リオン登場 ― “罪と赦しの再衝突”
エリゼが白い回廊を突き破り、第二層へと滑り込んだ瞬間――
世界が、裏返った。
そこは、円形の巨大空洞だった。
床も、壁も、天井すらも存在はする。
だがそのどれもが“斜面”として等しく彼女の足を受け入れ、
重力は方向ごとに別の律を持って働いていた。
左の斜面では斜め下へ、
右の壁では垂直方向へ、
天井では逆さまの雪崩のように、
引きずり落とす力が同時に存在する。
エリゼは一歩踏み込むだけで、足元が流れる方向を変えた。
空気が強制的に傾きを持ち、速度そのものが“捻じ曲げられる”。
円環状に伸びる氷のレーンには、
淡く光る〈赦しの祈祷文〉が絶えず流れていた。
白い文字列は、彼女が滑るたびに――
かすかな赤を差し始める。
罪が、速さで染まっていくように。
エリゼは息をのむ。
跳ね返るはずの音が、どこにも消えていく。
音が吸われる。
鼓動だけが、やけに大きく聞こえた。
「……ここ、全体が……罠……」
そう呟いた声すら飲み込まれ、雪の静寂に溶ける。
この迷路は、逃げる者を捕らえるために作られた。
滑走者の感情に干渉し、罪を“回収する”ための祈祷機構。
エリゼが向き合うべきものは――
迷路そのものが抱え込む“歪んだ赦しの形”だった。
エリゼが傾斜する階段を一気に駆け上がったその瞬間――
斜面が、白い影で塞がれた。
鋭い光が弾け、逆光の中から一本の槍が突き出る。
白銀の金属音が、静寂しかないはずの空間にだけ響いた。
エリゼは反射的に停止し、息を呑む。
そこに立っていたのは、
彼女が最も会いたくて、最も会いたくなかった人物だった。
リオン。
だが、その姿は彼女の知る彼とは違っていた。
白銀鎧が、
雪の光を乱反射して冷たい輝きを放つ。
胸には“赦しの十字雪”――聖雪教の象徴。
背に展開した滑走補助翼が揺らぎ、
氷の粒子を散らしている。
右手に構えるのは祈祷白槍。
刃先は雪光を帯び、逃げる者を刺し貫くためだけの構造。
エリゼの声が掠れる。
「……また、立ちはだかるの?」
リオンは答えず、まず槍を静かに下げた。
その仕草ひとつひとつが、葛藤に軋む音を孕んでいる。
そして、
苦しさを噛み殺したような微笑みを浮かべた。
「僕の役目は……君の罪を、正すことだ。」
白い祈祷文が、彼の周囲で淡く渦を巻く。
彼は聖雪教の紋章を背負う“断罪者”だ。
そう見える。
だが次の瞬間、
その役目を裏切るように声の温度が変わった。
「でも、忘れないで。」
槍を握る手が微かに震える。
「――僕は、君を罰したいんじゃない。
君を、赦したい。」
その言葉は矛盾していた。
断罪者の口から出るには、あまりにも優しい願い。
けれど――
それがリオン自身の限界であり、歪みであり、祈りだった。
教皇に命じられたからではない。
忠誠心でもない。
“エリゼを背負う方法が、もうそれしかない”
と、自分に言い聞かせてここに立っている。
だから、彼は断罪者の鎧を纏っていても、
エリゼを憎む者の眼をしていなかった。
ただ哀しげに、
それでも彼女を追い続けるために――
ここに立ちはだかっている。
エリゼは胸が締めつけられるように痛くなった。
彼は敵ではない。
でも味方でもない。
彼は、
“赦し”と“罪”の矛盾そのものを背負った滑走者として
目の前に立っていた。
白い走廊に、二人の滑走音が重なる。
だがその響きは、似ても似つかない。
まったく別の意味を持った“速さ”が、
同じ空間で激しく衝突していた。
■エリゼの滑走 ― 憎しみを突き破る直線
胸の《雪翼》が不規則に光り、蒼の閃光が走廊を切り裂く。
エリゼの滑りは空の調和とは似ても似つかない。
《雪翼》の半覚醒による“直線爆発”。
揺らぐ心が、揺らぐまま加速へ変換されていく。
それは――赦せない速さ。
雪が奪ったものも、
母の影も、
断罪の言葉も、
すべてを追い越そうとする直線的な疾走。
彼女が踏みしめた斜面が砕け、
氷の欠片が白い尾を引く。
エリゼ
「止まりたくない……止まれない……ッ!」
■リオンの滑走 ― 赦すための曲線
対してリオンの滑りはまったく異質だった。
白槍を構えたまま、
重力反転レーンへと軽やかに移動し、
滑走角度を一瞬で変える。
その動きは速い――けれど荒れない。
相手の攻撃軌道を“受け止める”ために最適化された曲線。
相手を傷つけないための速さ。
追いつくための速さ。
瞳は真っ直ぐにエリゼを捉え、
彼の滑走全体が“拒まない”意志を持っている。
リオン
「君を止めたいんじゃない……!
君を、落とさないために……僕はここにいるんだ!」
■交錯:速さの意味が正反対だからぶつかる
白い走廊は三次元に折り畳まれ、
床と天井が回転して入れ替わる。
その全てを、二人は疾走しながら使い切る。
●アクション 1
エリゼが怒号のような速度で斜面を砕きながら突進――
蒼の軌跡が直線に伸びる。
●アクション 2
リオンは反転する重力レーンへ跳び移り、
白槍を斜めに構えてエリゼの軌道を柔らかく逸らす。
衝突ではない、“抱くような受け止め”。
氷の火花が散り、
二人の軌跡が交差した部分だけ霜が爆ぜる。
●アクション 3
天井 → 壁 → 床へと、
滑走面が目まぐるしく変わる迷路で、
二人の速度は加速し続ける。
だが、軌道の意味が違う。
■意味の衝突
エリゼは――
追い越すための速さで走る。
リオンは――
追いつくための速さで走る。
その意味が正反対だから、
同じ速度領域に達するたび、
二人の速さは激しくぶつかり、
空間ごと歪ませていく。
白光の迷路に、
蒼と白の二重軌跡が複雑に絡み合う。
やがて走廊じたいが震え、
赦しと憎しみが、ぶつかり合う音を発し始めていた。
白い走廊の空気が、ふいに震えた。
氷の壁に刻まれた祈祷文が淡く光り、
それに呼応するように――
エリゼとリオンの軌跡が“形”を帯び始める。
■祈祷機構の発動
ふたりが描いた滑走線は、ただの残像ではなかった。
エリゼの軌跡は、赤く揺らぐ“罪”の色。
リオンの軌跡は、白く輝く“赦し”の光。
祈祷機構は、それらを“形として固定”し、
空間に二つの円を描かせた。
ゆっくりと回転し始める二重の軌跡。
だが――重ならない。
どれほど速度を上げても、
どれほど角度を変えても、
二つの輪は決して交わらないまま回り続ける。
まるで罰として設計されたかのように。
■エリゼの焦燥
エリゼは斜面を蹴り、蒼光を引いて加速する。
何度目かの接近――
けれど指先が届く前に、また“輪”に戻される。
エリゼ(心の声)
「……どうして追いつかないの?
どうして……こんなに速いのに……!」
速さに歪みが走る。
憎しみが燃えるたび、彼女の軌跡は赤い輪に近づくが、
祈祷機構がそのたびに弾き返す。
エリゼの速度は線で、
リオンの速度は曲線。
その差が、二つの軌跡を永久に交差させない。
胸の奥が灼けつくように痛む。
■リオンの葛藤
白い軌跡の中心で、リオンは胸を押さえる。
呼吸が荒い。
それでも視線だけは、ずっとエリゼを追っている。
リオン
「君を責めたいんじゃない……!
でも……君が憎しみで走る限り、
――僕は、“赦す速さ”で塞ぐしかない!」
言葉は苦しげだ。
だが、その槍の軌跡は、揺れない。
彼の速さは“止めるため”ではなく、
“落とさないため”のもの。
だからこそ、エリゼの憎しみに触れられない。
だからこそ、二つの輪は交わらない。
■二人を閉じ込める“心理の罠”
罪の輪と赦しの輪。
二つは絶対に融合しない。
それは単なる祈祷機構の罠ではなく――
エリゼとリオン、それぞれの心が生んだ“距離”。
エリゼは赦せないから直線の速さで突き抜けようとし、
リオンは彼女を抱くため曲線で包もうとする。
二人の心そのものが、
二重ループを形成している。
白い走廊が軋み、
罪と赦しの輪が加速しながら、二人を閉じ込め続けた。
誰も前に出ず、
誰も後れない。
それは戦いではない。
逃げられない“答え合わせ”だった。
二重ループがさらに加速し、
白い走廊そのものが震動を帯び始めた。
斜面が軋み、祈祷文が赤と白に交互に点滅する。
エリゼはその中心で、胸をかきむしりたくなるほどの痛みに耐えていた。
《雪翼》が乱れ、脈動が不規則に跳ねる。
まるで胸の奥で、二つの速さ――罪と赦しが衝突しているように。
■エリゼの心が裂ける
押し寄せるのは過去の雪。
倒れた母。
血の付いた白。
赦せないまま走り続けた自分。
でも今は、それに加えて――
リオンの声。
空翔族の祝福。
《雪翼》に宿った、“風と共鳴した速さ”。
矛盾が、胸の奥で暴れ回る。
エリゼ
「私は……赦されるために滑ってない……!
でも……赦されないまま走るのも……怖い……!」
声は震え、叫びは涙の寸前で止まる。
《雪翼》が暴発し、蒼光が斜面を裂く。
重力が乱れ、壁が反転し、二重ループさえ歪んだ。
■リオンの叫び
白い軌跡を描きながら、リオンは迷わずエリゼへ向かう。
その瞳は苦しげに揺れていた。
赦したい。
しかし断罪しなければ彼女は止まらない。
その矛盾が、彼自身の心を締め付けている。
リオン
「エリゼ……!
憎しみで走る君を、このまま放ってはおけない!」
言葉が鋭く響いた瞬間、
祈祷文が白く強く光り、走廊全体が息を呑んだように静まる。
■衝突
エリゼの蒼い斜線と、リオンの白い曲線が――
ついに真正面からぶつかった。
衝撃は音を奪い、
氷の斜面が下から弾け飛ぶ。
光の粉雪が舞う中、
ふたりは一瞬だけ、間近で互いの瞳を見つめた。
憎しみ。
赦し。
罪。
祈り。
それでも寄り添いたいという願い。
全てが入り混じった一閃だった。
■予兆―― 《白哭》の影
衝突の余波で、走廊の天井に亀裂が走る。
その裂け目の奥。
白い光が、泣いているように震えた。
リオンの背後にだけ、
淡い“白い涙跡”のような紋が揺れ始める。
まだ形にはなっていない。
ただ、叫びの前触れのように震えている。
《白哭》――
リオンが長年抱えてきた歪んだ赦しの心臓が、
ついに目覚めようとしている。
その兆しを感じ取ったエリゼの胸にも、
別の痛みが走った。
ここから物語は――
“罪と赦しの心臓戦”へ突入していく。
重力のない音が奔った。
二重ループが限界を迎え、
白い走廊の上層――天井そのものに、鋭い裂け目が走る。
赤と白の軌跡が交互に脈動し、
祈祷文が悲鳴のように歪み、
空間そのものが「もう耐えられない」と告げていた。
次の瞬間。
――空間が、割れた。
走廊が“裏側”へと強制的に展開され、
強烈な上昇気流がエリゼとリオンを同時に捕らえる。
■引き上げられる二人
エリゼ
「――っ!!」
リオン
「エリゼ!」
身体は意思とは無関係に宙へ跳ね上げられ、
二重ループの中心点へ吸い込まれゆく。
白と蒼の光が絡み合い、
ふたりの影を同時に飲み込んだ。
しかし流されながらも、
リオンは必死に声を投げる。
■リオンの宣言
リオン
「エリゼ……
君の罪を断つためじゃない……!」
裂け目の光が彼の横顔を照らし、
白い鎧の表面にひびのような光紋が走る。
リオン
「君と――
真正面から向き合うためだ!」
その声は祈りでも命令でもない。
ただ、ひとりの滑走者として、
一人の少女を追い続けてきた少年の本心だった。
■エリゼの応答
吸い上げられながら、エリゼは振り返る。
乱れていた胸の鼓動が、一瞬だけ静かになる。
そして――
蒼い瞳が、決意の光を宿した。
エリゼ
「だったら……!」
風翼《雪翼》が蒼光を爆ぜさせ、裂け目へ向けて開く。
エリゼ
「私の速さで、あなたを追い越す!!」
二人の声が重なり、
裂け目は光の奔流となって爆ぜた。
そのまま。
ふたりは白い断絶空間の向こう――
決戦の最終層《罪と赦しの境界》へと落ちていく。




