第12話 妹の決断──絆が自動発動して即死回避
【第2刻限】残り4日 21時間 ─ 現在BP:15 / 目標BP:40
『警告:刻限まで残り5日を切りました』
赤い文字が、視界の端で点滅している。
(あと25BP……)
喉が渇く。
背中を冷や汗が伝った。
執務室の空気が、鉛のように重い。
蝋燭の炎が揺れ、羊皮紙の乾いた匂いが鼻をつく。
書類の山に囲まれたレイス・カランルクは、宙に浮かぶ数字を睨みつける。
タジル商会との交渉はまとまった。
横領事件も、片を付けた。
領主としての「評価」は上がっているはずだ。
――だが、命綱のBPが、まるで増えない。
(契約できそうな人材が、もういない)
騎士団長カディルとは、すでに魂刻の絆を結んだ。
屋敷の使用人や兵士は忠誠心はある。
しかしBPを持つほどの「器」ではない。
それに――絆契約は、数を増やせばいい話でもない。
魂刻の絆は「互いの魂を繋ぐ」契約。
相手が死ねば、こちらも無傷では済まない。
(人数を増やしたら、守る対象も増える)
(下手をしたら、私の首まで一緒に飛ぶ)
レイスはこめかみを押さえ、深く息を吐いた。
前世なら「今期未達? 来期がんばろ」で済んだ。
だがこの世界のペナルティは――即死。存在消去。
(せめて始末書で勘弁してほしい)
あまりにブラックすぎる世界の仕様に、脳内で労働基準監督署にクレームの電話をしようとした、その時。
コン、コン。
控えめなノック。
扉の蝶番が小さく軋み、少女が入ってくる。
異母妹、ナズ・カランルク。
腕に抱えているのは、いつもの決裁書類の束だった。
「失礼いたします、お兄様」
「ああ」
「横領に関与していた文官たちの処分、確定いたしました。財産の差し押さえも完了しています」
「……早いな」
「お兄様のお手を煩わせるわけにはいきませんので」
手際は完璧。
報告はそれで終わり――のはずだった。
(この子の事務処理能力には頭が上がらない)
(私がいくら"英傑"を演じても、裏方が回らなきゃ領地は崩壊する)
レイスは机の上に視線を落とした。
書類の山。帳簿の束。未決裁の案件。
どれだけ目を凝らしても、BPを稼ぐ糸口は見えない。
(……このまま執務室にいたら、気が狂いそうだ)
ふと、窓の外に目をやる。
午後の陽光が、城下町を柔らかく照らしていた。
「……少し外の空気を吸いたい」
レイスは立ち上がった。
「ナズ、付き合え」
「え?」
ナズが目を丸くする。
「でも、まだ決裁書類が……」
「たまには休め。領主命令だ」
(本音を言えば、気分転換しないと頭が回らない)
(焦っても答えは出ない。……たぶん)
ナズは戸惑いながらも、書類を机に置いた。
「……かしこまりました」
◇
城下町は、以前とは比べものにならないほどの活気に満ちていた。
黒曜石鹸の売り上げが好調なのだ。
タジル商会との取引で現金収入を得た領民たちが、商店街で買い物を楽しんでいる。
「あ、領主様だ!」
「閣下、先日はありがとうございました!」
「おかげさまで、商売が上向きましたよ!」
通り過ぎるだけで、次々と頭を下げられる。
レイスは一々足を止めず、軽く手を上げて応えた。
(私が偉いんじゃなくて、前世の化学知識が偉いだけなんだけどね)
(感謝されるのは悪い気はしないけど、期待値が上がりすぎてプレッシャーが……)
隣を歩くナズが、嬉しそうに微笑んだ。
「お兄様の政策が実を結んでいますね」
「……そうだな」
(いや、実務を回してるのは全部君なんだけど……)
商店街の喧騒を抜け、少し静かな通りに入る。
売り子の声が遠ざかり、馬車の車輪が石畳を叩く音だけが響いた。
「ナズ」
「はい?」
「何か欲しいものはないか? 日頃の働きに報いたい」
ナズが足を止めた。
「私などに……滅相もありません」
「遠慮するな。何でもいい」
「いえ、本当に……」
ナズは首を振る。
だが、その視線が一軒の店に吸い寄せられるのを、レイスは見逃さなかった。
骨董品店。
古い家具や装飾品、錆びた武具などが雑多に並んでいる。
看板は色褪せ、軒先には埃を被った壺が転がっていた。
ナズの目が、一瞬だけ輝く。
そしてすぐに視線を逸らした。
「あ……いえ、何でもありません」
レイスは黙って歩み寄り、店の扉を開けた。
「入るぞ」
「え、でも……」
「いいから」
店内は薄暗く、古い木と埃の匂いが漂っていた。
所狭しと並ぶ調度品、装飾品、武具。
壁には色褪せた絵画が掛けられ、棚には欠けた陶器が並んでいる。
「いらっしゃい。……おや、閣下?」
店主らしき老人が、驚いた顔で立ち上がった。
「ああ。少し見せてもらう」
レイスが店内を見回す傍らで、ナズの足が自然と一角へ向かっていく。
片隅に置かれた木箱。
中には、古い貨幣がいくつか無造作に入っていた。
ナズの指が、一枚の銀貨を摘まみ上げる。
「これは……」
その声に、微かな興奮が滲んでいた。
「旧カラハン統一時代の銀貨ですね。刻印の磨耗具合から見て、魔王ハカン・カラハンの治世末期……およそ200年前のものかと」
「へえ、ナズ様は詳しいね」
店主が感心したように頷く。
「そいつは廃墟を漁ってた冒険者が持ち込んだやつでね。うちじゃ値がつかなくて困ってたんだ」
ナズは銀貨を光に透かし、刻印を確かめている。
その横顔は、書類を前にしている時とは全く違う――純粋な喜びに満ちていた。
(経理担当が古銭マニア……)
(職業病というか、筋金入りというか)
レイスは内心で苦笑しつつ、声をかけた。
「気に入ったものがあれば買え」
「え? でも、お金を使うなんて……領地の財政が……」
「お前の給金から出せばいい」
ナズがきょとんとする。
「……そういえば、給金を払った記憶がないな」
「……え?」
ナズの顔が固まった。
「冗談だ。私の小遣いから出す。好きなものを選べ」
「で、でも……」
ナズは迷いながらも、結局一枚だけを選んだ。
木箱の中で最も状態の悪い、縁が欠けた銅貨。
(この子、本当に自分にお金を使わないな……)
レイスは黙ってもう一枚、先ほどナズが手に取っていた銀貨を追加した。
「これもだ」
「え、でも……」
「領主の気まぐれだ。受け取れ」
ナズは戸惑いながらも、両手で銀貨を受け取った。
その指先が、微かに震えている。
「……ありがとうございます、お兄様」
「人間の王都には、古銭専門の店があるらしいぞ」
「本当ですか?」
ナズの瞳が、一瞬だけ輝いた。
「いつか連れて行ってやる。……約束はできんがな。平和になったら、の話だ」
「……はい」
ナズは銀貨を大事そうに握りしめた。
その姿は、宝物を手に入れた子供のようだった。
◇
店を出て、城への帰路を歩く。
西の空が茜色に染まり始めていた。
ナズは、ずっと銀貨を握りしめたままだった。
「……お兄様は、変わられましたね」
不意に、ナズが呟いた。
「どういう意味だ?」
「以前のお兄様は……その、私に何かを買ってくださるなど、考えられませんでした」
(前の"レイス"は、側室の子である妹に冷淡だった、ということか)
レイスは何も答えなかった。
前任者の記憶はない。だが、想像はつく。
「でも今は……私のことを、見てくださっている気がして」
ナズの声は小さかった。
だが、そこには確かな温もりがあった。
レイスは何も返せなかった。
(見ている、か)
(本当は、自分のことで精一杯なんだけどね)
城門が近づいてくる。
夕陽が城壁を茜色に染めていた。
その時。
ナズが足を止めた。
「お兄様」
「どうした?」
振り返ると、ナズは胸元で手を握りしめていた。
華奢な指が、白くなるほど強く握られている。
「お聞きしたいことがあります」
「言ってみろ」
「私は……」
ナズの声が震えた。
「ここにいて、いいのでしょうか」
「何を言っている」
「私は……正妻のお子ではありません」
その一言に、レイスの胸がちくりと痛んだ。
「剣も魔法も使えません。ただ書類を整理するだけの、役立たずです」
「ナズ」
「お兄様が変わられて……立派になられて……私は、ますます必要なくなるのではないかと」
ナズの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
石畳に落ちて、小さな染みを作る。
「ずっと怖かったんです。お兄様に……嫌われたら、どうしようって」
(……ああ、そうか)
彼女はずっと怖かったのだ。
正妻の子である兄とは違う。
自分の立場は不安定で、いつでも"不要"になり得る。
ましてや、凡庸だった兄が突然"英傑"として覚醒し始めた今。
高潔な理想を掲げる新しい当主にとって、側室の血は――汚点になり得る。
いつか切り捨てられるのではないか。
足手まといとして、追い出されるのではないか。
その怯えが、今日の言葉になって噴き出したのだ。
レイスは妹の前に立った。
夕陽を背に、影がナズに落ちる。
「勘違いするな」
低く、威厳を作った声。
――だが、そこに込めたものは演技だけじゃない。
「お前が書類を整えてくれるから、私は前を見られる。お前が屋敷を回してくれるから、私は外で戦える」
ナズが息を呑む。
「血筋など関係ない。お前は――私の妹だ」
(……本音を言うと、事務仕事全部丸投げしてるしね)
(ナズがいなくなったら、私の事務能力じゃ三日で破綻する)
(前職で「この人がいないと回らない」って言われてた先輩、まさにこのポジションだったな……)
内心で現実的な計算をしつつも。
それでもレイスは、言葉に嘘がないことを知っていた。
ナズは前世の自分に似ている。
誰にも褒められず、評価されず、それでも黙々と仕事を回す"裏方"。
そういう人間が、どれだけ報われないか。
どれだけ「認めてほしい」と願っているか。
だから――これだけは、言ってやりたかった。
ナズはその場に膝をつき、深く頭を垂れた。
床に落ちた涙が、小さな染みを作っていく。
「……私、ずっと怖かったんです。お兄様に……嫌われたらどうしようって」
それは主君への忠誠ではない。
兄に見捨てられたくない妹の、必死の本音だった。
「でも、お兄様がそう言ってくださるなら……私、頑張れます」
涙を拭い、顔を上げる。
「だから……私を、お兄様の傍に置いてください」
その瞬間――。
カッ、と。
夕陽とは別の、温かな光が二人を包んだ。
空気がふわりと揺れ、静かな熱が胸の奥に流れ込んでくる。
(――え?)
視界に、無機質なシステムウィンドウが浮かび上がる。
『条件達成を確認。対象:ナズ・カランルク(BP25)』
『【魂刻の絆】が自動発動します』
(自動発動!? 向こうから申請とかあるの!?)
(……労働契約なら違法だけど、魂の契約だからセーフなのか?)
レイスは目を見開いた。
絆は自分が能動的に結ぶものだと思っていたのに。
だが、ナズの想いが臨界を超えた。
――だからシステムが勝手に承認した、ということか。
ナズの身体から立ち上る光が、レイスの胸へ流れ込む。
淡い金色の粒子が、二人の間を繋いでいく。
(25BP……!)
高い。
カディルの15を大きく上回っている。
(戦闘力だけじゃない、ってことか……)
ナズは剣も魔法も使えない。
それでもこの数値。
「想いの強さ」が、BPに反映されるのだろうか。
さらに、追い打ちのように通知が続く。
『【絆の共鳴】速読を習得しました』
(……速読?)
レイスは首を傾げる。
情報処理速度向上。
つまり本を読むのが速くなる――?
(いやいや、命がかかってるんだけど)
(報酬が"本を速く読める"って、地味すぎない?)
(せめて「敵の弱点が見える」とか「未来が読める」とかさぁ……)
しかし光が収まると、ナズは潤んだ瞳でレイスを見上げた。
首筋に、淡い銀色の紋章が浮かび上がっている。
「お兄様……? 今、不思議な温かさが……」
「ああ。……我らの絆が、形になったのだ」
レイスはもっともらしく頷き――内心でガッツポーズを決めた。
(やった……! 足りた!)
15+25=40。
首の皮一枚で、第2刻限の即死を回避。
だが、レイスの胸には妙な重さが残った。
(……また一人、私の嘘を信じる人が増えた)
ナズは「英傑の兄」を慕っている。
本当の自分――元OLの斯波蓮を知ったら、彼女はどう思うだろう。
その問いを、レイスは意識の奥に押し込んだ。
考えても仕方がない。今は生き延びることが先だ。
「……城に戻るぞ。日が暮れる」
「はい、お兄様」
ナズは涙を拭い、立ち上がった。
その手には、まだ銀貨が握られている。
二人は夕陽の中、城門をくぐった。
◇
執務室に戻ると、視界のウィンドウが切り替わった。
『第2刻限達成。報酬を選択してください』
目の前に二つのアイコンが浮かぶ。
A:守護の盾(譲渡可)
魔法攻撃を50%軽減する障壁を自動展開する。
B:策謀の魔眼(譲渡不可)
嘘を見抜く瞳。虚偽の発言が赤く光って見える。
レイスは迷った。
ナズを守るならA。
――だが、必要なのは守りだけじゃない。
ケマル・ドゥマンのような古狸と渡り合うには、盾より"情報"だ。
会議室という戦場で生き残る武器が要る。
(ここで守りに入ったら、ジリ貧になる)
(嘘を見抜く目……これがあれば、盤上で先手を取れる)
(あと、経費の水増し申請も一発でわかるようになるかも)
(……いや、それは別の能力か)
レイスは震える指で、Bを選択した。
『報酬:策謀の魔眼を獲得しました』
左目に熱い痛みが走る。
一瞬、視界が赤く染まり――すぐに馴染んでいく。
――そして。
間髪入れずに、無慈悲なファンファーレ。
『第3刻限、発動』
【第3刻限】残り21日 0時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100
「……は?」
声が、喉から漏れた。
(ひゃ、100……?)
現在40。
目標BP100まで、あと60BP。
期間は21日。
(60BPなんて、どこで稼げばいいんだ……)
(納品したら即座に次の発注書が来るやつだ、これ)
頭を抱えそうになるのを、必死で抑える。
その時。
ふと、机の上の書類に目を落とした。
世界の見え方が、変わっていた。
文字の羅列が、意味の塊として浮かび上がる。
段落が整理され、要点が勝手に頭へ入ってくる。
(……これが、速読?)
試しに分厚い契約書を手に取って、ページを捲る。
ぱらり、ぱらり。
紙の擦れる音が、やけに鮮明に聞こえる。
――読めた。
一枚ごとの要点が、自動で脳内に整理されていく。
必要な条文と危険な罠が、赤い線で引かれたみたいに浮かび上がる。
(三十秒で……全体を把握できた)
次に、積み上げられた報告書の束を手に取る。
領内の農地面積、徴税記録、人口動態、物資の在庫リスト。
今までなら、一日かけて目を通す量だ。
ぱらり、ぱらり、ぱらり。
五分で全て把握した。
しかも、矛盾点が三箇所、水増しの疑いがある数字が二箇所、自動的に頭の中でハイライトされている。
(……これ、事務仕事が"処理"になる)
(前職でこの能力があったら、月次決算が三日で終わってた)
(経理部長が泣いて喜ぶスキルだ。……いや、不正してる側は泣くか)
地味だと思った能力が、じわじわと恐ろしい価値を見せ始める。
窓の外では、夕陽が完全に沈もうとしていた。
最後の茜色が、城壁を染めている。
レイスは握りしめたペンを机に置いた。
(残業が終わったら、また残業だ)
(しかも今度は、攻略情報がない)
だが、手元には新しい武器がある。
嘘を見抜く目と、情報を処理する頭脳。
戦い方は、まだある。
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【第3刻限】残り21日 0時間 ─ 現在BP:40 / 目標BP:100
<レイスのひと言:納期が終わったら、次の納期が始まった>




