第8話 8月の203高地
先日の保健室偵察は敵に捕まり、私刑に処された。
だがまあ。
結果はあれでいい。単純にわたしたちが悪かった。
さいわいダンマには病気の兆候はなく、飼い犬マイケルからは何も移されていなかったそうだ。マイケルの治療にも着手していて、いずれ治るだろうとのこと。
昭和では珍しくもない外飼いだからなあ。寄ってくる野良犬もまだまだ多い。野良犬というか、野犬。野犬の群れ。噛まれれば、生殖すればいろいろな病気をうつされる恐れがあるという。
今後も懸念はあるものの、ダンマについては一件落着というところか。
ついに始まった夏休みは、こちらが黙っていたら誰にも会わない。そりゃあわたしがスネ夫だったらだれかがおもちゃで遊ばせてもらいに来るだろうし、出来杉だったら宿題を教わりに来るだろう。でもわたしはスネ夫でも出来杉でもないんだ、そういった魅力はないと断言しよう。だからこちらから出向かねばだれにも会うことができない。
会わないんじゃあみんなの夏休みの動向はブラックボックスになるし、新学期初日にグレていたんじゃ手遅れになる。だからなかば押しかけ気味に遊びに参加する方向で。
これは遊び呆けているのではないと言い訳をしているのではなく、あくまで現在の取り組みに対する確認作業であって、なんら含むところのないものである。
さて、と。
これくらい理由を並べておけばいいかな?
今日はだれと、どこへ行くんだっけ。
「なんで早川がいんだよ?」
「ごめんごめん、ぼくが。彼女がどうしてもって言うから」
「わたしも行きたくて。ね、いいでしょ?」
今日は自転車で遠征なのだ。限界まで遠いところに行きたい男子の集まり。まあ気持ちはわかってやれるが。今のオレにそんな情熱はないかなあ。
今日も今日とて保護者としての参加。土地勘はこの中のだれよりもあるからな。迷っても、暗くなっても問題ない。頼ってくれていい。
「おい伸一ぃ〜。女子がいると白けっだろ?」
「そうかな?」
「邪魔はしないって。それとも、もしかしてわたしよりこぐの遅かったりする?」
「お、言ったな?」
「男だったら足で証明してみせてよ」
「ショウメイしてやるよ! みてろ〜!」
操りやすいのぅ。単純男子の操縦は楽ちんだ。
こいつらは今から未知の土地へと踏み入る。わたしはどこへ向かおうが既知の土地。だから保護者の感覚なのだ。年齢的にはそれで合っているのだから問題ない。
問題ないのか? それでいいのか早川麻里子? いや、元は藤沢伸一だったか。
この生活も早3ヶ月と少し、いちいち確認せねばならないほど定義が変化してきている。やがてオレの意識は溶けてまざり、あるべき一個の小学生になる?
そのほうがいいんだろうな。早川麻里子の人生としては正しい。神の采配に抵抗したって意味はない、ここは流れにまかせるよ。
今日のメンバーは古ソンにダンマ、すっさんとわたしと伸一の5人。戦隊モノにはちょうどいい。
あの煙突まで。これが合言葉。
コンビニすらない、スーパーマーケットひとつだけの町を離れて。
幹線道路はただひたすら次の町へと導く。あるのは田畑と、ヒトの手の入っていない雑木林。緑のなかをもったりとした弧をえがく灰色の線をたどる。レールの上からはおりない。スタンドバイミーよろしく、小学生の探検とはお手軽にできている。
田んぼだけが延々と続く地帯は少し安心する。人影がひとつもなくとも、ここにはヒトの気配がある。
しげりに茂った雑草は、あるはずの歩道を使わせてくれない。だから車列は車道のはじっこ、きほん1列で。
田んぼの管理者よ、自分ちの田んぼのすぐ横くらい刈ってくれ。いや、刈ってくれてこれなんだろうな。完全に放置の場合は車道まで草の塊が出ている箇所もある。
「おわあ!」
先頭のダンマが無理につっこんだら、跳ね返されて横転した。
「バッカで」
「なぜここで戦う必要がある?」
「バシーーッて突き破ったらかっこいいと思って」
「はね返されたおまえは最高にかっこ悪いぞ」
たしかに単調で、草のくせにニンゲン様を迂回させ続けるとは不届き。気持ちはわからんでも、いや、やっぱりわからん。
草だってこれほどまでの成長を得られるのだ、8月の日差しの恩恵というものは。しかしこいつはどうにも厄介、体力を底なしに奪ってゆく。
わたしは帽子をかぶってきたが、ほとんど丸坊主に近いすっさんは大丈夫だろうか。地肌を日焼けしやしないか?
いや、するぞ。日焼けして、後悔する。
だからこそわたしのサポートがあるのだ。オレはただ遊びにきたわけじゃない。
自転車を両手放しにして。
「伸一のお茶ちょうだい?」
「? いいよ?」
「これ。ここに」
「? なにに使うんだ?」
「いいから」
伸一も両手放し。得意なのは知っている、だって同じ腕前なのだ。
前カゴから水筒をださせ、わたしがぴんと張ったハンカチへ。ひたひたになったそれを、ビチャンとすっさんのツルッパゲにのせた。
「痛ッ!? なに?」
「いいからそのまま。涼しいでしょ?」
「んむ? そうかぁ?」
「涼しいんだって。そのまま乗っけといてよ」
張り付いてる、これは笑える。
当のすっさんはとまどいを隠せない。女子のほどこしは恥ずいか。嬉し恥ずかしか。
「これってもしかして麦茶か? 早川の?」
したたった水滴が口に入ったのであろう。
「ハンカチはそうだけどざーんねん、麦茶は伸一のでしたー」
「もっとサイアクじゃん!」
「あははははは!」
「でもなんでおれの麦茶?」
「だってわたしのが減るもん。減ったと思ったら喉がかわく気がするでしょ?」
「おまえ……。いい性格してんなぁ」
「残〜念、おたがい様なんだなあ、これが」
「?」
目標にしていた煙突が大きくなってきた。なかなかどうしてバカにできない、かなり大きいぞ。
「おお……!」
「これが」
地元の大手、製薬会社の。全国的にみれば中小企業の、それほど大きすぎない工場の。それほど大きくはない煙突は、他に比するものがなければこれほどに大きい。
わたしでこう感じるんだ、みんなはさぞ。
出発してから1時間半。自力の自転車で1時間半だ。
ここまできて新たにわかったことがある。
「ちぇー。入れないぞ工場」
そりゃそうだ、煙突は当然工場の中に存在する。立ち入り禁止の敷地の中だ。
「めっちゃヒトいるな」
「ここまで来てのぼれないとか。ありえん〜」
あきれた、あの煙突にのぼる気があったらしい。ただの目印でなかったとは。
廃工場ならワンチャンあったが。いまも元気に稼働中ならぜったいにムリ。
いや、廃工場なら倒壊のおそれだってある。許可できんぞ、そんなこと。
「どうする?」
どうするもなにも帰るんだよ。むりやり入ってのぼったら一大事だ。ニュースに出るぞ。しかもおめでとう、5のA犯罪史一番乗り達成、最年少記録更新だ。
「じゃあ……。あれならどう?」
「あん?」
代替案か。いいぞ、煙突への興味をそらすとは。さすが伸一わがブレイン。
彼が指し示したのは給水塔。のぼるのは前提として、それでいて禁止されていて、安全が担保されていて、高さもある。落としどころとしては悪くない。
だがオレは知っている。それは煙突をのぼる行為への恐怖から出た、苦しまぎれの提案であると。きほんがチキンなのだ。
それをだれが責められよう、少なくともオレは責めない。わたしは伸一に石を投げない。
だれが好き好んであんなところのてっぺんに。命綱なしでだぞ? 両津勘吉じゃあるまいに。100万円を提示されても余裕で断る自信がある。
「おお……!」
化学工場からさらに40分かかった。これが給水塔ってやつか。
大きい。それは遠くからでもわかっていた。しかし高すぎやしないか?
灰色のコンクリート造、しっかりと建物然とした。どうみても学校の3階建て校舎よりも高いから、15メートルはかたい。
これにいまからのぼろうというのは理解しがたい。ああ、だれか大人がいて止めてくれないものだろうか。
オレか?
ダメだわたしは。いちおう推進する側だから。
止めれば今後仲間に入れてもらえなくなり、みんなのフラストレーションは溜まり、いつか暴発する未来がやってくる。それではダメなんだ。
小学生のいたずらレベル、この程度は許容し、発散させてやらねば。男子には冒険が必要なんだ。
決していっしょに行動したいわけじゃないが!
「あちゃー、カギかかってら」
当然のように正門には鍵がかかっている。南京錠の超でかい版。
しょうがない、のりかかった舟。
「じゃあこっちだね」
「早川さんもやる気じゃん」
どうせだれかが提案するのだ。ここではポイントをかせぐ。
指し示したのは門の左右にのびる金網のフェンス。高さは3メートルほどもあり、じゅうぶんにヒトの進入をはばむ。ところが有刺鉄線をそなえておらず、我々のような不届き者をとどめることは難しい。
しかも、小学生の靴は粗いあみ目にジャストフィット、シャコンとさしこめば容易によじのぼることができる。
(大人の靴はぜんぜん入らないのになあ! もう!)
さあデンジャラスゾーンに入った。もう頂上をきわめねば地表へは戻れないぞ。
ここの給水塔は外壁に外階段をもつタイプ。鉄製で安心と思いきや、錆サビ。ふつうに穴だってあいている。穴ってことは厚さがゼロに達したんだ。その周囲だって、どれほど厚みが残っているか疑わしい。
そこをズンズン金属音を響かせてのぼってゆく男子たち。なんという太い肝。いや、なにも考えていないだけか。
まあ小学生は体重が軽いから。この子たちが歩いたところは大丈夫ということだな。わたしの方が軽いしね。
しかしもっと建材を使いなさいよ。スカスカがすぎる。まるで非常階段じゃないか。
間隔があきすぎなんだ、支柱と手すり以外ない。小学生どころか、大人だって足をすべらせれば隙間から下にまっ逆さま。
だからなるべく階段の内側を通るのだが、内側ほど床に穴があいている仕様。これ本当に、点検の人とか大丈夫なのだろうか。
さっき給水塔は安全が担保されているって言ったのはだれ!? わたしか!?
そんな恐怖の時間も数分で終わり。貯水部分についた。
「おお……!」
「ついたーッ!」
感慨はたっぷりある、なにせ朝に出発していまは昼過ぎなんだ。
「うおお……!」
「見たまえ、ヒトがゴミのようだ」
この給水塔は丘陵地にたつ。高さはそのぶん上乗せされており、下界を見渡すのはふつうに怖い。ガラス越しでもだめな質なんだ、生とかありえん。
それでも手すりがある。これにつかまってさえいればまだ、地面とのつながりを感じていられる。
「なんだろう? はしご?」
「上にいけんじゃん!」
「藤沢ナイスゥ! のぼろうのぼろう!」
おい伸一ィイイ!!
なぜ見つけた!?
なぜ黙っていられない!?
胸に仕舞っておけよ! そうすればみんなここで満足してくれた。なぜ火中の栗を拾うようなまねを!?
(ごめん……)
(手を合わせたって遅い!)
さては。
そうだったのか。さっきわたしがフェンスでポイントを稼いだのと同じなのだ。伸一もそうした。同じ人間、やることもいっしょ。だがなあ〜、今のは失言だろ。
みんなはスルスルすんなりのぼるが、伸一とわたしは一段ずつ。丁寧に丁寧に、慎重を期してのぼる。
このはしごはステンレス。鉄製よりは信頼感あるが、なめらかすぎだ、実にすべる!
(手汗が! 手汗がぁあああ!!)
万にひとつ落ちたとして、さっきのベランダみたいなところに落ちることができるだろうか。ベランダ様の部分の幅は1メートルほど。直接地表に達したとしたら、いったい何メートルあると思う?
「下よりこっちの方がすげえ!」
「うおーーっ!!」
男子たちは興奮している。よかったね、わたしは一刻も早くおりたい。
上はただ、コンクリートの床だけ。貯水部分の天面、給水塔の屋上だ。さっきのところと違って手すりはない。眼下には混じりっ気のない景色だけが広がっており。
ヒトの住まう平野が一望できる。しかしどこかかすんで。
いろんな法規制がゆるかったせいだ。人々はまちがった道を歩んでいた。河川は、大気は。
でも、もう気づいた。だからわたしはなにもしなくていい。ただ、黙っていればいい。それが————
それどころじゃあなかった! 今ごろ足がすくむ!
もう立てない。立てっこない。わたしは伸一じゃないんだ。女子! だからもう、立てなくても揶揄されまい。伸一はまあがんがれ。
?
男子たちが集まって、しゃがんでいる。
こっそり這うようにして向かうと。
今日の日付と、名前をコンクリに。ひろった石でおのおの刻んでいく。
「いつかここで、また会おう」
「いつかって、いつだよ」
「ハタチだな。ハタチになったらまたここで会おう」
青いなぁ。でもきらいじゃない。
「じゃあわたしも」
みんなの最後に名前を彫る。
でもだぞ、20歳がこんなところにのぼるだろうか。わざわざ? 汚れてもいい格好で? 全員がそろって?
まさかぁ。んなわけ——
(……!?)
なんだこれは!?
なんの……映像だ!?
なにを!? 見せられている!?
過去の記憶が!? フラッシュバックしている!?
ここにはもちろん、早川麻里子はいなかった。
いな……かったのに?
もう一度同じ体験をしたっていうのか?
オレは、藤沢伸一は最初からこの中のメンバーだったと!?
そこまでこいつらと仲がよかった覚えがないぞ。忘れているだけなのか?
それに、この約束は——
「みんな伏せろ!」
「なんだ!?」
古ソンのアラート!?
わたしは最初から伏せている。
「おっさんがきた!」
あんなのはぜんぜんおっさんじゃないよ。オレの方がよほどおっさんだ、老け顔に関しては勝てる自信しかない。
這ったまま下の動向をさぐる。
「おいバカ、頭引っこめろ!」
「やべ! 見られた?」
「目ぇ合った?」
お互いそこまでの視力は。しかしそのような気配はした。おそらく見つかったと思う。
「まずいぞ、自転車調べてる……」
頭隠して尻隠さず。どんなに身を潜めようと自転車は5台も丸出しだった。
「どうする?」
「降りてってあやまろう? そのほうがいいよ」
おちつけ、そう悲観するな。
この時代にスマホなんてない。ポケベルだってそんなには。だから学校に連絡を入れるにせよ、警察を呼ぶにせよ、この場からは一旦離れねばならない。メモだって紙とペンを携行するようなヒトじゃなきゃ。
いまはピンチ、しかし同時にチャンスなんだ!
直接ここまでのぼって来られたらアウトだが。
若めのおっさんがこの場を離れる。今こそイニシアチブをとるべし。
「下りるぞ! 早く!」
「あ? え?」
「ぼうっとするな! 急げ!」
ここで捕まって叱られるわけにはいかない。その影響で屈折して、非行に走る人間がこの中から出ないとも限らない。今日はこのまま穏便に、何事もなく家に帰す。
小学生の自転車だ、学校の通学許可証とかないし、ここは地元でもない。現場さえ押さえられなければ逃げきれる。
「急げ! 急げ!」
「わたた! わたたたッ!」
はしごはさながら消防士のように。渾身の両手両足で外からはさみ、ほとんど滑り降りる。
床はぬけないんだ、かつてもそうだったはず。点検する大人の体重でも大丈夫なんだ、だから小学生ならどんなに急いでも大丈夫!
学校の階段を降りるときの最速バージョンで。
フェンスだって、遊具のアスレチックネットのごとく乱暴に。
自転車にまたがると、若いおっさんとは逆の方向へ。
おし黙って。
全力で。
5分ほど漕いだら。
「あはは!」
妙におかしくって。
「あはははははははは!」
「どした?」
「だって! ウフッ、怖かったから! あはははは!」
「ぼくも怖かった! あー! つかれたあー!」
「あそこ、階段のおどり場? 一か所ガクンって外れんかった? 外れたよな! めちゃ死んだと思った!」
「降りるときのはしごやばかったって! あそこで落ちたらまじで地面まで落ちてた!」
堰を切ったようにとはこのこと。みんなも同じ気持ちだった。
「おい、はしごでおれの頭ふんだのだれよ?」
古ソンからの質問?
「わたしは先頭だったもんね」
「ぼくは最後じゃなかったよ」
「おれはおまえより前だったろ」
「ぼくはすっさんの次だったよね」
「おいおいなんだよ、ホラーじゃねえかよ!」
「怖あ!」
「ふざけんな! こっちは頭ふまれたんだって! 砂が! ほらぁ!」
髪をはたくとたしかに砂が散る。
「自分で言ってら、ホラーだって」
「ホラー!」
「ホラーだ!」
ぎゃあぎゃあ言いながら帰る。田舎の幹線道路は車どおりが少なくて、自転車は2列になったり3列になったり。
あの約束はね、果たされることがないんだよ。
なぜならあそこには遠くない将来バイパスが通る。丘は全部まる坊主、平らに削られて。歩道をそなえた太い道路が、東側には大型ショッピングモールが。
あの給水塔は、令和では跡形もない。なんでもポンプで圧力をかけるとかで必要ないんだと。
それに。
令和じゃみんな散り散りなんだ。ダンマは若くして亡くなり、すっさんは行方知れず。古ソンは——
(うまくいったね! 今日も5のA防衛成功!)
(伸一おまえ……)
過去はどう帰結したんだろうか。捕まった? 大人に怒られたんだろうか。その部分は思い出せない。
いや、思い出せないままでいいや。どうせろくな結果じゃなかったのだから。
だったら伸一の言うとおり、防衛には成功したんだ。それがすべて。
日は高く、まだまだ空は焼けない。逆に肌はジリジリと、焼けるばかり。
こんな小さな叱責を回避できただけで未来がどうこうなるとは思わんが。だけどこっちのほうが気分がいい。それだけはまちがいない。




