義理と人情の寺子屋——教育官、姐さんにビビる
辺境にようやく平和な学舎が建ち、元ならず者たちが必死に「あいうえお」を書きなぐっている……そんな微笑ましい光景をぶち壊しに、王都から「権威の塊」みたいな奴がやってきて__
「……何だ、この下俗な集まりは! 貴族の令嬢ともあろう方が、このような泥棒の類に文字を教えるなど、正気の沙汰ではない!」
静かな教室に、神経質そうな男の怒鳴り声が響き渡った。王都から派遣された一等教育官、ハンスだ。彼は鼻をハンカチで押さえ、まるで汚物を見るような目で、机に座るジャックたちを睨みつけた。
「おい、そこ。その『仁義』という言葉は何だ? 聖典にも載っていない不潔な言葉を教えるとは、国家への反逆と取られても文句は言えんぞ!」
ハンスが机を叩き、ジャックの書きかけの紙を床に払い落とした。 ジャックは拳を握りしめ、顔を真っ赤にして耐えている。ここで手を出せば、リリアーヌに迷惑がかかることを知っているからだ。
「……あーあ。せっかく綺麗に書けてたのにねぇ」
教室の後ろから、低く、冷え切った声が響いた。 リリアーヌだ。彼女はカイルを伴い、ゆっくりとハンスの前まで歩いてくる。その足音一つに、教室中の温度が数度下がったような錯覚を覚えた。
「ハンスさん、だったっけ。あんた、今、うちの生徒の誇りを踏みにじった自覚はあるかい?」
「ふん! 誇りだと? 犯罪者にそんなものがあるわけなかろう。リリアーヌ様、貴女も追放されて頭が狂ったか。教育とは選ばれし者のためのもの。この者たちには、鞭と鎖こそが……」
「——そこまでにしときな」
リリアーヌの声が、さらに一段低くなった。 彼女は、ハンスが払い落とした紙を拾い上げ、丁寧に砂を払う。
「教育官。あんたの言う『高尚な教育』ってのは、弱者をナメ腐って、自分より下の人間を作って安心するための道具なのかい? ……だとしたら、あんた、学ぶ意味を根本から履き違えてるよ」
「な、何だと……っ!」
「いいかい。字を知れば、契約書が読める。計算ができれば、不当に搾取されずに済む。……知識ってのは、自分たちの生活を守るための『武器』なんだよ。武器を取り上げたがるのは、そっちの方が都合がいいからだろう?」
リリアーヌは一歩、ハンスの間合いに踏み込んだ。 彼女の背後に、修羅場を仕切ってきた「伝説の姐さん」の巨大な威圧感が立ち昇る。ハンスは蛇に睨まれた蛙のように、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「ひ、ひぃ……! 暴力を振るう気か!? 私は王都の役人だぞ!」
「暴力? 滅相もない。私はただ、あんたに『実地研修』をさせてあげようと思っただけさ」
リリアーヌは冷たく微笑み、後ろに控えるジャックたちに目配せした。
「ジャック、あんたたち。こいつを広場まで連れて行きな。……あ、乱暴しちゃダメだよ? ただ、あんたたちが今までどれだけ苦労して、これからどう変わりたいか、一晩かけて『じっくり』語ってあげな。——朝まで一対一の対談だ」
「へいっ、姐さん! 喜んで!」
ジャックたちがニヤリと笑い、丸太のような腕でハンスを抱え上げる。
「な、離せ! 助けてくれ! カイル殿、貴殿からも何か言って……!」
助けを求められたカイルは、腕を組んだまま、冷淡に視線を逸らした。
「……あいにく、俺はここの『副担任』でね。リリアーヌ先生の方針には全面的に賛同している。……安心しろ、命までは取られない。ただ、少し耳にタコができるだけだ」
「嫌だぁぁぁ! 王都に帰らせてくれぇぇぇ!」
絶叫と共に連れ去られる教育官。 リリアーヌはそれを見送り、再びジャックの席に新しい紙を置いた。
「さあ、授業再開だよ。次は『誠実』って字を練習しようか。……ハンスさんみたいにならないようにね」
男たちは、今まで以上に真剣な眼差しでペンを握り直した。 リリアーヌはカイルと視線を合わせ、小さく笑みを交わす。 辺境の学校は、今日も今日とて、不埒な外敵を退けながら、たくましく成長していくのだった。




