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第14話「髪は女の命(エルフも同様)」


【第3刻限】残り19日 6時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100


 フィーネの髪が、風になびいた。


 黄金色の──いや、今は黄金とは呼べない。

 くすんだ藁束のような色だ。


(……ひどいな、これは)


 朝靄の中、渇きの川が静かに流れている。


 レイスは川辺を歩きながら、隣を歩くフィーネを観察していた。

 昨日の城下町視察の続きだ。

 彼女との距離を縮めるため、毎日少しずつ領地を案内している。


 川面を渡る風が、再びフィーネの髪を揺らした。


 毛先は枝毛だらけで、絡まった箇所がいくつもある。

 艶も潤いもなく、ただ乾ききった繊維の束がぶら下がっているだけだ。


(髪、全然手入れされてない。洞窟で何日も彷徨ってたんだから当然だけど)


 風になびく髪を見て、フィーネ自身も気づいているのだろう。

 彼女は時折、ばさばさの毛先を指でいじり、悲しそうに俯いていた。


(エルフにとって髪は命みたいなものでしょ。誇りを、こんな状態で放っておけるわけない)


「……戻るぞ」


 レイスは踵を返した。


「え? まだ散策の途中では……」


「用事を思い出した。城に戻る」


(やることができた。戦力としての観察だけじゃなくて、まずは人間としてケアしないと)


(信頼関係って、こういう小さなことの積み重ねでしょ)


        ◇


 城の厨房。

 朝食の支度で活気づく中、レイスは料理長のアシュチュに指示を出していた。


「酢と、香油。それから卵を用意しろ」


「は? 閣下、それで何をお作りになるので?」


「錬金術だ」


 レイスは勿体ぶって答えた。

 実際には、ただのヘアケア用品の調合である。


 石鹸で髪がギシギシになるのを、酢で整えて、油で守る。

 要はそれだけだ。


(本当は高級トリートメントが欲しいけど、ないものは作るしかない)


(ああ、ドラッグストアに行きたい……)


 手際よく酢を水で薄め、ローズマリーのハーブを漬け込む。


 その横で、レイスはもう一つの「錬金術」も仕込んでいた。

 卵と牛乳、そして貴重な砂糖を使った蒸し料理。

 前世で言う「プリン」である。


「甘い香り……。閣下、これは?」


「『天使の雫』だ。疲労回復に効く」


(本当は「プリン」って言いたいけど、この世界じゃ通じないし。まあいいか)


 アシュチュが感嘆の声を上げるのを尻目に、レイスは完成したプリンを冷やしながら呟いた。


「……甘いものには、苦い飲み物が合うんだよなぁ」


「ところでアシュチュ、この城にコーヒー豆はあるか」


「こーひー? 存じ上げませんな、そのような豆は」


(やっぱりないか……)


 レイスはため息をついた。

 コーヒーが恋しい。

 だが、今はそんなことを調べている余裕もない。


「なにか?」


「いや、独り言だ。気にするな」


 酢リンスの瓶を受け取り、レイスは厨房を後にした。


        ◇


 昼食の時間。

 食堂にて。


 テーブルの上には、三つのプリンが並んでいた。


 フィーネはスプーンを握りしめ、恐る恐る黄色い塊を口に運んだ。


 瞬間。


 彼女の瞳が、これ以上ないほど見開かれた。


「んっ……!」


 咀嚼もそこそこに、次の一口を運ぶ。

 その速度は、飢えた小動物のようだった。


 あっという間に一つを完食。


 彼女の視線が、レイスの皿に向けられる。


「……食うか?」


 コクコク、と高速で頷く。


 レイスが皿を差し出すと、それも瞬く間に胃袋へ消えた。


 そして、彼女の視線は最後の皿──ナズの分へと向いた。


「あ、あの、フィーネ様? それは私の……」


 ナズが抗議しようとした時には、既に遅かった。

 空になった皿が、カタンと音を立てて置かれる。


 フィーネは満足げに息をつき、口の端についたカラメルを舐めた。


 そして──はっと我に返った。


 蒼穹色の瞳が、空になった三つの皿と、呆然とするナズの顔を往復する。


「あ……」


 フィーネの頬が、みるみる紅く染まった。


「も、申し訳ありません、ナズ様……! 私、つい……」


 彼女は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。


「甘いものを口にしたのが、久しぶりで……気づいたら……本当に、申し訳ありません……」


 その姿は、叱られた子供のようだった。


 ナズは一瞬きょとんとした後、ふっと表情を和らげた。


「……いいのですよ、フィーネ様。美味しそうに食べてくださって、私も嬉しいです」


「でも……」


「本当に。あとでお兄様に追加を作ってもらいますから」


 ナズがにっこり笑う。


 フィーネは顔を上げ、申し訳なさそうに、しかしどこか安堵した表情を浮かべた。


(……どんだけ甘味に飢えてたのよ)


(エルフって霞を食って生きてるイメージだったけど、この子は"甘味だけで生きていける"タイプだな)


 レイスは心の中で苦笑しつつ、立ち上がった。


「腹も満ちたな。二人とも、私の部屋へ来い」


「はい、お兄様」


「……はい」


 ナズは嬉しそうに、フィーネは少し警戒が解けた様子で、レイスの後についてきた。


        ◇


 執務室にて。


 レイスは酢リンスの瓶と二本の象牙の櫛をテーブルに置いた。

 その傍らには、ぬるま湯を張った桶と、清潔な布が用意されている。


 ふと、フィーネの手首に目が行った。

 今日は長袖のローブを着ている。あの紋章は見えない。


(……昨日見た、あの紋章)


 龍王家の刻印。

 二万年前に滅びたはずの一族の証。


(今はまだ、聞けない。彼女自身も気づいていないみたいだし)


(……それに、聞いたところで何が変わる? 私の知識の外だ)


「これは……何でしょうか」


 フィーネが首を傾げる。


「髪の手入れ用だ」


 レイスはフィーネの髪を見やった。


「お前の髪、だいぶ傷んでいるだろう」


 フィーネが、はっと自分の髪に触れた。

 ばさばさの毛先。絡まった束。

 その瞳に、微かな悲しみが浮かぶ。


「……はい。でも、どうすることも……」


「やり方を教える。ナズ、お前も聞いておけ」


「はい!」


 ナズが目を輝かせる。


 レイスは酢リンスの瓶を手に取った。


「この液で髪をすすぐと、艶が出る。使い方はこうだ」


 水で薄めた酢リンスを少量手に取り、説明を続ける。


「まず絡まりを解いてから、毛先を中心になじませる。少し置いたら、ぬるま湯で軽くすすぐ。一気に櫛を通すな。毛先から少しずつ、丁寧に梳かすこと」


「なるほど……先人の知恵というものですね」


 ナズが感心したように頷く。


「二人で互いにやってみろ。私がやるわけにはいかんからな」


(いくら中身が女でも、外見は男だし。若い娘の髪を触るのは、さすがにまずい)


「分かりました! フィーネ様、私が先にやりますね」


 ナズがフィーネの後ろに回る。

 フィーネは少し緊張した様子で椅子に座った。


「では、失礼しますね」


 ナズの指がフィーネの髪に触れる。


「わあ……絡まりがひどいですね。でも大丈夫、綺麗にしますから」


 ナズは毛先から丁寧に、少しずつ絡まりを解いていった。


 フィーネは最初、体を強張らせていた。

 だが、ナズの優しい手つきに、次第に力が抜けていく。


「フィーネ様、痛くありませんか?」


「……大丈夫、です」


「よかった。お兄様の教えてくださった方法、すごいですね。どんどん艶が出てきます」


 ナズが酢リンスを髪になじませながら、嬉しそうに言う。

 酢の酸っぱい匂いが漂うが、ローズマリーのハーブがそれを和らげている。


 しばらく置いてから、ナズは桶のぬるま湯で丁寧にすすいだ。

 布で軽く水気を取り、再び櫛で梳かしていく。


「ナズ様は……いつもこんなに優しいのですか?」


 フィーネがぽつりと呟いた。


「え? 普通ですよ?」


「普通……」


 フィーネは小さく首を振った。


「私には、普通が分かりません。記憶がないから……でも、これが普通なら、普通は……とても、温かいものなのですね」


 その声には、どこか寂しさが滲んでいた。


 ナズの手が一瞬止まり、そしてまた動き出す。


「……フィーネ様。記憶がなくても、これからたくさん『普通』を知っていけばいいんですよ」


「これから……」


「はい。私がお教えします。この城での普通。お兄様の領地での普通。美味しい『天使の雫』を食べることも、髪を綺麗にすることも、全部」


 ナズの声は明るかった。


「あ……でも、『天使の雫』は私の分も残しておいてくださいね?」


 フィーネの肩が小さく揺れた。


 笑っているのだ。


「……はい。次は、ちゃんと残します」


「約束ですよ?」


「約束、です」


 二人の間に、柔らかな空気が流れた。


 レイスは窓際で書類に目を落としながら、その様子を見守っていた。


(いい感じだな。ナズとフィーネが仲良くなってくれれば、フィーネも居場所を感じやすくなる)


(契約条件の「帰属意識」にも繋がるはずだ)


        ◇


 やがて、フィーネの髪の手入れが終わった。


「はい、できました!」


 ナズが満足げに手を叩く。


 フィーネが立ち上がり、手鏡を覗き込んだ。


 そこには、黄金色の髪を持つエルフの美少女が映っていた。

 くすんでいた色は輝きを取り戻し、毛先まで滑らかに流れている。


「……これが、私」


 フィーネの声が震えていた。


「綺麗ですよ、フィーネ様。本当に」


「ありがとうございます、ナズ様」


 フィーネが小さく頭を下げる。

 その頬には、ほんのりと赤みが差していた。


「では、次は私の番ですね! フィーネ様、お願いできますか?」


「はい! もちろんです」


 ナズが椅子に座り、黒檀色の髪をさらりと揺らした。


「その……上手にできるか分かりませんが……」


「大丈夫ですよ。さっき私がやったように、毛先から少しずつ」


「……はい」


 フィーネの手が、ナズの髪に触れる。


 最初はぎこちなかったが、少しずつ慣れていった。


「あ、フィーネ様、そこ気持ちいいです」


「ここですか?」


「はい、そこそこ。ふふ、上手ですね」


「……本当ですか?」


「本当ですよ。フィーネ様、手つきが優しいです」


 ナズが目を細める。

 フィーネの表情が、少しずつ和らいでいった。


 酢リンスをなじませ、しばらく置いてから、ぬるま湯ですすぐ。

 布で水気を取り、櫛で丁寧に梳かしていく。


 その手つきは、もう迷いがなかった。


「ナズ様の髪、綺麗ですね。黒檀色……夜空みたいです」


「ありがとうございます。でも、フィーネ様の黄金色の方が素敵ですよ。陽の光みたいで」


「そんな……」


「本当です。さっきより、ずっと綺麗になりました」


 二人は顔を見合わせて、小さく笑った。


 レイスは書類から顔を上げ、その光景を眺めた。


(……いいな、こういうの)


(女子同士の会話って、見てるだけで和む。前世を思い出すわ)


        ◇


 やがて、ナズの髪の手入れも終わった。


 二人は並んで手鏡を覗き込み、互いの髪を褒め合っている。

 その姿は、まるで姉妹のようだった。


 フィーネが、ふとレイスの方を振り返った。

 蒼穹色の瞳が、真っ直ぐにレイスを見つめる。


「レイス様」


「……なんだ」


「ありがとうございます、こんなことまでしていただいて…」


 その声は、小さいけれど、確かな温もりを含んでいた。


「……当然のことをしただけだ」


(福利厚生の一環。従業員の身だしなみ管理。それだけ)


 だが、フィーネの表情には、これまでにない変化が生まれていた。

 警戒でも、怯えでもない。


 小さな、しかし確かな信頼の芽生え。


 フィーネは再び髪に触れ、小さく呟いた。


「……なぜだろう」


「何がだ」


「レイス様の側にいると、懐かしい気がするのです」


 フィーネの声が、微かに揺れていた。


「どこかで……会ったことがあるような。でも、思い出せない」


(懐かしい? 私に?)


 レイスは内心で首を傾げた。


(ゲームに存在しないキャラで、前世でも関わりがあるはずないんだけど)


(フィーネの記憶喪失と何か関係が……?)


 ふと、彼女の手首が脳裏をよぎる。


(あの紋章。龍王家の紋章)


(……全部、繋がってる気がする。でも、その先が見えない)


 答えは出ない。


「思い出せなくても、焦る必要はない」


「……はい」


 フィーネは小さく頷いた。


 その隣で、ナズが嬉しそうに二人を見ている。


「お兄様、私たち綺麗になりましたよね?」


「……ああ。二人とも、よく似合っている」


(お世辞じゃなく、本当に。やっぱり髪って大事だな)


---


 その夜。


 フィーネは自室で、窓から差し込む月明かりを見つめていた。

 髪に触れる。

 指通りが、嘘のように滑らかだ。


 彼女は小さく呟いた。


「……なぜだろう」


 その声は、誰に向けたものでもなかった。


 記憶は戻らない。

 だが、月明かりに照らされたその横顔には、微かな温もりが宿っているように見えた。


---


 その頃──。


 南の街道を、灰色の旗を掲げた騎馬隊が駆け抜けていた。


 馬車を中心に、十数騎の護衛。

 整然とした隊列が、夜の闇を切り裂いていく。


 その旗に刻まれているのは、積まれたコインの紋章。


 カランルク領の経済を握る男──「灰の伯爵」が、動き出していた。


---


【第3刻限】残り18日 14時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100


<レイスのひと言:髪のケアは福利厚生の一環>


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すっごい好きです! 続きが気になる。これからも更新楽しみにしてますね。無理しない範囲で、頑張ってください!
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