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傘渡り  作者: 髙津 央
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02.小さな観客

 人工島から橋を渡り、本土へ戻る。大きな交差点の手前に出た。

 こちら側には住宅もあるが、吹けば飛ぶような町工場から、世界的な大企業のプラントまで、大小様々な規模、業種の工場が犇めく工業地帯だ。


「俺、こっちだけど、爺ちゃんは?」

 東を指差しながら聞くと、老人はにこにこ笑って頷いた。

 一度は諦めた音楽との不思議な縁。

 変な下駄の老人との不思議な邂逅。


 老人は濡れていなかった。

 一体、いつからあの楠の下にいたのか。素足に下駄。この冷たい雨の中、震えることもなく、ただ佇む。

 袖触れ合うも多生の縁とは言うが、あの場所をあの時間に歩く者は、大石しか居ない。


 ……この爺ちゃん、俺を待ってたのか?


 そんな思いが頭をかすめた。すぐ、流石にそれはないと否定する。

 誰かと待ち合わせするようには見えない。

 雨はもう何日も降り続く。

 どこへ行こうとしたのか。

 トラックでヒッチハイクして、どこからか来たのか。

 それにしては、不自然な場所だ。

 一般人が立ち寄りそうな場所は、コンビニくらいしかない。釣り人は立入り禁止で、警備員や倉庫の職員にみつかれば、追い払われる。フェンスで囲まれ、役所の許可がなければ、立ち入れない区画もある。

 せいぜい、暴走族が埠頭で度胸試しのチキンレースをするくらいだが、この老人がそんなものに関わるとも思えない。



 道なりに歩き、河口まで来た。

 川向こうに製鉄所の巨大な煙突が見える。赤いランプが目玉のように瞬いた。

 川のこちら側もあちら側も、工場の隙間を小さな民家やアパート、社宅が埋める。

 白壁の家は一軒もない。

 どの家も、工場の煤煙と車の排気ガスで灰色に煤ける。


 小さな町工場の中には、仕事の終わりに、路上に置いたドラム缶で産廃を燃やす所もあった。廃材の切れ端や汚染された雑巾、洗濯不能な程に汚染された手袋や作業服など、細々したゴミだ。

 その妙にベタついた黒煙が、街を汚す。

 近所の奥さんたちは「外で洗濯物、干せないから、乾燥機の電気代やらガス代やら、高くついて困るわぁ」とぼやく。

 キレイに洗濯した白いレースのカーテンが、一週間もしない内に灰色になってしまう。


「こんなとこ、早いとこ引越したいけど、仕事がねぇ……」


 仕事の部分が「商売」になる人もいるが、世間話のぼやきは大方、そんな言葉で締め括られる。


 子供が喘息(ぜんそく)になり、医者代が掛かるのに看病で手が離せず、パートを辞めたと言う話もあれば、やっと公害病の認定を受けられて、喘息の治療費だけは、心配なくなったと言う話もあった。


 大石は、深夜や早朝の帰宅時に、救急車と行き合うことも度々あった。

 何度か、小さな家やアパートから搬送されるところにも、出喰わした。

 数十メートル離れた所からでも、激しい咳や喘鳴(ぜんめい)が、はっきりと聞こえた。小さな子供の身体のどこから、あんな大きく重く低く激しい音が出るのか。

 気道で空気を引きずり、地を這うような重い喘鳴は、虎の唸りに似る。激しく絶え間ない咳は、痰の絡んだ重低音。大人でも到底、真似できない。

 咳の反動で無理矢理、呼吸する。その体力すら失えば、そこで終わる。力ずくで呼吸する音が、電線を甲高く鳴らす虎落笛(もがりぶえ)に聞こえることもある。


 全てが大石の理解の範疇を越える。


 大石本人も身内も、体が丈夫だ。何年かに一回、風邪を引く程度で、救急車を呼ぶような大病とは縁がなかった。

 初めて搬送と出喰わした時、足が震えた。

 自分のことではない。

 名前も知らない他所の子供だが、目撃しただけの大石の動悸は激しくなった。口がカラカラに乾き、救急車が走り去るまで、一歩も動けなかった。



 東西に細長い公園の西端に差し掛かった。公園に沿って歩く。

 老人が何も言わないので、大石は見た物から連想される物思いに耽ったまま、足を前へ出した。

 公園にはひとつも遊具がない。ベンチと砂場、花壇、小さな藤棚だけだ。

 大石は、よくこの藤棚の下でギターを練習する。


 コンビニのシフトの都合で、日によって時間帯は変わるが、天気のいい日は毎日、ここで弾いた。

 学校が終わった時間なら、近所の子供が観客になった。

 もう少し山側にある南町公園なら、遊具がいくつもある。日によっては紙芝居屋も来る。

 紙芝居屋の老人は、桜材の拍子木を打ち鳴らしながら、町内を一周する。その高く澄んだ音を聞きつけ、子供らは南町公園へ走って行く。


 後に残るのは、いつも同じ面子だ。


 男子中学生と小学生の妹。妹の同級生の女の子の三人だ。

 この子の名前は知らないが、何度か深夜に喘息の発作で救急搬送されるのを見たことがある。

 日中、発作がなければ、元気そうに見える。

 元気そうに見えるのは、元気な日にしか公園に来ないからだ。


 それでも、紙芝居へ走って行かないのは「動くのがしんどいから」だ。

 小学校低学年……二年生か三年生に見える子が、体力を温存する為に、紙芝居を見に行くことを諦めるのだ。


 大石が同じ年頃だった頃は、学校が終わればランドセルを放り出して、友達と夕飯まで近所を走り回り、何も考えずに遊んだ。

 田舎だったから、南町公園のように立派な遊具を備えた公園はなかったが、遊ぶ場所は沢山あった。


 病気の子の顔にあるのは、我慢ですらない。不本意に我慢を強いられる悔しさすら通り越し、諦観に達した無表情だ。


 兄妹は「カネがないから」行かないと淋しそうに笑った。大石は迂闊な質問に臍を噛んだが、平静を装い、ギターを爪弾いた。

 紙芝居を見るのは無料だが、二十円から百円程度の駄菓子を買うことが、暗黙の了解だ。

 小麦粉を溶いて薄く延ばして焼いたせんべいは一枚二十円。

 味付けはソースが無料、いちごジャム二十円。水飴三十円。

 型抜きは一回百円。上手くゆけば、ジャムを混ぜた水飴をせんべいで挟んだ物がもらえる。失敗すれば、味のない型抜き菓子の破片を掻き集めて食べる。


 どこの子か、聞いたことはない。

 この兄妹も、紙芝居に行けないことを悔しがる様子はない。強がりではなく、諦めきった顔だ。


 服は小奇麗だが、お下がりなのか、かなり流行遅れだ。

 幼い顔に不釣り合いな諦めが、三人を大人と子供のキメラにした。


 三人は大石がテレビアニメの主題歌を弾いてやると、喜んだ。その一瞬だけは、大人の諦観が消え、子供らしい無邪気な笑顔を見せる。



 この雨のせいで、何日も会えないことが、悲しかった。

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