Chapter.3-3 討議
二人が出入り口の向こうへ消えると、太刀川は無言で冴月を見た。
まるで、『これでご満足ですか』とでも訊かれている気分になる。冴月は無表情な、それでいて温度の低くなった目を投げ返した。
「……言いたいことがあるなら、口に出せよ」
苛立ちと共に、結局言葉を添える。持って回った駆け引きには、少々疲れていた。
「ご協力はいただけるのでしょうか」
「冴月君」
先ほど、汰樺瑚を突き飛ばし、彼女から距離を取った為に、必然冴月とも離れていた和華が、駆け寄って来る。
彼女は、何か言いたげに唇を開いては閉じるという仕草を繰り返しながら、最終的には無言で冴月を見上げ続けた。言いたいことが、上手く纏まらなかったのだろう。
太刀川や葛葉はともかく、また和華と同一の魂であり、その奥深くに眠る紗彌乃もともかく、この『和華』という少女の人格に対し、冴月の警戒心はすっかり緩くなっていた。
本人の言う通り、彼女は掛け値なしに本当のこと、本音しか言わない。
彼女が『紗彌乃』だった時には、冴月に向けられた悪意にまみれた言葉だけが真実だったが、少なくとも今生の彼女は違う。周囲にも同じように、本心でしか喋らない。
彼女が生後、置かれていた環境も相俟って、紗彌乃に抱いていた憎しみはすでに溶ける寸前まで来てしまっている。そのことに、冴月自身驚いていた。
放っとけない。
それは、和華に言われた言葉だが、冴月も和華に対していつしか同じように感じ始めていた。
ひたすら真摯に見つめられる視線から目を外し、冴月は無意識に舌を打った。
「……約束、忘れるなよ」
太刀川に目を向けて言うと、とぼけるともなく彼は「どの約束でしょう」と穏やかに反問する。
「こっちの言うこと、全面的に信じるって約束だ。破られたら、俺は即刻抜けさせてもらう」
すると、太刀川は「構いません」と言って頷いた。
「もちろん、必ず約束は守ると誓います。ご協力いただけて大変ありがたい。ご英断に、感謝します」
「大仰な言葉連ねたからって、信頼を得られると思うなよ」
「先達のご教示、恐縮です」
「……嫌みか、それ」
反射で眉根を寄せてしまうと、太刀川も苦笑を浮かべる。
「滅相もない。そんなつもりは露もありません。ひとまず、中へ戻りませんか。ほかの方はきっと、食事も終わった頃でしょうし……」
冴月は、無言で肩先を竦めるだけでそれに応え、太刀川と葛葉のあとへ続いた。
***
「――そうですか。お二人のお話はよく分かりました」
二人が、葛葉にした話をそれぞれに繰り返すと、太刀川は小さく頷いた。
穏やかだった表情は、今は緊張に似たものを帯びている。
「差し当たり、万里小路さんたちが捕らえてきた一つ目の鬼を尋問したいところですが……」
「素直には吐かねぇと思うぜ」
呆れと諦念が混ざったような声で冴月が言いながら、手元に用意されたクッキーを摘んでいる。
周りが食べるのを見てから口に運んでいるのが、いかにも彼らしい。
「同感です」
また軽く首肯した太刀川は、紅茶の入ったカップを傾けた。
「そこで相談なのですが、水無瀬さん」
「へっ?」
急に話を振られた和華は、思わず口に含んでいたアイスココアを吹き出しそうになる。どうにか食道にだけ流し込むと、太刀川へ目を向けた。
「あの、あたしですか?」
「そうです。先ほど、あなたは残留思念を拾って過去の映像を垣間見ることができると、そう言っていましたね」
「はい……」
和華としても、この対妖セクションの面々を信用するのは、中々容易ではない。最初に接触したメンバーが、汰樺瑚や昴のような人間だったのは、不運だった。
何を言われるのだろうと身構える和華に、太刀川が困ったような微笑を向ける。
「そう構えないで。あなたにとってお嫌なことはいたしません。能力について、二、三、質問させていただきたいのです」
「はあ」
そう言われても、先刻同類と思っていた者にまで、父と同じ態度を取られたショックは、簡単に意識から切り離せない。身構えたまま、太刀川を見つめた。
太刀川もまた、困った微笑のまま口を開く。
「具体的に、どんなものが視えるのでしょうか?」
「どんな……って言われても」
和華は、別の意味で戸惑った。
今まで、祖父母以外の人間に、この能力を信じてもらったことがない。ゆえに、こんな風に説明を求められることもなかった。
というより、自分にとって常識であることを他人に説明するほど難しいことはない。
「どう言ったら理解してもらえるか……たとえるなら、絶対音感のない人に、どうして音が音階で聞こえるかを説明するようなものっていうか」
「なるほど。では、質問を変えましょう。水無瀬さん」
「はい」
「時間として、どのくらい前のことまで視られますか?」
「どのくらい……」
問われて、和華は考え込んだ。
『能力の説明をしろ』と言われると漠然としていて何を話せばいいか分からなかったが、具体的に訊きたいことを言われれば別だ。
「一日二日、くらいなら余裕だと思います。けど、物凄く前のこと……それこそ云百年前とかは、普通は無理です」
「普通は、と言うと」
「たまに、強制的に視せられることがあるんです。そこに思念を残した人の執念みたいなものが強すぎると、勝手に流れ込んでくるっていうか……そういう場合、それが何百年も前の映像っていう可能性はありますけど、あたしの意思では選べませんし」
そこまで言って、和華はハタと口を噤んだ。
(……危な)
危うく、喋り過ぎるところだった。そう思ったが、接続詞が語尾に来た所為か、太刀川は小首を傾げるようにして「……選べませんし?」と続きを促してくる。
「あ、いえ……何でも」
それだけです、と言葉尻を濁す。
いくら何でも初対面の人間のすべてを信じて、こっちも手の内を全部晒すような真似はできない。
(ましてや、弱点に近いことなんてうっかり言えないよね……)
ストローを銜える振りをして、お口にチャックを決め込む。
太刀川は、訝しげにしばらく和華を見ていたが、やがて「分かりました」と首を縦に上下させた。
「では、巻き戻しのようにして、対象者の残留思念を逆回しに追うことはできますか?」
「やったことはないです」
「なるほど。やってみないと分からない、というところですね」
「……まあ」
和華は、これも曖昧に答えた。
やろうと思えばできるかも知れないが、自分の意図通りに能力を使えるかも、そもそも心許ない。
能力はあるものの、意思とは無関係に思念を拾いまくっていたのなど、そもそも幼い頃のことだ。今はきちんと必要最低限に制御している。
「分かりました。では明日から行動開始です。今日はお開きにしましょう。皆さん、ゆっくり休んでください」
「ちょっと待った」
太刀川の言葉を合図に、立ち上がり掛けた対妖セクションの面々――汰樺瑚と昴が外れた今、太刀川以外の全員が妖か、妖との混血らしい――の視線が、発言した冴月に集中する。
「何でしょうか」
「そっちにはこの妖薬の件、始まった時からの概要は頭に入ってんだろーけど、こちとら自分が体験したことの知識しかねぇ。俺らは概要、共有する必要なしか?」
すると太刀川は、例の困ったような微笑を浮かべた。
「……とは言え、あなた方は証人ですから」
「証人、イコール一般人、イコール部外者、ってことか? けど、あんたさっき言ったよな。戦闘系の妖と戦う力があるならチームに加えない理由がないって」
「仰る通りですが」
「あんたが言うところの、『チーム』ってな、どこまでを指してる? 事件の概要共有はなしで、ただそっちの都合のいいように能力と証言だけ借りられる人員を含むのか?」
太刀川は、完全に押し黙ってしまう。
「なら、俺らは捨て駒と一緒だな。害虫扱いより性質悪い。害虫なら生き物な分、意思のない道具扱いよりはマシだ」
言い終えると同時に、冴月は立ち上がった。
「行くぞ、和華」
「えっ、でも」
「あんたが残ると、こいつら無駄に喜ばせるだけだ。あんたもいいように利用されるだけされて、あとはポイだぞ。それでいいのか?」
「発覚した切っ掛けは、その薬によって死人が出たことだ」
冴月の足を止めようとするかのように、葛葉が口を開く。
「葛葉さん」
若干、咎めるような色を含んだ声色に、葛葉は怯まずに太刀川を見据えた。
「部長殿。こやつの言う通りだ。チームに加える、それはすなわち、部外者か客分扱いではなく、対妖セクションの仲間として受け入れるということだ。それがたとえ、一時的なことであってもな。チーム戦で情報の共有は必須と考えるが、違うか?」
「それは……しかし」
「一時的な、というところが引っ掛かるのであれば、この件解決後もH.C.P.S.へ置いておくというのはどうだ?」
「えっ」
太刀川が、目を丸くする。
急いで残ったアイスココアを吸い上げていた和華も、思わず口からストローを放した。
「……つまり、スカウト……就職、もしくはアルバイトとして入ることを認める、ということですか?」
太刀川が、葛葉に問い返す。
「そうだ。頭脳派が問題ある、ということはなかろう。最近入った新入りが、まさに頭脳派だからな」
「――あら。私の話題かしら」
それまでそこにいなかった人の声が投げ込まれ、和華はそちらへ顔を向ける。
出入り口付近に立っていたのは、葛葉と同様、漆黒のロングヘアを持つ女性だった。腕まくりした白衣を着た姿は、一見、医者のようにも思える。
「ああ。来たのか、瀬凪」
葛葉が気さくに答えた。
「ええ。仕事が一区切りしたから、一服しようと思って」
言いながら、瀬凪と呼ばれた女性は、和華と冴月に視線を向ける。
「初めてお会いする方たちね。私の後輩?」
「その交渉はこれからだ。冴月、和華。彼女は黛瀬凪と言う。対妖セクションに来る前は、科捜研にいた研究員でな」
「よろしく。黛です。昔から超常現象に興味があってね」
ふふっ、と笑った瀬凪は、おちょぼ口に手を当てた。
「瀬凪。水無瀬和華と冴月だ。ああ、別に姉弟ではないぞ。冴月には名字がないらしい」
「あら。じゃあ、無戸籍児?」
「そうではない。その……」
葛葉が、言い淀んでチラリと冴月に目を向けた。さすがに、デリケートな話題だと分かっているらしい。
冴月も小さく肩先を竦めて、瀬凪に目を向けた。
「生まれが平安末期なモンでな。戸籍がないって言えばないけど」
「あー……そういうこと」
頷く間に、瀬凪が冴月を見る目が少し変わった気がした。かと言って、それは汰樺瑚や昴のように、妖や混血を蔑むそれではない。
瀬凪の目に、一瞬浮かんだ光の意味は、和華にはよく分からなかった。
「……何か問題でも?」
冴月も、それには気付いたらしい。訝しむように、どうとでも取れる問いが投げられる。
だが、瀬凪は意味ありげなその色を一瞬で消すと、「別に」と言って首を振った。
「……あんたは人間か?」
しかし、冴月は構わず問いを重ねた。人間相手だと、差別に遭う確率が高いからこその問いだったろうが、瞬間また、瀬凪の顔色が少し変わった。
「……そうだけど。それが何?」
「いや。人間で霊力がある奴だと、大抵混血は害虫扱いだから、一応確認しただけ」
「何だ、そんなこと」
あっけらかんとしているようで、明らかにホッとした響きと共に、瀬凪の表情は普通に見えるそれに戻る。
「私は別に気にしないって言うか、さっきも言ったじゃない。昔から、超常現象に興味があるって」
「そーゆー奴は別の意味でウザいから、それも考えモンだけどな。で、話戻すけど」
冴月は、また一つ肩を竦めて、葛葉と太刀川を応分に見た。
「事件の概要。話す気があるのかないのか、はっきりしろよ。もっとも、部外者扱いで話す気がねぇなら、協力する義務もなくなるけど?」
「……分かりました。どうぞ、お掛けください。対妖セクションへの継続採用の話はまた改めるとして、今は妖薬案件の話をさせていただきます。黛さんも」
太刀川は、冴月が元いた席を示し、瀬凪にも声をかける。
「黛さん。お飲物は何にしますか?」
「コーヒー、ミルクだけでお願いできます?」
瀬凪は髪を無造作に掻き上げながら、和華たちが就いている円卓の隣のテーブルへ腰を下ろした。
***
冴月が改めて腰を下ろすと、太刀川はあとから現れた瀬名のコーヒーを準備する為、カウンターの奥へと一度引っ込んだ。
その間に、葛葉が口を開く。
「――被害者は、ある全寮制学園・高等部の女生徒。ちょうど、夏休みに入る直前の死で、学園側も隠蔽工作が間に合わなかったようだな」
「全寮制……隠蔽?」
反応したのは、和華のほうだ。自身と同じく、全寮制の学校に所属する生徒が死んだというのが気になったのだろう。
「どういう意味ですか、まさか……学校が薬をバラ撒いてるとでも?」
「その確率が高い」
葛葉は、和華に頷くと、「和華は、洲脇学園を知っておるか?」と続けた。
「……いいえ」
「今回、その死人が出た私立学園だ。学園長の更に上まで辿ると、綾小路グループに行き着く」
和華が、目を見開いた。
「綾小路……って」
「そうだ。そなたの実父である和俊が総帥を務める、綾小路ホールディングスだ」
「だから……だから、あなたたちは父を見張ってたんですね。それで水無瀬神社に」
「そういうことだ」
「じゃっ、……じゃあ、今回の事件、黒幕は本当に父なんですか!?」
もう嬉しい期待を抑え兼ねる、といった表情で、和華が身を乗り出した。
先刻の冴月とのやり取りから察するに、可能なら殺したいくらい父親を憎んでいるらしいから、当然の反応だろう。
「まだそうと決まったわけではない」
「第一、あんたの親父さん、超常現象・全否定派だろ?」
行儀悪く頬杖を突いて冴月が和華を見ると、彼女は首を縮めた。
「う、それは……そうだけど」
「それに、洲脇学園の親会社が綾小路グループだということは、ネットででも調べればいくらでも出てくる。謂わば、厳然たる事実と言うだけだ。残念ながら、妖薬売買の証拠でも何でもない」
葛葉がある意味とどめを刺すようなことを言うが、和華も考え込むように口元に指先を当てている。
「でも……やっぱり関わってはいるわよね。だって、あの薬持って、『売れ』ってあたしに押し付けて来たのも事実だし」
「そこが謎だな。もしかして、和華の父殿は、薬の中身が妖気を孕んでいることなど知らず、ただの麻薬か、もしくは普通に流通させられる新薬だと考えている可能性もある」
「でも、フツーの新薬だったら、娘に『寮内で売れ』なんて言ってわざわざ持って来ないだろ」
「そうですよ、だって……」
和華は、何かを捜すように手元を見た。そうして、薬は今、冴月が異空間に預かっていると思い出したのか、諦めて葛葉に向き直る。
「あの薬箱の中にあった説明書には、末端価格がどうとか、『具合が悪い時に飲めば、たちまち体調が回復する』とか『痩せて綺麗にもなれる』とか怪し過ぎることしか書いてませんでした。あんなの、高校生にもなれば、言葉通りに受け取るほうがどうかしてます」
「さてさて、洲脇学園にはその『どうかしている』ボンボンやジョンが多すぎると見える」
葛葉が腕組みし、片手を頬に当ててどことも付かない空を見た。
「まさか……本当に学校中に蔓延してるとでも?」
「我々は、その可能性が高いと見ておる。何しろ州脇学園は、下は幼稚園から上は大学部までのエスカレーター式でな。そんなマンモス状態の施設内で、たった一人だけが薬を使って死亡したなど、不自然過ぎるだろう。だが、何しろ死人の発覚が、先にも言った通り夏休みの直前でな。それから内部を潜入調査しても、夏休み中では利があるとは思えなかったし、学園も学園で、突然の病死だと言い張っておっての」
「病死?」
「そうだ。元々被害者には持病があって、それで急変したという一点張りだ」
「病死なら、立ち入り調査の口実はない……そういうことか」
「そこで、相談なのですが」
その時、瀬凪オーダーのコーヒーを持ってその場へ戻った太刀川が、瀬凪の前へ、カップと茶請けの菓子を置きながら言った。
「冴月君と水無瀬さん。それに、水澤さんと葛葉さんも、夏休み明けから州脇学園へ潜入捜査をお願いできませんか」
「潜入捜査?」
鸚鵡返しに言った冴月の横で、「あたしはオッケーですよ」と七瀬が如才なく答えている。
「ちょっと待ってください。夏休み明けからって……そんなの無理に決まってるじゃないですか。あたしにだって在籍してる学校があるんですよ?」
困惑したように口を開いたのは、和華だ。
「ただでも何だか分からないけど、ウチのクソ親父があたしを自分の自由にしたがってるのに……理由もなく自分の在籍校休むなんて隙見せたら、即強制退学させられた上に、政略結婚まで持ち込まれそうなんですよ!? 政略で結婚とか、思いっ切り今時じゃないけど、あいつに理屈は通じないんです! そうなったら、部長さん、ちゃんと責任取ってくれるんでしょうね!?」
通常時にはおっとりして見える和華だが、父親やその確執が絡んだ時の剣幕は、冴月でも仰け反りそうになる。しかし、太刀川は怯むことなく微笑した。
「もちろん。そうならないように責任を取りますよ」
「は?」
「お忘れかも知れませんが、対妖セクションはこう見えて異能の集団です。お父上の信じない超常現象での細工は流々、仕上げを御覧じろ、と言うところでしょうかね」
「……はあ……」
毒気を抜かれたような和華の、溜息混じりの返事で、潜入がほぼ決まったのは言うまでもない。
©️神蔵 眞吹2023.