Chapter.3-2 交渉
「彼女たち……万里小路さんと萩藏さんは、今回の妖薬案件チームから外します。それならどうでしょう。こちらの非礼も、重々お詫びします。そちらの言い分も全面的に信用すると約束するので、どうか、協力をお願いできませんか?」
葛葉の横に並んだ太刀川は、微笑したまま言った。決して嫌らしい類の笑顔ではない。
だが、冴月には、それが逆に笑顔という名の無表情にも思えた。
「あんたらは警察じゃねぇらしいけど、そもそもあんたたちみたいな捜査に関わる人間は、疑うのが仕事なんだろ。こっちの言い分を全面的に信用する、なんて言葉、それこそ信用できるもんか」
吐き捨てるように言って、冴月は冷ややかに太刀川を見据える。
「だいたい、何であんたは、そこまでして俺らを引き留めたがる? そっちはそれなりの公共機関なんだから、俺らの力なんかなくても捜査はできるだろ」
突き放すような冴月の言葉にも、太刀川は臆した様子は見せなかった。
「手は多いほうがいい。これが一番の理由です。それに、妖薬の件の発覚はひと月ほど前なのですが、案件が持ち込まれてから手掛かりらしい手掛かりが、実は得られていません。あなた方に出会ったことが、妖薬案件立ち上げ以来、初めての進展なのです。それに、あなた方は一般人ではなく、戦闘系の妖に対抗できる力もある。チームに加えない理由はありません」
「……水を差すようで恐縮ですけど」
そこで和華が、なぜかソロリと手を挙げる。
「あたしには、霊能力らしい霊能力なんてほぼありません。ただ、残留思念を拾って過去の映像を垣間見たり、人と妖の区別が付くくらいです。九割方見かけ倒しですけど、それでも?」
すると、太刀川はニコリとその笑みを深くした。人好きのする笑顔というのはこういう顔だろうという、見本のようなそれだ。
「水無瀬さんの能力は、その二つですか?」
「はい、二つだけです。人間としてもインドア派ですし、戦闘はまったく自信がありません」
いっそ開き直りにも近い、堂々とした戦力外申告だ。だが、太刀川の微笑は崩れない。
「その能力は、きっと大いに役立ちます。いつどのような場面で、とは言い兼ねますが」
「……あんた、人間だろ」
冴月は、冷え切った気分のまま、口を挟んだ。
「その通りですが」
「で、霊能力もある」
「そうですね。先ほど、万里小路さんがチラリと漏らしましたが、ヒーリング能力を持っています。私も、得意なのはどちらかと言えば頭脳系ですね。戦闘的にもオールラウンドで色々やれはしますが、それは昔取った杵柄ですし、対妖に関しては年の功に近いところがあります」
「御託はいいよ。あんたがある程度の霊力を持ってるなら、俺が混血なのは分かってるよな。あんたもどうせ、あの万里小路って女と、妖に対する考え方は一緒なんだろ」
「いいえ? 私がそうだと、一言でも言いましたか?」
反問されて、まるで言いたいことを口の中へ押し戻された気分になる。
答えられずにいると、太刀川は穏やかに言葉を紡いだ。
「あくまでも私個人の考えですがね。妖だの人間だの、種族の違いは些細なことです。肝心なのはコミュニケーション。基本、話せば分かると私は思っていますし、『妖』という一括りで『悪』と決め付ける考え方には賛同し兼ねます。人間同士でも、とことん話し合っても平行線ということは間々ありますからね。常々、万里小路さんと萩藏さんともその辺に関してはお話しているのですが、幼少期の経験から来る価値観というものは、中々覆すのが難しいですから、そこはどうしようもない時もある。考えを改められれば、もちろんそれが一番ではあるのですけれどね」
「あのっ、すみません」
和華が、また思い切ったという口調で割り込んだ。
「話の腰を折るようで恐縮ですけど、萩藏さんっていう方は、どなたの……」
「ああ、萩藏昴さんです。縁なしの眼鏡を掛けた男性がいたでしょう」
「あー……」
和華は、納得したような声を出した。冴月の脳裏にも、あの取り澄ました無表情の顔が浮かぶ。
他方、太刀川は冴月に視線を戻した。
「では、冴月君。ほかにご不明な点は?」
不明点――なんて問われると、ない、という答えしか浮かばない。かと言って、何も返さずに引き下がるのも、何だか癪に障る。
こんなことを考えるのなど、久々だ。それこそ、現役の十代に還った気分で太刀川を睨め付ける。
「……そうだな。さっきも言ったけど、俺は他人を信用できない。あんたも葛葉も、和華だって例外じゃない。チームプレイでそれは致命的じゃねぇかと愚考するんだが、それでも俺をチームに加えたいって?」
すると、それまで淀みなく答えていた太刀川が、初めて困ったように微笑した。
冴月は、フンと鼻を鳴らすときびすを返す。見た目は冴月のほうが年下だが、生きた実年数は冴月のほうが遥かに上なのだ。
(……碌々苦労もしてねぇボンボンが、俺を説得するなんて百年早ぇんだよ)
口には出さずに吐き捨てる。これを、太刀川が実際に聞けば、また反論が返って来ようが、それを聞く気もない。
とにかく、一度一人になって思考を整理する必要がある。
今日は、仙葉が訪ねて来た所為で、これも久し振りに多勢の人間と関わる羽目になったので、何となく疲れてしまった。
思わず溜息を吐いた次の瞬間、またも後ろからパーカーを掴まれ、今度こそ出入り口へ向かっていた冴月は、何度目かで足を止めざるを得なくなった。
「……って、またあんたかよ」
振り返ると、やはり視線の先には和華がいた。
***
呆れたような目でこちらを見る冴月を、和華は睨め上げる勢いで見つめた。
「……だめだよ、冴月君」
下腹部へ力を入れるようにしながら、ゆっくりと話し掛ける。
「何がだめだって?」
何度目かで溜息を吐いた冴月が、半身を開くようにこちらへ向き直ったので、自然和華の手は彼のパーカーから外れた。
和華も背筋を伸ばし、改めて冴月を見る。
「逃げないで。信じられるかそうじゃないか、なんて付き合ってみないと分からないでしょ?」
もっとも、和華もその辺り、人のことは言えない。ただ、付き合わずに観察する癖は付いていた。
そんな経験値では説得力皆無だったのか、冴月はまた溜息を漏らす。
「……そーゆーのに疲れてんだよ、そもそも。さっきも言ったけど、その辺は八百年の年季が入ってるから、今更どうこうできるモンじゃねぇ」
「でも、呪いはどうするの?」
「その内一人ででもどうにかできるさ」
「そんないー加減な……その内っていつよ? その間に、葛葉さんが言ったように、年取り始めたらどうするつもり?」
「解呪すれば解決するだろ。その方法、探しゃいいだけだ。だいたい、何であんた、俺に掛けられた呪いのことにまで首突っ込んで来るわけ?」
「放っとけないから」
即答だった。考える間もなく口から出たが、本心だ。
和華自身、人間不信の嫌いはある。だが、冴月の場合は、彼の言う通り八百年もので、和華のそれより危なっかしくて見ていられない。
しかし、彼には当然自覚がないのだろう。とことん素っ気なく、
「あんたには関係ないことだぞ」
と言い放つ。
「でも放っとけない」
「放っとけよ!」
尚も言い募れば、ついに冴月は苛立ちも露わに怒鳴った。
「何で俺に構うんだよ! 昔も今も!」
「昔のことなんか知らない!」
反射で叫び返すと、彼は息を呑んだように目を丸くする。かすかな隙に、和華は必死で食らい付いた。
「でも、今放っとけないのは、あんたが心配だからよ! 背中に黒百合の刻印があるの見ちゃって、その内これがあんたを蝕むのかもって思ったら、気になって夜も眠れないわ!」
「だから、仮にそうなろーが、あんたにゃ関係ねぇっつってんだろ!?」
「関係大アリよ! 本気で全然覚えてないけど、その呪い、掛けたのはあたしなんでしょ!?」
「そうらしいけど、だからって責任取る玉かよ!」
「取るわよ! きっちり責任取って呪いを解くのに協力するから、あたしにも協力して!」
「はあ!? 何でそうなるんだよ!」
「一方的に得するのが嫌なんでしょ!? だったらあたしに協力してよ!」
「あんたに協力して何の得があんだよ!」
「呪いを解くのに協力するって言ったじゃない! 代わりにこの件の解決に協力して!」
「それが何であんたに協力することになるんだよ!」
「この件を解決すれば、しばらくあのクソ親父を豚箱にぶち込めるからよ!」
これが、冴月には明後日の回答だったらしい。
「……はい?」
首を傾げた彼の言葉は、急速に勢いを失った。
「……えっと……ちょっと待て。念の為に確認するけど、クソ親父ってのは……」
「あたしの実父の、綾小路和俊よ。あたしにあの薬を押し付けて、『売れ』なんて言った以上、関わってるのは確実じゃない。上手くすれば、当分あいつの顔見なくて済むし、あたしの人生に立ち入る権利だって取り上げられるわ」
憤然と返すと、冴月は完全に沈黙した。その口から当面言葉が出そうにないのを見て取ると、和華はクルリと方向転換して、太刀川に向き直る。
「でも、その為にはやっぱりあたしも、あの二人とだけは行動を共にしたくありません」
冴月と同様、目が点になっている太刀川を見上げて、和華は言葉を継いだ。
「特に、万里小路さんのほう。顔合わせてあんまり時間経ってないのに判断するのかって言われたらそれまでですけど、あたしあの女、大っっっっっ嫌い!!」
かなり溜めて言った言葉は、『大嫌い』と評した本人の耳へ入ったらしい。
「ちょっと待ってよ、何言ってるの?」
通路に出た太刀川たちが戻らないので、食堂の出入り口付近で様子でも見ていたのだろう。
汰樺瑚が、思う様眉根を寄せて、話の場に加わる。
「どうして? あたし、あなたに何かした?」
「したでしょ! 嘘なんか吐いてないのに、異常者みたいに扱おうとしたわ」
「落ち着いてよ。何度も言うけど、あなたはこの半人鬼に、暗示か催眠術に掛けられてるに違いないの。でないと、この気持ち悪い生き物を庇う理由がないでしょ?」
「違うって言ってるのに! そっちこそ、何度も言わせないで!」
「……そもそも正気じゃない子に、何言っても無駄ね」
哀れむような目を向けた汰樺瑚は、和華の背後へ素早く回り込んで羽交い締めにした。
「ちょっ、何するの!」
「部長、早くヒーリングを」
和華はとっさに太刀川を見る。太刀川も、口では理解しているようなことを言っていたが、本音はやはり和華を異常と思っているのだろうか。
静謐な無表情からは、彼の感情は何一つ読み取れない。
「部長。さぁ早く」
「万里小路さん。彼女が異常であれば、私も異常ということになりますが?」
「は?」
「とにかく、彼女を放してください。彼女は正気ですから」
「部長!」
「三度目は言いません。彼女を放しなさい」
太刀川の声音から、柔らかさが消える。それでも、汰樺瑚は和華を放そうとしない。
「万里小路さん」
「どうしてです? まさか、部長もこの半人鬼か狐の暗示に?」
「いいえと言っても信じてもらえるかは分かりませんが」
「対妖に関して、判断の遅れもミスも許されないのは、部長だってご存じでしょ!?」
「もちろんです。しかし、私も常日頃申し上げていますよね。種族の違いなど、些細なことです。大事なのはコミュニケーションだと」
先刻、冴月に言ったことを繰り返すと、汰樺瑚が初めて息を呑んだように押し黙る。
「人はとかく、自分の理解できないものを認められません。あなたも私も、特殊な能力を持っていると言うそのことで、過去には苦労した経験を持ちます。なぜ、同じ境遇にある者のことを思いやれないのです?」
「それは……でも、妖は人間じゃないんです。化け物で、悪です。魔物です! 人間の言葉が通じない以上、言葉ではコミュニケーションは取れませんよね。だったら理解する手段はありませんし、そもそも人類の敵である以上、その必要もないんです」
「残念ですが、同じ言語を話す者同士でも、平行線になってしまうことがあるのは事実です。けれど、話してみなければ分かりません。あなたにも萩藏さんにも常日頃申し上げて来たはずなのですがねぇ……」
太刀川は、和華の後ろにいる汰樺瑚を、静かな瞳で見つめた。
「冴月君にはああ言いましたが、実は今の今まで迷っていました。安易に違う価値観を持つ者をチームから排除する決定を下していいものか……」
「部長!?」
「でも、今話して決めました。あなたと萩藏さんには、現時点を以て、妖薬の案件から外れてもらいます」
「どうしてです!? あたしが何をしたって言うんですか!?」
「あなたは、水無瀬さんが本当のことを言っていることを決して認めませんでした。冴月君のことは、妖の血が入っているというその一事だけで害虫扱い。お二人に寄り添えないばかりか、これまでにも対妖セクションの仲間である妖や、その血を持つメンバーに、ことあるごとに突っかかっていたのを、私が知らないとでも?」
「部長!!」
「一部を除いては、対妖セクションの面々は大人です。揉め事があってもいずれ時と、交流で解決できると思って待っていたのですが、私が浅はかでした。申し訳ない」
「そんな……」
スルリと汰樺瑚の手から力が抜ける。その気を逃さず、和華は腕からすり抜け、彼女を突き飛ばした。
直後には彼女から距離を取っている。しかし、突き飛ばされて、二、三歩後ろへ蹈鞴を踏んだ汰樺瑚は、すでに和華を見ていない。
「どうして……どうしてです!? あたしにはここ以外に生きられる場所がないのに!!」
一歩前へ踏み出した汰樺瑚に、太刀川は背を向ける。
「部長!!」
「萩藏さん」
同様に、食堂の出入り口から出て来ていた昴に、太刀川が声を掛ける。
「聞いていたでしょうが、一応あなたにも伺いましょう。あなたは、どう思いますか? 混血の者がいる以上、妖と人間でも分かり合えるとは思いませんか?」
昴の顔は、やはり無表情に見える。
やがて、口を開いた彼は、「ごく稀な例外でしかありません」と答えた。
「そうですか。では、やはりあなたは冴月君のことも、排除すべき害虫と?」
昴は、太刀川の問いにまたも即答はしなかった。だが、伏せた目の下で、視線をウロウロと泳がせた末に、「否定はしません」と答える。
「……部長ならどうです? たとえば台所に、例の黒い害虫を見かけたら。殺虫剤と蠅叩きという武器があったら即座に殺しに掛かりませんか?」
「なるほど」
太刀川は苦笑を浮かべつつ、「つまり、あなた方にとって、妖は押し並べてそういう存在だと」と言いつつ頷いた。
「そういう理解でよろしいでしょうか?」
「……はい」
「分かりました。あなたの率直さは評価します。ですが、多様性のこの世の中、それを認められない方には、今回の案件、外れていただかざるを得ないのです。ご理解ください」
「……はい」
「延いては、そろそろファントムから退社していただくことも視野に入れて、今後のことは、妖薬案件が片付いてから話し合いましょう。ひとまず、寮の自室で待機していてもらえますか」
昴は、無表情に見える顔で太刀川を見ていたが、やがて静かに頭を下げた。それに会釈で答えた太刀川は、「それと」と挟んで続ける。
「厚かましいお願いですが、万里小路さんをお願いします。あなた方の、妖はすべて悪と見なす価値観には、私は賛同できませんが、そういう価値観が育つ環境にいたことには大いに同情します。今後については、くどいようですが、話し合いで決めていきましょう」
「……はい」
小さく是の意を示した昴は、泣き叫ぶ汰樺瑚を抱えるようにしてその場をあとにした。
昴に抱えられて立ち去る汰樺瑚は、凄まじい目つきで和華を、次いで冴月と葛葉を睨み据えていた。
©️神蔵 眞吹2023.