
「急ぐ必要はない。だが……」
オスマンは呟いた。
「アテシュの猪が暴れ出す前に、手を打っておくか」
灰色の瞳が、獲物を狙う猛禽のように細められた。
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【第3刻限】残り17日 14時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100
<レイスのひと言:敵の敵は、とりあえず味方>




