表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
《Snowboard Chronicle:Seven Hearts of Snow》 ――雪を嫌う悪役令嬢、世界を滑る。  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/51

氷涙圏への到達 ― “蒼き渓谷”

灰雪の大地を抜けて三日。

風は静かに鳴き、空はまだ沈黙していた。


エリゼは《白哭》を操りながら、果てのない雪原を滑り続けていた。

靴底から伝わる感触が、いつしか変わっていく。

硬くざらついていた灰雪が、次第に柔らかく、透き通るような粒へと変わっていた。


彼女は息を吐き、白い霧の中に言葉を落とす。

「……色が、違う。」


目を上げると、空の色もまた変わり始めていた。

鈍い鉛から、淡い蒼へ。

その境界は曖昧で、まるで世界が“別の記憶”へと塗り替えられていくようだった。



「灰の雪は、罪の記憶を降らせる。

 だが、蒼の雪は――心の色を映す。」


雪片がひとつ、彼女の頬をかすめる。

それは冷たくも、どこか優しい。

灰の雪が「終わり」を告げるように散り、代わりに蒼い光が風の中で瞬いた。


遠く、視界の果て――

氷でできた巨大な壁が、空へと連なっていた。

内部には淡い光が脈打ち、まるで生き物のように呼吸している。


「……あれが、氷涙圏。」


声に出した瞬間、胸の奥がひやりと震えた。

その輝きは“拒絶”ではなく、“導き”のように思えた。


雪面が微かに青白く染まり、

《白哭》の板面が共鳴して低く鳴る。

無音だった世界に、細い弦のような音が差し込む。


灰と蒼が交わる――

そのわずかな瞬間、彼女の心に“初めての色”が灯った。


氷壁が近づくにつれて、世界がひとつ、呼吸を止めた。

空気が変わる――それはただ冷たくなるだけではない。

肺の奥で凍るような静寂。

風が、まるで何かを語りかけるように低く歌っていた。



「ここは、風そのものが生きている場所。

 雪片は息をし、氷は記憶を宿す。」


エリゼは《白哭》の板を軽く押し出し、氷壁の裂け目へと滑り込む。

入口を抜けた瞬間、世界が一変した。


そこは――光の回廊だった。


頭上には天を貫く氷の樹々が並び、枝先から滴る結晶が鈴のように鳴る。

ひとつ落ちるたび、透明な音が空間に波紋を描き、壁面に無数の光の円を咲かせる。


足元では、凍りついた水流――“光の川”がうねり、淡く蒼い光を放っていた。

滑走するたびにその波紋が揺れ、彼女の影を万華鏡のように反射する。


「……まるで、世界の中を滑ってるみたい。」


呟いた声が、壁に吸い込まれていく。

代わりに返ってきたのは、微かに重なる“声の欠片”たち。

誰かの祈り、誰かの歌。

氷の中で眠る記憶のさざめきが、彼女を包み込んだ。


《白哭》が共鳴する。

板面の雪紋が蒼く光り、まるでこの場所を懐かしむかのように柔らかく鳴いた。


風が頬を撫でる。

その冷たさの中に、かすかな“温もり”があった。


エリゼはその風に導かれるように、光の回廊をさらに奥へと滑り進んでいく――。

氷壁が見えてきた瞬間、

エリゼの肺が――凍った。


息を吸うたびに、胸の奥が軋む。

空気が変わる。

それは冷気というより、世界そのものの「質」が変わる感覚だった。


風が、声を帯びていた。

耳の奥で、誰かがささやく。

泣いているような、笑っているような――雪の声。



「ここは、風そのものが生きている場所。

 雪片は息をし、氷は記憶を宿す。」


エリゼは《白哭》の先端をそっと雪に押し当て、滑り出す。

氷壁の裂け目へ――蒼の世界へ。


入った瞬間、視界が一気に開けた。


氷樹が林立する“光の回廊”。

枝先から零れる結晶が、鈴の音のようにチリ、と鳴る。

足元の氷床には光が流れ、まるで“凍った川”が命を持って脈打っているようだった。


「……ここ、なの……?」


呟く声が壁に吸い込まれる。

だがすぐに――反響する。

幾千の声が重なって返ってくる。

それは風の祈り。氷に刻まれた記憶。


《白哭》が応えるように震えた。

板面の雪紋が淡く蒼光を放ち、低い音を響かせる。


キィン――。


音が風に溶け、回廊全体がわずかに脈動する。

まるで、この地そのものが彼女を“迎えている”かのように。


エリゼはそっと目を細めた。

冷たいはずの風が、なぜか――少しだけ、優しい。


「……ねえ、あなたも、ここを知っているの?」


問いかけに応えるように、《白哭》の表面で雪紋が揺れた。

その蒼が導く先、回廊の奥で――かすかに歌声が聞こえる。


それは、氷のように澄んだ少女の声。

雪の向こうから届く“呼び声”だった。


エリゼは再び板を踏み込み、音もなく――蒼の光の中へと滑り込んでいった。


風が――止んだ。


代わりに、世界のどこかが、微かに“鳴り始めた”。


チリ……チリ……

雪が落ちる音ではない。

もっと細い、もっと深い。

まるで氷そのものが、呼吸をしているような音。


エリゼは立ち止まり、息を呑んだ。

耳の奥で、世界が震えている。

白ではなく、蒼の音。

冷たいはずなのに、どこか温度を持つ不思議な旋律。


「……雪が、鳴いてる……?」


声に出した瞬間、その音が反応した。

氷壁の中に響きが広がり、波紋のように空気を揺らす。

それはまるで、雪そのものが彼女の言葉に応えるようだった。


《白哭》が小さく震える。

板面に刻まれた雪紋が脈動し、淡い蒼光を灯す。

音の粒がそこへ吸い寄せられ、共鳴の輪を描いた。


キィン……


透明な音が走り抜け、氷の大地全体が微かに共鳴する。

音が光になり、光が雪を震わせ、雪がまた音を返す。

循環する響きの中で、エリゼは立ち尽くす。


それは、言葉では届かない“対話”。

雪と、氷と、風と。

そして――《白哭》と。



「彼女はまだ知らない。

 その共鳴が、やがて“雪涙の心臓”を呼び覚ますことを。」


エリゼはそっと目を閉じた。

音が降り続ける。

まるで世界が静かに、彼女の名を呼んでいるかのように。

世界が静止したかのような静寂の中――ふいに、“音”が生まれた。


それは、風でも氷でもない。

けれど確かに、世界のどこかが“歌っている”。


言葉を持たない旋律。

声とも息ともつかぬ、透明な“祈り”のような響き。

雪の粒が震え、空気の層が微かに揺らぎ、目には見えない紋様を描いていく。



「それは、風の中に生まれ、雪とともに祈る歌。

 聞く者の心を映し、同じ涙を流させる。」


エリゼは滑走を止め、静かに顔を上げた。

蒼く霞んだ空の向こうから、旋律が降りてくる。

雪片が頬に触れ、温もりを残したまま、指先で溶けて消えた。


「……誰かが、呼んでる。」


かすかな声が、氷の回廊に吸い込まれる。

返事のように、歌がひときわ強く響いた。

それは寂寞ではなく――“意志”を持つ声。


冷たく澄んでいて、どこか懐かしい。

胸の奥をやさしく撫でるような響き。


《白哭》が再び鳴いた。

雪面に淡い光が走り、音の軌跡が彼女の周囲を包む。

まるで“導く”ように、蒼い道が氷壁の奥へと続いていた。



「その歌の主を、人は“氷涙の姫”と呼ぶ。

 雪を愛し、涙に祈る者――

 そして今、彼女が一人の人間を迎え入れようとしていた。」


エリゼは息を整え、前を見据える。

心臓が、旋律のリズムに合わせて鼓動を刻む。

歌声が微笑むように遠ざかり、彼女はそれを追う。


雪の道が、彼女を“運命の出会い”へと導いていった。




氷壁の回廊を抜けた先――そこに、それはあった。


まるで天空を切り取ったかのような、巨大な円環。

氷でできた“門”は、静かに脈動している。

表面には無数の光の紋様が刻まれ、ゆるやかに回転していた。

青白い輝きが、氷を透かして内側から息づいている。



「灰の世界で閉じた風が、いま再び息を吹き返す。

 そこは、祈りと涙が交わる“氷涙圏”。」


エリゼは《白哭》を抱え、足を止めた。

門の中央に浮かぶ光の模様――その形が、彼女のボードに刻まれた紋章と重なっていく。


《白哭》が低く共鳴した。

一瞬、空気が震え、雪片が跳ねる。

音は次第に波紋となって広がり、氷壁全体を叩く。


キィン――。

透き通った音が世界を満たした瞬間、門の中心が眩く開いた。


風が吹き抜けた。

だがそれは冷たくない。

胸の奥に懐かしさを残す、やさしい息吹だった。


エリゼはボードを構え、静かに息を吸う。

その目に、恐れはない。

代わりに映っているのは――新しい青の光。


「行こう、《白哭》。」


彼女が一歩踏み出すと、氷の門が光に溶けた。

視界が一気に蒼と白で満たされ、音が弾ける。

無数の雪の粒が生命のように踊り、空を埋め尽くした。


それはまるで、雪が彼女を祝福しているかのようだった。



「こうして、少女は灰の大地を越え――

 蒼の祈りが支配する世界、“氷涙圏”へと至る。」


――そこから先は、もう“人の領域”ではなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ