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Chapter.1-1 薬《ドラッグ》の来訪

 朝っぱら(と言っても午前十時を回っていたが)から近所の迷惑も考えず、バンバンと扉を叩き続ける音に、冴月ひづき微睡まどろみを妨げられた。

 形のよい眉根にしわが寄り、長いまつげが瞼に従ってパタパタと上下する。やがて、幾度かまばたきした瞼の下から、綺麗な琥珀を埋め込んだような瞳が姿を現した。

 朝食も身支度も終えて、今日も特に用事はない所為か、室内の壁へもたれている内にうたた寝していたようだ。桜の花弁と見紛みまがう唇が、むずかるように噛み締められたあと欠伸あくびを漏らす。

 自身を無理に起こそうとするように目をこすった直後、またしても扉を叩く音が冴月を急かした。

 普段から、眠りが心地好いとは言えない性質タチだ。だからと言って、睡眠妨害を感謝していいのか否かは、判断し兼ねる。

 だが、ひとまずその音をやめさせる為、ドアスコープも確認せずにほとんど反射でドアを開けた自分を、直後には脳裏で真剣に罵倒する羽目になった。寝起き一番でこの見知った間抜けヅラを視界に捉えなくてはならないなんて、一日の始まりとしては最悪だ。

 前言撤回。睡眠妨害――いや、俺の一人の時間を邪魔しやがってこの野郎。

 しかし、冴月の脳内で向けられた静かな怒りに、相手はまったく気付かないらしい。

「よっ、久し振り」

 その間抜け面――もとい、仙葉せんば宣哉のぶやという名を持つその男は、満面の笑みを脳天気に浮かべて右手を挙げた。

 彼を見上げた部屋の主である、美貌の(少女にしか見えないがれっきとした)少年は、開けたドアを無言で閉めようとする。が、「うわぁああ、待て待てッッ!!」という叫びと共に、ドアにしがみつくようにしてほとんど半身をねじ込んだ仙葉に阻止された。

「……何の用だよ、鬱陶うっとーしい」

 その匂やかな桜の花弁を思わせる唇から、ギャップのありすぎる口調で言葉が紡がれる。

 見た目十代半ばの超絶美少女にしか見えない冴月の表情は、不機嫌そのものだ。

「そもそもどーやって俺の居場所特定した? あんたにゃ年賀状だって差し上げてねぇんだけどな」

 マトモな手段で特定は難しい。

 何せ冴月は、今時珍しく携帯端末を所持していない。おまけに住んでいるのは、東京都下にありながら俗に廃墟街と呼ばれる区域にある、空き家となって久しい小さなアパートの一室だ。住んでいる、と言っても無断入居なのだけれど。

 一部の廃墟マニアには人気らしいこの区域は、閑静な住宅街がそのまま、とある理由から無人化したに等しく、治安はいいとは言えない。

 ただ、冴月のような事情(・・)を抱える者は重宝している場所だ。

「ま、その辺はじゃの道はへびってことで一つ」

 仙葉が人差し指を立ててウィンクするのを、冴月は胡乱うろんげにめ上げた。

 このアパート、現状空き家と同義なので、内側からは鍵が掛かるが、外側から鍵を掛ける手段はない(もっとも、超常的手段でも用いれば可能だろうけれど)。ゆえに、出入りする時や、外出先から戻る時は細心の注意を払い、尾行や怪しげな視線を感じないかを常に警戒している――つもり、だったのだが。

(……ナマったモンだな、俺も……)

 うなじが隠れる程度の長さのある、カラスの濡れ羽色の髪を、無意識に掻き上げた。

 相手は裏社会の住人とは言え、たかが人間(・・・・・)の尾行に気付かないなど、不注意にも程がある。いつどこで油断したものか。

 そっと吐息を漏らして、「それで?」と訊ねた。

 できれば二度と会いたくない人間の一人だったが、来てしまったものは仕方がない。とっとと用件を聞いて速やかにお帰り願い、そのあとは引っ越すのが吉だ。

「ちょっと手伝って欲しいなぁ、って」

「はあ?」

「まあ、入れてくれよ。人に見られたら面倒なんだ」

 冴月は、またしてもその美貌を不機嫌そうに歪めた。

 この男には、冴月に対して強制性交未遂の前科がある。しかも、冴月を女と勘違いした挙げ句のことだ。

 もちろん、押し倒される前に股間と鳩尾みぞおちへ蹴りをくれた上に、徹底的に伸してやり、傷が癒えるまでの三ヶ月ほどを行動不能に追い込んでやった。

 裏社会の住人では『暴行罪だ!』などと言って警察に垂れ込むこともできず、おとなしく養生するしかなかったのはいい気味である。

 だが、冴月が組織から足抜けしたあとも、何かと接触してくるのには辟易していた。同じ組織に属していた為、未だに冴月を弟分と勘違いしている嫌いがあるのだ。

「頼む! お前だって、オレの命までは望んでねぇんだろ?」

 沈黙が長かったのか、仙葉が両手を合わせて神仏に祈るような仕草で頭を下げる。冴月は、呆れたように半眼にした琥珀の目を、仙葉に向けた。

「コトと次第によっちゃ、今すぐあの世に送ってやらなくもないけど」

「もーしないって、初めて会った時みてぇな不埒なことは! オレだってまだ死にたくねぇし。タイマンじゃ、こっちが銃持ってたって、丸腰のお前にも勝てないことくらい、一度()り合って学ばないほどバカじゃねぇよ」

 情けなく眉尻を下げた仙葉を、しばし見やった冴月は、無言で顎を室内へ向けてしゃくった。

 突っかけていた靴を脱いで、玄関に引っ込む。

 万が一、襲われ掛けたとしても、いざとなれば死体を残さず殺す方法くらい、いくつかは知っている。現代日本の警察組織は、一般人に対する暴力などは許していないが、逆に裏社会の人間同士の殺し合いには、無頓着な印象がある(一般人が巻き込まれる危険がない限りは、という但し書きが必要だが)。

(……どうとでもなる)

 仙葉のほうは、いよいよの時は最終手段に出る覚悟をこちらが決めていることなど、やはり察しもできないのだろう。パッと顔を輝かせて冴月のあとへ続いた。

 だが、三和土たたきまで入っただけで、住居エリアまで上がろうとはしない。『学習した』という言葉は、嘘やその場凌ぎではないようだ。

 仙葉は玄関へしゃがみ込むと、手にしていた大きめのボストンバッグから、デパートの紙袋を取り出した。

 面の大きさとしては、A4サイズより少し大きいくらいだ。が、中には箱のようなものが入っているらしく、明らかに紙袋の容量を超えて膨らんでいる。

「この中のシャブ、売り捌いて欲しいんだ」

「はい?」

 あっさり『麻薬シャブ』なんて単語が飛び出して、一瞬唖然とする。しかし、そんな冴月を置き去りに、仙葉は言葉を継いだ。

「末端価格でどんくらいするのかはまだ分からない。ただ、新薬なんだ。実験途中らしいけど結構な値が付くはずだぜ」

「断る」

 言下に切り捨てるが、仙葉は動じない。

「そんなこと言わずにさ。分け前は四割……いや、半分やるって、ちゃんと」

「くどい。あんたに世話にならなくても、俺にだって当てはある」

冴月の言う『当て』は、無論違法な手段だ。が、わざわざそれを相手に言う義理も義務もない。

 仙葉もその辺を追及する気はなかったらしい。

「まあ、気が変わったら売ってくれや」

 と、あっさり言って立ち上がった。

「売れたら一緒に入ってる連絡先に知らせてくれ」

「ちょっ……!」

 詳しいことは何も言わずに、仙葉はきびすを返し、ドアの外へ消えた。

 閉じるドアを黙って見送った冴月は、溜息を吐く。

 まったく、いつも面倒ごとしかもたらさない男だ。

 残された紙袋の中を覗くと、そこにはやはり箱が入っていた。大きさ的には、置き薬のセットが入っている箱くらいだ。

(……どーすっかなぁ)

 ここに放置してもいいが、何しろこの廃墟街は、別名『犯罪廃墟』だ。

 住人は、後ろ暗いことをしている者が大半だから、誰に拾われても碌なことにはなるまい。よしんば、かつて一般人だった浮浪者が拾ったとしても同じことだ。

 冴月の認識としては、『通常タダの麻薬』でもイコール『廃人薬』である。一般人の命に関わる『面倒ごと』を、放置してはおけない。

 再度溜息を吐きながら、中身を確認すべく箱に手を触れる。瞬間、その琥珀色の目が見開かれた。

(……何だ、この感じ)

 総毛立つ――ただの薬ではない。真っ先に脳裏を走ったのは、その感想だ。

(何でアイツがこんなモノ(・・・・・)

 慎重に紙袋から箱を取り出す。そっと床へ下ろすと、かすかにカチャリと何かがこすれる音がした。

 瓶同士が擦れるような音だ。

 留め金を外して蓋を開けてみると、違和感が増した。中にあったのは、可愛らしいデザインの小瓶だ。赤・青・黄、その他様々――色とりどりのガラス瓶は、一見美しくもある。

 冴月は眉根を寄せたまま、その内の青い一本を取り出して凝視した。

 中身は液体のようで、箱の中には注射針らしきものは見当たらない。だとすれば、直接飲むタイプの薬だろうか。

 手に取っただけで鳥肌が立つ。委細構わず、床へ叩き付けたくなるが、それは危険を増す行為だと分かっている。

 液体から放たれているのは、明らかに妖気(・・)だった。


***


 その日の午前中、水無瀬みなせ和華のどかは溜息をきながら、神社の鳥居をくぐった。その手には、買い物袋が握られている。買い出しの帰りだ。

 全寮制の高校に進学している和華は、実家である水無瀬神社兼自宅には、長期の休みごとに帰宅していた。この夏休み中も、変わらない習慣だ。休みごとの短期間ではあるが、一人暮らしも大分だいぶ板に付いてきた。

 戻っても、神社や家の管理、風入れ以外に、特にやるべきことはない。しかし、戻ればやはり人のいない建物は手入れが必要で、一番長い夏休みでさえあっという間に過ぎていく。

 祖母が亡くなってから程なく、神社に勤めてくれていた人たちには暇を出していた。

 一つには、給与が払えなくなったことがある。祖母亡きあと、実父じっぷにすべての財産を取り上げられた上、アルバイトを封じられていたので――アルバイトをしたくても、父の手がすでに回っているらしく、和華の名を聞くだけで皆、すまなそうに眉尻を下げて採用を断るのだ――、神社としての稼ぎだけでは、和華一人が食べていくのでさえも危うかった。

 もう一つは、他人を信用できなくなっていたことが理由だ。

 信じていた弁護士が、コロッと父の権力におもねり寝返ってしまったことがきっかけだ。

 金と権力で、人は変わる。どんなに親しくても、信じていても、目の前にお金が積まれたら、もしくはある種の権力で脅されたら、それで目に見えない情など、ジ・エンドだ。

 重度のお人好しと自他ともに認める和華でさえ、それを学ぶには充分すぎる出来事だった。

(あと一週間で夏休みも終わりかぁ……もうそろそろ、寮に帰る支度しないとなー……)

 そして、あと半年と少しで、和華の高校生活も終わる。

 誕生日がくれば成人年齢になるから、そうしたらあの父とは離れられるだろう。しかし、一度奪われた財産を取り戻すのは、恐らく容易ではない。

 祖父母の残した神社を完全に離れてしまうのも不安だが、この地元では和華を雇ってくれる職場もなさそうだ。

 はあ、ともう一つ溜息を吐いたところで、和華はふと顔を上げた。視線の先に、背の高い、スーツ姿の男性が立っているのが分かる。

 男性も、こちらへ気付いたのだろう。振り返った彼と視線が交わった。

「ッ……」

 息を詰めるのと、相手が「和華」と呼ぶのとはほぼ同時だった。

 たちまち、和華の比較的整った顔に影が差す。

「よかった。会えないかと思ったよ」

 せかせかとした足取りで歩み寄った男性――父・綾小路あやのこうじ和俊かずとしは、柔和に相好そうごうを崩した。何も知らない人間が見たら、いかにも離れて暮らす娘を心配する、どこにでもいる父親にしか見えないだろう。

 けれど、和華は能面のように表情を消した。父を避けるように迂回し、さっさと母屋おもやへ向かって歩く。

「和華」

 しかし、父のほうがリーチが長い。苦もなく腕を取られ、足を止めざるを得なかった。

「手を離して。あんたと話すことなんてないわ」

「そう言わずに。大学に行きたいんだろ?」

「うるさい! もうあんたの言うことなんて何も信用しない!」

 身を捩りながら叫ぶと、父の手に力が籠もる。

「……あまり生意気な口を利かないほうがいい」

 父が、和華の耳元で低く囁く。

「アルバイトを捜していて分かっただろうが、お前如き、どうとでもできる」

「……脅迫するの? チンピラね、まるで」

「人聞きの悪い。取引をしに来たんだ」

 言うや、父はすっと和華の上腕部から手を離した。

 覚えず、父のほうへ顔を振り向けると、父はいつから手にしていたのか、ボストンバッグを一つ、地面へ置いた。

 父の背後には、いつの間にか黒服でサングラスを掛けた、屈強そうな男が一人いる。彼から手渡されたのだろう。

「……何?」

「お前の高校も全寮制だそうだな。二学期、寮へ戻ったら、寮内でこれを売り捌いて欲しい。単価やその他は、一緒に入っている書類に書いてある」

「父親(ヅラ)より事態が悪化したわね。あたしはあんたの会社の部下じゃないし、学校は商売する場所じゃないの。帰って」

「ああ、もちろん帰るさ。お前がこれを売ると言ってくれればね」

「やらない。あんたの言うことなんて聞かないわ、持って帰って!」

「いいのかい? 売ってくれれば、バイト代は出すし、大学へ進学してもいいんだけどな」

 心が揺れなかったと言えば、嘘になる。だが、嫌だった。

 そのバイトの内容がどうであろうと、父の金に踊らされるところまで落ちたくはない。

 その揺らぎに気付いているのかどうか、父は甘い囁きを続けた。

「断るならそれで構わないけど、代わりに綾小路グループ傘下さんかのホテル業界の御曹司おんぞうしと政略結婚してもらう。高校卒業したら、すぐにね。どうせ、行く当てがなくて困ってるだろうし、いずれにせよ悪くない相談だろう?」

「ふざけないで! あたしのいる場所はちゃんとここにあるわ!」

 遮るように叫んで、和華は父を睨み据えた。

「十二月がくれば、あたしは誕生日を迎えて十八になる。今、日本じゃ十八が成人年齢に変わった。あんただって知ってるはずでしょ」

「だから?」

「成人すれば、法的に親の手を離れられる。後見人だって同じよ。そうなったら、あんたにあたしの人生に関与する権利はなくなる」

 すると、父はうっすらと笑った。

「それは、私には関係ないな」

「何ですって?」

「養女に行こうと戸籍上は他人であろうと、そして成人になろうとお前は私の血を分けた娘だ。それに間違いはない。私の権力ちからもってすれば、お前の戸籍を私の子として復元することもできるんだ。お前は希代の嘘吐きだが、私の血を引いている以上、政略の役に立ってもらわないと」

(嘘なんていたことないし、政略って何よ)

 時代錯誤もはなはだしい台詞に、もうとてもではないが反論する気持ちにもならない。

 嘘吐きという父の評についても、右に同じだ。ただ、和華には視えるものが、父を始めとする一般人には視えないだけの話なのに。

 祖父母の養女になる前、まだ和華が綾小路姓だった頃から、『虚言癖を治せ、普通になれ』が父の和華に対する口癖だったが、それは和華にとっては嘘吐きになることにほかならなかった。

 他方、和華が黙り込んだ所為か、父は嫌らしい笑みをますます深くした。

「返事がなければ、ビジネスに同意したと見なす。早速だが、まずはひと月、これを売り捌いて欲しい。寮の中だけで構わない」

 父は、そう言うと改めて地面へ置いた鞄を示した。

「全部売れとは言わない。十月一日までにどのくらい売り上げられるか、お前の手腕を見たいんだ。ひと瓶十万はするが、あの学園に通ってる金持ち坊ちゃん嬢ちゃんには安い金額のはずさ」

 中身はまだ和華は見ていないが、瓶詰めらしい。

「まあ、対象は女性に限られるかも知れないがな。連絡先も、中に一緒に入れてある。吉報を待っているよ」

 ポン、と親しい部下にそうするように和華の肩を叩いた父は、和華が否も応も言わないのに、さっさときびすを返した。

 黒服の男も、無言で和華に会釈すると、父に続く。

 和華は、訳の分からない鞄と一緒に、境内けいだいに取り残された。


 苛立ちと共にしばらく立ち尽くしていた和華だったが、やがてたっぷり五分経った頃には動き始めた。

 何にせよ、まずは中身を確認しなければ。

 和華は、買い物袋を左手にまとめ、いた右手で鞄を持ち上げた。ガチャン、と不穏な音が鈍く響く。

 そろそろと中身に気を使いながら母屋へ向かい(買ってきたものの中に卵もあったから尚更だ)、一度鞄のほうを地面へ置いた。

 鍵を開けて、鞄を玄関先へ引っ張り込み、扉を閉じると、先に買ってきた食べ物を冷蔵庫へしまう。それから玄関へ引き返して、上がりかまちに腰を下ろし、鞄を開けた。

 中には、置き薬を入れるくらいの大きさの箱が二つ入っていた。

 一つだけ箱を取り出して、蓋を開ける。中にあったのは、可愛らしいデザインの小瓶だ。赤・青・黄、その他、色とりどりのガラス瓶は、引き戸からし込む明かりをはじいて、キラキラと輝いている。

 和華は眉根を寄せたまま、その内の青い一本を取り出して見つめた。

 中身は、液体のようだ。何だろう。父は、商品の中身までは言わなかった。

 客が女性のみに限られるかも、という言葉からすると、化粧品だろうか。

(……一本十万だっけ? 化粧水にしたってボッタクリよね)

 第一、高校生でせっせと化粧に取り組む人間が、そういるとも思えない。

(……いや、これは偏見かも……あたし個人があんまり興味ないだけかも知れないし)

 それでなくても、和華には友人と呼べる人間もいない。

 持って生まれた特殊能力の所為で、両親にすらうとまれ捨てられた経験から、和華は他人と深く関わることを避けて生きてきた。

 だから、同年代の少女たちの流行にも疎いところがあるのは自覚している。

 取り上げた瓶を箱の中へ戻すと同時に、ふと、箱の蓋裏に添付された冊子が目にまった。

 取り上げて開くと、これは父の言っていた説明書らしいことが分かる。

 小瓶の中身は、万能薬だと書いてあった。末端価格が、一グラム数万円。

(末端価格って……何コレ、麻薬じゃないでしょうね)

 『警察二十四時』のようなドキュメンタリーでは、まさしく『麻薬』と一緒によく聞く単語だ。

 和華の脳裏のぼやきを肯定するかのように、『具合が悪い時に飲めば、たちまち体調が回復するし、痩せて綺麗にもなれる』という説明が続いた。

(あっ……怪しすぎる!)

 詐欺の典型のようなうたい文句だ。これでは、高校生にもなればまず引っ掛からないだろう。

 詐欺を働きたければ、こう言っては何だが、今時流行(はやり)のオレオレ詐欺のほうが、まだ成功確率が高い。

(ああ、違う。成功確率とか、そういう話じゃない)

 自分で自分の思考にツッコミを入れながら、和華はひたいを押さえて考え込んだ。

 父の言う通りにすれば、恐らく犯罪の片棒を確実に担ぐことになる。でなくても、何か悪い道に足を踏み入れることにはなるだろう。父の言うところの『政略』とは、犯罪に手を染めろということだろうか。

(……ないわ)

 大学進学資金と引き替えにしても、割が悪すぎる。

(……でも、どうする? あのクソ実父に返しに行く選択肢もないし、かと言って……警察? だとしたら、何て言って持ち込む? 『拾いました』じゃ、あたしが怪しまれちゃうし……)

 ただ、悩む間、この家の中にとどめて置きたくもない。なぜか分からないが、何となく嫌な感じがする。

 上手く表現できないが――一言で表すなら『気持ち悪い』だろうか。

 胸の辺りがムカムカする。父への悪感情や、中身が麻薬かどうかは関係なく、だ。何も知らずに勧められたら、身体の中へ入れるのなど全力で遠慮したい。

 和華は、説明書を元通り蓋裏へ挟み込むと、蓋を閉じた。そして鞄へ元通りしまい込む。

 捨てるせよ、警察へ持ち込むにせよ、このまま運ぶには重すぎるし、瓶が割れないように神経も使う。

 考えた末に、和華は普段、学校と家を行き来する際に使うキャリーカートを引っ張り出してきた。


©️神蔵 眞吹2023.

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