エイヴォリー「海軍省の近くを歩いていたら、空から男の子が降って来たのよ! ……ちょっと、何で皆そんな顔をするの!」
マカーティは何故女の人にモテないんでしょうね。本人は男前のつもりだそうですが。
……そんな事考えてる場合じゃないですね。
三人称ステージが続きます。
罪人、特に死刑囚は市中を晒し者として引き回される事も多いが、マカーティの場合は事情が特別だった。隠蔽を糾弾され全面降伏した海軍省もそこだけは譲らず、司直もこの囚人の事はあまり市民に知られたくなかったのである。
マカーティは囚人とは判らないよう、普通の天蓋付きの馬車に乗せられ、クロスボーン城を後にした。
馬車はゆっくりと、ブレイビス大橋の方へ向かう。
「晴れて来たな」
客室の外で馭者の一人が呟くのを聞いたマカーティは、同乗している衛兵に遠慮がちに尋ねる。
「すまないが、少し晴れた空を見せて貰う訳には行かないか?」
「今はちょうど橋の南門を通る所だ、やめておけ」
マカーティは首をすくめる。ブレイビス大橋の南門の屋上にはたくさんの晒し首が掲げてあるという事は、マカーティも知っていた。中には数十年も前から晒されている者も居るらしい。果たして、自分もそこに加わる事になるのだろうか。
大橋の上を含め、ブレイビス市街の道は方々で混雑していた。その為マカーティを乗せた馬車がブレイビスの司法局に着いたのは昼頃になってしまった。
手械をつけられたままマカーティは馬車から降ろされ、司法局の特別な留置所へ連れて行かれる。
その途中。司法官が聞いた。
「昼食に食べたい物はあるか?」
マカーティは苦笑いを浮かべて答える。
「今朝は看守がお情けをくれたんだ、腹は減っていない」
「こんな事を言うのは何だが。君のその、用事は、日没後までかかると思うが……腹が減っては、気持ちが寂しくはならないか」
「お気遣い、感謝するよ。大丈夫」
模範囚として振舞うマカーティには、司法官や刑務官達もいくらか同情的になっていた。
マカーティは決意を新たにする。自分は潔く処刑される事で、自分を庇う為に王宮と喧嘩して更迭され、海軍を去ってしまったと聞いている、海軍大将マークスの恩義に少しでも報いないといけない。
◇◇◇
ちょうどその頃、庁舎街のレイヴン海軍省では騒ぎが起きていた。来庁した鼻持ちならない司法局の保安官を、通用口で罠に掛けた上、その隙に庁舎に侵入した者が居たのだ。
保安官と警備の海兵隊はその小柄な賊を庁舎六階の栄誉の殿堂まで追い詰めたのだが、その殿堂を掃除していた老人のせいで……七階の窓から逃げられてしまった。
しかしそんな窓から外に出た所で下の階へ降りられるような場所も無く、隣の建物は飛び移るには遠過ぎる。それ故に賊は庁舎の外壁に貼りついて堪えているはずだと判断した警備担当者達は、非番の海兵隊員も動員し、皆で命綱をつけて海軍省の七階外壁を探す大捜索を行った。
「ひっ、ひええっ、高いッ……」
「何のこれしき! 戦列艦の檣楼などはもっと高いではないか!」
しかし静索やフットロープなどがある帆船のマストの上と、ただの建物の外壁ではやはり勝手が違う。
「やめ、やめろそんなに引っ張るな!」
「ええい、ビビるな! 賊はまだ近くに居るのだぞ!」
それでも海兵達は勇敢に任務に挑んだが、侵入した不審者は見つからなかった。
◇◇◇
そして世界有数、いや世界最大の貿易港であるブレイビスの商業地区の中心街では、また別の騒動が起きていた。
「我等の権利を守れ!」「王宮に市民の声を届けるのだ!」
町が発展し豊かになるにつれて発生した比較的裕福で時間も教養もある中産階級の市民や、都市に進出した地方の小地主などの下級貴族層の男達が、方々で集まっては声を上げているのだ。
ただ、こうした事は最近のブレイビスでは決して珍しい事ではなかった。
市の衛兵達は彼等を遠巻きに観察していた。衛兵としては誰かが狼藉を働いたり、王国や王族を侮辱するような発言を始めたら逮捕しなくてはならない。しかし今の所そのような兆候は無い。
「国王陛下万歳!」「ジェフリー王の治世に栄光あれ!」
集まった市民達はむしろ、国王を称えるような主張も繰り返している。
「昨日は陛下に八番目のお子様が生まれたのだ、そういう騒ぎが起きてもおかしくはない」
「いつもの時間潰しだろう。真冬は商いが少なくて、商人達は暇なのだ」
市の首脳や警備責任者は、その騒動をそう見積もっていた。
そこへ戻って来たのは、ここ10日ほどブレイビスを留守にしていたレイヴン王国枢密院顧問官で次期海軍卿と目される若き政治家、スペード侯爵ことジョージ・ウッドヴィルであった。
「シティのあの騒動は一体何だ、市の責任者は何をやってるんだい!」
「は、申し訳ありませぬスペード卿、しかしあれは新たな王女の誕生を祝う王党派の市民ですので、放っておいても実害は無いかと」
「節穴だよ君の目は! 主張に国王陛下万歳をつければ叛乱とは見做されない、あれは頭のいい奴にそういう知恵をつけられ操られている危険な集団だよ!? 当然首謀者は調査済みなんだろうな! どこのどいつだ!?」
「それは、その、ま、まだ報告が無く」
「すぐに調べなさい!」
スペード侯爵が市庁の責任者を叱りつけていると、ブレイビスで留守居をしていた海軍担当の直属の部下が、顔色を悪くして駆け寄って来る。
「閣下、誠に申し上げにくいのですが海軍省でも騒ぎが起きておりまして……」
「今度は何だよ」
「いえ、騒ぎ自体は、コソ泥が警備の隙をついて通用口から侵入したものの、これと行って盗る物が無いので、六階の展示の中からどうという事のない粗末な海賊のサーベルを一振りだけ盗んで逃げだしたという、下らないものなのですが」
「勿体をつけるんじゃない、何が問題なの」
「その捕物を、掃除の老人が妨げてしまい、そのせいで一度は六階に追い詰めたコソ泥に窓から逃げられたと……それで老人は、賊に逃げられたのは自分のせいなので、責任を取って掃除夫を辞めるとおっしゃられて」
「……馬鹿を言うんじゃないよ、当然、当然引き止めたんだろうな?」
「無理です……あの方が辞めると言い出したら、それを止められる海軍士官など居ません、閣下も御存知でしょう、そんな伝説の海の男だからこそ、各地の海軍も言う事を聞いてくれたのだと」
「だから引き止めなくてはならないんだろう! 次の海軍卿であるこの私に、あの男抜きで王国海軍を一つにまとめろと!?」
レイヴン王国でも、海軍は各基地で半ば独立した軍閥のような性格を持ち合わせていて、その統率には王宮も苦労する事があった。
次期海軍卿のスペード侯爵は、そうした状況を改善しようと色々と策を巡らせていた。ノーラとプレミスの水夫を大量に入れ替えようというのも、その策の一環だったのだが、その計略は事もあろうにアイビス人の小娘に破られてしまった。
スペード侯爵にとって、アイビス人の小娘に足元を掬われたのは、年末のレブナンでの企みに引き続き二度目だった。
対岸のアイビスの港レブナンで、アイビス国王が何故か小さな古い船の観艦式を行うというので、腹心の部下を差し向けて何か面白い嫌がらせが出来ないか探らせていたのだが……その部下はなんと、アイビス国王を一人でその船に乗せ、港の出口の桟橋まで誘拐する事に成功したのである。勿論そこまでは驚きの大戦果だった。
ところが、もうあとほんの数メートル湾外に出ればアイビスの追跡を振り切れるという所で、船の舵は乗り込んで来たアイビス人の小娘に奪い返され、さらには甲板を制圧されて逆転負けを喫したと言うのである。苦労して調略し密かに寝返らせていたアイビス人貴族のマリオット卿も、その小娘に倒されアイビス当局に捕えられたらしい。
「レブナンの事は私の名前は出ていないからまだいいが、プレミスの事は大火傷だよ! それで今度はコソ泥のせいで、あの爺が掃除夫まで辞めるだって? 最近の私はね、ツイてなさ過ぎるよ……まずは爺の事が優先だ、それでどこへ行ったんだあの爺は?」
「あの、閣下、市内の騒動の方は宜しいのでしょうか?」
「宜しくは無いよ! そっちも手は打つ、だがまずは爺だ!」
ノーラでの敗戦処理をようやく終え、やっとブレイビスに戻ったばかりのスペード侯爵は、疲れた体に鞭打ち精力的に動き出す。
彼は実際、有能な人物ではあったが、彼もまさか海軍省の掃除夫に辞める理由を与えてしまったコソ泥まで同一人物だとは思ってもいなかった。




