04.代打ち少年
今夜は割と早くに終わった。
濃い紫煙が充満する部屋を出て、運河沿いの道を歩く。
雨のお陰か、いつもより外の空気がキレイな気がした。
ひとつ深呼吸して、肺の空気を入れ替える。
ボロアパートの一室に残った大人たちは、打ち上げと称して酒盛りをしている。一番負けが込んでいる者のおごりだ。
賭け麻雀の一味でも、流石に中学生の新在家旭を酒盛りには参加させない。
ツマミの中から一口チョコの大袋と、甘辛いせんべいを持たせて送り出してくれた。
ポケットには代打ちの成功報酬三千円がある。負けても仕事料として千円くれるが、勝てば歩合で最高五千円もらえる。
大卒銀行員の初任給が、二万円だと新聞に書いてあった。新在家少年が秘かに貯めた学費は、既に初任給を越えている。
代打ちを依頼する北町は、幾ら負けても、その負けを新在家少年から取り立てることはしなかった。
取引先の船寺に誘われて始めたものの、才能がないのか、ちっとも役が出来上がらないとぼやく。
代打ちの新在家少年と依頼人の北町は、去年の春頃、ゴミ捨て場で出会った。
新在家少年は、生ゴミや荒ゴミの日にゴミ袋へ入れず紐で縛って出された本や雑誌を拾う。古本屋や古紙回収業者に売って、家計の足しにするのだ。
「何だ坊主。エロ本探してんのか」
「違う。売れそうな本、拾ってるんだ」
「何だ、小遣い稼ぎか」
「小遣いじゃない。生活費」
「生活費? 貧乏か。親は?」
新在家少年は、素直に事情を説明した。
両親は揃って共働き。
父は会社員だが、給料は父方の祖母の入院費用や、祖父の介護費用に消え、新在家少年の家には一円も残らない。
母が近所のスーパーで働き、そのパート代で何とか生活する。食料品などを社員割引で買えるので、パート代以上に助かった。
服は従兄姉のお下がりで、新品は下着以外、買ってもらえない。制服や体操服、通学鞄などは先輩のお下がりだ。
高校に進学したいが、貯金がない為、このままでは無理だ。
少しでも足しにしようと、売れそうな物を拾う。辞書や参考書の類は、自分で使って塾へ行く代わりにした。
中学生ではどこも雇ってくれないので、仕方がない。
「ホントに父ちゃん、正社員で、家にビタイチ残らないのか?」
北町が人の良さそうな顔を曇らせ、首を傾げる。新在家少年は頷いた。
「坊主、勉強は得意か?」
「一応……テストは全部、平均より上」
「そうか……じゃ、ちょっと待ってろ」
北町が自宅へ取って返す。
小太りな中年男性が入ったのは、有名な酒造会社の社宅だ。
すぐ数冊の本を抱えて戻った。
「これ、参考書。これで勉強して、俺の代わりに麻雀してくれんか?」
差し出されたのは、麻雀の入門書や必勝法の本だ。
「俺、誘われてちょくちょく行くんだけど、向いてないみたいでな。いくら勉強しても本番では、ちっとも役が出来上がらないんだ」
「代わりって……?」
「野球の代打みたいなもんだ。やってくれたら、バイト代払うし、ホームラン打ったら、ボーナスも出すぞ」
北町は笑いながら、バットを振り抜く動作をしてみせた。
新在家少年は、何ことかよくわからなかったが「おじさん、自力でできないんなら、誘われても、仲間に入らなきゃいいのに」と言う言葉を呑み込んだ。
両手で「参考書」を受け取る。
「じゃ、ぶっつけ本番ですまないけど、来週の金曜日、夕方の六時半、もう一回、ここ来てくれるか?」
新在家少年は、他に全く選択肢を思いつくことなく、首を縦に振った。
麻雀の入門書三冊を自転車の前カゴに入れ、拾った本を荷台に括りつけ、家へ帰った。
【注】
昭和の時代でも、麻雀賭博は違法です。
北町さんたちは常習賭博で逮捕、中学生の新在家君は補導……
普通に犯罪なので、よいこのみんなは真似しないでください。
この話はフィクションで、常習賭博を推奨するものではありません。
【豆知識】
かつては、ゴミ捨て場から本などまだ使える物を拾うのは合法(※)でした。
作中の時代は昭和です。
現在は、ゴミ捨て場に置いてある物を無断で持ち去ると犯罪です。
リサイクル法などの施行後、ゴミ捨て場に置いてある物の一部は、「ゴミ」ではなく「リサイクルする資源」で、「回収までの仮置き」と解釈されます。
所有権は、元の持ち主から地方自治体などに移った状態なので、「無主物=持ち主が居ない物体」ではありません。
(※)無主物先占=持ち主が居ない物体は、先に占有した人の所有物になる。
【余談】
その辺に放置してある自転車や道に落ちていた財布などは、一時的に正当な所有者の手を離れただけの物(占有離脱物)なので、勝手に使うと窃盗罪や占有離脱物横領罪などに問われます。使った後で元の場所に返しても、使用窃盗と言うタイプの犯罪です。
海の魚や貝には飼い主などが居ませんが、場所によっては漁業権が設定されているので、勝手に獲ると密漁で普通に犯罪です。
山でも、山菜やタケノコ、きのこなどは人の手で栽培しているワケではありませんが、大抵の山には所有者が居るので、勝手に登った時点で不法侵入です。山のものを所有者に無断で持ち去ると更に窃盗などの罪を重ねることになります。