フレデリク「ってここ七階じゃん、いくらなんでもこんな所から飛べないよどうすんのこれ!」
海軍省に突入したものの、ただ騒ぎを起こしただけで何の成果も挙げられず(?)引き下がるマリー。時間も無いのに何をやっているのでしょう。
この話はまた三人称で御願い致します。
ジョフリー・ダンバーは一度家に戻り、陸軍時代に誂えた軍の儀礼服に着替える。パレードでもないのにこんな物を着て街中を歩き回るのはおかしいが、自分の服で立派な物と言えばこれしか無い。
それにこの服を着る事には重い意義がある。自分は反逆者ではない。この行動は勇敢で有能な海軍艦長を間違った処刑から救い、国王陛下の威光を守る為にやり遂げる物なのだ。
世界中の富を集め工業や商業で発展するブレイビスには、古くからの権力を持つ貴族とは別に、豊かな財産によって力を得た市民が大勢居た。
日々の直接労働から解放された彼等は、有り余る時間を娯楽や議論に使う。ブレイビス市街の中心部にはそういう人々が集う店がある。
そこはポット一杯のお茶で結構な代金を取るような店なので、労働者であるダンバーはあまり訪れた事が無かった。最後に来たのは軍時代の事だ。
ダンバーは弁舌には全く自信が無い。だけど気後れしている場合ではない。店に入ったダンバーは店内を見渡せる大きな階段の踊り場に立ち、男達に呼び掛ける。
「諸君、どうか一時耳を貸して欲しい! 俺は元陸軍大尉のジョフリー・ダンバー。ブレイビスに、いやレイヴンに生きる男達にとって大変重大にして、急を要する話がある! 国王陛下に新たな御子が誕生した事は皆御存知と思うが、それによって延期されていた死刑が、間もなく再開される。しかし今、ブレイビスの死刑囚の中に一人、絶対に死なせてはならない男が居る!」
この大きな喫茶店は数百人の男達で溢れていた。男達はテーブルごとに集まり、または歩き回り、政治や法律、芸能や音楽、それに有名人のゴシップや競馬の勝敗予想まで様々な話をしていた。
ダンバーはそれら全てを野戦で鍛えた大声で遮ってしまった。多くの男達がダンバーに目を向けたが、その中に好意的な視線は全く無かった。
「そういう話なら、司法局へ行って訴え給え」
近くで階段に座り込んで別の紳士と話し込んでいた老人が、不機嫌そうにそう答えた。ダンバーはそのまま話を続ける。
「その男の罪と言うのが! 聞いてくれ、マカーティというその男の罪は、レイヴン海軍の艦長としてスヴァーヌの都市フルベンゲンを海賊から守る為、死力を尽くして戦った事なのだ! 3隻の船と150人ばかりの小艦隊を率いて、14隻で1000人を超える海賊の大艦隊と戦い見事勝利した、マカーティはその為に死刑判決を受けたのだ!」
これには他の男達からもどよめきが上がる。
「言っている事がおかしいぞ、君は錯乱しているんじゃないのか」
「死刑になるのは他の理由なんじゃないのか、戦利品を盗んだとか、そもそもその報告が嘘だとか」
その反応は様々ではあったが、好意的な物は少なかった。やはりまだ多くの男達は、突然の論客に各々の話題を中断されてしまった事を不愉快に思っていたのである。そこへ。
「待て待て諸君、面白い事を言う男じゃないか、続きを聞こう!」
人垣の向こうで誰かがそう叫ぶと、聴衆は少し静かになった。
ダンバーはそれを見て、話を続ける。
「マカーティ艦長が勝利した事と戦利品をノーラの海軍基地に収めた事は間違いない。信頼出来る情報筋から聞いた。そして問題はここだ、そんな大きな勝利を挙げた艦長が処刑されるというのに、誰も彼が処刑される理由を知らないのだ! 人の命を奪う極刑が、そんな風に簡単に行われてしまうのはとても恐ろしい事だ、少なくとも我々レイヴン市民には、処刑の理由を知る権利がある!」
聴衆が再びどよめく。今度は顔を見合わせて頷き合う者も居た。多くの者が、今まで話していた芸能や競技の話題より、ダンバーの話に興味を持ち始めていた。
しかし誰もがダンバーに同意している訳ではなかった。
「盗賊や暴漢が処刑されるのはいつもの事だ、司直もいちいち理由の説明なんて出来ないだろう」
壁際の方で、誰かが声を上げそう言ったが。
「だがその艦長の罪は、海賊に勝利した事なのだ!」
「じゃあ……相手は海賊じゃなかったんじゃないか」
「戦利品はノーラの海軍が受け取ったと言っているじゃないか、そういう事にはならない!」
たちまち近くに居た別の男が反論したようである。その議論に対しても、聴衆はそれぞれにざわめき、方々で話し合いが起こる。
ダンバーは少しだけ待ってから、続ける。
「こういう事を黙って見過ごしにしてはいけない! 俺達には自分達の国は自分達で守るという哲学があるはずだ。国の法律がきちんと運用されているかどうか、それを見張るのも自分達の国を守る方法の一つに他ならない! しかしそれにはたくさんの市民の声が必要だ、犯罪者を見掛けたら声を出して指を差す、叫喚追跡と同じようにだ!」
ダンバーは決して巧妙な能弁家では無かったが、見た目が堂々としていて背も高く、朴訥だが誠実で簡潔に物を言うその語り口に、聴衆は次第に引き込まれつつあった。
一方で、この議論の雰囲気に危機感を覚える者も現れる。
「待て! 君はこの場を煽動し、叛乱を起こそうとしているのではないか!?」
そう、椅子から立ち上がって発言したのは、どこかの下級貴族らしい青年だった。この場所は階級的には市民の為の場所であり、貴族の姿は比較的珍しい。貴族には貴族の為のサロンが他にあるのである。
「全く、叛乱ではない。退役した俺が軍の正装をしているのはその為だ。国王陛下万歳。我々は迷信と古い王冠に盲従する大陸の国々とは違う。一人一人が市民の権利と義務の元、この痩せた国土を耕し、子供達を育て、そして外敵と戦う時には国王陛下の名の元に団結し、軍人も市民もそれぞれの領分でその旗を仰ぎ力を尽くす。レイヴンは、そういう国のはずだ」
ダンバーがそこで言葉を区切ると、また別の方向から誰かが叫んだ。
「そうだ! それが俺達レイヴン人の、この島に生きる男達のやり方だ!」
それに呼応するように、聴衆の間から拍手が起こる。顔を見合わせて頷き合う人々も増え、不満を抱く者も少なくなった。
しかしダンバーの目的は、ただ皆に頷いて貰う事ではない。
「ところが今、その国王陛下の名の元に、王国の同盟国の無辜の民の為に死力を尽くして戦った艦長が、何の説明もなく栄誉を称えられる事もなく処刑されようとしているのだ! 彼と共に戦った兵士達、そして亡くなってしまった兵士達の無念を想像して欲しい! そして、どうか俺に力を貸して欲しい、俺は国王陛下に忠誠を誓う者として、この処刑を中止し、王国の為に力を尽くした者達に正当に報いるよう、陛下に奏上したいのだ! 或いは何故マカーティが処刑されるのか、明白な理由を説明して貰いたい! 俺一人では、王宮の奥に届く声は出せない」
ダンバーはそう、熱意を込めて訴える。
聴衆の中にはすぐにその熱意に応じた者もあった。しかしそれは大多数ではなかった。誰もがある程度ダンバーの演説に賛意は示しつつも、実際にダンバーに従い抗議活動に協力する事に及び腰になっていた。
十人、二十人……熱意を持ってダンバーの元に集まって来る者も居る。そしてその倍ぐらい、控え目ながら同行に応じる者も居る。残りの者は、応援はするが同行は出来ないという雰囲気だ。
「ありがとう、皆……」
ダンバーは集まって来てくれた人々に謝意を示す。数十人でも味方が出来ただけ上等だ……しかし。その瞬間彼は見た。聴衆の人垣の一番後ろで、杖をつき、脱臼した片腕と骨折した片脚を引き摺って移動する、汚れたプールポワン姿の男を。
先程から、聴衆の背後を移動して別々の人間の意見であるよう装いながら、良いタイミングでダンバーの発言に合いの手を入れていたのはその男、ラディックだったのだ。
「諸君! それだけでいいのか!? 面白い奴が国王陛下に抗議しに行くから、笑って応援してやろう、そんな事でいいのか!? 吾輩の姿を見ろ!」
次の瞬間、ラディックは店内に響き渡る大きな声で叫んだ。聴衆もダンバーも、皆ラディックの姿を見た。ラディックは杖に寄りかかり、腕をぶら下げ、腫れ上がった顔面を歪めて叫ぶ。
「どんなに正しい声でも、力が無ければ意味を持たないのだ! このまま送り出せばその男も吾輩のように打ちのめされ、艦長は処刑されるだろう! 次はお前達かもしれないのだぞ!? そのような無関心と怠惰によって見送られるのは!」
ラディックが怪我をした事は正義とは全く関係が無いのだが、とにかくラディックは自分の怪我を利用してそう聴衆に訴えかけた。そして聴衆はラディックの思惑通り、それを重大に受け止めた。
「今この男に力を貸さなくては、将来のお前達の権利も守られないのだぞ!? お前達の子供の権利も! 自分達の権利を守ろうと思わんのか!?」
ラディックの、ダンバーとは逆方向からの主張は、ダンバーに賛同しつつも行動を躊躇っていた男達の心を動かした。
「その通りだ! 市民の権利を侮るな!」
「理不尽に立ち向かえ!」
店内の雰囲気は一変した。賛同は一定の割合を越えた後は聴衆のほぼ全員に広まった。最早店内の男達の九割以上が、ダンバーの熱心な味方となっていた。
やがて何人かの男達が店を飛び出して行く。他の喫茶店にこの最新の噂を伝えに行った者も居るし、使用人達を動員しようと、一度自分の商店に帰った者も居る。
ダンバーはこの成功に驚いていた。しかし今、どうしても話しをしなくてはいけない奴が居る。ダンバーはその男の元に向かおうとしたのだが。
「ダンバー君! 君の意見は正しい、私は全力で応援する!」
「お前はすげえよジョフリー! お前一人でなんて戦わせるもんか!」
「ジョフリー・ダンバー、私も君と共に戦う」
他の大勢の賛同者に取り囲まれて動けなくなり、その男と話をする事が出来なくなってしまった。
◇◇◇
その間に男は痛んだ腕と脚を引き摺りながら、店を出てすぐ、何とか物陰に入り身を隠す。この怪我では歩くのも一苦労なのだが、あまり衆人に顔を晒して誰かにあれが元貴族の泥棒ラディックだと気づかれたらまずい事になる。
「全く、馬鹿正直の間抜けなど素人め! こういう合いの手は事前に仕込んでおくもんだ!」
ラディックは小声でそう吐き捨てると、建物の隙間から大通りを睨み付ける。
たくさんの男達がダンバーの演説に煽動され、動き出した。しかしラディックは、この活動が最後まで何の障害もなく上手く行くとは考えなかった。
他の男達に見つからぬよう、ラディックは建物の反対側の隙間から裏通りへと這い出して行く。




