39.二つの家族
今夜二度目の電話は、興信所からだった。
妻が交通事故に遭ったが、怪我はないとの緊急連絡だ。
桜口は諦めて警察署へ向かった。
桜口は、いつもより二時間程早く仕事が終わり、既に家に居た。
妻は留守で、また時間潰しにどこへ行こうか考えていたところへ、警察から電話だ。
正直、死んでくれればよかったと思ったが、動転したフリで返事をして受話器を置いた。
取敢えず、背広を脱いで顔を洗うところへ、もう一度掛かって来た電話が興信所だ。
仕方なく、取る物も取敢えずの風を装い、警察署に駆けつける。
桜口は、会議室のような所へ案内された。
長机が口の字型に組んである。
その一角に妻の青褪めた顔があった。桜口に気付いて何か言い掛けたが、視線を泳がせ、口を噤む。
桜口の妻の他は、婦人警官に付き添われた小学生の女の子と、疲れ切った顔の中年女性と、新在家少年が居た。
中年女性は、新在家課長の妻だ。実物は写真以上に老けて見える。
桜口は、新在家課長の妻に会釈した。
新在家少年と目が合い、互いに小さく頷く。
「事故って、どう言うことだ? 怪我はないのか? 大丈夫か? 何があったんだ?」
桜口は、妻の肩を揺すった。
パイプ椅子に座ったまま、妻は何も言わない。
「ショックを受けているようですので」
案内してくれた警察官が、かいつまんで説明してくれた。
妻は、パート先の上司の自家用車に同乗した。
高速道路を走行中、上司が運転を誤り、センターラインを割って反対車線に侵入。避けようとしたトラックは、照明の支柱にぶつかり、運転席が大破した。
トラックの運転手は死亡。
上司の呼気からは、アルコールが検出された。
「飲酒運転?」
桜口は警察官に聞き返し、次いで妻の顔を見た。
妻は顔を伏せた。
「飲酒運転の上司と高速に乗って、どこへ行こうとしてたんだ?」
妻は顔を上げない。
桜口は言葉を変え、詰問した。
「新在家課長と酒を飲んで、車で、どこへ行こうとしてたんだ?」
「私は……飲んでません。会社の飲み会です。私は烏龍茶でお酒は飲んでません。遅くなったから、課長さんが家まで送って下さる途中だったんです」
妻は顔を上げ、一気に捲し立てた。
桜口は妻の肩へ置いた手に力を籠めた。
「随分、頭の悪い言い訳だな。新在家課長は三日前に実母が亡くなって今は忌引き中だ。会社からの電話は俺が取ったし、お前も葬式の手伝いをしたじゃないか。会社の飲み会なんて参加する筈ないだろ」
「い、いえ、あの、送別会があって、お世話になった方だからって顔を出されて」
「よくそんな息を吐くように嘘を吐けるもんだな。会社に確認すればすぐバレるのに」
妻は息を飲み、桜口を見上げた。
「私を、疑うんですか?」
「聞いた瞬間バレる嘘を平気で吐く奴の何をどう信じられるって言うんだ?」
視界の端で、新在家少年が母をつつく。
妻は机に突っ伏し、すすり泣き始めた。
「酷い……私は巻き込まれただけなのに」
新在家課長の妻がパイプ椅子から立ちあがった。その場で深々と頭を下げる。新在家少年も座ったまま母に倣った。
「新在家の妻でございます。この度はとんだことに巻き込んでしまいまして恐れ入ります」
「桜口です。こちらこそ愚妻がとんだご迷惑をお掛け致しまして恐れ入ります」
顔を上げた新在家夫人に桜口も頭を下げた。
「それはお互い様ですので、ご主人はお気になさらず……桜口さんの奥様、見え透いた嘘で誤魔化そうとしても無駄ですよ」
疲れ切った声が冷たく告げると、すすり泣きがピタリと止んだ。
新在家夫人は、桜口の妻に冷ややかな視線を注ぎ、事務的な口調で言った。
「ウチの主人と不倫しているのは存じております」
「嘘! デタラメよ! あなた、こんなオバサンと私、どっちを信じるのッ?」
桜口の妻が顔を上げて叫んだ。
「私よねッ!」
「信じるも何も、不倫の証拠は山程ある。さっきも口から出まかせに嘘八百並べたのはお前じゃないか」
「酷い……あなたまで、そんなコト言うの?」
桜口の妻は、ハンカチで顔を押えて肩を震わせた。
「別にアパートを借りて、気分を変える為に時々ホテルも使ってらしたんですね」
新在家夫人が、くたびれたバッグから写真を三枚取り出し、示して見せる。




