【第3話】02
「もっと近くにきて、お顔をよく拝見させて……」
魔鬼かもしれない杏果に見つめられ、メグルの鼓動が早くなる。
するとモグラが、メグルのつま先をステッキで小突いた。
(メグル変顔だ、変顔! 正体がバレちまうぞ……!)
押し殺した声で忠告するモグラに小さく頷くと、メグルは思い切り顔を歪ませて、ローテーブルのキャンドルに顔を近づけた。
林杏香が前かがみになり、じっとメグルの瞳を覗きこんでくる。
キャンドルの眩しい光越しに見る林杏香は、首に真っ赤なスカーフを巻いている以外よくわからなかった。
しかし、ふんわりとした長い巻き髪のシルエットは、とても美人そうに見える。
「何処かで見たことのあるような……。わたくしに覚えはなくて?」
「い、いえ……会ったことは一度も……ないと思いますっ……!」
顔を歪ませつつメグルは懸命にこたえた。
額に汗がにじむ。
林杏香は微かに口元に笑みを浮かばせながら、ゆっくりとソファに背を戻した。
「内見していかがでした? ジムの設備はそのままお譲りしますし、駅近の物件がたかだか月二十万なんて、滅多にない、とても良い条件だと思いますけど……」
「いや、そのう……もう少し考えようかなぁ~なんて……。なあ、ミツオもそう思うだろ?」
細い体を奇妙にぐねらせながら、またもモグラが助け舟を求める。
「そうだね父さん。ぼくもいったん持ち帰って、よく考えた方がいいと思います」
林杏香がちらりと二条美華に視線を投げた。
「美華さん、やはりあの事件が引っかかっているのかしら? もしかして神宮寺さんたちも変な噂を耳にしたのでは……」
即座にメグルが口を挟んだ。
「変な噂というのは……?」
噂がどんなものか検討はついていたが、知らないふりをして訊ねた。
「二ヶ月ほど前から、真夜中のジムの鏡に蠢く人影を見たって言いふらす警備員がいまして……。当然クビにしましたが、変な噂は広まったまま……。困ったものですわ」
メグルとモグラが互いに目を合わせる。
(萩原だ……)
「もちろん、わたくしは幽霊など見ておりませんし信じてもおりませんが、庶民の方々は、こういう噂には敏感でしょうから……ねえ美華さん?」
メグルたちの背中越しに、二条美華がこたえた。
「……では、こうなさってはどうでしょう。幽霊なんて出やしないとわかればいいのですから、何日かお泊まりになって確かめてもらえば……」
「強要してはダメよ、美華さん。殿方は案外と臆病な方が多いのよ。……無理ですよね?」
キャンドル越しの暗闇と背後――。
どちらも姿は見えないが、有無を言わさぬ『圧』を感じる。
キャンドルのちりちりと燃える音まで聞こえてきそうな長い沈黙を、メグルが破った。
「……父さん、ぼくここに泊まります」
「おい! どうゆうつもりだメグ……ぐぐ、痛い……」
反論するモグラの腿をぎゅっと強くつねって、メグルは続けた。
「ぜひ泊めさせてください、できれば四泊ほど……。もし幽霊が現れたら、ぼくが返り討ちにしてやる!」
額から一筋の汗を流しながら放ったその言葉は、まるで林杏香を挑発するような言い方だった。




