スコッチエッグ「マーマイトがやられたようだな」ウナギのゼリー寄せ「フフフだが奴は四天王の中でも最弱」ハギス「アイビス人のお針子ごときに愛用されるとはレイヴン名物の面汚しよ」
マーマイトは通販や輸入食品専門店などで入手可能です。要はビール酵母食品ですから、元気の出るビタミンやミネラルを摂れるんですね、味はちょっと個性的ですけど、好きな人は好きだそうです。
塔に閉じ込められたマカーティの元に辿り着いたフレデリク。無事お姫様(笑)を救出出来るのでしょうか。
普通に砦の屋上を忍び足で歩き抜けた私は尖塔の入り口に入る。中は外周に沿って螺旋階段が続いている。
塔の直径は5mも無い。高さも砦の屋上から10mちょっとくらいか? 今のブレイビスでは別段高い建物ではなく、もう監視塔としては使われていないのかもしれない。
「食事じゃ」
上で先程の世話係がそう言うのが聞こえた。私はその場に立ち止まる。
「晩飯も貰えるのか。ありがとう」
「飲み物はまだあるかね?」
「気にしないでくれ、快適だ」
聞こえた。マカーティの声だ、良かった、やっぱりあいつまだ生きてたよ。フルベンゲンの戦いでもしぶとく生き延びた奴だもの……
だけどあいつ、素直にここを出てくれるだろうか? 素直でない事に掛けては私が今まで見て来た人間の中で二番目に酷い奴なんだよね。
おっと、さっきの世話係が降りて来る。私は再び、ゆっくりと階段を登り出す。
「ご苦労さん。マカーティの様子はどうだい?」
私は階段を降りて来て私と鉢合わせ目を見開いて驚いている、私より小柄な老人に落ち着いて声を掛ける。
「え、ええ、とても落ち着いています、取り乱したような素振りは全く無いです」
「そうか、ありがとう」
私はさも当然という風に帽子の鍔に触れて会釈し、そのまま世話係の横を通り抜けて階段を上がる。
塔の上の部屋には扉もついておらず、私はそのまま螺旋階段を上がり、そこに姿を現した。
マカーティはそこに居た。さっきのタンカードに入っていたのは酒でもミルクでもなく具入りのスープだったらしい。マカーティはちょうど、スープに入っていたソーセージを指で摘み上げた所だった。
「今晩は、マイルズ」
「なっ……!」
一瞬唖然として硬直していたマカーティは、自分が摘み上げていたソーセージを見つめると、俄かに錯乱したのか……腕を振ってそれを私に投げつけて来た。
ソーセージは真っ直ぐ飛んで来て、顔面直撃を避けようと振り上げた私の手の中に偶然ピタリと収まった。
「ま……待て返せ!」
マカーティは慌てて叫ぶが私は容赦なくそれを自分の口の中に放り込む。食べ物を粗末にする奴には相応しい罰である。ああ。噛み締めると肉汁が弾けるわ。
「ご馳走さま。ソーセージは苦手なのか?」
「好物だふざけんな一本しか無ェんだぞ!」
「じゃあなんで投げるんだよ勿体ない、落としたら食べられなくなるだろ」
「3秒以内なら食えるんだよ、そうじゃねえ、野郎こんな所まで何しに来た!?」
「マイルズ、外に出ればソーセージなんかいくらでも食えるよ。そうだ、今から食べに行かないか? 僕はブレイビスは初めてなんだけど、良い店を見つけたんだ、金さえ出せば猫にでもご馳走を出してくれる店だよ」
私は階段の下を指差して微笑む。マカーティは、まあ、怒っていて、今にも下品な暴言を連発しようかという顔をしていたが。
「帰れ」
突然。マカーティは肩を落とすと背中を向けて、それだけ言った。
温厚な私の胸にも色々な想いがこみ上げる。船酔い知らずを着ているのに吐き気がする。言いたい事が喉元で交通渋滞を引き起こし、詰まり過ぎてなかなか出て来ない。
まだこんな事を言うのか、この男は?
事態はもうアイビスのお針子のただの我侭という話ではなくなっているのだ。ダンバーさんの訴えはブレイビス市中に広く広がり、多くの市民がマカーティに対する不当な扱いに憤慨している。
私は狭い部屋の中でマカーティに駆け寄り、肩を掴んでこちらを向かせようとする。マカーティは男性としては小柄な部類だが私と比べたら5cm以上背も高いし、身体的にはかなり屈強な部類に入るのでビクともしない、だから私自身がマカーティの前に回り込むような恰好になる。
憤りを必死に抑え、笑顔を作って。私はマカーティの顔を下から覗き込む。
「つれない事を言うなよ。外の騒ぎだって知ってるんだろ? ジョフリーがやってくれたんだよ、解ってるんだろ?」
「いや……おい、ダンバーの奴は結局どうなったんだ?」
「外に出たジョフリーはマイルズが不当逮捕された事を皆に訴えたんだ、それを聞いて皆が怒って、こういう事になったんだ! ああ、あの、僕の説明じゃ何の事か解らないだろ? だから本人に聞きに行こう、すぐに会えるから」
しかしマカーティは、また私から顔を背け、向こうを向いてしまった。
「なあ、グランクヴィスト」
再び前に回り込もうとした私に、マカーティは言った。
「ダンバーの為に良くしてくれた事には心から礼を言う。てめえは……お前は本当に凄い。フルベンゲンでもそうだったが、お前はいとも簡単に奇跡を起こす本当に凄い奴だ」
「……何の話だよ」
「俺は……海軍艦長だ。大海賊のお前には及ばないのかもしれないが、これでもたくさんの戦いをして来た、歴戦の海軍士官のつもりだ」
マカーティは今まで見たどんな顔とも違う、真剣な眼差しで、私の方に真っ直ぐ向き直った。
「俺は気が付いた事は突き詰めないと気が済まない性質で、そのせいでグレイウルフ号の甲板は幾度となく血で洗われて来た。海賊、私掠船、密輸船……ほっときゃいいものを嗅ぎつけちゃあぶっ叩く、おかげで乗組員はいつも苦労するんだ。だけど文句を言える奴はまだ幸せだ」
そう言いながらマカーティは窓際を離れ、私の肩を押そうと前進して来る。圧を感じた私は自ら後ずさる。
マカーティは部屋の中央まで進んで来てから、私を正面に見据えたまま、別の壁際の方へ下がり、再び距離を取る。
「海の上の戦いは……言うまでもねえだろう? 砲煙に巻かれて右も左も見えねえし、砲弾が飛んで来るたび木端が散って刃のように降りかかる、銃で撃たれた檣楼員が落ちて来る……下層甲板はまだ安全だが……そのまた下は暗黒の海よ」
私は、マカーティに近づけなかった。
「例えば俺は、どでかい破片をまともに腹に食らって血塗れになった水兵を指差して、そいつを下層甲板へ連れて行けと叫ぶ……安全な所へと。だけど安全な所なんかねえんだ、船が沈んでしまえば。第一下層甲板に行った所で居るのは医者じゃねえ、人の命が消えるのを待っている死神だけだ」
この塔の直径は5mも無く、この部屋は決して広くはなかった。だから十分に距離は取ったのに、マカーティの涙は私のアイマスク越しの目にも見えてしまった。
「王国海軍兵士達は言うんだ……! 自分はまだやれると、そして担当の大砲に取りついて叫ぶ、国王陛下万歳と……! そして俺は言う。その意気だジャックス、黒き翼の旗を見ろ、王国の敵は目前にありと……! 俺には医者を用意する事も、静かに休ませてやる事も出来ねえからな……」
腕の太腿の傷の痛みがぶり返し、指先に痺れが走る……話を聞いているだけで、血の気が引いて行く。
「俺には敵の船を奪って敵艦隊の真後ろから攻撃する、魔法のような戦い方は出来ねえんだ、お前みたいによ。旗あ見上げろとか、誰の為に戦えとか……! そう言って今にも死ぬって奴にまで力を出させる、そんな戦い方しか出来ねえんだ……! そんな俺に、国王陛下の命令に逆らう事なんて出来ると思うか!? この俺自身が! 黒き翼の旗に泥を塗るような真似が出来ると思うか!」
眩暈がする……こうして鉄格子無しでマカーティに会ったら言ってやるはずだった言葉が、まるで思い出せない。
「グランクヴィスト。これ以上俺に構うな、俺とお前では住む世界が違い過ぎる」
マカーティはそう、遮断するように言った。
ちょうどその時、階下から叫び声がした。
「そこに居るのは誰だ!? ここを陸軍コルベントリー師団の中隊駐屯地と知っての狼藉か!?」
ああ……さっきの世話係のお爺さんは私の猿芝居に騙されず、ちゃんと応援を呼びに行ったんだ。じゃあ今は、階段の下は兵隊さんで一杯という事か。
「マイルズ、あの……」
私はまだ、すがるような視線をマカーティに向ける。マカーティはただ……視線を背けた。
「……行けよ、さっさと!」
涙目敗走とは、この事だ。
私は間髪入れず窓から飛び出した。落ちる先は10m下の幅50cm程のブレイビス城壁の天辺だ、狙いを外したらいくら船酔い知らずの魔法があっても墜落死は免れない。
「今のは何だ!?」「誰か飛び降りた!」
さすがの兵士達も窓から飛び降りた人影にいきなり銃を向ける事は躊躇われたのか。彼等は既に装填したマスケット銃を持っていたが、すぐには発砲して来なかった。その間に私は態勢を立て直し、城壁の上を走り出す。
「あれが不審者だ、撃て!」「待て、隊長の判断を……」
―― ドォン! ドンドォン!
兵士達は少し遅れて発砲した! 威嚇なのか本気なのかを確かめる暇も無い! 振り返る事も出来ないまま、私は走る! とりあえずその弾丸は、私の身体を貫いたりはしなかった。
私が号泣しているのは銃撃への恐怖の為だけではない。マカーティの言い分に一言も返せなかったからだ。マカーティの顔面に叩きつけてやりたかった言葉を、思い出す事が出来なかったから……
「うわあああああ!」「軍隊が発砲したぞォォ!!」
そして、砦の周りを取り囲んだ人々から大きな悲鳴が上がった。私に向けられた銃声を聞き、事情を知らない彼等は自分達に銃が向けられたのだと思い込み、パニックに陥ったのだ。
「待てー! 撃つな! 撃つなー!」
陸軍の隊長と思しき人が、必死に叫んでる。だけど私に振り返る余裕は無い。
銃撃が怖いから、捕まるのが嫌だからというだけじゃない。私は、マカーティを見るのが怖かった。
◇◇◇
ここ、ブレイビス市の北西門より西の方にも、市街地はまだ続いていて、地平線はここでは見えない。夕日の赤味の残りはもうごく僅かになっていた。太陽はとっくに沈んでいて……間もなくブレイビスに、完全な夜が来る。
私は城壁から城壁、建物の屋根から屋根へと走り、飛んで……あの砦が見えなくなる所まで逃げて来た。
動悸が激しいのは、ただ走ったからだけじゃない。本当に、私は処刑されるマカーティを救えないのではないかと思い始めてしまったからだ。
私は屋根の上に倒れ、仰向けに寝転がる。アイマスクは涙でぐちゃぐちゃでろくに前も見えなくなっている……私はそれを外し、投げ捨てる。
星空が、ようやく見えた……何故だろう。極夜のフルベンゲンを思い出す。
「誰か……」
私は手足を広げて仰向けになったまま涙と鼻水を垂れ流し、嗚咽しながら……屋根の上で絶叫した。
「誰かー! 助けてくれー!!」
イカレてる。こんな事を叫んで何になるんだ。私が馬鹿みたいに走り回るより早く、既にダンバーが組織だった行動を起こしてマカーティを救おうとしてくれているのに。
無力なお針子の出番など無いんだ。私なんか大人しく結果を待っていればいい。
「おーい、一体どうしたー?」
近くの建物の窓から声がする……迷惑な私の声に反応して、善良な人が出て来てしまった。
謝りに行こうかと思ったけれど。そういう事はやめる……私はただ起き上がり、その場から静かに退散する。




