第13話 ゲームにいない少女
【第3刻限】残り21日 0時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100
朝の光が、カランルクの城壁を白く染めていた。
眼下の訓練場では、カディル率いる自警団が模擬戦を行っている。
鋭い金属音が響き、屈強な若手兵士三人が、まるで枯葉のように弾き飛ばされた。
「団長、強すぎます!」
「手も足も出ない……!」
兵士たちが悲鳴を上げる中、カディルは涼しい顔で木剣を構え直している。
「まだまだだな。構えが甘い」
その動きは、以前よりも明らかに鋭さと重さを増していた。
城壁の上からそれを見下ろしていたレイス・カランルクは、満足げに頷いた。
(第1刻限の報酬『龍鱗の腕輪』の効果は抜群ね)
(身体能力1.5倍。単純な数値強化だけど、達人が使うと手がつけられない)
カディルに渡したのは正解だった。彼という最強の盾がいれば、大抵の刺客は跳ね返せる。
だが。
レイスの表情は、すぐに曇った。
(問題は、BPだ)
視界の端に浮かぶ、無慈悲な数字。
目標BP:100。
現在40。あと60足りない。
期間は残り21日。
(60BPって……SSR級のキャラをあと二人、あるいはUR級を一人引かないと届かない数字だよ?)
(しかも、手持ちのカードはもうない)
レイスの視線が、自然と客室棟の方角へと向く。
そこには、一人の少女がいる。
記憶喪失のエルフ、フィーネ・エトワール。
彼女こそが、この詰みゲーを打破する唯一の鍵──かもしれない存在。
(「かもしれない」なのが怖い)
彼女は、ゲーム「覇道のヴァルディア」に存在しないキャラクターだ。
5000時間プレイしたレイスの記憶にも、膨大な攻略Wikiにも、匿名掲示板の噂にも、彼女の名はない。
完全なイレギュラー。
覚醒すれば最強の戦力になるかもしれないし、BP5の「村人A」枠で終わるかもしれない。
(ガチャは期待した瞬間に裏切る。それがゲーマーの常識)
ため息をつき、レイスは手すりを握りしめた。
だが、回せるガチャはそれしかないのだ。
◇
午前中は、領内の視察に費やされた。
城から馬で半刻ほど。かつての廃墟を改装した建物が、今のレイスの生命線の一つとなっていた。
看板には、下手くそな絵で黒い猫が描かれている。
『黒猫運輸』集荷所。
「閣下! お待ちしておりました!」
駆け寄ってきたのは、熊のような巨躯を持つ男、ボズクルトだ。
顔に走る古傷が凶悪さを醸し出しているが、その目は以前の澱んだものではなく、仕事への意欲に満ちていた。
「報告します。黒曜石鹸の第二便、無事に出荷完了しました」
「タジル商会からの追加注文も入っております」
「南の街道、アテシュ家の残党も見当たりません。安全です」
完璧な報告だ。
レイスは内心で感心した。
(適材適所とはこのことか。略奪のプロは、輸送と護衛のプロでもあったわけだ)
(転職エージェントとしての私の手腕を自画自賛したい)
「うむ。精が出るな」
レイスが鷹揚に頷くと、ボズクルトが背後の部下たちに号令をかけた。
「野郎ども! 閣下がいらっしゃったぞ! 挨拶しろ!」
その瞬間。
顔に傷のある、腕自慢の強面たちが一斉に直立不動の姿勢をとった。
そして、ドスの効いた野太い声で叫んだ。
「「「にゃー!!」」」
……。
乾いた風が吹き抜ける。
ボズクルトもまた、真顔で拳を胸に当て、低音ボイスで言った。
「にゃー」
レイスは鉄の意志で表情筋を固定した。
(……笑ったら負けだ。絶対に笑うな)
(私が「黒猫」と命名した手前、彼らなりに忠誠心を示しているだけだ)
(でも、その顔で「にゃー」は反則でしょ。野生の狼が猫のコスプレしてるようなもんじゃないか)
領民に見られたら、どう説明すればいいのか。
新たな悩みを抱えつつ、レイスは震える声帯を抑え込んで言った。
「……うむ。良い返事だ。だが、その『にゃー』は今から禁止だ」
脳内で野太い「にゃー」の残響が鳴り止まないまま、レイスは次の視察地へと向かった。
◇
午後。
レイスは城下町を歩いていた。
その隣には、フィーネの姿があった。
彼女はフードを目深に被り、怯えた小動物のように周囲を警戒している。
「……なぜ、私を?」
フィーネが小さな声で問う。
「記憶がないなら、まずは領地を知るべきだ。部屋に閉じこもっていては何も思い出せまい」
レイスは前を向いたまま答えた。
もちろん、建前だ。
本当の目的は、彼女の観察である。彼女が何に反応し、何に興味を示すか。そこから契約の糸口を探るのだ。
城下町の賑わいは、日を追うごとに増していた。
タジル商会との取引開始により、現金収入を得た領民たちが買い物を楽しんでいる。
「領主様、今日もお出ましですか!」
「黒い石鹸、うちの嫁も気に入っとります!」
「閣下のおかげで、井戸水も安心して飲めるようになりました!」
通り過ぎるだけで、次々と頭を下げられる。
レイスは一々足を止めず、軽く手を上げて応える。
(元ネタは前世の義務教育なんだけど、まあ言えないよね)
(この調子で期待されると、次に何を出すか困るんだけどな……)
そんなレイスの横顔を、フィーネはじっと見つめていた。
八百屋の軒先で、レイスは足を止めた。
新鮮な葉野菜が並んでいる。
「これを二束くれ」
「へい! ……って、閣下!? め、滅相もねぇ! お金なんて受け取れません!」
店主の女性が慌てて手を振る。
レイスは構わず、銅貨を数枚、台の上に置いた。
「受け取れ。商売は対価を払ってこそ成り立つ」
「ですが……!」
「私が民から搾取する領主に見えるか? 対等な取引をさせてくれ。それが私のやり方だ」
店主は恐縮しながらも、嬉しそうに銅貨を受け取った。
レイスは野菜を受け取り、歩き出す。
(ふう……。本音を言えばタダで貰えるなら貰いたいけど)
(タダ取りが横行すると経済が回らなくなる。マクロ経済的には、私が金を落とすのが正解)
持続可能な経営のためには、トップが率先してルールを守らねばならない。社畜時代、経費精算の不正で炎上した部長を見て学んだ教訓だ。
「……不思議な方ですね」
不意に、フィーネが呟いた。
「なぜ、お金を払われたのですか? 貴族なら、いくらでも持っていけるはずです」
「お前は、そういう貴族を見てきたのか?」
「……分かりません。でも、当然だと思っていました。貴族とは、民から奪うものだと」
フィーネは自身の胸元をぎゅっと握りしめた。
記憶がなくとも、魂に刻まれた「貴族への不信感」がある。
それは彼女がかつて、権力者によって何かを奪われた経験があることを示唆していた。
「私は違う」
レイスは静かに告げた。
「民は領地の財産だ。財産から搾取すれば、いずれ破綻する。それは経営の基本だ」
フィーネが、蒼穹色の瞳でレイスを見上げた。
その瞳は、レイスの奥底にある何かを見透かそうとするかのように澄んでいる。
「……レイス様。私は……何者なのでしょう」
彼女の声が震えた。
「この手が何かを守っていたような気がするのに、何を守っていたのか思い出せない。誰かと約束したような気がするのに、誰としたのかも分からない」
彼女は足を止め、俯いた。
「私は……ここにいて、いいのでしょうか」
それは、存在の許しを乞う問いだった。
レイスは即答できなかった。
なぜなら、彼自身も同じ問いを抱えていたからだ。
(私だってそうだ。元OLの私が、なぜ魔族の領主をしているのか)
(この世界で、生きていていいのか。……ずっと、そう思ってる)
だからこそ、かける言葉は決まっていた。
「お前がここにいることは、私が許す」
「……え?」
「正体が分からなくても、記憶がなくても、それは今のお前を否定する理由にはならない」
レイスは彼女の目を見て言った。
「分からん。だが、お前を見捨てる気にはなれない。それだけだ」
フィーネが息を呑む。
しばらくの沈黙の後、彼女は小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
まだ完全に心を開いたわけではない。
だが、その横顔からは、最初のような怯えが消えていた。
「戻るぞ。日が暮れる前に城に着きたい」
歩き出したレイスの背中を、フィーネは何かを探るような目で見つめ続けていた。
◇
城に戻ると、執務室にはナズが待っていた。
彼女は机の上で、何かを熱心に布で磨いていた。
「お兄様、お帰りなさいませ」
「……まだ磨いてるのか」
「はい! 先日いただいた銀貨、本当に素晴らしい状態で……」
ナズは嬉しそうに、城下町の骨董品店で買った旧カラハン統一時代の銀貨を見せた。
「磨くたびに刻印がはっきりしてきて、もう何度見ても飽きません……!」
(よほど嬉しかったんだな、あの銀貨)
(まあ、喜んでくれるなら買った甲斐があったか)
一日中数字と睨めっこした後に、古いお金を磨いて癒やされる。
妹ながら、将来が心配になるワーカーホリックぶりだった。
「それで、今日の帳簿は?」
「もちろん、終わらせております!」
ナズは胸を張った。
「兄様のおかげです。書類の処理速度が格段に上がりました。以前なら半日かかった計算が、一時間で終わります」
「……そうか」
レイスは一つ、重要な事実を確認した。
絆の共鳴は、一方通行ではない。
レイスがナズから「速読」を得たように、ナズもまた、レイスとのパスを通じて能力が強化されているようだ。
(期待しすぎるな。……でも)
レイスは窓の外、客室棟に灯る明かりを見つめた。
今日のフィーネの反応。
彼女は「信じられる相手」を探している。居場所を求めている。
それは、この世界に放り出されたレイス自身と同じだ。
その時。
扉が控えめにノックされた。
「お兄様、フィーネ様がお見えです」
「……入ってくれ」
扉が開き、金髪の少女がおずおずと入室した。
夕陽を受けた髪が、淡い橙色に輝いている。
その手には、古びた石の護符。
ダンジョン『カラ・マガラ』で拾った遺物だ。
砂漠の民の装飾品と思しき、奇妙な形をしている。
「……あの。これ、お返しに来ました」
「返す?」
「私が持っていても、意味がないので……」
フィーネは視線を伏せた。
記憶のない少女。
ゲーム「覇道のヴァルディア」に存在しないキャラクター。
彼女が何者なのか、まだ分からない。
だが、60BPという絶望的なノルマを前にして、彼女の存在が気にかかる。
(この子が契約対象になれば……)
レイスは護符を受け取りながら、静かに告げた。
石の表面は、ひんやりと冷たかった。
「しばらく預かっておく。……お前も、ここにいていい」
フィーネが顔を上げた。
蒼穹色の瞳が、何かを探るように揺れる。
彼女は護符ではなく、ふと机の上の書類に目を移した。
タジル商会の南方発掘品リスト。
古代遺跡の装飾品。
砂漠の民が取引に出す品の図解。
その中の一枚に、フィーネの動きが止まった。
「……これ」
彼女がふらりと歩み寄る。
そして、一枚の挿絵に目を奪われた。
「私、ここを……知っています」
声が微かに震える。
「白い塔があって……砂の海の中に、沈んでいて……」
(……なに?)
レイスは息を呑んだ。
記憶喪失のはずの少女が、確信を持って語っている。
「そこで『王冠』を守らなきゃいけないって……誰かと、約束したんです」
王冠。
その単語が、脳内で引っかかる。
(王冠……? どこかで……)
ゲーム知識を探る。
だが該当データがない。
――いや、断片だけはある。
(攻略掲示板で、"大砂漠に隠しダンジョンがある"って噂が……)
(でも詳細は不明。私がプレイしてた時点では未解明だった)
フィーネは目を閉じ、何かを掴もうとする。
しかしすぐに首を振った。
「……すみません。それ以上は、思い出せなくて」
「いや、十分だ。無理に思い出さなくていい」
レイスはできるだけ穏やかに言った。
フィーネは机の上の護符に手を伸ばし、指先で触れようとした。
その時――。
袖口が僅かにずれた。
細い手首が露わになる。
そこに、レイスは見た。
淡く浮かぶ紋章。
蛇のように絡み合う二匹の龍。
その中心に――冠。
(――)
心臓が、一拍だけ止まった。
見間違いじゃない。
歴史書の挿絵。古代遺跡の壁画。滅びた種族の遺物。
『龍王家』の紋章だ。
(なんで……こんなところに)
龍王家は二万年前に滅んだはず。
龍神ドラグノスと共に封印され、歴史の闇に沈んだ一族。
なのに――この少女の手首に。
「……どうされました?」
フィーネが不思議そうに覗き込む。
彼女は気づいていないのか。気づいても意味が分からないのか。
レイスは震えそうな指先を握りしめ、平静を装った。
「いや……何でもない。護符は引き続き、私が預かっておこう」
(嘘だ。何でもあるに決まってる)
フィーネは小さく頷き、一礼して退室した。
扉が閉まったあとも、レイスはしばらく動けなかった。
(「王冠」を守る約束)
(龍王家の紋章)
(ゲームに存在しないキャラクター)
(……繋がってる。全部、繋がってる)
だが、その先が見えない。
攻略サイトにも、掲示板にも載っていなかった領域。
ゲーム知識の外側。
(この子は……いったい、何者なんだ)
答えは出ない。
――でも、一つだけ確かなことがある。
(この子を、失うわけにはいかない)
ケマル・ドゥマン。三大伯爵家のひとり。
彼らがフィーネの価値に気づいたら、誘拐でも暗殺でもやる。
60BPという絶望のノルマ。
そして、得体の知れない"鍵"を握る少女。
レイスは深く息を吐き、天井を仰いだ。
(攻略情報がない案件ほど、厄介なものはない)
握りしめた護符が、掌の中で微かに熱を帯びた――気がした。
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【第3刻限】残り20日 12時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100
<レイスのひと言:攻略Wikiに載ってない案件は、サポート対象外です>




