【第3話】01 十階
どうしてこうなってしまったのだろう?
ざんざんと荒れ狂う風雨の音が静かに漂う暗闇のなか、スマートフォンのライトを頼りに内階段を上がる二条美華のあとに続きながら、メグルはひとり自問していた。
越界門を見張るため、近くに魔鬼がいるのは必然。
なのに接触するのが不動産仲介業者なら大丈夫だろうと高を括ってしまった。
せめて一階のフロア案内板を見たとき……。
十階に 「林」の個人名を見つけたときに、この状況を予想すべきだった。
「まだオーナーが魔鬼と決まったわけじゃない。希望を持てモグラ」
項垂れながらついてくるモグラに耳打ちするも、その言葉は自分に対する鼓舞でもあった。
錆びついた蝶番の音を響かせながら、二条美華が非常口の金属製ドアを開ける。
目の前に広がったのは、艶やかに光を反射する大理石の廊下。
その壁を飾る大小さまざまの絵画やグラフィックアート。
そして奥に見える、堂々とした威厳を放つ観音開きの玄関ドア。
スマホのライトでもはっきりと分かるほど、十階は他の階とは別次元の豪華な装飾が施されていた。
「お客様をお連れしました。……はい、承知しました」
インターホンに話しかけた二条美華が金色に輝くドアノブに手をかけ、重そうな玄関ドアを開ける。
すると暗闇に包まれた室内から甘い香りが漂ってきた。
見れば室内へと案内をするように、廊下に点々と置かれたアロマキャンドルが足元を照らしている。
「これは停電の対処でしょうけど、普段のお部屋もこんな感じなんですよ。香りに敏感な方で……」
二条美華はそっとモグラに耳打ちしながら、こっそりモグラの背中に香水を吹きかけた。
人差し指を口に当てながら、後ろに立つメグルにウインクする。
(モグラは長いこと下水道トンネルに暮らしていたからな……。ぼくの服もそろそろ洗濯しないと)
メグルは自分のジャケットの袖口を嗅ぎながら、眉間に深いシワを刻んだ。
玄関をくぐり、香箱座りをしている猫のような、ふわふわのスリッパを履いて家にあがる。
アロマキャンドルに照らされた廊下を二回曲がり、三つ並んだ一番奥のドアを二条美華がノックした。
「失礼いたします、杏香様。九階の物件をご検討中のお客様をお連れしました」
ドアを開けると、仄かな明かりに包まれたクラシカルな西洋風のインテリアが目のまえに広がった。
ベルベットのカーテンが閉じられ、部屋の四隅と中央のローテーブルに置かれたアロマキャンドルだけが、室内を琥珀色に照らしているのだ。
「ごきげんよう。このビルのオーナー、林杏香です。どうぞお掛けになって……」
ローテーブルに置かれたキャンドル越しに、部屋の奥のソファに座る人影から声を掛けられた。
暗くてよく見えないが、上品そうな若い女性の声だ。
モグラがぎこちない動作で、林杏香の向かいのソファに座る。
「ああ、どうも……。わ、わたくしの名前は、えーっとなんだったっけかな……?」
続いてソファに腰をかけるメグルに、助け舟を求めるモグラ。
「ぼくは神宮寺ミツオ(偽名)、こいつはぼくの父、神宮寺雅貴(偽名)です」
「あら、かわいらしいお子さんね。それにとっても利発そう……」
林杏香がソファの背もたれから背中を離した。
「もっと近くにきて、お顔をよく拝見させて……」




