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純文学

失恋で苦みに変えたチョコは、甘いお酒と共に噛み砕く。

作者: 本羽 香那

ジャンルは迷子故の純文学であるため、純文学ではないと怒られそうですが、ジャンルは変更するつもりはありませんのでご了承ください。

また作者は二十歳を超えているものの、ホストクラブを行った経験はなく、未だにお酒すら1滴も飲んだことがないので、完全に想像だけで書いておりますので、設定はガバガバです。


本作は、主催者が香月よう子様、発起人が楠結衣様である「バレンタインの恋物語企画」の参加作品となります。


 本来なら今日が人生で1番幸せになれるはずだったのに、どうして現在人生で1番絶望をしているのだろうか。

 



 私は佐藤律子と平々凡々な名前で、職は中小企業の経理を担当する普通のキャリアウーマンと、別に突出した経歴を持つわけでもない。

 ただその名前は勿論嫌いではないし、職も給料は特段高いわけでもないが嫌ではないため不満もない。寧ろキラキラネームを付けなかった親に感謝しているし、職も昔から就きたかった経理をすることが出来て満足しているのだ。

 その上、現在通う同じスポーツジムで知り合った同じ歳で同じ趣味を持つ裕二と、付き合うことが出来て間違いなく幸せな生活を送れていたはずだったのである。


 そんな私は現在29歳と、もう少しで三十路に差し掛かる頃だ。結婚や出産を視野に入れていた私は、裕二とも4年の付き合いをしていることもあり、ここはもうそろそろ結婚する潮時だと踏み切ったのだ。そのためデートである今日は、2月14日バレンタインデーであることもあり、手作りのチョコを添えて、結婚を考えている旨を彼に伝えた。

 すると、彼から切り出された返事はまさかのノー。つまり、結婚するつもりはないと断言されたのである。しかもそれだけではなく、なんと今日きりで別れて欲しいとまで言われてしまったのだ。

 すぐには無理だという返答は想定していたものの、まさか断られるという発想は微塵も無かったので、まるで不意打ちに横から鉄の棒で殴られたような、それぐらいの衝撃と痛みを伴った。

 その衝撃と痛みから、私は理由を聞くどころか何も言い返すことも出来ないまま、彼が勝手に会計を済ましてそのままチョコを置き去りにする。そして、さようならと一方的に言い渡して、私を独り残したのだ。

 暫く放心状態になっていた中で、ようやく時計の針が半周した頃、彼から振られたことに気づくこととなった。



 あの後何もする気になれなくて、ただ食べ残っている料理を涙で滲んだ目でボンヤリと眺めていたが、流石に時計の針が一周回ったことに気づき、もう食べる気もないのに店に居座るのが居心地が悪くて、そのままそっと外へ出た。かと言って行く宛もないため、ただ虚ろ目と脱力した身体で何とか何とか歩くものの、1歩進む度にその気持ちが沈んでいくのが、目でも身体でも嫌と言うほど伝わってきて、それが尚気持ちが沈んで行くのを助長する。

 そのため、このまま歩いて続けるのも辛くて、だけど家もまだ遠いため、近くの喫茶店でも寄ろうと目に付いた少し錆びれた「春風」と書かれた看板を見つけ、そこに吸い寄せられるように扉を開けた。


「いらっしゃいませ、プリンセス。お見かけしないお顔でございますが、初めてでしょうか?」

「えっと……はいそうですが。これは一体?」


 プリンセスとは一体どういうことなのか疑問に持ちながら、それと同時にここが喫茶店ではないことは確信した。今まででも感じたこともない空気が、身体全体にヒシヒシと伝わってきて、寒気すら感じてくるのだ。


「ようこそ、春風にいらっしゃいました。今夜は忘れられない特別な夜を提供致します。それではプリンセスの名前を伺ってもよろしいですか?」

「いや、私はもうお姫様という歳じゃないです」

「女性はみんなプリンセスですよ。あぁ、そう言えば私が名乗り忘れておりましたね。私はここのホストクラブの一員である裕一と申します。では、お名前お聞かせ願いますか?」

「佐藤律子ですが……ってここホストクラブなの!?」


 いや、まさかここがホストクラブだなんて誰が思うだろうか? 明らかに看板も名前も喫茶店にしか思えないだろう。ここがホストクラブだと分かっていたら、どんなに気分が落ち込んでいたとしても、絶対に入りはしなかっただろうに……。それも彼の名前も裕二に似ているので、少し気分が萎えてしまう。

 はぁ、中身がここまで煌びやかならば外側もキラキラさせておいて欲しいものだ。キラキラとしたミラーボールと衣装にようやく気づき、目が一気にやられたような感覚に陥った。


「律子姫、改めましてお越しいただきありがとうございます……と言っても知らずに来たようですね。このまま入店すると、結構お金が掛かりますが、如何なさいましょう?」


 そりゃそうだ。ホストクラブなんか、1回に何万と飛ぶようなところだ。気軽に入れるところなわけがない。

 勝手に下の名前を姫という呼称付きで呼ばれているのは、気分が良いものではないし、そもそもお酒なんて普段飲まないので、私が行くような場所ではない。

 本来であれば、突っぱねてこのままここから出ていくだろうが、今は気分が沈みきってその気力すらないのだ。

 あぁ、もうここから出れないのであれば、ここで飲むのもご一興かもしれない。幸いと言って良いのか分からないが、今日は裕二が全て払ったので1円も使っていないし、少しなら気休めに飲むのもありな気がしてきた。 

 

「では入ります」

「ありがとうございます。では、当店では1時間当たりの通常料金に、食べ物や飲み物のお金がプラスアルファで掛かりますがよろしいでしょうか?」

「分かりました」

「あと、ご指名制度もありますが、誰かご指名とかはありますか? 向こうにいる人達なら現在誰でも大丈夫ですよ」


 確かに普通はそのホストと話したくて来るものだから、指名するのが普通なのだろう。ただ、ホストクラブなんて1回も来たことがなかったので、こんな感じなのかと感慨深く思ってしまう。

 それにしても誰か選べと言われても何を基準に選ばなければならないのだろうか。相手のことを知りもしないのに今すぐ選べと言われても困ってしまう。やはり、中身を知らないなら見た目で選ぶしかないのだろうなと思いつつも、自分がどんな容姿が好みなのか分からないことに気づいた。

 今までは好きになった人がタイプというような思考を持っていたものだから、自分の好みなんて考えたことも知ろうとしたこともないのだ。でも、もし私が持つ持論ならば、裕二に似た人がタイプなのだろうか。でも、今は彼に嫌悪感すら抱いているのに、タイプって……。

 あれ? よく見たらこのホスト……裕二に似ている。この人のことなんてどうでもよすぎて、まともに見ようだなんて思わなかったけど、ふと顔を見上げるとその事実に気づいたのだ。

 それ気づいた瞬間、彼に目が離せなくなかった。何故だろう。先程嫌になった顔と似ているのに、惹かれるだなんて……。ただ顔が似ている、それに名前が似ているというだけで、タイプは正反対であろうに彼に惹かれるって何なのだろう。


「それなら、裕一さん……貴方をご指名しても良いでしょうか?」

「勿論です。律子姫、ご指名ありがとうございます。では、こちらに参りましょう」


 無性に惹かれると分かり、即座に彼を指名することにした。名前は彼が下の名前しか名乗らなかったので、少し癪に障るものの、致し方なくその名前を呼んでのご指名だ。

 正直向こう側にいるホストの中で指名することが出来ると言われたので、もしかしたら彼は対象外かもしれないと少し不安だったが、そんなことはないらしく、アッサリと引き受けてくれた。まあ、こんなところはどれだけ客を取るかという成績で給料も変わるだろうから、今誰も相手をしていない彼が断る理由はないだろうが。

 

「さあ律子姫こちらにお掛けください。最初は何をお頼みますか?」


 はぁ、扱いはまるで本物のプリンセス。そう考えると彼はプリンスだろうか? いや、ナイトかもしれない。どちらにしろ、急速に私の立場が変わるため、その変化に付いていけず、頭がクラッとしてしまう。だけど、この扱いに嫌悪感を抱かないのが不思議だった。

 それにしても、ここでも何を頼むべきなのか分からないのが歯痒い。私はお酒に詳しくないため、何があるのかよく分からないのだ。


「どうやらお困りのようですね。お酒はあまり飲みません?」

「はい、あんまり」

「う〜ん、なら辛いのと甘いの、どちらがお好みですか?」

「辛いのは苦手なので、甘いのが良いです。そうですね……あまり度数が強くない甘いお酒をお願い致します」

「成る程……ではリキュールとかどうです。果物を加えているので甘いかと。林檎や桃などありますが、希望の果物とかあります?」

「分かりました……では林檎のリキュールをお願いします」

「かしこまりました。林檎のリキュールが2つでよろしいですか?」

「2つ……あぁそうですね。それで」


 2つ頼むという発想が無かったけど、こういうところってホストの分も頼まなければならないのか……。まあ裕二の分も奢ると考えたら良いのかなとぼんやり思いながら、言われるがままに頼むことになった。


 それにしても、頼んだのは良いものの、お酒が来るまで何をするべきなのだろう。しかし、そんな不安はすぐにお酒が来たことで打ち消されることになった。


「はいどうぞ。それでは早速乾杯でもしましょうか」

「……はい」 

「それでは律子姫との出逢いに乾杯」

「えっと……裕一さんとの出会いに乾杯?」


 分からないまま何とか鸚鵡返しをして、グラスを彼のグラスに傾ける。するとカンという虚しい音が響き渡るが、この周りの大きな雑音であっという間に消えてしまった。

 彼がお酒を飲むので、その動作さえ真似をして、今後は自分の口へと傾けてお酒を流す。口にしたお酒は、想像していたよりも甘くて嫌悪感を抱くことがなかった。普段なら1口飲んだら基本それ以上は口にしないのに、いつの間にか2口目まで行っている。


「どうやらお気に召したようですね。まだ行きますか?」

「私はまだ2口しか飲んでいないので結構です。あ、裕一さんが飲みたいなら追加で頼んでくださいね。今日は10万円ちょいほどありますので、その範囲内でお願いはしたいですのが……あの現金払いで問題ありませんよね?」

「勿論現金払いで何の問題はありません。と言いますか、殆どのお客様は現金払いですから」

「え? そうなのですか? なんか1回に何十万って使うから基本クレジットカードだと思っていました」

「あぁー確かにそのようなイメージがあるかもしれませんが、クレジットカード払いだと手数料代が掛かりますので、現金払いがどうしても多いのですよ」

「そうなのですね。なら尚更現金があって良かったです」

「それでは予算は10万以内ということでかしこまりました」


 クレジットカード払いだと手数料も掛かるのか……確かに1回に何十万、下手したら何百万と頼む人からすると、その手数料さえ大きな金額になる。何とも恐ろしい世界だ。正直現金が無ければ、そのまま基本料金だけ払って今すぐ出ていることだろう。

 それにしても、素直に受け入れてくれて良かった。勝手に頼まれて今持ち合わせている金額以上を請求されても困るのだから、ちゃんと示すことが出来て安心する。


「実は律子姫がお越しになる少し前にですが、かなりお酒を飲みましてね。そのため、今はお酒をそこまで飲みたい気分ではないのですよ。ですから、もし良ければ一緒に軽い軽食でもしませんか?」


 そりゃそうだ……彼はホストなのだからお酒は1日に多く飲んでいるだろう。まあ、それが飲みたくない気分に繋がるかどうかは確かめようがないため、本当はどう思っているのか分からないけれど。

 でも、きっと私に気を使ってそのように他のことを勧めているということは、無知の私でも分かる。

 まぁ……正直食べる気力もないのだが、ここは一応軽食でも頼んでおこうか。お酒1杯で済ませるのも気が悪いし……。


「では軽食を頼みます。裕一さんが食べたいものをどうぞ」

「本当に全てお任せなのですね。それでは……軽食というよりもデザートにしましょうか。ジェラートとかどうですか?」

「じゃあそれで」  


 別に何でも良いのだけど、ジェラートならこのふらついている頭を冷やしてくれるかもしれないと思うと、良いチョイスな気がする。ただ、まるで私のことを見透かしているようで少し怖さすら感じてしまった。


「もうジェラートが届いたようです。折角ですから一緒に食べましょう」

「はい」

 

 今回も言われるがままにジェラートを口に入れるが、このジェラートは予想通りにお酒で少し熱くなっている身体や頭を冷やしてくれる気がした。甘くて冷たくて美味しく感じる。

 だけどそのまま食べ進めると、少し身体が冷え過ぎたような感じがして、少し身体を温めようと、これ以上飲むつもりもなかった残っているお酒を更に飲んでしまった。ジェラートよりも甘いお酒が、私の舌をより甘美なものにする。


「今回は不本意ながら来てしまったようですが、折角ここに来たのですからお話をしましょう。是非、律子姫のお話をお聞かせ願いますか?」

「あの……律子姫と呼ぶの止めていただけませんか。気持ちが落ち着かないので、佐藤と呼んでください」

「佐藤姫ですか? ちょっと気分が乗りませんね……ならいっそのこと姫とお呼びしましょうか?」

「いや、その姫という呼び方が嫌なのです。佐藤と呼び捨てで構いませんから」

「それはそれでこちらの流儀に反します。では律子様と呼ばせてください」 

「はぁ……もうそれで良いです。それで貴方の苗字は何と言うのですか? 私は親しくもない人を下の名前で呼ぶのはこちらも流儀に反しますので」

「いや、それはこちらもいただけませんね。是非とも裕一とお呼びいただきたく思います」

「はぁ……もう分かりました。裕一さんと呼ぶことにします」


 私はただ苗字で呼んでもらおうと思っただけなのに、どうしてこうなってしまったのか。完全に持て遊ばれているようにしか思えないのだが……これ以上彼に楯突いても勝てる気がしないので、素直にこちらから折れるしかなかった。

 それにしても、今から会話がスタートするようだ。ただ何を話したら良いのか分からないので、何から切り出したら良いものか……。


「えっと……話してはいけないこととかありますか?」

「いいえ、別に特に何もありませんよ。寧ろどんな話でもウェルカムです。話しにくいことでも話は聞きますよ。勿論、話の内容も漏らしはしません」

「貴方にとってどうでもいい話でも?」

「どうでもいい話なんてありません。プリンセスから聞く話には全て意義がありますから、遠慮なく話してもらって大丈夫です」 

「そうですか……」

「そう言えば、律子様は思い詰めた様子でここにやって来ましたが、何か辛いことでも遭ったのではないですか? もし聞いて欲しいなら話を聞きますよ」


 最初は自己紹介ぐらいの軽い話から入るのかと思ったら、いきなりドンピシャなところを攻められてしまった。本当に何もかもお見通しのようで、別に私が話さなくても、どのような状況なのかは察しが付いているのではないかと思う。

 彼氏のことなんか誰一人まともに話したことがない私なので、いつもなら聞き流して違う話に無理矢理でも変更していることだろう。しかし、今日は慣れないお酒を飲んだせいか、気分は高揚していたようで、彼に今日のことを打ち明けようと、口を開いた。

 すると、彼は一切嫌な顔をすることもなく、相槌を打ちながら真剣に話を聞いてくれたのだ。勿論それが彼の仕事ではあると思うので、当たり前のことなのかもしれない。だけど、それが何とも心地良くて、彼に裕二との出逢いから今までしたこと、そして今日木っ端微塵に振られてしまったことと、今までのことを掻い摘んで話した。

 

「本当に仲が良かったのですね。何故別れを切り出されてしまったのか実に不思議です。こんなに誠実で素敵なプリンセスを逃すなんて勿体ない……」

「もう姫扱いするのはやめてってば」

「ここでは皆様プリンセスですのでついね。ですが、言っていることは本心ですよ」

「はぁ〜調子の良いこと言っちゃってさ」

「しかしそれにしても、彼のことをべた褒めしてますよね。何か不満とか無かったのですか? 何だか何も仰っていないのが不思議で……」

「私はね、裕二のことを本当に信頼はしていたの。だから彼を悪いと思ったことはないわ」

「凄い深い愛ですね。この愛を無下にするだなんて尚更勿体ない気がします」


 彼との話をしていて楽しいのは楽しい。お酒が回っていることが1番ではあるだろうが、普段気を許した相手にしかタメ口で話さないのに、いつの間にかそうなっているのだから、相当だ。

 ただ、所々裕二に対して棘があるのがどうしても気になってしまう。自分に気を使って言っているのは分かってはいるけれど、やはり相手を悪く言われるのは良い気がしない。


「別に愛なんてないわよ。信頼はしていたけど」

「え? 愛は無かったの!? あれだけ熱く語っていたのに?」


 どうしてそこまで驚くのか、私には全く分からない。急に敬語ではなくなっているし、彼にとっては心外なことだったのかもしれないが、私はそんなことを一言も発していないのだから、そんな勘違いしないで欲しいものだ。


「もしかして……愛されていないと分かったから別れを切り出されたのでは……」

「別に私は愛するとも愛して欲しいとも言っていないわ」

「そういう問題じゃない思いますよ。やはり結婚する以上は多かれ少なかれ愛されたいと思うものだと思いますけどね」

「そうかしら? だって愛なんて時間が過ぎれば無くなるものよ。ならば最初からあっても仕方が無いと思わない?」

「私はそうは思いませんがね……まあ考え方の違いなのでしょうが」

 

 私は愛なんて無くなるものだと思っている。実際に私の両親はそうだった。

 昔の両親は幼い私が見てもこれでもかと思うほど愛し合っていたと思う。そんな仲良しカップルだとしても、次第に愛が冷めていき、今度は喧嘩ばかりするようになった。その理由がお互いに自分への愛が足りないという悲しいものだ。そして案の定、私が高校生の時に両親の関係は完全に拗れて離婚をし、それから2人は赤の他人であるからと会ってもいないのである。

 またそれは両親だけでなく、他の親戚も離婚していたり、離婚をしていないだけの似たような状態なのだから、それが世の常なのだろう。

 小説や漫画みたいに、永遠にラブラブなんてありえない。ならば、愛よりも信頼で結婚した方が上手くいくはずだ。だって、信頼は突発的なものではなく、時間をかけて作られて行くものだから道理だろう。その反対に愛は盲目的なものが多く、本来の姿を見失なってしまうのだから、それなら最初から持たない方が効率的だ。


「裕一さんは結婚するなら愛は存在して欲しいと思うの?」

「それは勿論欲しいですよ。愛がない結婚なんて、私は考えられません」

「そう……もしかしたら裕二もそうだったのかしら?」


 正直彼の言うことにピンとは来ていない。別に裕二から愛してるなんて言われたこともないから、愛なんて求めていないものばかりだと思っていた。

 しかし、よくよく考えたら裕二が私のことをどう思っているのか、分からないままだった気がするのだ。もしかしたら言えなかっただけで、もっと前から私を疎ましく思っていたのかもしれない。すでに愛想を尽かしていたのかもしれない。

 そもそも私達の間に信頼関係なんてあったのだろうかとさえ考えてしまう。もし、ここ最近彼が私のことを負の感情で接していたとしたら、信頼関係はもうすでに破綻していたことになる。それならば、この結果は当然なことだった。

 そう考えると腑に落ちるし、納得もする。だけど……どうしてこのモヤモヤした感情が消えないのだろうか。もう今解決したはずだというのに……。

 

「私は裕二と上手く行っていると思っていたんだけどな……。このチョコも無駄になっちゃったわ」

「そのチョコは……」 

「えぇ、今日裕二に渡そうとしたバレンタインチョコよ。指輪が用意出来ないからその代わりのつもりで用意したものだったのだけどね。まあ、受け取ってもらえなかったけど」

「彼は勿体ないことを致しましたね。折角素敵なチョコを作ってくださったのに」

「そう言ってくれてありがとう。中身も見ていないのに、よくそんなことを言えるわね」

「何を仰りますか。わざわざ用意したチョコというのが素敵なことなのですよ」

「上手いこと言うわね」 


 回答しては100点満点なのが流石だ。あんな話をした後なのに、スタンスを一切変えずにサラッと言えるのだから感心さえしてしまう。しかし、馬鹿らしいと思いながらも、嫌な気にさせないのだから、何だか不思議な感覚だ。


「はぁ〜折角作ったのにな……。ねぇ、受け取って貰えなかったチョコを私が食べるのはアリかしら?」

「それは勿論アリでしょう。律子様がお作りになられたのですから」

「まぁそうよね……ならもう私が食べるわ。食べないと勿体ないから」


 理由としては勿体ないからと言ったけど、絶対にそんな理由ではないと分かる。だけど、どうしてここまでしてこのチョコを食べようと思うのかは分からない。でも、無性に食べたくて仕方が無かった。

 

 綺麗に包んだ紙を思い切り切り裂いて、紙をそのまま丸めてしまう。どうしてこんなにイライラしているのか。ここまでして食べたい理由は何なのだろうか。本当に不思議でたまらない。

 中の箱もすぐに取り出して勢いよく開けると、そこには可愛らしくハートのチョコが入っている。別に定番がハートだからハートにしただけなのだが、今はそれが目に焼き付いて、胸の鼓動が高まっていくのだ。これが今まで感じたこともない気持ちで、これが一体何なのかが分からなかった。

 そして直ぐ様に姿を現したチョコを少しだけ齧ると、想像もしない味で思わず口を押さえてしまった。


「苦い……」


 まさかのチョコが苦かったのだ。ちゃんとレシピ通りに作って、味見もしたはずなのに甘さを全く感じなかった。


「どうして……味は全く同じなのに……」


 しかし、1番不可解なのは味は間違いなく味見した時と同じ味であるということ。あの時は間違いなく甘かったのに、どうして今はここまで苦く感じるのか。


「やはりまだ裕二さんへの想いが断ち切れていないからではないですか? 味はストレスでも変わると言いますしね」

「裕二への気持ちは先程断ち切ったわよ」

「本当にそうですかね。私には彼へ未練が残っているようにしか見えませんが」

「未練なんてないわよ。愛なんてないのだから……愛がない?」

「ほら、もう嫌でも気づくでしょう。疑問に思っているということは、その懸念があるからそう思うのですよ」

「嘘………………私は裕二を愛していたとでもいうの……」


 まさか愛するという感情が私に持っているとは思わなかった。自分の心のことなのに、そんなことにも気づかなかったなんて信じられない。

 だけど、それが事実だった。私は何も分かっていなかった。裕二のことも、自分のことも何も分かっていなかったのだ。

 そんなことを知ってとても怖かった。愛しているという感情を持っていたことが何よりも怖かった。

 きっと、私は愛を信じたくなくて、ずっと目を背けていたのだろう。両親のようになるのが怖かった故に、勝手に愛を封印していたのだ。


 裕二への愛が分かり、私はボロボロと涙を流してしまう。今まで気づけなかった悲しみ、そしてもう2度と戻ることが出来ない悔しさが共に混じって、口に入って来る涙がしょっぱい。

 この辛さをどうにかしたくて、私は思わず彼にお願いしてしまった。

 

「この店の中で1番甘いお酒が欲しいわ……このしょっぱさと苦さを打ち消すだけのお酒が欲しいの」


 彼は直ぐ様に首を縦に振り、すぐにお酒を用意してくれた。来た瞬間に、お酒を口に含むと一気に甘さが舌を支配する。これならこのしょっぱさをすぐに打ち消してくれる気がした。

 それと同時に、ほぼ残っているチョコもこのお酒と共に一緒に食べることにした。この苦いチョコを食べて、裕二との終わった関係を完全に無くそうと決めたのだ。

 案の定、苦味はお酒の甘さで緩和されて、時間は掛かったものの、チョコを無事に最後まで完食をすることが出来た。と言っても残念ながらまだ苦味が口の中に残っているため、少しだけ不快感は残ってしまう。

 だけど、それ以上に気持ちが整理出来たことで、心が一気に軽くなり、裕二との過去に決着をつけられたような気がした。

 

 

「それでは、そろそろ帰ります。今回は話に乗ってくれてありがとうございました」 

「こちらこそ、お越しくださりありがとうございました。律子様とお別れするとなると寂しいものですね」

「上手いこと言っちゃって……でも楽しかったです」

「そういってくださると嬉しいですね」

 

 彼がお世辞で言ってくれていることは分かっている。だけど寂しいと思うのは私も同じだった。

 一応呼び方はやめさせたものの、扱いは本物のプリンセスのように丁重に扱ってくれたのだ。それがもう少しでプリンセスとしての魔法は解けてしまう。0時の鐘が鳴る時間が来るのだ。


「それでは今回の金額ですが……35700円です」

「35700円!?」


 私が頼んだのは、数本のお酒とジェラートだけのはずなのにここまで高いとは……あな恐ろしや。先程まではプリンセス気分として浮かれていたが、一気に現実に戻されてしまう。

 今は小銭どころか千円札や五千円札すらないので、四万円を出してお釣りを貰った。もしクレジットカードで払うとなると、かなりの手数料が掛かるだろうから、考えるだけでも恐ろしい。


「律子様、それではまたのお越しをお待ちしております。もしよろしければ、私をご指名いただけると嬉しいです」


 勿論これも定型文でしかないのだが、お酒の勢いもあって、社交辞令なんてせずにハッキリと述べてしまった。


「私はそこまで給料が高くないので、もう来ることはないと思います。それに裕二に似ている貴方に頼むことは2度とないです。もう彼のことは断ち切ると決めたので」

「本当にハッキリ言いますね。少し悲しくなりましたよ」 

「ごめんなさい。私は嘘を付けないタイプなので」

「では、律子様の幸せを願って別れると致しましょう」

「ありがとうございます。さようなら、裕一さん」


 最後に敢えて彼の名前を呼ぶことで彼だけでなく、彼に似ている裕二への別れを告げた気になった。彼を裕二の代わりにするのは烏滸がましいだろうが、裕二に自ら別れを告げられなかった分、スッキリしたのだ。そう考えると、3、4万ぐらい安いような気さえしてくる。まぁ、2度とホストクラブに入りたいとは思わないが。


 

 彼が扉を開けて、私がそのまま外を出ると、もう完全に外は真っ暗で、街灯の光が光っているだけだった。そして、お店の扉が閉じられると、店の中の煌びやかな明るさが一気に無くなり、更に暗さを帯びてしまう。

 しかし、その分上を見上げると星空はとても鮮明にキラキラと輝いていた。これからの私の人生にまだ光はあるように感じて、更に気力が戻ってきたような気がするのだ。

 時間を確認すると幸いまだ終電は残っている。今の自分ならタクシーなんか使わなくても真っ直ぐに歩いて帰ることが出来ると確信し、背筋を伸ばして終電に向かって歩き始めた。


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本羽香那さま 楠結衣様からいただきました。
― 新着の感想 ―
企画から参りました。 結婚を考えていた相手に別れを切り出されるとは、ショックなバレンタインデーですね。 そんな中で、急にホストクラブにたどり着いて、主人公が戸惑う様子がよく分かります。 でも、彼に似た…
私もホストクラブとは縁のない人生ですが、なんだか経験させていただいたような気分になりました。そして、こんなにお姫様扱いしてくれるなら1度くらい行ってみたい、などと思い……金額を見て目が覚めました。あぶ…
冒頭から大変惹き込まれました。 裕一と話すことで、段々と裸になっていく律子の心。 チョコの苦味を知ったことで、次へ迎えると信じています。 『愛しているという感情を持っていたことが何よりも怖かった。』…
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