着地:雪原の静寂
雪圏を突き抜けた直後、
《白哭》の光がゆっくりと弱まっていく。
蒼白に燃えていた板面が、まるで深呼吸をするように脈を鎮め――
代わりに、世界が静かに息を吹き返した。
速度が落ちる。
風が、優しく頬を撫でていく。
彼女の足元に広がっていたのは、果てのない雪原だった。
王都の喧噪も、灰の雲も届かない――
誰一人として踏み入れたことのない、白の世界。
空は透きとおる蒼。
風は穏やかで、雪はただ、静かに呼吸している。
「灰の空を越えた先にあったのは、ただの“静寂”だった。
罪も名も、ここには落ちてこない。」
エリゼは息を整えながら、
板を傾ける。
《白哭》の刃が雪を噛み――
すぅ……っ と柔らかく減速した。
最後の一瞬、風が背を押すように吹き抜け、
白い雪煙がふわりと舞い上がる。
世界が止まった。
ただ彼女だけが、その中心で、
“静寂の証明”のように立っていた。
エリゼはゆっくりと息を整え、膝をついた。
背後には、月光を反射して淡く輝く軌跡――《白哭》が刻んだ“白の線”。
その光はまだ彼女を見送るように、静かに雪面を照らしている。
彼女はそっと手袋を外した。
指先が夜気に触れ、白い吐息が浮かぶ。
そして、ためらいながら雪へと手を伸ばす。
掌の上に落ちた雪は、驚くほど軽かった。
冷たい。
けれど、それはもう、心を凍らせるような痛みではない。
エリゼ(小さく):「……これが、雪の音……。」
彼女の指先で、雪がきしりと鳴る。
その音は、風の中に消えることなく、
まるで答えるように、柔らかく彼女の胸へと響いた。
「……まだ、嫌い。
でも、少しだけ……気持ちいい。」
言葉とともに、微笑が零れる。
その頬を伝う雫――それが涙なのか、
雪の欠片なのか、自分でも分からなかった。
月光がその雫を包み、淡い虹を描く。
その一瞬、世界のすべてが凍ることをやめ、
ただ“優しく”輝いていた。
風が止んだ。
世界が息をひそめ、ただ雪だけが音を持っていた。
その静寂の中で――かすかな“鈴の音”が聞こえる。
遠く、氷の地平線の彼方から。
それは風の仕業ではなく、雪そのものが奏でる調べのようだった。
エリゼは顔を上げる。
雪原の下、透明な層の奥で、光が点滅している。
青白く、透き通るような輝き。
「それは、大地が持つ“雪の心臓”。
第一層《雪涙》――眠り続けた、古き雪の記憶。」
雪の下で、鼓動があった。
まるで地そのものが、彼女の滑走に応えるように――生きている。
その瞬間、風が再び流れ出す。
雪精たちが舞い、淡い光の粒となって空を漂った。
彼らは彼女の周囲を旋回しながら、やがて一点に集まる。
そこに現れたのは、小さな光球。
手のひらほどの大きさで、まるで心臓のように淡く脈打っている。
それが《雪涙》。
《白哭》がかすかに鳴いた。
エリゼの足元で、雪の粒が寄り集まり、彼女を包むように舞う。
まるで「おかえり」と告げるかのように――。
彼女はただ、静かにその光を見つめた。
そして、ほんの少しだけ微笑んだ。
エリゼはゆっくりと立ち上がった。
足元で雪がきし、と鳴る。
その音は、もう恐怖ではなく――確かな手応えとして、彼女の体に響いていた。
顔を上げる。
遠く、地平線の果て。
夜の蒼に溶け込むように、淡く揺らめく山の稜線が見える。
それは“封印の山脈(セプトレア雪峰)”。
世界の雪が眠り、ヴァルトハイト家が“罪”を封じた場所。
「雪は道を示した。
その果てにあるのは、罰ではなく――真実。」
風が吹く。
《白哭》が彼女の背後で、かすかに震えた。
その表面に刻まれた雪紋が光り、形を変えていく。
まるで“鍵”が回るように、紋様が回転し、中心に新しい印が刻まれた。
エリゼ(小さく):「……次は、あの光の向こう。」
月が雲間から顔を出し、雪原を青白く照らす。
エリゼは《白哭》を手に取り、ゆっくりと歩き出した。
一歩、また一歩――雪の音が、彼女の鼓動と重なる。
月光に包まれた雪原の中、彼女の影が小さく伸びていく。
その足跡だけが、白い世界に残る。
そして、風が再び彼女の名を呼んだ。




