トリスタン「この魔法の加護にある者は必要以上の勇気を揮うのだ。その魔力に魅入られたように」アイリ「……先生」
すみません、前回の前書きで適当に済まそうとした話、やっぱりちゃんとやらせて下さい。
最近あまりにも展開が遅くなってるような気がして、魔が差しました……申し訳ありません。
海軍省の七階の窓から外に出て、何とか石煉瓦の突起や隙間を使って下に降りたマリーのその後です。
そんなつもりは無かったのだが、行き掛り上海軍省からダーリウシュのサーベルを持ち出してしまった。これでは完全に泥棒である。
私はもう手配書に文句を言えない……先に手配人扱いしたのは向こうだから、良心の痛みも半分くらいだが。
こうなればマカーティが何と言おうと、もう一度会うしかない。私はそう思い辻馬車を捕まえて乗ったのだが、これが全く動かない。
「急用なんだ、頼むから急いでくれないか!?」
「若旦那、あんた他所の国の人かい? 覚えておきな、これが交通渋滞というやつだ。アイビスやコルジアにだって無いんじゃないか? ブレイビスの名物さ。こうなったら国王陛下でもどうにも出来ないよ」
無駄金を払った私は馬車を降り、ブレイビス市街を南へ走った……通りはたくさんの馬車や手押し車で溢れ帰り、方々で馭者達が苛立って喚き合ったり、鐘を鳴らして威嚇し合ったりしていた。
「この野郎、割り込むな!」
「うるせえ、こっちは急いでるんだ!」
ブレイビス大橋もぎゅうぎゅうだ。南へ向かう馬車も北へ向かう馬車も殆どは一列に並んでいるが、時々前の馬車を追い越そうとする奴が居て、諍いになっている。
そういう馬車の間をさらに歩道から溢れた人々が行き来しているのだ。私も何度も人や馬車にぶつかって怒鳴りつけられながら、南へと走った。
クロスボーン城の様子は前日とあまり変わりが無かった。衛兵が四人から六人になった程度だ。元々あまり重要な牢獄ではないのだろうか? それとも警備を増やす余力が無いのか。
もう中の構造は解っているので、私は外から侵入を図る。城の裏手は高い塀で守られている分、警備は薄い。中庭も古い石材や煉瓦の集積場のようになっている。
牢獄のある二階へと這い上がった私は、前にも通った、外壁と廊下の間の鉄格子の隙間に潜り込む……
「……ッ!?」
その時。左腕と左足に、鋭い痛みが走った。何が起きたか解らないまま、私は向こう側の廊下に滑り落ちる。どこかから飛んだ、赤い飛沫が一瞬見えた。
次に見えたのはブーツについた幾筋もの深い傷だった。それから太腿の先の方にも二筋、ズボンを引き裂く傷が出来ている。そして左の上腕にはジュストコールとシャツを鉤裂きにした傷が幾筋も……
看守達は、先日私が通り抜けた鉄格子の隙間に何か所か、釘や針を仕込んでいたのだ。
自分が物音を立てたとは思わないが、看守はその瞬間、看守室からゆっくりと歩いて出て来た。そして最初は訝しげにこちらをただ眺めていたが、
「し、侵入者だ!!」
すぐにそう叫び、看守室に駆け戻った。
私はその間にマカーティの牢に駆け寄ろうとする……しかし立ち上がろうとした瞬間に太腿の先に走る激痛に足を取られ、仰向けに倒れてしまった。
「あっ……ぐ」
その刹那に、私は色々な事を考えた。
自分は何故こんな事をしてるんだろう。
ハロルドさん達、グレイウルフ号の生き残り達は法の専門家を雇って再審を求める順法闘争をしようと、マカーティに何度も進言したという。マカーティはそれにすら一切首を縦に振らなかったそうだ。
ましてや法を犯してまで自由になるつもりなど、あるはずもない。
彼は既に両親を亡くしていて兄弟も無く、結婚もしておらず今は天涯孤独の身らしい。マカーティには生きようという意志が無いのか?
私はそうは思わない。あんな下品で短気な奴に、生きたいという意志が無い訳がない……私はそう、勝手に思い込んでいる。憎きフレデリクが鉄格子越しに差し出した牛乳だって飲むのだ、あいつは絶対、生きる事が大好きな奴だ。
だけど何故私はそこまで奴に関わろうとする? あの男が好きなのか? 断じて違う。私はあの男に身近には居て欲しくない。艦長になるくらいだから水夫としても優秀なのだと思うが、フォルコン号には乗せたくない。
ヒーローになりたいのか? 確かに私は見栄っ張りな人間で、ヒーローごっこが好きだ。だけど本人がはっきりと助けを拒んでいるのに押し掛けるのはヒーローではない。ただの押し売りだ。
鋭く深い、足と腕の痛みが私の感覚を現実に引き戻す……看守室から出て来たのは私の祖父ぐらいの年の看守が三人……皆、手に手にマッチロック式の長銃を抱えている……
「……うああ!」
私は気合いで痛みを振り払って立ち上がり、懐から短銃を抜き留め釘を外し打ち金を押し上げて引き金を引く。
「下がれ!」
―― ドン!
銃弾は壁の古い漆喰を砕いて跳ね返る……
蹲って泣きだしたい気持ちが、再び胸にこみ上げる。
「来るな!」
―― ドン!!
私はもう一度蛮勇を奮い起こし、そう叫んで発砲する。弾は天井の梁に当たり木片を散らせる。
看守達は慌てて看守室に駆け戻って行く……恐らく発砲準備をせずに出て来ていたのだろう、三人が銃を持っている所を見せれば不審者が観念するかもしれないと。だが今度出て来る時は弾を込め、火縄も点けているに違いない。
「なっ、何の騒ぎだこれは!」
看守室の隣の階段の下からも声がする。恐らく衛兵が上がって来るのだろう。
もう、何が正しいとか、誰が望んでいるとかではない。
私がやろうと思う事をやるだけだ。どうせマカーティだって死刑囚なのだから。
「出て来い、マイルズ!」
―― ドン! ドン!!
私はマカーティのいる牢の扉に何とか駆け寄り、その錠前に至近距離で発砲する。前に一発撃った時も周りの戸板には亀裂が入っていた。二発目、三発目……錠前自体は殆ど揺るがないが、周りの戸板が次第に破壊されて行く……私は左手で取っ手を掴んだ。
「ぐっ……」
痛い、思った以上に……! そして腕だけでは抜けない、私はさらに痛む左足を戸板に乗せ、体を捻って錠前を引き抜く!
―― バキッ!
抜けた! 私は扉を引き開け、中に踏み込む!
もしここで捕まるとしても、マカーティには、間の鉄格子無しで一言、言ってやらないと気が済まない事がある!
「マイルズ! ……ああっ、誰も居ない!?」
かつては城の宿舎だったらしい、牢にしては広く奥行のある、その部屋はもぬけの殻だった。
「何で!?」
まさか……マカーティはもう処刑されてしまったのか? ダンバーさんも? そんな馬鹿な、マカーティはともかくダンバーさんは死刑になるような事はしていないはずだ。
「おのれ不審者、観念しろ!」
背後の廊下に足音が迫る! 役人である看守と違い、衛兵は兵士だ、戦う準備が出来ていて、立ち会えば私などひとたまりもなく突き倒されるに違いない!
だけどマカーティがここに居ないのに、私は観念する訳には行かない……私は懐から小瓶を取り出して投げる。ロブがくれた秘密兵器もこれで最後だ。
―― ヒュッ……ドカーン!
廊下の手前の床に落ちて割れた小瓶は、瞬時に白い炎へと姿を変えたかと思うと、凄まじい黒煙を吹き上げる。
「なッ、何だこれは!?」「下がれ!」「駄目だ、賊を逃がすな!」
私は奥の窓の方に走る。そちらの鉄格子の隙間は狭く、私でもとても通れない。黒煙は部屋にも充満して行き、私も看守達もお互いが見えなくなって行く。
「ケホッ、ゲホッ!」「うえっ、何も見えない!?」
私は慎重に壁際を伝い部屋の中程に戻り、しわがれ声で咳き込みながら言う。
「ゲホッ、賊は窓から逃げるぞ!」
次の瞬間、私はこの部屋の唯一の家具である、ベンチのようなベッドの下に飛ぶ。ここもギリギリ私が入り込める限界の隙間だ……その間にも太股から、上腕から、ズキズキと鋭い痛みが伝わり続ける。
「ゲホッ、うえっ、賊を逃がすな!」
部屋の中央を駆ける者、壁際を伝う者、何人かの衛兵か看守が勇敢にも黒煙に閉ざされた部屋を窓の方へ突っ切って行く……チャンスは一度しか無い。廊下側にあまり人が残っていない可能性に賭け、私はベッドの下から這い出して黒煙の中を入り口側に向かう。
「げほ、気をつけろよ皆!」
ひっ……入り口の目の前で誰かが叫んだ! ここにまだ一人以上立ってる者が居る……だけどもう賭け続けるしかない、私は蛇になったつもりで地面を這い、戸口の隅から廊下の壁へと這い出す。
あとは最後の賭けだ。もう一度あの鉄格子の隙間から逃げるのか、階段を強行突破するのか。時間を掛けるという選択肢は無い。私の体は走れる状態なのか?
極夜のフルベンゲンのホール裏で喰らってしまった土下座の為、どうしてもマカーティに面と向かって言ってやりたい一言の為、私は今はまだ死ねないし、捕まる訳にも行かないんだ。
私は黒煙の中を這って階段の方へ向かい、少し煙が薄くなって来た所で立ち上がる。腕からも足からも、出血している感覚がある。早く止血もしないと……
だけど今はそんな余裕は無い。
私は右手で短銃を握り直し、気持ちを集中する。何とか一時的に痛みを忘れるんだ。正面から突破して駆け抜けるしかない。
私は黒煙の中を突破し、階段へと突進する。




