「数」ではなく「覚悟」
「姐さん、大変です! 王都の野郎どもが、軍を出しやがった!」
息を切らして執務室に飛び込んできたジャックの報告に、部屋の空気が一瞬で張り詰めた。 窓際で地図を広げていたカイルが、鋭い目付きでジャックを振り返る。
「……何だと。動員数は?」
「ざっと二千! 近隣の諸侯も巻き込んで、重装備の歩兵隊がこちらに向かってます。名目は『反逆者リリアーヌの討伐』。あと二日もすれば、この領地の境界(シマの入り口)に到達しますぜ!」
二千。対するこちらは、更生中の元野盗が数百人と、武器を持ったこともない領民たち。 普通なら絶望し、震え上がるところだ。 だが、執務机にどっしりと腰を下ろしたリリアーヌは、驚くほど静かだった。
彼女はゆっくりと、咥えていた菓子の棒を噛み砕くと、薄く笑みを浮かべた。
「……二千ねぇ。あのバカ王子、随分とお金が余ってるみたいだね」
「リリアーヌ、笑い事ではないぞ」 カイルが焦燥を隠せず、机を叩いた。
「正規軍相手に、素人の集まりでは勝負にならん。俺が前に出て時間を稼ぐ。その間に君は——」
「カイルさん、座りなよ」
リリアーヌの声は低く、そして不思議なほど透き通っていた。
彼女は立ち上がると、カイルの肩に手を置き、そのまま窓の外を見下ろした。 そこには、自分たちの造った道路や、学校、大浴場を大切に守ろうと、不安げに、けれど逃げ出さずにこちらを見上げる領民たちの姿があった。
「いい、カイル。喧嘩ってのはね、『数』でするもんじゃないんだよ。……『覚悟』と『段取り』。これさえあれば、小が大を食うなんて裏社会じゃ日常茶飯事だよ」
リリアーヌはカイルの腰に差された剣を一瞥し、不敵な光を瞳に宿した。
「上等だよ。王族様だか何だか知らないけど、私のシマに土足で踏み込もうって言うなら、それ相応の『喧嘩の売り方』ってやつを、叩き込んであげようじゃないか」
彼女はバサリと地図を広げ、ジャックとカイルに鋭い指示を飛ばし始めた。
「ジャック! 街道の入り口に『罠』を仕掛けな。落とし穴じゃない、もっと精神的にくるやつだよ。あんたたちの得意分野だろう?」
「へいっ! お任せを!」
「カイル、あんたは防衛の要だ。でも、剣はまだ抜かなくていい。相手が『戦う気』を失くすような、最高のステージを作ってやるからさ」
リリアーヌは、クローゼットから一着の服を取り出した。 それは、夜の闇のような深い紺色の、立ち襟の付いたロングコート。背中には、彼女の指示で刺繍させた「龍」が、銀の糸で禍々しく、そして美しく刻まれている。
「前世でも今世でも、売られた喧嘩を買わない性分じゃないんだよね。……さあ、野郎ども! 準備しな! 私たちの『家』を守るよ!」
その声に、屋敷中に「おおおっ!」という地鳴りのような咆哮が響き渡った。 カイルは、圧倒的なカリスマを放つリリアーヌの背中を見つめ、知らず知らずのうちに熱い吐息を漏らしていた。
これこそが、俺が魂を預けた女だ。 近衛騎士団長として学んだどんな戦術よりも、彼女の「掟」が、今は何よりも頼もしく、そして恐ろしかった。
リリアーヌは、コートの襟を立て、不敵に笑う。
「エドワード王子。あんた、高い授業料を払うことになるよ。……『極道の娘』に喧嘩を売った、一生の不覚としてね」




