第10話 販路ゼロの絶望に商人が来た──砂漠の隊商、参上
【第2刻限】残り9日 12時間 ─ 現在BP:15 / 目標BP:40
商品はできた。
だが、倉庫に眠る在庫は、現金化されるまではただの負債でしかない。
レイスは執務室の窓から、南へと続く街道を眺めていた。
黒曜石鹸の試作品は工房で山積みになり、経口補水液も清潔包帯も出荷を待っている。
欠けているのは、販路だけだ。
(営業なくして利益なし。在庫管理費だけでキャッシュフローが死ぬ……)
(うちの部長も言ってた。「作るのは二流でもできる。売るのが一流だ」って)
三大伯爵家──アテシュ、ドゥマン、キュルの三家による経済封鎖は、完璧に近い形で機能していた。
物流の動脈を断ち、この辺境を干上がらせる兵糧攻め。地味だが最も確実な「殺し方」である。
もっとも、彼らは一つだけ誤算を抱えていた。
この領地の主が、前世で数多のデスマーチを生き抜いた社畜ゲーマーだという事実だ。
コン、コン。
執務室の扉がノックされる。
「閣下、報告がございます」
「入れ」
入室してきたカディルの表情には、歴戦の騎士団長には似合わない戸惑いが浮かんでいた。
「閣下……商隊が到着いたしました」
(……お?)
レイスは眉根を寄せた。
この状況で商人が来るなど、自殺志願者か、よほどの馬鹿か──あるいは。
「商隊だと?」
「はい。城門前に、十数頭のラクダと荷馬車が。『タジル商会のエブル』と名乗っております」
その名を聞いた瞬間、レイスの思考回路が一瞬ショートした。
(タジル商会……エブル……?)
脳内のデータベースが即座に検索結果を弾き出す。
砂漠越えの隊商で知られる大商会。商才は大陸屈指。ゲーム後半では主人公の経済基盤を支える重要NPC。
問題は、その出現時期だ。
(この人、ゲームだと獣人国あたりで登場するキャラじゃなかったっけ?)
(時系列がおかしい。フラグ管理どうなってんの? バグ?)
ゲーム知識と現実の「差異」。
それは吉兆か、それとも凶兆か。
「……謁見の間に通せ」
レイスは立ち上がり、上着の裾を直した。
(警戒は必要。でも、これは千載一遇のチャンス)
(向こうからカモがネギ背負って来た。鍋にして食う)
◇
謁見の間。
黒い石壁に囲まれた空間に、一人の男が立っていた。
砂茶色の髪に、琥珀色の瞳。
旅慣れた商人らしい機能的な衣装。だが目だけが、油断なく周囲を観察している。
値踏みする目だ。
商品を、人を、そしてこの領地の価値を。
「お目通り叶い、光栄の至りでございます。カランルク辺境伯閣下」
男──エブルは流れるような動作で臣下の礼を取った。
「タジル商会で隊商を率いております、エブルと申します」
「よく来られた」
レイスは玉座に深く腰掛け、尊大な視線を向けた。
内心の動揺は鉄壁のポーカーフェイスの下に隠蔽済みだ。
「交易を締め出されたこの領地に、わざわざ足を運んだ理由を聞こうか」
エブルは顔を上げ、困ったような笑みを浮かべる。
芝居がかった営業スマイルだ。
「率直に申し上げますと、南の戦火に巻き込まれまして。商売の道が塞がれてしまったのです」
「戦火、か」
「ええ。アテシュ家が軍を動かしておりまして。街道が封鎖され、迂回を余儀なくされた次第です」
筋は通っている。
だが、商人が「仕方なく」貧乏領地に来るなどあり得ない。
(迂回するだけなら、もっと安全なルートがある)
(わざわざ、こんな袋小路に来た理由は?)
「北への道なら他にもあるだろう。なぜこの領地を選んだ」
「……閣下は、お目が高い」
エブルの琥珀色の瞳が一瞬だけ細くなった。
彼は観念したように肩を竦める。
「正直に申しましょう。噂を聞いたのです。この領地で、妙に面白いものが作られていると」
「面白いもの?」
「黒い石鹸、砂漠で必需品の命のしずく、そして奇跡の軟膏」
声から演劇的な響きが消えた。
“商人の本音”になった。
「……それに、ダンジョンで財宝を掘り当てたとも。借金まみれだった領地が急に息を吹き返したとなれば、商売人としては無視できません」
(……情報の耳が早すぎる)
レイスは内心で舌打ちした。
まるで監視カメラでも仕掛けていたかのような情報量だ。
(産業スパイかよ。コンプライアンスどうなってんの)
「商人の耳は、砂漠の風よりも速いものでして」
人懐っこい笑み。だが瞳は笑っていない。
獲物を狙う猛禽の目だ。
「見せていただけませんか。噂が本物なら、悪い話にはならないはずです」
◇
工房にて。
エブルは黒曜石鹸を手に取り、泡立て、洗い、拭き取った。
鑑定士のように丁寧な手つき。
「……驚きました。肌が、潤っている」
彼は自分の手のひらをまじまじと見つめる。
「砂漠の旅は肌を酷使します。普通の石鹸ならガサガサになる。だがこれは……まるで高級な油を塗ったようだ」
「黒曜石の魔力保持効果と、配合した特製油脂の成果だな」
(まあ、前世のスクラブ入り保湿洗顔料なんだけど)
(黒曜石粉末をスクラブ代わりにしたのは、我ながら正解)
エブルの目が上がった。
その奥に、金貨の輝きが宿る。
「閣下。これは売れます」
断言だった。
「貴族の奥方連中に売り込めば、定価の倍でも飛ぶように売れる。『黒曜石の魔法石鹸』……いや、『闇の女王の美肌石鹸』とでも銘打ちましょうか。一個銀貨十枚でも安い」
(銀貨十枚……!)
(原価の二十倍以上? ボロ儲けじゃないか)
レイスは平静を装い、次なる場所へ案内する。
医務室ではシファが待ち構えていた。
「閣下。経口補水液と薬用軟膏、ご用意できております」
並べられた品々を前に、エブルの表情が一段と真剣になる。
「これが、乾かない水……?」
「脱水症状を起こした者に飲ませる。塩と糖分を最適な比率で配合したものだ」
商人は眉を跳ね上げた。
「砂漠越えの隊商にとって、脱水は死に直結します。……本当に効くのですか」
「昨日、熱射病で倒れた騎士がこれで蘇生した」
シファが即答する。
「水を受け付けない状態でも、これなら吸収されます。実績は保証しますわ」
エブルの目が変わる。
値踏みから、確信へ。
「包帯と軟膏も同様だ。化膿止めの効果がある」
「……傭兵団が欲しがりますな」
エブルは呟いた。
「戦場での死因の半分は、傷そのものではなく、その後の熱病だ。それを防げるなら、彼らは全財産をはたいてでも買うでしょう」
全ての品を確認し終えたエブルは、深々と頭を下げた。
「閣下。……恐れ入りました」
その声には、本心からの敬意が滲んでいた。
「それで、どうする。取引するのか」
「もちろんです。独占販売権をいただきたい」
◇
執務室に戻り、本番の戦争──価格交渉が始まった。
「独占販売権、か」
レイスは指先で机を叩く。
「こちらに何のメリットがある」
「安定買取を保証します。毎月、定量を定額で。市場価格の変動リスクは当方が負います」
魅力的だ。
サブスクリプション的な安定収入。自転車操業の領地経営には喉から手が出る。
だが──ここからが商人の本領だ。
「ただし、価格については勉強していただきたい」
エブルの声が低くなる。
「黒曜石鹸は銀貨十枚で売れると申しましたが……仕入れは銀貨二枚で。他の品も市場の三割でお願いしたい」
(……出たよ、買いたたき)
(下請けいじめは異世界でも健在か)
「理由は?」
「リスクです」
即答。
「この領地は三大伯爵家に睨まれている。正規の街道を使えば、さまざまな嫌がらせの恐れがある。密輸同然のルートを通らねばならない。その危険手当とお考えください」
もっともらしい理屈だ。
普通の領主なら折れる。「販路がないよりマシ」と。
だが、レイスは黙って頷く素人ではない。
「……お前、どうやってここまで来た?」
「は?」
レイスは口角を上げた。
「商人が近寄らないこの領地に、ラクダ十数頭の隊商が入ってきた。三大伯爵家の目を盗んで、だ」
静寂。
室内の温度が下がる。
「つまり、お前には既に『裏道』がある。リスクは、お前が言うほど高くはないはずだ」
エブルの琥珀色の瞳から、感情の色が消える。
「……閣下は、古狸のようだ」
「褒め言葉として受け取っておく」
「黒曜石鹸の独占権はやろう。だが、価格は銀貨五枚だ。他も六割。これ以下なら、商品は腐らせた方がマシだ」
「それでは利幅が……」
「もう一つ、提案がある」
レイスは切り札を切った。
「『黒猫運輸』を使え」
「……黒猫?」
「この領地で物流を担う組織だ。」
「元は山賊崩れだが、今は私の配下だ。彼らは獣道だろうが崖だろうが、荷物を運ぶルートを知り尽くしている」
エブルの目が大きく見開かれる。
「お前の隊商と、黒猫運輸が連携すれば輸送量は倍になる。三大伯爵家の包囲網など、ザルのように抜けられる」
レイスは身を乗り出した。
「単価で譲る気はない。
だが、量で儲けさせてやる。
供給は私が保証する。
品質も見た通りだ。
お前は『売る』ことだけに専念しろ」
沈黙。
エブルの脳内で、凄まじい速度でソロバンが弾かれているのが分かる。
やがて彼は、ふぅ、と息を吐いた。
「……完敗です」
その顔には、清々しいほどの降伏の笑みがあった。
「物流まで握られては、もはやぐうの音も出ません。閣下、契約成立です」
◇
契約書への署名を終え、エブルが立ち上がる。
「では、最初の荷を受け取りに参ります」
「ああ。頼んだぞ」
扉の前で彼は立ち止まり、振り返った。
「……閣下」
「なんだ」
「今日の取引、数字だけ見れば私の負けです。ですが──」
商人は琥珀色の瞳を細めた。
「商人の勘ですがね。閣下には……『先がある』。そう感じました」
お世辞にしては重い。
「今日の負け分は、将来への投資とさせていただきます。大口の取引先には、早めに恩を売っておくのが鉄則ですから」
エブルが去った後、レイスは窓の外を見上げた。
(……将来への投資、か)
(伸びしろを買われたなら、悪くない)
借金はまだ山ほどある。敵は四方にいる。
だがキャッシュフローは確保した。
コン、コン。
控えめなノック音と共に、ナズが入ってくる。
「お兄様、入ってもよろしいですか」
「入れ」
ナズの深紫の瞳は、不安に揺れていた。
「交渉は……どうなったのですか? やはり、買い叩かれて……」
「契約成立だ」
レイスは短く告げた。
「全商品、タジル商会が買い取る。独占契約だ。価格もこちらの希望を通した」
ナズが息を呑む。
「そ、それでは、定期的な収入が……?」
「入る。毎月、決まった額がな」
(サブスク契約万歳。固定収入こそ、精神安定剤)
その瞬間、ナズの肩が小刻みに震え始めた。
「お兄様……」
目から大粒の涙が溢れ出す。
悲鳴にも似た、安堵の涙。
「良かった……本当に、良かった……!」
ナズは崩れ落ちそうになりながら両手を組んだ。
「ずっと……ずっと、赤い数字ばかり見てきました。どう計算しても足りなくて、明日にも破産するのではないかと……」
涙を拭うのも忘れ、レイスを見上げる。
(よく泣く娘だな)
「領地に……希望が、あるのですね」
「お前の力だ」
レイスは努めて尊大に言った。
「お前が帳簿を管理し、無駄を削ぎ落としてきたからこそ、ここまで持ちこたえた。胸を張れ」
ナズは顔をくしゃくしゃにして、それでも精一杯の笑顔を作る。
「……はい! 私、お兄様についていきます。どこまでも!」
(……これで内政担当のメンタルは保たれたな)
レイスは内心で安堵した。
ナズが潰れたら、領地経営という名の事務作業は全て自分に回ってくる。それだけは回避しなければならない。
◇
領地は救われた。
借金返済の目処も立った。
後世の歴史家は、この契約を「カランルク経済圏の夜明け」と記すだろう。
もっとも当の本人は、「やっと枕を高くして寝られる」としか考えていなかったのだが。
皮肉なことに、運命は彼に安眠を許さない。
南の空から、きな臭い煙が入り始めていた。
---
【第2刻限】残り9日 1時間 ─ 現在BP:15 / 目標BP:40
<レイスのひと言:キャッシュフローは会社の生命線>




