ロブ「さっきから熱心に見てるけど、真似しちゃダメだからな?」マリー「ま、真似なんてするわけないじゃない、危ないもの!」
今さらながらロンドンの処刑史について勉強したんですけど、近世には公開処刑はエンターテイメントみたいになってたんですね。有料観覧席があって物凄いたくさんの見物人が居て……18世紀中頃に当時の画家が描いた処刑見物の絵があるんですけど、勝手に馬車の屋根に登る奴や、塀によじ登って見てる奴もいるし、あちこちで乱闘騒ぎ? も起こる中、物売りが居て赤子を抱えた御婦人や裕福そうなマダムなんかも居て、もうすっちゃかめっちゃかですよ。
枢密院は要求を受け入れ、議会としてマイルズ・マカーティ艦長に対する裁判のやり直しを求める事を決めた。
「この件はこの私、ジョージ・ウッドヴィルが直接担当しよう。実を言うと私はここ数日その件に関わって来たんだ、プレミスとノーラの海軍司令部に出張していて、今朝やっとブレイビスに帰って来た。私もマイルズ艦長は救われるべきだと思うのだよ!」
スペート侯爵はホワイトオーク宮殿の周りに集まった群衆の前でそう宣言し、喝采を浴びた。
「君の奮闘のおかげだ。ありがとう、ジョフリー・ダンバー君」
「……光栄です、ウッドヴィル閣下」
スペード侯爵とダンバーが握手を交わすと、群衆はもう一度喝采を上げる。
ダンバーは市民有志の警護を受けながら、ラディックの亡骸を乗せた荷車と共に、宮殿から引き揚げて行った。
◇◇◇
一方。司法局の馬車を緊急保護していたブレイビス北西城門の砦では、市民有志と陸軍の睨み合いが続いていたが。
「枢密院が裁判のやり直しを決定したぞー! 明日の朝にも布告されるそうだ! 皆、今夜はもう帰っていいぞー!」
スペード卿の部下は、そうとは知らない市民達にそう叫んだ。
「やったぞ! 我々の勝利だ!」「国王陛下万歳!」
陸軍の発砲で緊張の高まっていた現場も落ち着きを取戻し、市民有志達は三々五々、家路へとついて行った。
そして砦の周囲に人が絶えると、黒い外套を纏った男達が馬でやって来た。
「今のうちに死刑囚、マイルズ・マカーティを刑場へ運ぶのだ。処刑は予定通り、日付が変わり次第執行する」
砦の陸軍の隊長はマカーティの立場に同情しつつ、同じ国王陛下に仕える者として超法規的に司法局の人員を保護し、市民との対話や狼藉者の排除に苦慮して来たのだが。
「待て、枢密院は明日にも裁判のやり直しを求めると聞いた!」
「そんな噂話がどうかしたのかね? 我々の手には明日付でマカーティの処刑を執行せよとの署名入りの命令書がある。我々は司法局の特使だ、司法の事はお前達軍人の関わる事ではない」
マカーティは砦の陸軍により客人として扱われ手枷も外されていたが、司法局の役人は、塔から降りて来たマカーティにすぐに手枷をつけようとした。
「いい加減にしたまえ! マカーティ艦長は一度だって司直に逆らっていないのだろう!? いちいち手枷をつけて侮辱する必要はなかろう!」
「しかし、これは決まりなので……」
「決まりと言うのなら、我々には貴公らを保護する謂れも無かったのだ! この砦はブレイビスの北西城門を外敵から守備する為の物であり、司法局の不始末の尻拭いをする為の物ではない!」
陸軍の隊長に一喝され、結局マカーティは手枷をつけられないまま馬車に乗せられた。
「世話になったよ。ありがとう隊長殿」
マカーティが馬車の戸口からそう声を掛けると、陸兵達はマカーティを囚人としてではなく軍人として見送る為、敬礼をした。
◇◇◇
昼間は季節外れの快晴となっていたブレイビスの空だが、夕方からは雲が少しずつ増えて来て、夜半近くには空の八割が雲に覆われていた。
下弦へと向かう更待月が、時折雲間から姿を見せる。
司法局の馬車はすっかり寝静まったブレイビスの街路を、馬に乗りランプを手にした黒衣の男達に先導され、滞りなく、無人の道を進む。
馬車の随行の司法官は二人だけが残り、護衛の兵士も二人を残して後は帰されている。馭者と助手も一組だけだ。兵士二人は馬車の後ろに立ち乗りをしている。もはやこの馬車は市中の辻馬車と見分けがつかない。
「さすがに何事も無いようで。最初から夜中にこっそり運べば良かったですね」
「我々は正当な司直であるぞ。堂々と護送も出来ぬなど屈辱と言うものだ……」
やがて馬車はタイルバンという村に辿り着く。村と言ってもこの頃はもう伸展を続けるブレイビスの街の一部と化しつつあったのだが、ともかくここは、ブレイビスで判決を受けた死刑囚が実際に処刑される場所として知られていた。
処刑場の周囲は塀で囲われてはいたが、普段は解放されていて、普通に旅人が通る道路となっている。
「ちょうど日付が変わった頃合いだろう……処刑執行人達を起こして来い」
「この村には住んでませんよ、そんなの」
「何故だ? ここで働いているのだろう?」
「だから住みたくないんでしょう、普通に考えれば」
軽く言い争う司法官達を見て、マカーティがぼやく。
「誰だっていいじゃないか、斧を振り上げて降ろすだけだ。俺は化けて出たりしねえよ」
「いや、しかしそこは規則が……」
マカーティは馬車の窓から、外の者達にも声を掛ける。
「執行人の代わりをやる奴は居ないのか? そっちの特使さん達はどうなんだ! 腕に覚えはあるんだろう?」
「わ……私はそのような仕事をする身分の人間では無いので……君、やりたまえ」
「私だって高等司法補佐官です、嫌ですよ」
黒い外套の男達もそう言って尻込みをする。護衛の兵士二人は溜息をつき、顔を見合わせる。
「我々のどちらかがやるのか……」
「……コインで決めてもいいか?」
「ああいいよ。待て、コインはそっちの上司が出すんだ、金貨で出しなよ」
マカーティにそう言われ、上席の特使は懐を探り自前の金貨を取り出す。
「表なら私、裏なら君だ」
兵士は金貨を投げ、手の甲に落とす。馭者助手がランプを近づける。
「表だ……私だな」
兵士は溜息をついて頷き、金貨を特使に返そうとするが。
「専門外の仕事をするんだから、特別手当を貰ってもいいだろう? なあ特使さん、その金貨はその兵士にやりなよ」
「……結構だ」
こうして、兵士の一人が死刑執行人の代わりを務める事になった。
高等補佐官の特使が、不安そうに周囲を見回す。ここに居るのは護送に付き合って来た司法官二人と兵士二人。そして自分と上司だけだ。
馬車の馭者とその助手も居るが、彼等は死刑執行には協力するまい。もしマカーティが暴れた場合、自分達だけで対処出来るのだろうか?
「囚人、やはり手枷をつけさせてもらおう。そうでないと恰好がつかない」
彼は思い切ってそう言ってみた。マカーティは黙って両腕を差し出す。彼の気が変わらないうちにと、随行の司法官が素早くその腕に組縄の手枷をかける。
マカーティは馬車を降りた。
二十日月がまた、雲間から覗いている……あの月がこの高度なら、時刻は恐らく午前零時を過ぎているだろう。出来れば青空の元が良かったが、月を見られただけでも幸運だ。マカーティはそう考えた。
「目隠しをするか?」
「出来れば、最後まで世界を見ていたいんだが」
「……いいだろう」
少しの間、マカーティは辺りを見回していた。辺りはさすがにブレイビスの中心街とは少し様子が違っている。建物の背は低く、木々も多い。
マカーティ自身はここで処刑が行われるのを見た事が無かった。聞く所によれば処刑には多くの見物客が集まるらしい。
「俺は幸運だな。見物客に野次られねえで済んだんだから」
「む……そ、そうだな」
凄みのある笑みを浮かべたマカーティに気圧され、上席の特使はたじろいで答える。マカーティは堂々と、石のまな板のような簡素な処刑台の方へ歩いて行く。
執行人役の兵士は備え付けの大斧を持って待っていた。その顔色はあまり良くない。
「そう緊張なさるな、頼むから一振りで決めてくれよ? じゃねえと苦しむのは俺なんだから」
マカーティは処刑台の前にひざまずく。
「ああ、待ってくれ……最後に国王陛下に礼を捧げたい。王宮はどっちだ?」
二人の兵士と二人の司法官は顔を見合わせる。誰もそれがすぐには解らないらしい。上席の特使が口を開く。
「……この処刑台は、王宮の方角に向いて設置されている」
「なるほど、合理的だな……神よ、国王を救い給え」
マカーティは処刑台の手前で一度、深く頭を下げる。そしてあらためて。彼は自分自身で、その首を処刑台の上に差し出した。
「さあ、やれ」
「適当な事を言うなよ! 騙されるなマイルズ、お前は国王陛下に尻を向けている、月の位置を見れば解るだろ!」
その時。南東の方角、マカーティの背後の方から、声変わり前の少年のような、甲高い叫び声がした。
「だ、誰だ!?」
「なっ……私の馬を!」
刑場を囲む塀の影の、月の光の当たらない暗がりの中に佇んでいたのは、特使補佐官がつい先程柵に繋いだばかりの馬に跨った、青いジュストコールを着た小柄な男だった。




