辺境の洗礼——挨拶代わりの「教育」
馬車が止まったのは、今にも崩れそうな屋敷の前だった。 周囲には、歓迎の宴どころか、ギラついた視線を送る野次馬たちが集まっている。
「おいおい、見ろよ。王都から『お姫様』が流されてきたぜ」
「高く売れそうなツラしてるじゃねぇか。荷物も全部置いてってもらおうか」
下品な笑い声を上げながら、道を塞ぐように立ちはだかったのは、十数人のならず者たち。手に持っているのは錆びた剣や棍棒だ。
馬車の扉が開き、リリアーヌがゆっくりと降り立つ。 彼女は辺りの荒れ果てた景色を一瞥し、ふぅ、と溜息をついた。
「……なるほど。掃除のしがいがある場所だね。で? あんたたちがこの土地の『出迎え担当』ってことでいいのかな」
「あぁ? 何を気取って……っ!」
リーダー格の男がリリアーヌの肩を掴もうとした、その瞬間。
視界が揺れた。 男は自分がなぜ地面に叩きつけられ、泥水を啜っているのか理解できなかった。 リリアーヌは、男の腕を軽く取って捻り、体重移動だけで石畳に沈めていたのだ。
「っ、てめぇ! やりやがったな!」
一斉に襲いかかってくる男たち。 だが、リリアーヌの動きには一切の無駄がなかった。 スカートを片手で軽く持ち上げ、ハイヒールとは思えない軽やかなステップで懐に潜り込む。
「肘が甘い」 ドスッ、という鈍い音と共に、一人の中腹に鋭い打撃が食い込む。
「あんたは腰が入ってない」 続く一撃で、もう一人の膝を蹴り折り、地面に這わせた。
わずか数分。 立っているのは、呼吸一つ乱していないリリアーヌただ一人。足元には、呻き声を上げるならず者たちの山。
「……さて。全員、頭が高いよ。耳を貸しな」
リリアーヌは、気絶しかかっているリーダーの髪を掴んで無理やり顔を上げさせた。その瞳は、凍てつくような冷徹さと、逃げ場を許さない圧倒的な重圧に満ちている。
「いい? 今日からここ(領地)は、私の『シマ』だ。私のルールに従うなら、飯くらいは食わせてやる。でも、筋の通らない真似をするなら……次は、その首と胴体の契約、解除してあげるけど。どうする?」
「ひ、ひぃっ……! す、すいやせんでしたぁ!」
男たちは、まるで獲物を前にした小動物のように震え上がった。 彼女の背後に、この世のものとは思えない巨大な「般若」の幻影を見た者がいたとかいないとか。
「……返事は?」
「はいっ、姉御!!」
一糸乱れぬ唱和が、辺境の空に響き渡る。 それまで遠巻きに見ていた領民たちが、驚愕の表情で固まっていた。
「よし。じゃあ、まずはこの汚い庭の草むしりから始めようか。仕事はきっちり、ね」
彼女は満足そうに微笑むと、馬車から降ろしたばかりの紅茶の缶を手に、屋敷へと歩き出した。
◇◇◇
ならず者たちが庭で必死に草をむしり、泣きながら石を運んでいる——そんなシュールな光景の真ん中で、リリアーヌは屋敷の階段に腰を下ろし、優雅に茶を啜っていた。
そこへ、蹄の音が重々しく響く。 白銀の甲冑に身を包み、非の打ち所がないほど整った顔立ちをした男が、馬を止めた。王都随一の剣客、近衛騎士団長カイル・ヴァン・ブレイズだ。
「……何だ、この有様は」
カイルの声は低く、氷のように冷たい。彼は馬から降りると、一歩一歩、確実な足取りでリリアーヌへ歩み寄った。周囲の空気が、彼の放つ鋭い剣気でピリピリと震える。
リリアーヌはカップを置くと、座ったまま視線だけを彼に向けた。
「おや、意外と早かったね。王都の騎士様が、こんな最果ての地まで何の用だい?」
「リリアーヌ・ヴァン・キャッスル。王命により、貴殿の監視に赴いた。……だが、俺が見た報告書には、貴殿は非力で高慢な令嬢だとあったはずだが?」
カイルの視線が、庭で震えている大男たちへ向く。カイルは無意識に腰の剣の柄に手をかけた。彼にとって、リリアーヌから放たれる気配は、もはや「守られるべき令嬢」のものではなく、一国の軍勢を率いる「将」か、あるいは「裏の支配者」のそれだったからだ。
「報告書なんて、書いたやつの主観でしかないだろう? それより騎士様、あんた……」
リリアーヌがゆっくりと立ち上がる。 カイルの体が反射的に強張る。剣を抜くか、否か。彼の本能が「この女は危険だ」と警鐘を鳴らしていた。
だが、リリアーヌは彼の間合いの内側へ、音もなく、するりと踏み込んできた。
「——殺気が漏れてるよ。そんなに尖ってたら、部下がついてこないよ?」
至近距離。カイルの鼻先を、リリアーヌのまとう沈香のような、どこか落ち着いた香りがかすめる。 カイルは息を呑み、思わず半歩下がった。
「な……貴様、今、どうやって間合いを……!」
「秘密だよ。……カイルさん、だったね。あんたが私の首を跳ねるために来たのか、それとも本当に守るために来たのか……。その真っ直ぐな瞳を見る限り、嘘はなさそうだけどね」
リリアーヌは彼の胸元のプレートを指先で軽く弾くと、不敵に微笑んだ。
「いいよ。あんたの『監視』、受けてあげる。ただし、私のシマで勝手な真似はしないで。私のルールは、私が決める。……文句、ある?」
カイルは言葉を失った。 自分より小柄なはずの少女に、物理的な身長差を超えた「高さ」を感じる。 威圧されている。それも、剣の腕ではなく、魂の「格」によって。
「……っ。ルールに従うのは俺ではなく、貴殿の方だ」
絞り出すようなカイルの反論に、リリアーヌは「ははっ!」と快活に笑った。
「威勢がいいねぇ。気に入ったよ、騎士様。——セバス! カイルさんの馬を厩舎に入れな。とびきり美味い豆を食わせてやってよ」
リリアーヌは背を向けて屋敷へと戻っていく。 残されたカイルは、自分の手がかすかに震えていることに気づいた。それは恐怖ではなく、今まで感じたことのない高揚感に似た何かだった。
「……リリアーヌ。君は、本当にあの『悪役令嬢』なのか……?」
その問いに答えるのは、庭で草をむしる男たちの「姉御、お茶のお代わりをお持ちしました!」という野太い声だけだった。




