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それは、ある土曜日の午前中のことだった。一夏は、寮の自室の中で机の前に座り、もう一時間も掌に持った小瓶と睨めっこしている。
見た目は綺麗だ。
深い青色で透き通っていて、材質はビー玉のよう。中の液体の色も、瓶の色に染まって見える。物語に出てきそうな、まさに『魔法の薬(の瓶)』だ。
全寮制の高校へ入学してから、ある事情から、食事はずっとコンビニ弁当だった。その所為か、三年生になった今、お腹やら二の腕やら太股やらが、少々ふくよかになりつつある。
周囲の人間は何も言わないし、両親も言うに及ばずだが、花も恥じらう年頃の乙女には、深刻な問題だ。
この数日、恐ろしくて体重計に乗れていない。ダイエットを決意したのは、当然の成り行きだった。
それを、仲のいい友人のリエに、話の流れで打ち明けたら、『じゃあ、試してみる?』という言葉と共に渡されたのが、今、一夏の手にある薄青い小瓶だ。
『魔法の薬なんだって』
その時のやり取りが、脳裏をよぎった。
『魔法の薬?』
『そう。ウチの父が言ってたの。話してる相手は分からなかったけど……願いが叶うんだって』
無邪気に笑っていた彼女には悪いが、率直に言って、胡散臭いと思わなくもなかった。けれど、リエは幼い頃から一緒の親友だ。
その上、リエの父親と言えば、嶋藤製薬の社長である。
会社内で、願いが叶うという薬の開発をしていても、不思議はないような気がした。
(……効き目がなかったら、その時はその時よね)
うん、と自分に言い聞かせて、一夏は意を決した。
小瓶の、先が尖ったデザインの蓋に手を掛け、少し力を入れて引っ張る。キュポンッ、とかすかな音を立てて、小瓶の蓋が抜けた。
中からは、食欲をそそる甘い匂いが漂っている。覚えず、『Drink me』と書かれた小瓶を持っているアリスの気分になる。
ゴクリと一瞬、喉を鳴らして口を付け、一気に飲み干した。
(……あ、そう言えば、このあとどうすればいいんだろ。運動してみたら、どんどん体重が減ったりとか?)
飲む前に願い事を言うとかだったらどうしよう。台無しだ。
そう思いながら、何気なく立ち上がった一夏を、不意に目眩が襲う。
クルクル回転したあと、しばらく景色が回って見えるあの現象が、回転してもいないのに視界いっぱいに広がる。
(何?)
呆気なく身体のバランスは崩れ、気付いた時には景色が横倒しになっている。
いつしか一夏の視界は暗くなっていき、そこで意識は途切れた。
©️神蔵 眞吹2023.