マカーティ「な……何を言ってるんだお前は?」
ダンバーやその支持者達にはマカーティを助ける事を約束し、王宮には速やかな処刑を進言し、仕上げには司法局が失敗するのを見届けてから、軍勢を率いて姿を現したスペード侯爵……狡猾な男です。
―― ゴゴゴゴゴォ……
どこか遠くで、雷が鳴った。
フレデリクは、真っ直ぐにスペード侯爵に向き直る。
「貴方は次の海軍卿になられる方だと聞いた。ここに居るマイルズは見ず知らずの罪なき人々を、異国の市民を略奪と殺戮から守る為、嫌いな相手にも頭を下げて協力を求め、戦いの時は先頭に立って血と汗を流し奮闘し、大いに数に勝る侵略者共を打ちのめした、愛と勇気と実力を持った真の英雄なんだ。こんな男を謂れなき罪で処刑するのは間違っているし、レイヴン海軍にとって、ジェフリー陛下にとって大変な損失に他ならない。そうは思わないか」
今度は侯爵が俯き、溜息をつく。
「フレデリク君、私は馬鹿ではないつもりだよ、そんな事は十分承知しているんだ。それでも君やファウスト・フラビオ・イノセンツィと勝手に共闘した海軍艦長が生きていては、色々と困るんだよ」
侯爵は処刑場に唯一残っている司法局の特使補佐官に顔を向ける。彼は逃げ出した自分の馬を追い掛け刑場内を走り回ってやっと馬の引き綱を捕まえたが、落ち着きを取り戻さずまだ走り回る馬に引き摺られ、腹ばいに滑っていた。
「レイヴンとしては、ストークとの交渉が始まる前にマイルズ君を処分するしかなくてね。彼は海賊の一味でありレイヴンとは無関係だったと……正直私だって気が重い。海軍にはマカーティを救えと言ってる奴が少なからず居る」
「だったら……!」
「理解してくれ給え。不都合が多過ぎるんだ」
フレデリクと侯爵が話している間に、騎兵達は半分が馬を柵に繋ぎ、歩兵となって駆け戻って来た。彼等は剣とマスケット銃で武装している。
侯爵は、指を振る。
「さあ、海賊グランクヴィストを捕えよ! 手配書とはだいぶ顔が違うが、マカーティ艦長を救出しに来たこの男こそ真のグランクヴィストに違いない」
司法局の番兵よりは実戦経験の豊富な侯爵家の私設騎兵は素早く二列縦隊を組んでフレデリクとマカーティに迫り来る。
「逃げろマイルズ! 行け!」
「てめえが逃げろグラン……!」
非効率な押し合いをしていたフレデリクとマカーティは騎兵の列がいよいよ迫ると二手に分かれて飛び退き、列に対し直角に逃げる。
―― ドン!
フレデリクは馬を奪おうと覚悟を決めて、サーベルを揮って迫りくる騎兵の一人に、短銃を向けて発砲する。しかし騎兵のサーコートの肩口を捉えた弾丸は火花を散らして弾かれる。騎兵はサーコートの下に立派な鉄鎧を着ていた。
さらに複数の騎兵が、散開しながらフレデリクに迫る。
―― ドン! ドン!
「なにィ!?」「おっ、落ち着けッ!」
しかしフレデリクは魔法の短銃の引き金を立て続けに引く。短銃は一度撃てば終わりと思っていた騎兵達は、虚を突かれ動揺する。銃弾はやはり鎧に弾かれたが。
一方。
―― ズザザザァ!
「クソがぁ!」
「観念しろ囚人め!」「構わん、一突きに突き殺せ!」
両腕の効かないマカーティは必死に騎兵の突撃を回避していたが、とうとう砂に足元を取られて転倒してしまう。騎兵達は馬上から短い槍で突き殺そうと、マカーティ目掛けて次々と迫る。
「マイルズ!」
フレデリクは行き交う馬群に跳ねられそうになりながら、マカーティの元に辿り着くと、
―― ドン!
再び発砲して迫る騎兵を牽制し、
「立て! 早く! 逃げろ!」
マカーティの腕を引っ張って助け起こしつつ、次に迫る騎兵に短銃を向け、
「来るなああ!」
右手を手放し、青いジュストコールの懐に入れ、何かを取り出す……
―― バァァン!!
次の瞬間、爆音と共に激しい閃光が輝き、辺りの全てを焼き尽くすように照らした。
馬達は驚いて立ち上がり、何人かの騎兵は落馬する。
「何が起きた!?」
暗く広い処刑場で、松明の灯りを頼りに戦闘していた者達全てが突然の閃光に目やられ、一時的に視力を奪われた。それは30m程離れて様子を見ていたスペード侯爵も例外ではなかった。
「閃光弾か! 厄介な物を……!」
この閃光にやられずに済んだ者が一人居た。フレデリクが急に手を離した為バランスを崩してうつ伏せに転倒していたマカーティだ。
地面に鼻をぶつけたマカーティは急に手を離された事に怒りながらも何とか急いで立ち上がる。
―― ゴロロロロォ……
どこかでまた雷が鳴る。今度は少しだけ近づいているように聞こえた。
「グラン……!」
振り返ったマカーティが見たのは、うつ伏せに倒れたフレデリクと、跳ね飛んで落ちたアイマスクと帽子だった。
「この野郎! 何倒れてんだ!」
手枷をつけたまま、マカーティは倒れたフレデリクに飛びつくように駆け寄る。
「グラン……フレデリク! しっかりしやがれ!」
フレデリクが取り出した閃光弾は素人が見様見真似で作った物だった。それは一つ目はどうにか期待に近い働きをしたものの、二つ目はそうはいかなかったのである。この閃光弾はフレデリクが懐から取り出し、栓を緩めて投げつけようとした瞬間に暴発したのだ。
「立てよこの……!」
マカーティは手枷のついた手でどうにか、向こう向きにうつ伏せになっていたフレデリクの体を仰向けにひっくり返す……マカーティは、そこで言葉を失う。彼はこの男の素顔を見るのは初めてだと思っていた。だけどこれはまるで美しい少女ではないか。
フレデリクは、目を閉じたまま、力なく呻く。
「う……ううっ……」
「目ェ開けろ! 起きろよこの野郎、お前は強くて自由な大海賊、フレデリク・ヨアキム・グランクヴィストだろうが! 起きろ馬鹿野郎!」
マカーティは叫ぶ。
フレデリクのきめ細かい肌の、仮面に保護されていなかった部分には、小瓶の破片によるものか、たくさんの細かい傷が出来ていた。先程まで地面を見ていたマカーティはフレデリクが他にどんな怪我をしているのか解らない。
「どうやら自業自得のようだねえ。正義は必ず勝つ、という所かな」
そこへ。十分な数の歩兵を従えたスペード卿が、騎乗のまま近づいて来る。
周りの騎兵達も混乱から回復し、どうにか馬を落ち着かせながら、その様子を見ている。唯一の脅威である海賊フレデリクが無力化されたようなので、皆ある程度緊張を解いていた。
「そして……残念だよマイルズ君。次期海軍卿の私としては、本当に君の事は気に掛けていたんだよ? だけど君は完全に、自分がその海賊の身内だったという事を自ら暴露してしまったようだな……堕ちたもんだねぇ、全く」
マカーティは苦しげに喘ぐフレデリクに覆い被さったまま、少しだけ顔をスペード侯爵の方に向ける。
「だけど、そうだなあ。君がどうしてもと言うなら、君の最後の名誉くらいは守ってあげないでもない。どうって事は無いよ、私は今ここで聞いた君の台詞を無かった事にしてあげよう。君は大人しく処刑されたと、国王陛下に伝えてあげる。さて……フレデリクは危険な男だそうだ」
スペード侯爵はそう言って、馬を降り歩兵となっている騎兵の一人に顎で合図する。合図を受けた騎兵は頷き、銃剣をつけたマスケット銃を手に、倒れているフレデリクに近づいて行く。
「速やかに、始末なさい」
―― ガキン!
フレデリクを突き殺そうとして近づいた、騎兵の銃剣が弾かれる。
―― ゴォォア! ゴォォォオォ!
また雷鳴が鳴る。すこしずつ近づいているようだ。
「触んな……誰もこの野郎に触んなぁ!」
マカーティは忠犬のようにフレデリクと周りの男達の間に立ちはだかり、フレデリクが手放していた刃こぼれの酷いサーベルを、手枷のついた両腕で構えていた。
「そうかい……君は私の慈悲を断るのか。残念だよ、君にはせめて潔く死んで貰いたかったなあ。海軍卿として国王陛下に報告しなくてはならない私の立場、解って欲しいものだが」
間にマカーティが居る為、マスクを無くしたフレデリクの顔は侯爵からはまだ見えていなかった。
「よせ……」
マカーティの背後で、フレデリクが呻き声を上げる。マカーティは周囲をサーベルで威嚇しながら叫ぶ。
「立ち上がって逃げろフレデリク! 早く行け、お前は生きろ! 生きろー!!」
次の瞬間。フレデリクは顔を上げ……夜空に向かって絶叫した。
「来るなッ……こんな所に来るなああああー!!」
―― ギャオアアォアアア……!!
侯爵や他の騎兵達も思わず空を見上げる。
雷鳴は今や、頭上で鳴っていた。




