柄の悪いマリー「もういいこのタコ助のド頭に短銃突き付けて引き金引けやあああ」天使のマリー「待って! この人は訳があって言ってるのよ!」
色々理由あって、マリーは人を誰彼なく信じるタイプの人間ではありません。彼女はダンバーを信じてない訳ではなかったのですが、レイヴンの司直を信じておらず、一人密かに監視を続けていて、処刑場にまで現れてしまいました。
男は手綱を操り、馬を処刑台に向かって走らせる。
「狼藉者だ! 食い止めろ!」
「敵は一人だぞ!」
司法官達はそれぞれに携帯していた短銃を取り出す。男は彼等の前を迷わず馬で駆け抜けると、懐から何かを投げ落とす。
―― バリン!
「うわっ!?」「何だこれは!」
男が投げ落とした小瓶は地面に落ちると爆裂し、白い炎を上げて燃焼し辺りを一瞬真昼のように染める。目の眩んだ司法官達はたじろいで蹲る。
「マイルズ! こっちに手を伸ばせ!」
馬で乗りつけた小柄な男は、処刑台にひざまずくマカーティを引き上げようというのか、馬上から小さな手を伸ばす。
「行かねえって言ってるだろう! 俺は王国に逆らうつもりは無ェ!」
しかし処刑台の前でひざまずいたまま、マカーティは男の救いの手を拒絶し、そう叫ぶ。男はマカーティの前を10m程行き過ぎた所で馬首を返す。
「頼むよマイルズ、一緒に来てくれ!」
男はそう、懇願する。
「消えろ……」
マカーティは最初に一言、そう絞り出すように言った。彼は思う。どうすればこの人物は自分を諦め、自由な海へと帰ってくれるのか。マカーティは、自分の為にこの人物を死なせたくはなかった。
「消えろこのクソ南瓜頭があぁぁあ! 二度とその面見せんなクソチビ、毎度毎度高い声でキンキンキンキン煩せえんだよこのストークの便所コオロギが! 何遍も言わせんな、てめえの耳ン中には馬糞が詰まってやがんのか、丸顔へちゃむくれのオカマ野郎! てめえの御節介は、ほとほとうんざりなんだ、この、貴族気取りの、田舎のフンコロガシ野郎ォォー!!」
マカーティは片膝を立て、男に、そう罵声の片舷斉射を浴びせる。
青いジュストコールの男は、帽子の鍔で俯き加減に表情を隠したまま、黙って馬から降りた。
マカーティの近くには少なくとも二人の兵士が居た。一人は処刑用の巨大で重厚な両手持ちの斧を持っている。もう一人はサーベルだ。
「か、観念しろ、お前一人で我々にかなうものか」
二人の兵士はそう言ってそれぞれの武器を構える。
司法局直属の兵士が持つサーベルは仕立ての良い、丁寧に研ぎ上げられた見事な物だった。処刑用の斧も、相当な重量と切れ味を両立させた恐ろしい武器だった。
青いジュストコールの小柄な男は、無言で腰のサーベルに手を掛けた。
―― ゴジゴジ、ゴリッ、ズバッ。
サーベルは耳障りな音と共に、鞘から引き抜かれる……
「ひ……ひいいっ!?」
兵士達は驚きに震えた声を挙げ、それぞれ二歩後ずさる。
青いジュストコールの小柄な男が抜いたサーベルは、見るも恐ろしいボロ刀だった。いったいどれだけの戦いに使われ、どれだけの生き血を啜って来たのだろう、その刀身は刃こぼれが酷くぎざぎざで、斬った相手の血と脂で赤黒く錆びている。
マカーティもこの男がサーベルを抜くのを近くで見るのは初めてだった。さすがに場数を踏んだマカーティは刀の見た目だけで肝を潰されるような事はなかったが、その焦りの色は濃かった。マカーティはこの男を、もっと温厚で殺戮を好まない人間だと思っていたのだ。
アイマスクに隠れて見えない、青いジュストコールの男の目が、不気味に発光しているように見える……
「マイルズ、黙って僕と一緒に来い」
「や……やめろグランクヴィスト! そいつらはただの守衛だ、無暗に殺すな!」
処刑台の前で膝立ちになっていたマカーティは立ち上がり、青いジュストコールの男、フレデリク・ヨアキム・グランクヴィストに向かって叫ぶ。
「何をやっているんだ! 相手はチビ一人だ、さっさと片付けてしまえ!」
そこへ上席の特使が遠くで叫ぶ。彼は装填済みのフリントロック式の短銃を手にしていながら、自分の馬に乗ったまま、30mも間合いを取って様子を見ていた。
―― ドォン!
次の瞬間、司法官の一人が短銃をフレデリクに向け、発砲した。
―― ドォォン!
もう一人の司法官も撃った。
フレデリクは微動だにせずその場に立っていた。
上席の特使に言われて司法官二人はつい引き金を引いてしまったが、彼等はもっと近づいてから引き金を引かなくてはならなかった。
弾丸が当たらなかったフレデリクは、懐から左手で自分の短銃を取り出すと、ピンを外してハンマーを起こし、大股に司法官の方へ近づいて行く。
「ひっ、ひえっ!?」
司法官達は自分達のマニュアル通り、短銃を撃ってしまった後は自身の安全を確保する為全力で後退、つまり逃走する。
「ま、待てー! どうどう!」
若い補佐官の特使の方はフレデリクが放した自分の馬を追い掛け、広い刑場の中を走り回っていて役に立たない。
「わっ……私は増援を呼んで来る! お前達はそのチビを片付けろ!」
そして結局、上席特使も残された兵士に向かってそんな事を言って馬首を返し、刑場から逃げ出して行く。
フレデリクは司法官を追うのをやめ、兵士とマカーティが居る所に戻って来る。
馬車の馭者と助手は、ただその成り行きを茫然と眺めていた。
兵士達はまだ顔を見合わせている。片付けろと言われても、この小柄な男はサーベルの他に装填済みの短銃を持っていて、その扱いにも習熟しているように見える。この男に斬りかかった先着一名は、短銃で撃たれて死ぬ確率が高い。
自分を攻めあぐねる兵士達を見て、フレデリクは溜息をつき、真顔のまま銃と視線をマカーティに向ける。
「馬車に乗れよ」
マカーティは膝をつき、がっくりと項垂れる。本当に自分は指名手配犯に誘拐され、国王命令を果たせなくなるのか?
「この……手枷を切れ」
◇◇◇
その頃、処刑場の門の外では。
「結構、結構。そこまでだ」
その人物はその瞬間を待っていた。司法特使が門から外へ出たその瞬間。ジョージ・ウッドヴィル、通称スペード侯爵は、馬に乗ったまま街道沿いの民家の影から現れ、特使の馬の前に立ち塞がった。
特使は顔見知りの侯爵を見て驚き、慌てて馬を止める。
「ス……スペード卿……!」
「残念だねえ……司法局はマカーティ艦長の処刑に失敗したようだ。正規の手順を無視してこんな夜中に必要な立会人も置かず、彼の処刑を既成事実にしてしまおうとしたのに……それにすら失敗しちゃうなんて。これは無残な失態として、陛下に報告しないといけないねえ」
侯爵はそう言って、会心の笑みを浮かべた。
これは貴族同士の政治権力、役所同士の縄張り争いの類である。海軍を地盤とするスペード侯爵にとって、外務局や司法局は潜在的な政敵だった。マカーティの事件は海軍が叩かれ他の部署の権力が増す嫌な事件だったのだ。
スペード侯爵の背後からは、他にも十分に武装した数十騎の騎兵が現れた。
特使は忌々しげに叫ぶ。
「貴方は最初から様子を見ていたのだな!? 我々が、司法局が失敗するのを、手薬煉引いて待っていたのだろう!」
「人聞きの悪い事を言わないでくれるかな。それに言い方には気をつけた方がいいと思うよ? 君は今や私の慈悲にすがるしかない敗者なのではないかね?」
そこへちょうど。処刑場から走って逃げて来た二人の司法官も追いついて来た。
「スペード卿!? 助けに来て下さったのですか! 御願いします、あの囚人は処刑場で待ち伏せしていた賊徒の手に落ち、今にも逃亡しようとしています!」
侯爵は司法官達から顔を逸らし、東南の空の、二十日月を見上げる。
「だ、そうだが。どうする特使殿?」
◇◇◇
処刑台ではフレデリクが、マカーティの手枷を刃こぼれしたサーベルで鋸のように挽き切ろうとしていたが。
「罠だ、今すぐ失せろ!」
マカーティは処刑場の門に最初の騎兵が現れるのを見るなり、処刑台から手枷がついたままの手を引き上げ、立ち上がってフレデリクに短くそう叫ぶ。
フレデリクもそれを見た。数十騎の騎兵が列を成して、馬に諾足で早歩きをさせながらこちらに向かって来る。通りすがりの、巡回中の衛兵などという様子ではない。それは明らかに自分がここに来る事を予想して用意されていた、完全武装の軍勢だった。
「馬車に乗れマイルズ、早く!」
「いいからてめえ一人で逃げろ! 行けよ!」
フレデリクとマカーティは軍勢から後ずさりしながら、互いを突き飛ばし合おうとする。
騎馬隊の先頭に、鎧をつけていない身形のいい若い男が進み出る。
「そちらがフレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト君だね? お初にお目にかかる。私はジョージ・ウッドヴィル、皆にはスペード侯爵の通り名で知られているよ……以後、お見知り置きを」
スペード侯爵がそう丁寧に挨拶をすると、フレデリクは動きを止め、溜息をつく。侯爵は小首を傾げる。
「いや、初対面だよねえ? 以前どこかで会ったのかい? すまないが、私の方ではちょっと思い出せない」




