騎士の葛藤——その輝きは、籠に収まるか
大浴場での「整い」から一夜明け、カイルは領主の執務室の片隅で、複雑な思いを抱えながら書類を捌くリリアーヌの横顔を見つめてた。
かつての彼女なら、領地の窮状など見向きもせず、豪華なドレスや宝石を強請って泣き喚いていただろうに。今の彼女は、ペンをドスのように(……と彼には見えた)握り、実務的な指示を次々と飛ばして___
◇◇◇
「……リリアーヌ。君は、ここで終わる器じゃない」
思わず漏れたカイルの独り言に、リリアーヌは帳簿から顔を上げ、片眉をピクリと動かす。
「何だい、藪から棒に。あんた、まだ昨日の酒が残ってるのかい?」
「……真面目な話だ。この一ヶ月、君の采配を見てきた。ならず者を束ね、経済を動かし、領民の胃袋を掴んだ。……正直に言おう。王都の腐りきった大臣共より、君の方がよっぽど『国』を理解している」
カイルは椅子から立ち上がり、窓の外へ視線を向ける。そこでは、昨日までゴロツキだった男たちが、リリアーヌから与えられた「誇り」を胸に、活き活きと道路の舗装に励んでいた。
「君ほどの才能があれば、王都に戻って国政の中枢に食い込むことも可能だろう。エドワード王子との婚約破棄を無効にし、君が実権を握れば……この国はもっと良くなる。俺がそのための証言者になってもいい」
カイルの声は熱を帯びていた。それは、彼女の「格」を認めた騎士としての、誠実な献言。
しかし、リリアーヌは羽ペンを置くと、椅子に深く背もたれ、呆れたように鼻で笑った。
「……ハハッ。あんた、冗談きついね。私をあんな『掃き溜め』に連れ戻そうっていうのかい?」
「掃き溜め、だと……?」
「そうだよ。あんな、面子と体裁ばかり気にして、足の引っ張り合いに明け暮れてる場所のどこが良いんだい? あそこには私の『シマ(居場所)』なんてなかったよ」
彼女は立ち上がり、窓辺のカイルの隣に並ぶ。そして、広大な辺境の地を愛おしそうに指差した。
「カイルさん。私はね、狭い鳥籠の中で飼い殺されるのは真っ平御免なんだよ。ここでは、汗を流せば飯が食える。筋を通せば信頼が返ってくる。……こんないい場所、他にないだろう?」
リリアーヌはカイルの顔を覗き込み、いたずらっぽく、けれどどこか寂しげな色を瞳に宿して微笑む。
「王都へ戻れば、私はまた『悪役令嬢』として、王子の顔色を伺って生きなきゃならない。……それとも何だい? あんたは、私をまたあんな退屈な檻に閉じ込めたいのかい?」
「……っ。それは……」
カイルは言葉に詰まった。 彼女の有能さを考えれば、国のために王都へ連れ戻すべきだ。それが騎士としての正論。 けれど、今の彼女が放つ、太陽のような、そして苛烈なまでの「自由」を奪うことが、どれほど残酷なことか。
そして何より——。 王都に戻れば、彼女は再び「王子の婚約者」という立場に縛られる。 その事実に、自分の胸の奥がひどく不快に疼くのを、カイルは無視できなかった。
「……すまない。忘れてくれ。俺はただ、君の価値が正当に評価されないのが、口惜しかっただけだ」
「いいよ、あんたが私のことを評価してくれてるのは、十分伝わったからさ」
リリアーヌはカイルの肩をポン、と叩くと、再び机に向かった。
「さあ、お喋りは終わり。次は、この土地の子供たちのために『学校(寺子屋)』を作る計画を立てるよ。あんたも手伝いな、カイル先生?」
「……先生だと? 俺は騎士だと言っているだろう」
ため息をつきながらも、カイルの口角はわずかに上がっていた。 彼女を連れ戻すべきか、それとも。 騎士としての使命と、一人の男としてのエゴの間で、カイルの心はかつてないほど激しく揺れ動いていた。




