フレデリク「それだけは……それだけは本当に勘弁してくれ!!」
この世界にもシェイクスピア先生が居られるとしても、今は引退して故郷ストラトフォードの邸宅に住んでいる頃ですから、この夜ドラゴンを見る事は出来なかったと思います。残念です。先生がロンドンの空を舞うドラゴンの姿を見ていたら、どんな作品を書かれていたのでしょうか。自分でも何を書いているのかサッパリ解りませんが。
三人称ステージ、まだ続きます……
「ちょっと待て……マイルズは無事なのかこれ!? おーい! 僕は降りる、マイルズも降ろしてくれ! いや、だからってそのまま足を離すなよ!?」
「もう少し、このまま乗っていては貰えぬのか? 我が友よ……汝を降ろした後は、余はとにかく人里から離れた所へ逃げねばならぬ。人の身体に魂を宿す汝とは、恐らく二度と会えぬのだぞ」
「マイルズ! 生きているのか!? 生きているなら返事をしてくれー!!」
マカーティは答えない。フレデリクは青ざめ、竜の鋼のように硬い鱗を平手で連打する。
「降りろー!! 早く降りろー!!」
「そうか……では降りるとしよう……うむ、あの猫は確か汝の友人であったな」
竜の眼は、ホテルの屋根の上で必死に体を膨らませてニャーニャー吼えるぶち猫の姿を見落としてはいなかった。竜は空中で向きを変え、その建物の渡り廊下の屋上に静かに降り、足の爪の間に挟んでいたマカーティを解放する。
「マイルズ!」
フレデリクは竜の背中からホテルの屋上へと滑り降り、ぐったりとして動かないマカーティに駆け寄る。
「フシャー!!」
「ごめん、あとで!」
屋根の上から降りて来て怒っているぶち猫を尻目に、マカーティの横に屈みこんだフレデリクは、気絶しているマカーティの頬を遠慮もなく引っぱたく。二度、三度。
「起きろマイルズー!!」
その間に竜は再び空に舞い上がって行く。凄まじい風が巻き起こり、飛ばされそうになったぶち猫は必死で地面に貼りつく。
「この……クソが……ッ!」
マカーティが、いつもの悪態と共に目を覚ます。フレデリクはマカーティがぐったりしている間は大変に心配していたのだが、無事だという事が解ると、帽子の鍔で目元を隠し、唇を歪めて笑う。
「丈夫な奴だな。ドラゴンの爪に掴まれて散々振り回された割には元気そうだ」
「誰のせいだこのクソ野郎ォォ!!」
胸倉を掴まれそうになったフレデリクは慌てて飛び退く。マカーティはよろよろと起き上がり、屋上の手摺りにもたれかかる。酷く呼吸が乱れていた所に大声を出したものだから、それ以上の事は何も出来ない。
「て……てめえは無事なのか……」
ようやく、マカーティはそう絞り出す。
「う、うん……閃光弾の暴発には参ったよ……棍棒で胸を殴られたのかと思った。アイマスクが無かったら目を失っていたかもしれない」
「そこまでして……」
マカーティは手摺りに背中を預けて崩れ落ちる。上空ではまだドラゴンが飛び回り、咆哮を上げている。
「そこまでして、俺を助けた理由は何だ……お前……そんなに俺の事が好きだったのかよ」
いつになく血の気の引いた青白い顔をしたまま、マカーティはそう言って、僅かに口角を上げたが。
「違う! 勘違いさせたら申し訳無いが断じてそんな事は無い!!」
強く、速やかに。フレデリクはそれを強く速やかに否定した。帽子の鍔からアイマスク無しの視線を覗かせ、フレデリクは真顔で強く速やかに叫ぶ。
「いや、そういう意味じゃない、好きか嫌いかで言われたら、別に僕は君の事が嫌いではない、強いて言えば好きと言える範囲に分類してくれてもいいが、それはあくまで遠くで見守っている場合に限った話で、近くに居る時の君は下品でうるさくて面倒臭いから、どちらかと言えばちょっと嫌いな……いやそんな事は無いよ、僕は別に君が嫌いじゃない!」
マカーティは大口を開ける。
「そこまで言うのかよ……」
「僕が君を連れ出したのは……どうしても間に鉄格子無しで、差し向かいで言ってやりたい事が一つあったからだ! その後はお前の勝手だ、どうしても処刑されたいと言うのなら牢屋にでもあの処刑場にでも帰るがいい、だけど! これだけは言わせて貰うぞ!」
フレデリクはそう言って、左手で帽子を押さえながら右手で真っ直ぐにマカーティを指差す。マカーティは真顔で、小さく呟く。
「ああ。言えよ」
「その前に。お前を助けた理由が解らないだと!? お前が赤の他人の為に、フルベンゲンの人々の為に、恥を忍んで土下座なんかするからだ! あんな土下座をされたらこっちだってこのくらいの事はしなきゃと思うのは当たり前だろう! そういうのが嫌なら軽々しく土下座なんかするな、今度からはもう少し考えてから土下座しろ!」
マカーティはそれを聞き、鼻で笑って首を振る。彼も、フレデリクが言いたい事などどうせそんな事だろうと思っていたのだ。しかしフレデリクは話を続けた。
「お前が司法局から連れ出される時、真っ先に馬車を襲撃したのは誰だと思ってるんだ、お前の海兵隊長のワービックと仲間達だ! ワービックは怪我をして、ダンバーの支持者の病院に匿われているんだぞ!」
「何だと……どういう事だ!?」
マカーティはその事を知らなかった。馬車の周りが騒がしかった事、馬車が酷く急いで走った事は覚えていたのだが。マカーティはその事を詳しく聞きだそうとした……しかしフレデリクは話を続けた。
「死んで行った部下達の話もそうだ! フルベンゲンで共に海賊に立ち向かい、最後まで力を尽くして死んだ奴が、艦長のお前が黙って処刑される事を望んでると思うのか!?」
マカーティもこれには答えられなかった。実際の所は死んで行った一人一人に聞かなくては解らないが、恐らく、自分が処刑される事を望んでいない奴だってたくさん居たと思う……いや、ほとんどの奴がそうだと思う。
なのに自分は死んで行った奴らのせいにして、戦う事を放棄していたのか? マカーティはそう自問する。しかしフレデリクは話を続けた。
「ハロルドや他の仲間達だって、生きる為に戦おうと何度も言って来たんだろう、法律家を呼んで順法闘争をしようと皆勧めたはずだ、何故それを断った!?」
マカーティは顔を上げる。そんな事は出来ないと思ったからだ。順法闘争には大変な金と時間が掛かるのだ、ただでさえ職を失って苦しくなる仲間達に、そんな迷惑は掛けられない。マカーティはそれを説明しようとしたが、フレデリクは話を続けた。
「お前ハロルドに何と言った? 本人だって口には出さないけど気にしてるに決まってるだろ、なのに何で、いくら喧嘩したからって彼をその、頭髪量が少ない人を指すふざけた言葉で呼んだんだ!? 僕は彼は君より10歳以上年上だと思ってた、冗談じゃない、あいつ君と同じ年だそうじゃないか! 気の毒だろうそんなの!」
マカーティの顔面が強張る。この馬鹿は突然何の話を始めたのか? いや、確かに自分はハロルドの事をハゲと言ってしまった。しかしそれはお互いに罵りあう中で自然に起きた事で、どちらか一方だけが悪いという話ではないと思う。マカーティだってハロルドに他の言葉で罵られたのだ。そもそも、今フレデリクが言った事の方が余程、ハロルドに対して失礼ではないのか? マカーティはそう抗議しようとしたが、フレデリクは話を続けた。
「お前はハロルドに何と言った? どうせモテないから助からなくていいだと? お前は生まれてから今までに何人の女性と会ったんだ、その数は世界の女性の1%にでも達しているのか!? 君はそれで世界の全てを見たつもりか!? ちなみに僕は自分がもし女性だったとしても君の事は好きじゃないと思うけど、君の事を好きな女性も広い世界にはきっと居る!」
マカーティは怒りに震える。一体このクソ野郎は何様なのか? 第一自分はそこまで言っていないし諦めてもいない、いや確かに自分はハロルドに言ったかもしれない、ハゲのくせにモテまくりやがって、俺なんかモテないから死んだっていいんだと。だけどそれはハロルドに対するただのあてつけだったのだ。しかし怒りのあまり言葉が出ないマカーティに構わず、フレデリクは話を続けた。
「お前には絶望的に素直さが足りないんだ! 下品な言葉で自分を隠してばかり、いい歳して何を恐れているんだ、面倒臭いしうるさいしみっともない、そんなんだから女が寄って来ないんだ! いや、そんな君でも好きになってくれる女はきっと何処かにいる、だから生きろよマカーティ! お前みたいな下品で怒りっぽくて相手が女だと態度をコロコロ変える見苦しい男でも好きになってくれる女は、ここには居ないけど広い世界には必ず居る!」
怒りが二周回って虚無の境地に達したマカーティの顔から、全ての感情が消えた。フレデリクは話を続けた。
「そんな君に服飾の専門家として、どうしても一つ言いたい事がある。靴下は履いた方がいいよ? 君は身だしなみに気を使ってるように見えるけど、絶望的に足が臭くて……靴下は嫌いなのか? 履き古した柔らかいブーツが好きなのは解るけど、そういうブーツを履くなら靴下は履くべきだ。そして毎日洗ってきちんと乾かした物に履き替えろ。そうすればその足の臭いもいくらかはマシになる。それが僕がどうしても君に言いたかった事だ。こんな事鉄格子越しに言うのは卑怯だろ?」
マカーティは手摺りにぐったりともたれたまま、素顔のフレデリクを見て、感情の無い顔で呟く。
「フルベンゲンで赤いドレスを着ていたオカマ野郎……あれはやっぱりてめえじゃねーか……」
「え? 何の事だか僕にはさっぱり」
フレデリクは再び帽子の鍔でマカーティの視線を遮る。
マカーティはよろよろと立ち上がると、抑揚の無い声で言った。
「決めた。俺、お前の船で海賊になるわ」




