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《Snowboard Chronicle:Seven Hearts of Snow》 ――雪を嫌う悪役令嬢、世界を滑る。  作者: 南蛇井


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対峙:冷笑する王太子リオン

――風が、止んだ。


 群衆のざわめきが、まるで引き潮のように遠ざかっていく。

 灰雪の流れが変わり、広場の端で光が裂けた。


 その光の中から、

 銀の騎士団がゆっくりと現れる。


 鎧が雪の反射を受けて、青白く光る。

 まるで氷でできた生き物のように、整然と並ぶ姿は無機質で、美しかった。


 そして、その中央。


 純白の馬に跨る青年。

 王太子――リオン・アルヴェルド。


 その鎧は、王国の象徴たる雪印を刻み、

 剣の柄には氷晶石が埋め込まれている。

 彼が動くたびに、空気が微かに軋む。


「かつて彼女が愛した人。

 そして、彼女の罪を告げる者。」


 ナレーションのような声が、風の底で囁いた。


 群衆が一斉に頭を垂れる。

 その動きは一糸乱れず、まるでひとつの巨大な影が跪いたかのようだった。


 空気が、張り詰める。

 雪片が動きを失い、音が消える。

 この国では、王太子の前では風すら膝を折るのだ。


 リオンはゆっくりと馬を降りた。

 足が石畳に触れる。


 ――カン。


 乾いた音が響く。


 雪の上ではなく、あえて露出させた石の上を踏みしめて歩く。

 白の国にありながら、白を踏まない。

 それがこの国の“正しさ”であり、“拒絶”の象徴だった。


 ――カン。

 ――カン。

 ――カン。


 金属音が、断罪の鼓動のように響く。


 リオンの青い瞳が、断罪台の上の少女を捉える。

 表情は冷たく、けれどその奥に、微かに凍りきれない何かが揺れていた。


 灰雪が、二人の間を漂う。

 その粒のひとつひとつが、

 過去の記憶のように、ゆっくりと落ちていく。


 静寂。

 ただ、灰雪だけが、ゆっくりと二人の間を落ちていた。


 距離は三メートル。

 それは、王と罪人の距離であり――かつて恋人だった二人の、決して越えられぬ境界線。


 リオンが一歩、前に出る。

 銀鎧の軋む音が、広場全体に冷たく響く。


「君は、なぜ雪を憎むふりをした?」


 低く、澄んだ声。

 その響きに、群衆のざわめきさえ凍りつく。


 エリゼはゆっくりと顔を上げる。

 その瞳は灰色の空を映し、どこまでも静かだった。


「……ふり?」


「そうだ。君は幼い頃から雪を避けた。

 “雪の祝福を受けぬ令嬢”――それが君の仇名だった。」


 リオンの声には、淡い痛みが混じっていた。

 それを聞きながら、エリゼは小さく笑う。

 雪の粒が唇に触れ、黒く滲む。


「そう……“祝福”ね。

 あれは冷たくて、痛かっただけよ。」


 言葉は静かで、けれど鋭かった。

 彼女の中で、何かがずっと前に凍りついてしまったことを告げる声音。


 リオンが目を伏せる。

 そのまつげに雪が一粒、溶けずに留まった。

 沈黙の奥に、かすかな懐かしさが滲む。


「なのになぜ、滑った?」


 その問いは、刃のように静かだった。

 エリゼの瞳が、ほんのわずかに揺れる。


「……知らない。

 ただ、あの時――風が、呼んだから。」


 その瞬間、灰雪の流れが、ほんの一瞬だけ逆向きに揺れた。


 ――サァ……


 かすかな風の音。

 誰も気づかない。

 群衆も、兵も、祭司さえも。


 この国の人々は、もう“風”というものを忘れていた。

 雪はただ落ちるもの。

 動くことのない、静寂の象徴。


 けれど、彼女の髪だけが――そっと、揺れた。


 広場の空気が――割れた。


 リオンとエリゼの言葉が交わされた瞬間、群衆の沈黙が爆ぜるように崩れ、祈りとも罵声ともつかぬ声が渦を巻く。


 雪の下から地鳴りのような低音が響く。

 それは、もはや“声”ではなかった。

 重低音のノイズのような祈りの反響――。


「風が呼ぶ? 神の怒りを風と呼ぶか!」

「滑る者に救いなし!」

「雪を穢す足など断て!」


 叫びが、雪を震わせる。

 人々は目を閉じ、耳を塞ぎ、ただ信仰の言葉だけを繰り返す。

 まるで祈ることで、雪の冷たさを見ないようにしているかのように。


 その中で――ひときわ高い叫び声が響いた。


「姫様ッ!」


 群衆の端から、一人の少女が駆け出してくる。

 金色の髪に灰雪が積もり、裾の白衣が泥に染まる。


 侍女セラ。

 彼女の顔は涙で濡れ、声はかすれていた。

 兵士たちがその肩を掴もうとするが、彼女はもがきながら手を伸ばす。


「姫様、それは神の怒りです……!

 どうか……どうかもう抵抗をおやめください!」


 叫びは震えていた。

 雪ではなく、恐怖で震える声。

 セラにとって“雪”は、愛しい主を奪う神の象徴だった。


 断罪台の上で、エリゼはゆっくりと視線を落とす。

 その目は、悲しみでも怒りでもなく――静かな光を湛えていた。


「違うのよ、セラ。」


 雪の粒が彼女の頬を滑る。

 それは涙のようでいて、冷たすぎて涙にはなれなかった。


「これはね、私の心が……動きたがっているの。」


 その言葉と同時に、音が消える。


 祈りの声も、風のうなりも、鎧の軋みも。

 灰雪は宙で止まり、空の雲さえ動かなくなる。


 ――世界が、息を止めた。


 ただ、エリゼの髪だけがふわりと揺れた。

 誰の知らぬ“風”に撫でられるように。


 ――世界が、音を失った。


 祈りの声も、鐘の余韻も、兵士の鎧のきしみも。

 すべてが凍りついたかのように、沈黙の膜の向こうへ消えていく。


 ただ、雪だけが空中に浮かんでいた。

 一粒、また一粒。

 落ちることを忘れた白が、無音の空間を漂う。


 その中で、エリゼの瞳がゆっくりと開く。


 ――カメラが寄る。

 瞳の奥、氷のように澄んだ灰青の光の中で、微かな風の渦が生まれた。

 雪の粒が、彼女の瞳の中だけで逆流する。


「怖かった。

 雪を見ると、心が止まる気がした。

 でも今は――」


 唇がかすかに動く。

 音はない。けれど、その言葉は確かに空気を震わせた。


「止まっているのは、世界の方だとわかる。」


 その瞬間、風が戻った。


 かすかに。

 でも確かに。


 ――ヒュゥ……


 髪がふわりと舞い上がる。

 足元の灰雪が円を描くように滑り、エリゼの周囲に淡い光の渦を作った。


 群衆の誰もが息を呑む。

 だが誰も動けない。

 世界が止まったまま、ただ“彼女だけが動いている”。


 雪神の像が見下ろす中、風が彼女の頬を撫でた。

 それは赦しではなく、ただ――“再起動”の合図だった。


ナレーション:

「止まっていたのは、心ではなかった。

 世界そのものが、彼女を待っていたのだ。」


教会塔の上で、鐘の鎚がゆっくりと振り上げられる。

 その動きは、雪の落下よりも遅く、まるで時間そのものが息を潜めているようだった。


 ――カン。


 一打目が響いた。


 その音が空を裂いた瞬間、世界が止まった。


 灰雪が、宙に浮いたまま落ちない。

 祭司の口は開いたまま止まり、群衆の怒号も、祈りの声も、すべてが凍りつく。

 布の揺れも、炎のゆらめきも、リオンの瞳の光さえも――すべてが“静止画”になる。


 ただひとつ。

 エリゼの髪だけが、風に揺れた。


 彼女はその中で、ゆっくりと息を吸う。

 冷たい空気が肺を満たし、心臓の鼓動が確かなリズムを刻みはじめる。


「あぁ……また風が、呼んでる。」


 その声は、誰にも届かない。

 けれど、確かに空気が震えた。


 ――無音。


 鐘の余韻も、足音も、群衆の息づかいもない。

 世界には、彼女の鼓動だけが響いていた。


 ドクン――。


 それは、命の音だった。

 静止した世界の中で、ただ一つ、動くもの。

 その音に応えるように、髪がふわりと舞い上がる。


ナレーション:

「その瞬間、雪は止まり、心が動き始めた。」


 ――白と灰の狭間で、世界の輪郭が、ゆっくりとほどけていく。




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