最終話
ティナが椅子に座ると、ギィと軋んだ音が部屋に響く。
目の前の男は窓から射し込む光をあてに手元のノートを眺めている。
「久しぶりだな。三ヶ月ぐらい経ったけど、調子は?」
「特に変わりはありません」
男は丸椅子を回転させ、ティナに体を向けた。
疲れきった目の下に伸びた真っ黒な隈。
行き場を失い跳ね回った髪の毛と無精髭。
薬物の売人と判断されてもおかしくない風貌している。
もし彼が白衣を羽織っていなければ、たちまちパトロールをしている警察に連行されるだろう。
「手袋を外して見せてくれ」
男はティナの指先を押す。
その間、ティナは決まり事のように目を閉じていた。
親指、人差し指、中指、薬指、小指。
一周してもティナの表情はピクリとも動かなった。
男は苦い顔をして沈黙を破る。
「分からないか? 結構強く押してるんだけど」
「すみません」
「……そうか。よし、もういい。一応、薬は出しておくから」
いつも返事が早いティナから言葉が返ってこない。男はノートに走らせたペンを止め、横目で見やる。
「どうした、なにかあったのか?」
「この薬は本当に石膏病に効果があるのでしょうか」
男は机に肘を置き、半身になる。
「最近、石膏病の女性と関わる機会がありました。彼女は既に左腕が不全になっていて……この薬があれば彼女を救えたのではないかと考えてしまうんです」
「この薬に動かなくなった部位を再生する効果はない。そもそも、サンプルが少なすぎて本当に石膏病に対する遅延効果があるのか疑問視する声すらある。個人差が大きい病だ。お前はたまたま進行が遅いだけで1ミリも効いてないかもしれない」
男は眉間に皺を寄せてコーヒーを一口飲んだ。
「だいたい、表で出回ってない非合法の薬をホイホイと流通させる訳にはいかない。お前は運がいいのか悪いのか……いや、きっと悪いんだろうな。薬の存在を知らなければ、お前がそんなに悩みを抱える必要もなかっただろう。巻き込んでしまってすまない」
「謝らないで下さい。たとえ効果がなかったとしても、あなたに助けられているのは事実ですから」
薬の入った小袋を受け取ったティナは男に一礼して部屋を出た。
家が見えるとウィルが訪れた日を思い出す。
あの日も今日と同じように薬を受け取って、帰ってきたら、乱暴に扉を叩いている彼がいた。
泥棒にしては挑戦的で、離れた所から観察していたが、『ドレスローザ』の名前が聞こえるともう目的は一つしか考えられなかった。
最初は断るつもりでいた。
マリアが手がけていないドレスローザに価値はない。けれど、恋人が同じ病と知って同情した。
マリアが残した3パターンのドレスの作成図から選んでドレスを作った。
そして、ビアンカさんは私を抱きしめ、涙を流して喜んだ。
彼女達はドレスローザがなくてもこの試練を乗り越えていただろう。僅かなすれ違いに思い悩み、苦労していただけなのだから。
ビアンカさんはウィルさんの愛を確信したかった。
ウィルさんはビアンカさんに愛を証明したかった。
その僅かな空白にドレスローザのピースが都合よくはまっただけに過ぎない。手段は何でもよかったのだ。
そのはずなのに……
ビアンカさんの『ありがとう』の優しい声が今も私の鼓膜を揺らし続けている。
「私のドレスにも価値があるのでしょうか」
ティナは破裂寸前のポストから落ちていた封筒を拾い上げた。無理やり押し込んたのか、封筒に折れた跡が残っている。
「私があなたの代わりをしてもいいのでしょうか」
マリアからの返事は返ってこない。
吹き抜ける風がティナの頬を撫でた。
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