第三話
「では、早速ビアンカさんの体を採寸しに行かなければ」
「待ってくれ!」
メジャーやメモ用紙が詰まったカバンを持ち上げたティナの前にウィルが立ち塞がる。
「だからサプライズだって言っただろ。採寸なんてしたら一発でバレるって」
「ならどうしろと言うんです?」
不満げな顔のティナ。
想像で服を作るなんて無理だ。
彼女が病だからと言ってはいはいと依頼を受けるべきではなかったのかもしれない。
と、後悔がよぎった次の瞬間。
ウィルが不思議なポーズを取った。
「確か……これぐらいだな」
「……なにをやっているんですか?」
ウィルは腕で輪っかを作る。
まさに木にしがみつく猿、もしくはコアラに見えなくもない。
「ウエストだよウエスト! ビアンカの!」
「いま、目眩がしました……少し休ませてください」
ティナは目頭を押さえて机に体を預けた。
彼はバ……ではなく、言葉を選ぼう。
素直……そう、素直だ。恋人に尽くしたいあまり常軌を逸し、自分がウエストを腕を長さで表現するという全ての文明が絶えた後、最終手段ならギリギリ許される行動を今している現実に気づいていないだけなのだ。
ここは彼を責めず、決して強引にいかず……
「いいですかウィルさん。あなたを信用していない訳ではありません。しかし、物事にはもしもという可能性が付きまといます。もし、採寸が間違っていたら、彼女が纏うドレスは見るに堪えないほど不格好に仕上がります。その時、彼女はどう感じるでしょう? せっかくの晴れの舞台、完璧なドレスを着て欲しいじゃないですか。そう思いますよね? 思わないなら思ってください」
「確かにそれもそうだな。あんたの言う通りだ」
「私も悟られないよう努力しますから心配なさらないでください」
ウィルを説得し、ティナはビアンカの元に向う。
山を下り、馬車を小一時間走らせたところにメリッサはある。この国で最も豊かな街であり、金さえ出せば何でも手に入ると言われる大都市である。
複雑に入り組んだ道をウィル手書きの地図を頼りに進む。
開けた場所に出ると、広大な土地を有した病院があった。
さすがは大都市の病院。
見舞い客すら高価なアクセサリーを存分に見せつけてくる。
ごく一般的な格好をしているはずのティナに物珍しい視線が送られていた。
ビアンカは裏庭にいた。
ウェーブがかった栗色のロングヘア。大きな瞳と長いまつ毛、そしてだらんと下がった左腕。間違いない。
ウィルがメモ用紙に書いた通りだった。
彼女は長椅子で陽に当たりながら、楽しそうに遊ぶ子供たちを眺めていた。
「こんにちは」
声をかけられたビアンカはビクリと肩を跳ねさせた。
「こんにちは。えっと……どちら様ですか? 道に迷ったのなら、中に案内板がありますよ」
いつも話しかけてくるのは、担当医か看護師。見知らぬ顔にビアンカは首を傾げた。
「いえ、そうではなくビアンカさんの体を」
「私の体?」
ウィルの言葉を思い出し、寸前で口を閉じた。
体のサイズを測りにきました、とありのままを伝えてしまっては彼の企むサプライズを失敗に終わらせてしまう。
自然な流れで採寸できるよう言い方を考えなければ。
「あなたの体に興味がありまして。ぜひ一度、隅々まで調べさせてもらえませんか?」
「あ、もしかしてお医者様?」
数秒の間のあと、ビアンカは閃いたと言わんばかりに笑顔を見せた。
「……医者ではありませんが、針と糸なら使えます」
「凄腕の助手さんなんですね!」
ビアンカの勘違いは都合がいい。
こちらの正体を明かすことなく話を進められそうだ。
「実はビアンカさんにお願いがありまして。少し、立って頂いても?」
「ええ、それぐらいならお易い御用です」
「では失礼して」
ティナはカバンからメジャーを取り出す。
白い革紐に目盛りを振った手作り製だ。ずいぶんと年季も入っていて、所々ひび割れが目立っていた。
「あの……えっとこれは何を……?」
「お気になさらず。ただの記録です」
ビアンカの体にメジャーをあてがってメモ用紙に書き写す。
頭周り、肩幅、腕、胸囲から腰。
下半身に移って太もも、股下、足の大きさも忘れてはいけない。
「身長と体重はよく聞かれますけど、入念な方なんですね」
「私の場合、これがないと仕事になりませんので」
ビアンカの動かなくなった左手を取る。
「指の太さまで見るんですか!?」
「一番大事と言っても過言ではありません」
「なんで薬指だけ……」
「お姉ちゃんたち、何してるの?新しい遊び?」
ボール遊びをしていたはずの子供たちがいつの間にか二人の周りに集まっていた。
メジャーを体に巻き付けてはメモを取るティナに興味津々だ。
「遊びじゃありません。仕事です」
「えー、体に紐巻き付ける仕事なんて変なの」
「わたしそういうの知ってるよ。大人の遊びだよね」
「大人の遊び? なにそれ」
記録を撮り終えたティナは「あなたは気にしなくていいです」と遮った。
同じ子供でも知識にはずいぶん差があるらしい。というより、この女の子が早く大人になりすぎているだけかもしれない。
荷物をカバンに仕舞い、ビアンカに向き直る。
「名乗り遅れました。私、ティナと申します。今日はありがとうございました。またお目にかかることがあるかもしれません」
「もう帰るんですか? もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「いえ、帰ってしなくちゃいけないことがありますから。それに、あなたにも来客があるみたいですよ」
「ウィル……」
ティナの肩越しにウィルの姿があった。
ビアンカの表情が悲壮感に包まれる。
ティナはじっとビアンカを観察した。けれど、抱いた感想は変わらない。
愛する恋人を待ちわびていたようには到底見えない。それどころか、まるで彼の来訪を望んでいないみたいではないか。
「後で話があります。私の家に来てください」
すれ違いさま。
ティナはウィルに囁いた。
彼が家の扉をノックしたのはちょうど明かりを灯そうとした夕暮れ時だった。
もしかしたら私の思い違いかもしれない。
何度もティナは考えたが、モヤモヤとした違和感を放っておくことはできない。
馬車を待たせていると言うウィルにティナは手短に伝えた。
「あなたの姿が見えたとき、ビアンカさんは悲しげでした」
「そんなわけないだろ。さっきまでビアンカと話してたけど、ずっと笑ってくれてたぜ」
ウィルは首を振って誇らしげだった。
そうですかと受け入れるしかない。彼がそう言うのなら、それは事実なのだろう。
ティナが任された仕事はドレスの作成。
彼らの間に入ってごちゃごちゃと状況を錯乱させるのは本望ではない。
「これを」
ティナはウィルに紙切れを渡した。
「ドレスだけでは式を開けませんよ」
紙を見たウィルはあんぐりと口を開け、呆然と立ち尽くした。
書かれていたのは、ビアンカの靴と指輪のサイズ。
ドレス以外はウィルの頭からすっかり頭から抜け落ちていた。
よくよく考えれば、ティナは仕立て屋であって靴屋ではない。ドレスの付属品に靴と指輪は付いてこないのだ。
「ありがとう、忘れてたよ。こっちは何とかするからドレスローザさんもよろしくな」
「はい」
ティナと別れ、馬車に乗り込んだウィルは数時間前を遡った。
手を振ると、ビアンカは笑顔で出迎えてくれた。
『調子はどうだ……って変わらないか』
『うん、今は落ち着いてるよ。そっちはどう? 毎週来てくれるけど、大変じゃない? 無理しないでいいんだよ?』
『無理なんてしてねーよ。そんなことより、ビアンカは病気を治すほうに集中してくれ』
『はーい』
『軽いなぁ。ほんとに分かってんのかよ』
『えへへへへ』
とは言ったものの、確立された治療法が無いのも事実だ。
初めて左腕が動かなくなった時、ビアンカは酷く混乱した。
悲鳴で喉を痛め、花瓶を倒し、近くにあった果物ナイフで自ら腕を切り落とそうとした。
幸い駆けつけたウィルによって浅い切り傷で済んだが、日に日に彼女の治療に対する熱意は冷めていった。
早く家に帰りたいと最後に聞いたのはいつになるだろう。もうビアンカはここで最期を迎えるつもりなのではなかろうか。
そんな嫌な予感を現実にしたくない。
ウィルは毎週ビアンカに会いに行く。
毎日は無理でも、せめて週に一度。
目を離してしまったらビアンカがどこかに行ってしまうのではないか。そんな気分に飲まれて食われそうになる。
辛くないと言ったら嘘になる。
金も時間もかかる。考えるのはマイナスなことばかりで、仕事でもミスが増えるようになった。
たが、ビアンカを失うのはもっと恐ろしい。
そんな時だった。
ドレスローザを思い出したのは。
あのドレスを着られたなら、また昔のように輝いた目を取り戻してくれる。
希望に溢れた未来を思い描いてくれる。
ドレスローザなら必ずビアンカを助けられる。