対価
ギルベルタと手を繋ぎ、家から出てきた魔女。
彼女は外に出されていたエーベルハルトとギュンターを、軽く一瞥する。
不思議なことに、その視線だけで充分に『質問は許されないのだ』と察することができた。
ふたりはただ、魔女の後を追った。
足音はなく、共にいる10歳の娘も急いでいるようには見えない。
だが何故かエーベルハルトとギュンターは、ふたりに追いつけない。
レオンハルトの部屋の近くまで来ると、魔女は突如彼等の方を振り返り、「子供達の母親を」と静かに告げた。
帰り支度をしてギュンターとギルベルタを待つしかなかったカサンドラは、所在なく娘と入口で待機していた。
泣き止まないシャルロッテをただ宥めながら。
その傍には、マイヒェルベック家の侍女侍従と護衛。
「カサンドラ……!」
「旦那様…………!」
ギュンターが駆けて来てなにか耳打ちする。
その言葉は端的で、カサンドラにも事柄は不明なもの。だが状況から『娘になにかあった』と察するには充分だった。
「──シャルロッテをお願い」
自身にしがみついて泣いているシャルロッテの肩を両手で包み、お付きの侍女であるエルマへと向ける。
「嫌ッ! 置いてかないで!!」
しかしシャルロッテは強引にカサンドラの腰にしがみつき、泣き叫ぶ。
「……シャルロッテ、我儘を言うな」
ギュンターは苛立ちの篭った声で、だが静かに、もうひとりの娘を叱りつけた。
父の怒りが伝わったようで、シャルロッテは小さな身体をビクリと大きく震わせる。
泣き声は小さくなったものの、顔を埋めるようにして余計に母にしがみついただけだった。
ギュンターはチッと小さく舌打ちした。
カサンドラも必死で宥めているが、泣き止む様子も離れる様子もない。これ以上目立ちたくないし、時間も掛けられないというのに。
子供でなければ引っぱたいてでも引き剥がしている。
彼には子供への接し方がわからないという自覚がある。その分、誰の子であれ子供には暴力や罵倒はしないと決めていた。
いつもならカサンドラに任せておけば済むが、その彼女が今必要なのだ。
「旦那様、僕も連れて行ってください。 お嬢様と目的地の手前で待ちます」
焦燥に駆られながら待つしかできないギュンターに、すかさずそう進言したのは兎の子、フロリアン。
「それならいいでしょう? シャルロッテお嬢様」
「……うん」
まだ右手で母のスカートを握ったまま、それでもフロリアンが手を差し出すとおずおずと左手を差し出す。
そこにいる誰もが一瞬ホッとした表情を見せたが、ギュンターだけは既に歩き出していた。
無言の了承には良いも悪いもなく『些事に構っていられない』が本音だ。
接し方だけでなく自身の子供への特別な愛情というモノが、ギュンターには未だによくわからない。
ただし愛情がないわけではなく、義務と責任への理解も持ち合わせていた。
今優先すべきは、ギルベルタのこと。
「ふたりはここまでだ。 カサンドラ」
「……ええ」
レオンハルトの部屋の前でようやく振り返り、妻を呼ぶ。
部屋の前には数人の護衛。
シャルロッテも流石にもう騒がなかったが、今度はフロリアンの手を握り締めて不安そうにしている。
ギュンターはそれに一瞥することもなく、レオンハルトの部屋の扉をノックした。
倒れた直後、明らかに熱に浮かされた真っ赤な顔をし、苦しそうに呼吸をしていたレオンハルト。
だがベッドに寝かされている彼の顔を見ると、その時よりも随分良くなっているようだった。
ギュンターがカサンドラを呼んでくる間に、魔女が薬を飲ませたそうだ。
しかし、それを聞いて安堵したのも束の間。
「少し特別なのは事実だけど、問題に合わせてあるってだけ。 結局のところただの解熱剤よ。 今は苦しくないだけで、良くなるわけじゃない」
魔女はそうすげなく言う。
喉を詰まらせ小刻みに震える王妃の肩を、陛下がそっと寄せた。
レオンハルトの部屋には魔女とふたりの子供、そしてその両親が二組の、七人だけ。
レオンハルトの部屋は既に子供部屋ではないようで、続き間となっている奥が寝室で、その手前には大きな執務机と応接間がある。
魔女はベッドで眠るレオンハルトの頭をそっと撫でたあと、まるで自分が部屋の主であるかのように指示をして、皆を応接間に移動させた。
ひとり掛けのソファには、ギルベルタ。
長椅子に向かい合うかたちでそれぞれの両親を座らせるも、魔女自身はギルベルタのソファに手を掛けて立ったまま。
事情をなにも知らないカサンドラの為か、自分のことやこうなった経緯を簡潔に纏めて話す。
ギルベルタは顔を上げ、自分の後ろや横に移動しながら話す、魔女のことを見ていた。
横に来た時だけ僅かに見えるその顔は無表情であり、口調は淡々としているのにも関わらず、ギルベルタにはどこか楽しそうに見え、陛下夫妻と自身の両親もさりげなく見る。
それぞれ反応は別だが、誰も自分のようには感じていないようだった。
再び魔女に視線を戻すと目が合う。
僅かに小首を傾げた魔女の瞳が細まったような気がした。
──魔女の欲したギルベルタの対価。
それは『人間の容貌の最も美しい時間である、六年間』。
美しさの概念はそれぞれだが、ここで美しいと表現しているのは表面的な容貌の美醜や、単純な若さではない。
硬い蕾がゆっくりと開いていくように、少女が女性に変化していく過程。
それが容貌に如実に現れる期間。
今回魔女が求めたのは『ギルベルタの12歳~18歳の時間』だ。