【第16話】02
割れた窓から猛烈な勢いで流れ込んだ大量の水に、メグルは壁に叩きつけられた。
そのまま激流とともに廊下を流される。
「……相変わらず邪智深いやつ。不意打ちも躊躇なくやるか」
水のなかで体勢を直したメグルは、即座にモグラの姿を捉えようと視線を走らせた。
廊下を走る激流は一本の水柱となり、割れた窓から外へ飛び出していく。
その姿はまさに空を舞う水龍だった。
ずぶ濡れのメグルが白い息を吐きながら立ち上がり、窓枠に飛び乗った。背中から黒い霧を吹き出し、翼のように広げる。
その姿はまさに黒い揚羽蝶――。
黒雲に覆われた冷たい雨が降りしきる空のもと、旋回して迫り来る水龍に狙いを定め、窓から飛び出した。
そのときーー。
突如頭上から現れた二匹目の水龍が滝のごとく駆け下りて、大量の水とともにメグルを地面に打ちつけた。
「無駄な感情は一切持たぬ。目的を達成するのに手段は選ばんよ」
衝撃で抉られた地面が池となり、メグルの背中がうつぶせに浮いている。その様子を廃病院の屋上から見ていたモグラが、とんっと飛び降りた。
二匹の水龍の背を滑るようにして、地上に降り立つ。
「無意味な正面突破とは、感情が先立つ輪廻の魂が混ざったか……」
慈悲とは無縁の表情で、水面に浮かぶメグルの背中をステッキで突いた。
瞬間――。
自らの背中に激痛が走った。
思わず膝をついたモグラの背中から、血がほとばしる。
「貴様のような老獪なジジイに、無策で飛び込むものか」
振り返ったモグラの目に、ジャケットを脱いだメグルの仁王立ちする姿が映った。
鋭く尖った爪の先から、血が滴り落ちている。
メグルは地面に激突した直後、水飛沫に紛れて廃病院一階の廊下に身を潜めていた。
モグラの表情が、おだやかな笑顔に変わる。
「なかなか面白かったぞ、また今度あそぼうな……」
血反吐を吐きながらそう言った途端、二匹の水龍がモグラの体を飲み込んで、螺旋を描きながら飛び上がった。
「……逃すかっ!」
十三階の窓に飛び込んだ水龍を追って、メグルが飛び上がる。
水浸しの廊下には、所々に血が滲んでいた。
その血を追って、廊下の角を曲がる。
闇に沈んだ廊下の突き当たり、弾け飛んだドアを跨いで灯りの漏れる手術室に入った。
血溜まりの手術台の上で、モグラは意識を失っていた。
「所詮、こいつも使い捨てか……」
鋭く尖った爪を、モグラの喉元にあてる。
「哀れなやつだが、また閻魔のジジイに体を奪われたら厄介だからね」
そのまま喉を掻き切る。
……つもりだったが左腕が動かない。
それどころか、黒い腕に血色が戻っていく。
「如来との契約を破り、魂を闇へと誘う魔鬼よ。我が為すことは、如来の為すことと知れ……!」
メグルは思わず、右手で口を押さえた。
その言葉は、意識せず己の口から発せられていた。
「ぼくの大事な相棒を、ぼくに殺させるな……二条飛鳥!」
「しぶといやつめ、完全に抑え込んだはずなのに……! 出しゃばるな六道メグル! 大人しく眠っていろっ……!」
大声で喚き散らすも、時すでに遅し――。
メグルの全身は硬直し、びくりとも動かなかった。
「この世に不法に存在する罪深き者よ。十層界の法を犯す者よ。三世十方を統べる如来の名において、魔界送りの刑に処す!」
メグルの額に玉のような汗が浮かぶ。
「愚かなやつめ! この動かぬ体で、どうやって魔捕瓶を使うつもりか!」
嘲笑うメグルの紅い瞳が、しかし元の色に戻っていく。
二条飛鳥は、己の魂がメグルの体から抜けていくのを確かに感じた。
「閻魔のやつにしてやられた……。なるほど、越界門か……」
すっかり観念した声色で、メグルがつぶやいた。
その背中から黒い霧が吹き出している。
それは鏡に大きく口を開けた越界門のなかに吸い込まれていた。
「二条飛鳥……! お前の無限封印を解き、越界門から『魔界』へ戻す。だが、ぼくはお前を許したわけじゃないぞ……」
メグルが崩折れて、床に倒れた。
その口から二条飛鳥の声が漏れる。
「それはわたしの台詞だメグル。裏切り者を我らは絶対に許さない。いつかまた、お前の体を奪ってやる……」
その言葉を最後に、二条飛鳥の魂はメグルの体から完全に消え失せた。




