毒のないおもてなし
二日後。 辺境領へと続く一本道は、重厚な鎧の擦れる音と、二千の兵が踏み鳴らす足音に支配されていた。 馬上に跨るエドワード王子は、鼻で笑いながら前方を見据える。
「……ふん、臆病風に吹かれたか。関所もなければ、防衛の陣すら敷いていないとは。リリアーヌも結局は、口だけの女だったということか」
だが、軍が領地の境界線を越え、最初の角を曲がった瞬間。 先頭を歩く兵士たちが、ギョッとして足を止めた。
「な、なんだこれは……」
街道の真ん中に、巨大な「看板」が立っていた。 そこには、美しいフォントでこう刻まれている。
『ようこそ、ヴァン・キャッスル領へ。——これより先、許可なく立ち入る者は「不法侵入」と見なし、相応の違和感を味わうことになります。』
「不法侵入? 笑わせるな。我々は王国軍だぞ!」 エドワードが苛立たしげに命じ、軍を前進させる。 だが、さらに数百メートル進んだところで、兵士たちの顔色が変わった。
道の両脇に、整然と「何か」が並んでいるのだ。 それは、真っ白な陶器の皿に盛られた、湯気を立てる美味しそうな『肉料理』と、キンキンに冷えた『エール』。 そして、その横には一枚の立て札。
『遠路はるばる、ご苦労さん。——喉が渇いてるだろう? 毒なんて入ってないよ。ただ、これを口にしたら、あんたたちは私の「客(身内)」だ。……客を攻撃するなんて無粋な真似、騎士様たちはしないよね?』
「……くっ、ふざけた真似を!」 エドワードは吐き捨てるが、兵士たちの足は鈍る。
飢えと喉の渇き。何より、敵地であるはずの場所で「歓迎」されるという異様な不気味さ。 極め付けは、森の奥から響いてくる重低音の「音」だった。
ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ。
地を這うような太鼓の音。それは軍隊の行進曲ではなく、どこか祭囃子を思わせる、けれど逃げ場を塞ぐような圧迫感のあるリズム。 その音に合わせて、木々の間から「黒いスーツのような服」を着た男たちが、無数に姿を現した。
彼らは武器を構えていない。 ただ、一糸乱れぬ動きで街道の左右に立ち並び、軍勢に向かって深々と頭を下げる。
「「「お疲れ様ですッ!!!」」」
二千の軍勢に対し、数百人の元野盗たちが一斉に放つ、魂を削るような大音声の挨拶。 その凄まじい「圧」に、先頭の馬が怯えて棹立ちになり、兵士たちは悲鳴を上げて後退した。
「な、なんだこの集団は!? 騎士ではないのか!?」
「ひっ、目が……目が笑ってねぇ!」
正規軍にとって、死を恐れぬ兵士は怖くない。 だが、自分たちを「敵」としてではなく、まるで「シマを荒らしに来たチンピラ」を見るような、余裕と殺気が入り混じった目で見つめてくる集団。 これは戦争ではない。「組織」の縄張り争いだ。
軍の隊列は、戦う前から完全に崩壊していた。 そこへ、一頭の漆黒の馬が、悠然と街道の真ん中に現れる。
龍の刺繍が施された紺色のコートを翻し、リリアーヌが静かに笑みを浮かべていた。
「エドワード王子。あんた、部下を連れてピクニックにでも来たのかい?」
リリアーヌは、混乱する二千の軍勢を一人で飲み込むような重い声を響かせた。
「せっかくの『おもてなし』だ。食べて、飲んで、さっさと帰りな。……それとも、どうしても私の『ケジメ』を直接味わいたいっていうなら、相手をしてあげてもいいけど。——どうする? 全員、ここで埋めていきたいのかい?」
彼女が扇子を広げた瞬間、背後に巨大な「般若」の幻影を見た兵士たちが、次々と武器を落としてその場にへたり込んだ。 精神的な罠。それは、圧倒的な「器」の差を見せつけるという、極道流の先制攻撃だった。




