表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
《Snowboard Chronicle:Seven Hearts of Snow》 ――雪を嫌う悪役令嬢、世界を滑る。  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/51

捕縛 ― “氷精の裁き” 

風が止んだ。

 ただ、雪だけが音を持って舞い続けている。


 エリゼは滝の下に立ち尽くした。

 頭上では氷の滝が陽光を閉じこめたまま凍りつき、無数の光の筋を透かしている。

 その静寂の奥で――何かが、息をしていた。


 最初に聞こえたのは、“ざわめき”だった。

 雪が鳴る。

 それは木々のざわめきでも、獣の足音でもない。

 雪そのものが、彼女の存在に反応しているようだった。


「……だれ?」


 問いかけた声が、白い息とともに消える。

 すると――雪片がふわりと宙に浮かんだ。

 一片、二片……次第に数を増し、まるで意思を持ったように空間を埋めていく。


 それは光の粒。

 氷の羽を揺らめかせ、淡い音を纏った“存在”。

 人の形を持たず、ただ氷の息と音でこの世に立つ命。



「それは風の欠片。

 氷の息と雪の意志が混ざり合い、ひとつの命となった者たち。」


 彼らは、氷精――氷涙圏を守護する雪の精霊。


 光の粒たちはエリゼを取り囲み、ゆっくりと旋回を始めた。

 その動きには秩序があり、静かだが、確かな“敵意”があった。


「……冷たい。」


 エリゼの頬をかすめた空気が、瞬時に凍る。

 呼吸をするだけで、唇が白くなった。


 氷精たちは声にならぬ声で囁いた。

 それは風が擦れるような音。

 けれど確かに、意味を持っていた。


「あたたかい……」

「汚してる……」

「凍らせろ……」


 その一言一言が、鋭利な氷の刃のように彼女の心を刺す。

 彼らにとって“人間”とは、雪を穢した存在――“灰雪”を呼んだ元凶。

 それは、祈りを裏切った者の象徴だった。


「ち、違う……私は――」


 言いかけた瞬間、空気がきしむような音を立てた。

 氷精の一つが音の軌跡を描く。

 その音が、形を成した。


 ――氷の糸だ。


 透明で、光を反射する細い線。

 それが無数に伸び、エリゼの腕を絡め取る。

 瞬く間に、冷気が皮膚に走った。


「っ――!」


 逃れようと身体をよじるが、氷糸は生き物のように動きを封じる。

 指先から冷たさが這い上がり、まるで氷が血管を侵食していくようだった。


 雪が静かに舞い落ちる。

 白い光の中で、エリゼはひとり凍りついたように立ち尽くしていた。



「雪の心は、純白であるがゆえに――

 穢れを、決して赦さない。」


 氷精たちの輪が、音もなく閉じていく。

 静かな敵意が、世界を覆い尽くしていた。



――世界が、音を失った。


 目を覚ましたとき、エリゼは光の檻の中にいた。

 床も壁も、天井すらも、すべてが透き通っている。

 まるで巨大な氷の水晶の中に閉じ込められたようだった。


 外には、淡く光る雪精たちが漂っていた。

 言葉を持たない彼らは、ただ空間をゆらめかせ、氷の呼吸のように上下している。

 その動きさえも、静寂の一部に溶けていた。



「その檻は、罪を問うためのものではない。

 心を凍らせ、真実を映すための鏡だった。」


 エリゼは膝を抱き、しばらく何も考えられなかった。

 冷たい床に触れると、掌の温もりが瞬く間に奪われる。

 けれど、不思議と痛みはなかった。

 まるで、自分の体温さえも、この場所に馴染んでいくようだった。


 ――ここは、“世界ごと閉じ込められた場所”。


 壁の向こうには、蒼い光がゆらめいている。

 それは氷越しに見える雪の灯。

 生きているのか、夢を見ているのか――境界が曖昧になる。


 息を吐く。

 白い息が、空に散る。

 すると、壁面に淡い紋が浮かんだ。


 それは波のように広がり、音を持たない“音紋”となって消えていく。

 まるで雪が彼女の声を聞き取り、心を覗こうとしているようだった。


エリゼ(心の声):

「……どうして、こんなに静か。

 風の音まで、閉じ込められたみたい。」


 雪の精霊たちは、何も言わない。

 ただ、彼女の周囲を漂いながら、透き通った光を残していく。

 まるで、“言葉ではなく、沈黙で問う”ように。


 時間の感覚が薄れていく。

 数分なのか、数時間なのか、わからない。

 ただ、胸の奥で《白哭》がかすかに震えていた。


 それは、まだ彼女が“凍りきっていない”証だった。



「雪は、静寂をもって心を試す。

 音を失ってなお響くもの――それが、真の声。」


 氷の牢の中で、エリゼはひとつの息を吐いた。

 それは小さな白い風となり、壁に触れ、

 淡くきらめく“雪の涙”の形を描いた。

氷の牢に、淡い光が射し込む。

 閉ざされていた世界に、ほんのひとひらの温度が落ちてきた。

 それは雪の反射ではない――“誰かの気配”だった。


 光の中心から、彼女は現れた。

 氷の羽を背にたたみ、透明な風をまとった少女。

 “氷涙の姫”――フィリア。

 蒼の渓谷を統べる、雪精霊の王の末裔。


 彼女の足が氷を踏むたび、空気が澄み渡っていく。

 まるでその存在そのものが、雪を清めるようだった。


フィリア:

「雪を憎む者が、雪の心臓を踏むとはね。」


 声は静かだった。

 けれど、その一言が氷の刃のように胸を刺す。


 エリゼは目を逸らさない。

 視線の奥に、ただ一つの感情を宿す。


エリゼ:

「……憎んでる。

 だけど、止まれなかった。」


 短い言葉。

 けれど、その中には雪を拒みながらも滑り続けた日々の重みがあった。


フィリア:

「人間は、止まらず壊してきた。

 灰を降らせ、風を濁らせた。

 だから雪は泣いて、灰になったの。」


 氷の声が、檻の中で反響する。

 まるで氷そのものが彼女の怒りを代弁しているようだった。

 だが、彼女の瞳には怒りよりも深いもの――“哀しみ”が宿っていた。


 静かに、フィリアの頬を一粒の涙が伝う。

 それは空気に触れた瞬間、凍り、澄んだ音を立てて床に落ちた。

 氷の上に咲く、小さな花。

 “氷の花”――雪を愛する者だけが流せる涙。



「彼女の涙は氷の雫。

 それは、雪を愛する者にしか流せぬ、温かな氷だった。」


 フィリアはその花を見下ろし、指先でそっとなぞる。

 氷が溶け、わずかに光を放つ。

 その光が、檻の中のエリゼの顔を照らした。


フィリア(小声で):

「どうして……あなたの目は、まだ消えていないの。」


 返す言葉が、見つからなかった。

 ただ、氷の花の光がふたりの間を揺らしていた。


氷の牢の中。

 光は静まり、雪精たちの気配も遠ざかっていた。

 残るのは、氷の息づかい――きしむような、微かな音だけ。


 エリゼはゆっくりと立ち上がった。

 足元の氷が鳴り、白い息が宙に散る。

 彼女は両の掌を氷壁に触れさせた。


 そこには、自分の影と雪の反射が重なって映っている。

 人間と雪――ふたつの世界の境界。

 エリゼは、その光の境を見つめながら、かすかに笑った。


エリゼ:

「……雪が嫌い。冷たくて、全部奪っていく。

 でも、滑ってるときだけは……風の中に、生きてる気がしたの。」


 声はか細いが、凍った空気に溶けず、まっすぐ響いた。

 その瞬間、フィリアの瞳がわずかに揺れる。

 その言葉のどこかに、彼女には理解できない熱があった。


 ――雪を嫌うのに、なぜ雪の上で生きようとするのか。


 フィリアはゆっくりと歩み寄り、氷壁の向こうから問いかける。


フィリア:

「……祈りを知らぬ者が、風を語るの?」


 その声は冷たくも、震えていた。

 氷精としての誇りが、心の奥で軋む。


エリゼ:

「違う。滑ることが、祈りだと思った。

 進むことで、何かを赦せる気がしたから。」


 静寂。

 ふたりの言葉が空気の中で凍り、氷の檻に音の欠片となって残る。


 フィリアは目を伏せた。

 その表情には、理解と拒絶、ふたつの感情が重なっていた。



「雪を“祈り”と呼ぶ者。

 風を“生”と呼ぶ者。

 その狭間で、二つの心は初めて触れた。」


 エリゼの手の下で、氷壁がわずかに脈動した。

 それは《白哭》の共鳴――

 心が動いた証だった。


 フィリアはそれを見つめ、何も言わずに背を向けた。

 氷の羽が舞い、光が散る。


フィリア(小さく):

「……なら、滑ってみせて。

 雪があなたを拒む前に。」


 その声だけを残して、彼女は消えた。

 氷の牢に、再び静寂が戻る。

 だが、その静けさの底で――エリゼの心は、確かに熱を帯び始めていた。

沈黙が、氷の檻を満たしていた。

 フィリアはしばし何も言わず、ただエリゼを見つめていた。

 その瞳の奥に宿るのは怒りではなく――測るような、静かな光。


 やがて彼女はそっと目を閉じ、細い指先を持ち上げた。


フィリア:

「……ならば、雪に問われなさい。

 あなたの風が、本当に祈りなのかを。」


 その声は祈りにも似ていた。

 けれど、そこに宿る慈悲は凍りついている。

 氷牢の壁が低く唸り、まるで呼吸するように震えはじめた。


 亀裂が走る。

 氷の檻が、まるで解かれるように溶けていく――

 だがそれは解放ではなく、別の“牢”への扉。



「雪精霊の裁きは、剣でも言葉でもない。

 ただ、心の温度で決まる。」


 足元の氷が光を帯び、複雑な紋章を描き出す。

 幾何学的な線が絡み合い、やがて円環を形づくった。

 それは“転送陣”――“氷涙の坂”へと導く道標。


 氷の粒子が宙に舞い、螺旋を描きながらエリゼの身体を包み込む。

 彼女は微動だにせず、その光の中で目を閉じた。


 その横顔を、フィリアは見つめ続ける。

 唇をかすかに動かし、囁くように言葉を落とす。


フィリア(小声で):

「もしあなたの涙が凍らなければ……

 そのときは、少しだけ信じてあげる。」


 エリゼの周囲で光が弾けた。

 空気が歪み、音が遠ざかっていく。

 そして――彼女の姿は、白い閃光の中に溶けた。


 残されたのは、静寂と、ひとひらの雪。

 フィリアはその雪を掌で受け止め、目を伏せる。


「雪が裁きを下すのではない。

 祈る心が、雪を選ぶのだ。」


 氷の谷に、再び鈴の音が響く。

 それは試練の始まりを告げる音――

 “氷涙の坂”が、彼女を待っていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ