【第1話】03
林ビルがある街は、いまは亡き湖南オカルト探偵事務所から電車で二駅ほど郊外に行った、大規模ニュータウンのなかにある。
都内まで一時間程度のベッドタウンとして七十年代に開発されたこの街は、いまでこそ地盤の硬さと水害リスクの低さゆえ防災上の理由で再評価されているが、開発当初は需要が伸びず、当時からある駅周辺のビルは老朽化が進んでいた。
駅を出て見上げた顔に、ぽたりと雨粒が落ちる。
空は重苦しい灰色の雲に覆われていた。
「ただでさえ肌寒い季節だってのに、とうとう雨まで降り出してきやがった。越界門の調査なんかより、まずはおいらたちが住む家を探すのが先じゃないかね、メグルくんよう……」
モグラはシルクハットを目深に被り直すと、継だらけのスーツの襟を立てながら愚痴った。
「集中しろモグラ。ぼくらはもう越界門の近くにいるんだ。何処に魔鬼が潜んでるかわからないんだぞ」
たすき掛けにした肩掛け鞄を傘がわりに頭の上にかざしながら、メグルは行き交う人に目を配らせた。
「そうだメグル、おいらいいこと思いついちゃった」
モグラがぴんっと弓なりに伸びた口髭をぴんっと指で弾く。
「これから不動産屋に会うんだから、ついでに安い物件も案内してもらおうぜ? 一石二鳥だ」
メグルが目も合わさずにこたえる。
「安い物件もなにも、ぼくたちはいま無一文なんだぞ。前金も払えないやつに部屋を貸すやつなんてこの世にいるもんか……。だいたい、お前はどうにでもなるだろ? いざとなったら以前のようにマンホールの中で暮らせばいいんだから……」
駅前の歩道に色とりどりの傘が花のように開いていく。
次第に強く降り出した雨に、メグルとモグラは目的地への歩を速めた。
「簡単に言うなよメグル。マンホールの中だろうが何処だろうが、快適に暮らせるようになるには、また捨てられた家具をかき集めなきゃならねえ……。擬星玉検索プログラムが入ったパソコンも置いて来ちまったし、また一から出直しとは、まったく骨が折れるぜ……」
駅前の大通りからひとつ角を曲がると、立ち並ぶ雑居ビルのなかに林ビルを見つけた。
一階がコンビニで、その脇にある一段奥まった場所がビルの入り口だ。
メグルはそのガラス製のドアを押し開けてエレベータホールに駆け込むと、服についた雫を払い落としながら、壁に貼り付けれられたフロア案内板に目を向けた。
『林ビル』は十階建てで、二階はチェーン店の居酒屋、三階から上階は学習塾や個人事務所、オフィスが入居していて、九階のみがテナント募集中だった。十階は住居なのだろうか、『林』という個人名が書いてある。
モグラがエレベータホールの脇にある内階段に腰を下ろした。
「へぇっくしょいっ! ああ寒ぃ……。こんな突然の雨だ、不動産屋の奴もずぶ濡れだろうぜ……」
そのとき、二階の居酒屋から筋骨隆々の若い男が飛び出してきた。
モグラを邪魔そうに睨みながら内階段を駆け下りて通りに走っていく。仕込みの時間で忙しいのだろう。
それからしばらく、ふたりは待ち続けた。
「仲介業者遅いな。穴場ホームズの門田って男と十五時に待ち合わせているんだけど……」
「なんでぇ、やっぱり男なのかよ……。緊張感もテンションもだだ下がりだぜ。まあ、のんびりいくか……」
降りしきる雨のなか、しびれを切らしたメグルは通りに出て辺りを伺うが、仲介業者らしい人物はどこにもいなかった。
さきほどの居酒屋の若い男が、傘もささずにメグルの横を走り抜ける。
「もう四十分も遅刻だぞ。人間界を一度でパスした超エリートのぼくをこんなに待たせるなんて、きっととんでもない落ちこぼれ社員に違いない。姿を現したら頭の星を数えてやる!」
メグルが肩掛け鞄から分厚いレンズの黒縁眼鏡『星見鏡』を取り出そうとしたとき、背後から激しく言い争う声が聞こえてきた。
「邪魔だって言ってんだろ、おっさん! こんなところに居座ってんじゃねぇよ! どっか行けホームレス!」
「なんだとこのう! 少なくとも一時間前までは家があったんだ! バカにすんじゃねぇぞ、若えの!」
見ればエレベータホールの前で、モグラと二階の居酒屋の若い男がつかみ合いの喧嘩をしている。
「やめろモグラ! つまんないことで喧嘩するな!」
防戦一方のモグラの腕をつかんで、メグルがガラスドアを開ける。
そのまま外に引きずり出そうとしたとき、とつぜん通りの方から声をかけられた。
「どうかなさいました?」




