第1話 余命7日、失敗したら存在削除
【第1刻限】残り00:04:32 ─ 現在BP:0 / 目標BP:15
従軍書記官の記録によると──
新暦20024年、春の初め。若き辺境伯レイス・カランルク閣下は、崩壊寸前の領地において第一歩を踏み出された。後の世において「覇王の黎明」と呼ばれるこの日、虚空を見つめるその真紅の瞳は、あたかも未来の全てを見通しているかのようであったという。
もっとも、当の本人が考えていたのは、歴史的使命でもなければ高潔な理想でもない。
(あと5分で死ぬ。……え、納期(寿命)短すぎない?)
歴史とは、しばしばこのような誤解の積み重ねで作られるものである。
◇
視界の端で、赤いデジタル数字が無慈悲に点滅している。
刻限終了まで、残り5分を切った。
まるで納期5分前のデスマーチだ。
いや、納期破りが「物理的な死」に直結する分、ブラック企業の方がまだコンプライアンスを守っていたかもしれない。
レイス・カランルクは、騎士団長カディル・デミルチの前に立っていた。
たった今、乾いた喉を無理やり震わせ、「私に忠誠を誓えるか」と告げたところだ。
カディルは沈黙している。
石造りの床に、鎧の軋む音だけが響く。
その数秒が、永遠に感じられた。
(お願い、早く答えて!)
(あと4分しかないの!)
(ゼロになったら私、消えるんだけど。物理的にロストするんだけど!)
外面では威厳ある沈黙を保ち、内心では絶叫してのたうち回っている。
これが、悪夢のような7日間の果てに辿り着いた「答え合わせ」の瞬間だった。
カディルがゆっくりと口を開く。
琥珀色の瞳が、揺らいだ。
「閣下……私は──」
膝をつくのか。
それとも…。
(お願い……!)
答えを聞く前に、視界が白く霞んでいく。
すべては、7日前のあの朝から始まったのだ。
──────
【第1刻限】残り7日0時間 ─ 現在BP:0 / 目標BP:15
埃っぽい。
それが、最初の感覚だった。
斯波蓮──前世では28歳のOLだった女性──が目を覚ましたとき、鼻をくすぐる古い布の匂いと、窓から差し込む朝日の眩しさが意識を揺さぶった。
薄汚れた天蓋。
色褪せた金糸の刺繍。
舞い上がる埃が、光の筋の中で踊っている。
「……ん」
身体が、重い。
連日の残業で鉛のように重かった身体とは、また質の違う重さだ。
喉が渇いている。
水を求めて声を出そうとし──自分の声の低さに、思考がフリーズした。
慌てて上半身を起こす。
冷たい石の床に素足が触れ、背筋がぞくりとした。
そこは石造りの広い寝室だった。
窓の外には、荒涼とした大地が広がっている。
壁に掛けられた姿見が目に入った。
そこに映っていたのは、くたびれたジャージ姿のOLではない。
色素の抜けたような黒髪。
病的なまでに白い肌。
そして、見る者を不安にさせる鮮血のごとき真紅の瞳。
線の細い、16歳前後の美少年だ。
「……は?」
口から出たのは、やはり男性の声だった。
混乱する頭の片隅で、冷静な元ゲーマーの脳味噌が、その少年の正体を弾き出す。
レイス・カランルク。
私が過労死する直前まで、5,000時間を費やしてやり込んだMMOSLG『覇道のヴァルディア』。
その中でも、最高難易度かつ最弱と名高い「詰みゲー」枠の辺境伯だ。
(転生……ってやつ? しかも男?)
胸がない。
恐る恐る下を確認する。
……付いている。
余計なものが、しっかりと。
しかも、魔族。
この世界には人間と魔族が混在している。
見た目はほぼ変わらないが、魔力への親和性が異なり、寿命も違う。
そして何より──価値観が違う。
魔族の世界では、「強き者が導く」ことだけが正義だ。
ゲームでは、人間側でプレイするか魔族側でプレイするかで難易度が大きく変わった。
魔族は裏切りが多い代わりに、勝てば味方が増えやすい。
人間は忠誠心が高い代わりに、負けると一気に瓦解する。
私が引いたのは、魔族側の最弱キャラ。
……最悪だ。
性別が変わったことへのショックはもちろんある。
あるが、それ以上に私の心臓を凍りつかせたのは、視界の右上に常に表示されている「アレ」だった。
『【第1刻限】発動』
『期限:7日』
『目標BP:15』
『達成条件:魂刻の絆によるBP獲得』
『失敗時:存在消去』
それを見た瞬間、私の背筋が凍りついた。
会社員としての勘ではない。
5,000時間を費やしたゲーマーとしての知識が、その意味を理解してしまったからだ。
(知ってる……これ、知ってる!)
(地獄級モードの「刻限システム」だ! 達成できないとセーブデータごと抹消されるやつ!)
『失敗時:存在消去』。
比喩でも脅しでもない。
文字通りの「データ削除(死)」だ。
(いやいやいや、聞いてないんですけど!?)
前世、私は過労で死んだ。
引き継ぎなしの炎上案件に放り込まれ、心臓が悲鳴を上げて終わった人生。
そして今、神様とやらは、またしても私をデスマ案件に放り込んだらしい。
しかも今度の納期は7日後だ。
「……ふざけないでよ」
漆黒の寝間着を握りしめ、私はギリリと奥歯を噛んだ。
死にたくない。
二度も、理不尽に人生を終わらせられてたまるか。
◇
着替えを済ませ、執務室へと向かう。
廊下は薄暗かった。
壁掛けの燭台に火は入っておらず、窓から差し込む弱い光だけが頼りだ。
すれ違うメイドや兵士たちが、ギョッとした顔で私を見て、慌てて頭を下げる。
無理もない。
本来の「レイス」は、無能で傲慢な引きこもり領主だったはずだ。
執務室の重厚な椅子に座り、私は深呼吸をした。
古い木と、かすかなカビの匂い。
この城全体が、長い間手入れされていないことを物語っている。
まずは状況分析だ。
BP(Bond Point/絆ポイント)を集めるには、配下と「契約(刻印)」を結ぶ必要がある。
条件は二つ。
相手が私を「主」と認めること。
そして、自由意思で忠誠を誓うこと。
(残り7日で15ポイント。……カディルだ)
私の脳内データベースが、最適解をはじき出す。
このカランルク領の騎士団長、カディル・デミルチ。
初期配置されている人材の中で、唯一まともな戦力。
そして彼の保有BPは、ゲーム内データ通りなら「15前後」だったはずだ。
つまり、カディル一人を落とせば、この第1刻限はクリアできる。
逆に言えば、彼を落とせなければ即死だ。
「カディル・デミルチを呼べ」
控えていた従者に命じる。
私の声は、意識せずとも尊大で冷ややかな響きを帯びていた。
貴族としての「設定」が体に染み付いているのか、あるいは、猫を被るのは社会人の必須スキルだからか。
程なくして、扉がノックされた。
「入れ」
重い扉が軋んで開く。
鎧が擦れる金属音。
鉄と、かすかな汗の匂い。
歴戦の戦士だけが纏う、重い空気が部屋に流れ込んできた。
入ってきた男を見て、私は息を呑みそうになるのを堪えた。
鉄灰色の鎧に、身の丈ほどもある大剣。
短く刈り込んだ黒髪に、古傷の走る精悍な顔つき。
そして何より、その琥珀色の瞳には、隠しきれない「侮蔑」と「警戒」の色が滲んでいる。
「騎士団長カディル、参りました。……何用でしょうか、閣下」
声が低い。
岩を砕くような響きだ。
怖い。
シンプルに怖い。
こんな歴戦の戦士に、元一般職OLが命令を下さなければならないなんて。
(目が笑ってない……完全に「新人が何しに来た」って顔してる)
私は机の上で手を組み、震えそうになる指先を隠した。
カディルは、前当主(レイスの父)に恩義を感じているが、その息子であるレイスのことは良く思っていない。
ゲームの設定通りだ。
「カディル。領内の状況を報告せよ」
できるだけ声を低くし、簡潔に問う。
カディルがわずかに眉を寄せた。
「……報告ですか?」
カディルがいぶかる。
「軍備、財政、そして治安だ。全てを把握しておきたい」
「……はっ」
カディルは怪訝そうな顔をしつつも、淡々と報告を始めた。
内容は、絶望的なものだった。
人口、約1,200人。
兵力、自警団レベルの寄せ集めが10名。
財政、破綻寸前。
外交、周囲を敵対的な三大伯爵家に包囲されている。
(知ってた。ゲームで何回も見た初期ステータスだ)
だが、画面上の「数値」と、生身の人間から聞く「現実」は重みが違う。
このボロボロの領地で、この強面の騎士団長の信頼を、あと168時間以内に勝ち取らなければならない。
(無理ゲーじゃん……いや、詰みゲーか)
報告を終えたカディルが、探るような視線を向けてくる。
普段なら寝室から出てこない若造が、急に領地経営に興味を持ったのだ。
不審に思うのも無理はない。
「……閣下。急にそのようなことを聞かれて、どうされるおつもりで?」
刺すような問いかけ。
ここで「死にたくないからBP集めます」なんて言えば、即座に狂人扱いされて終わりだ。
何か、それっぽい理由を──
その時だった。
執務室の扉が乱暴に開かれた。
「報告しますッ!」
泥だらけの兵士が転がり込んでくる。
息が荒い。
汗と土埃の匂いが、一気に部屋に広がった。
「ドゥマンリ村付近にて、黒狼団が出現! 村に向かっていた商隊が襲われた模様です!」
空気が凍りついた。
黒狼団。
この辺境を荒らす武装盗賊団だ。
構成員は元傭兵崩れで、その数は30から50人。
カディルが即座に反応した。
「閣下! 直ちに出撃の許可を! 村が襲われるかもしれません!」
その剣幕に圧されそうになる。
だが、私の脳内では冷徹な計算が走っていた。
(敵は30人以上。こちらの戦力は10人)
(カディルは強いが、多勢に無勢だ。まともにぶつかれば全滅する)
ゲームなら、ここで「出撃」ボタンを押せば、確率計算で勝敗が決まる。
だが、これは現実だ。
負ければカディルは死ぬ。
カディルが死ねば、BPは手に入らない。
私も死ぬ。
「……待て」
私が制止すると、カディルの顔が怒りに歪んだ。
「待てとは、どういうことですか! 今この時も、領民が殺されているかもしれないのですよ!」
「戦力差を考えろ。我々は10人、敵はその数倍だ。玉砕しに行くつもりか」
「ですが、騎士として民を見殺しにはできません! それが、カランルク家の誇りではありませんか!」
カディルが一歩踏み出す。
威圧感が物理的な風圧となって肌を刺す。
怖い。
今すぐ「好きにしろ」と言って逃げ出したい。
(でも、ここで村を見捨てたら……)
民を見捨てる領主を、この実直な騎士団長が認めるはずがない。
信頼度はマイナスに振り切れ、契約の道は永遠に閉ざされる。
それこそが、私の「存在消去」だ。
進むも地獄、引くも地獄。
ならば。
私は漆黒のコートを翻し、立ち上がった。
「黒狼団と言ったか? ……馬を引け」
カディルが目を丸くした。
「は……?」
「私も行く」
「な、何を仰るのです! 閣下は初陣でしょう! それに、戦力差がどうとか──」
「勝算はある」
ハッタリだ。
勝算なんてない。
ただ、ゲーム知識の中に、使えるかもしれない「情報」がいくつかあるだけだ。
だが、ここで動かなければ終わりだ。
カディルの琥珀色の瞳を真っ直ぐに見据えた。
真紅の瞳で、射抜くように。
「私の民だ。私の許可なく傷つけることは許さん」
声が裏返らなくてよかった、と内心で安堵する。
それは、半分は演技で、半分は本音だった。
私の領民だ。
私の財産だ。
それを奪われるということは、私の生存確率が下がるということだ。
カディルが、わずかに息を呑んだのが分かった。
彼の中にあった「臆病な領主」という像に、小さなひびが入った瞬間だったかもしれない。
「……御意」
カディルが深く頭を下げた。
その背中を見送りながら、私は机の下でガクガクと震える膝を押さえつけた。
(言っちゃった……言っちゃったよ……)
(引き継ぎなしで炎上案件のリーダーやれって言われてるのと同じだよね、これ?)
◇
馬上で、レイスは遠くに上がる煙を見た。
丘の向こう。
黒い旗が、風に揺れている。
黒狼団の旗印だ。
横を走るカディルが、低い声で報告した。
「敵の数、目視で確認できるだけで30以上。こちらは10。……閣下、まだ引き返せます」
引き返せない。
引き返せば、カディルの信頼を失う。
信頼を失えば、BPは手に入らない。
BPが手に入らなければ──私は、消える。
「……問題ない」
声が震えなかったのは、奇跡だった。
視界の端で、赤い数字が時を刻む。
【残り6日23:48】
勝算なんて、どこにもない。
あるのは、5,000時間分のゲーム知識と、社畜時代に培った「死地(炎上案件)への嗅覚」だけ。
(あーもう、帰りたい……)
だが、帰る場所は、もうない。
◇
■第1話章末ステータス
【第1刻限】残り6日23時間 ─ 現在BP:0 / 目標BP:15
<レイスのひと言:転生初日からデスマーチ>




