ランベロウ「待てッ、私に情けを掛けてくれるというのなら頼みがある、私を故郷の刑場で死なせてくれッ!」刑務官「はあ? お前ブレイビス出身だって言ってたのに、嘘だったのか?」
ロヴネルが言っていたダンバーの二人の姪の保護者の当ては、自国の王女シーグリッド姫でした。姫もロヴネルに頼られる事なんてあんまり無かったですから、すっかりはりきっていたみたいです。何ならハルコンの仕返しの悪漢が来たら自ら戦うつもりだったかも。
ダンバーは踵を返し、トゥルースの階段を降りて行く。エイギルとロヴネルはただ黙って頷き合い、その様子を見送っていた。
ストーク使節団の随行員達はトゥルースで食事をする事を憚り、交代で近隣の店で食事をし、残りの者はこのレストランの入り口で歩哨を務めていた。
歩哨の中には、今回シーグリッド姫の乗艦となったヒルデガルド号の艦長、黒オールバックのイェルドの姿もあった。
「ダンバー殿……もう姪子様方には会われたのだろうか」
「いや……会わない事にした。イェルド殿も、俺達の為に良くしてくれて本当に有難う」
イェルドもまた、ダンバーの表情から何等かの覚悟を読み取り、それ以上何も言わず、ただ会釈をして、去り行くダンバーを見送った。
ブレイビスでも指折りの名店、トゥルースは屋敷街と商業地区の境目にあり、店の前の通りを行き交う人も、裕福な貴族や市民ばかりだった。
そういう場所で、労働者らしい出で立ちのダンバーは、普段なら道の端を肩をすぼめて歩いたかもしれない。しかし今の彼にはそんな事を考えている余裕は無かった。
振り返ってもう一度あのテラスを眺めてみたい気持ちを振り切り、ダンバーは大股に通りを歩いて行く。急がなくてはならない。処刑はもう、いつ行われてもおかしくない。
とは言え、二人の姪の事を思うと、胸が痛む。
妹が生きていた頃から、赤ん坊の時から見てきた二人だ。
小さい頃から自分にもよく懐いてくれていたし、自分の子供のように可愛がり、その行方を案じて来たのだ。心が揺れないと言えば嘘になる。
「伯父さん……! ジョフリー伯父さん……!」
そんな姪の事を考えていたせいか、背後の雑踏の中から幻聴が聞こえる……
これでいいのだ。あのストークの人々は信頼出来ると思う。自分は二人を養っていたと言っても、仕事が忙しくてほとんど一緒に居てやれなかった。あの人々と一緒に居る方が、二人は幸せになれる。
「待って! ジョフリー伯父さん!」
しかしそれは幻聴ではなかった。エイミーは、通りを懸命に走って来て、ジョフリー・ダンバーを追い越し、腕を広げて立ちはだかる。
「ジョフリー伯父さん……良かった、本当に無事だったのね……!」
ジョフリーが返事をする前に、エイミーは大きく腕を広げたまま正面からジョフリーに抱きついて来た。そしてその胸に顔を埋める。
「ああ、エイミー、あのな……」
黙って立ち去ろうとしていた後ろめたさが、ジョフリーの口を塞ぎ、黙らせる。エイミーは懸命に力を込めて伯父の背中を抱きしめたまま、顔を上げる。
「どこへ行くの伯父さん、デイジーは昨日はずっと泣いていたのよ、今は王女様のおかげで、楽しく過ごしているけど……どうしてデイジーにも会わずに出掛けるの? 急ぎのお仕事があるの?」
「うん、あの、それはな」
ジョフリーは一旦エイミーの身体を離そうと、その肩に両手を置き優しく突き放そうとするが、エイミーはさらに力を込めて伯父に抱きつき、離れない。
「大変だったんでしょう? 意地悪な看守に鞭で打たれなかったの? 私達、ロヴネルさんから昼食は伯父さんも一緒に食べられるかもしれないって聞いていたのよ、王女様も伯父さんと話すのをとっても楽しみにしていたの、本当よ、本当に優しくて気さくな王女様なの、一緒にあの店に戻りましょう、今日くらいお仕事を休んでも、神様もきっと許して下さるわ!」
エイミーは伯父を見上げ、涙声でそう訴える。
ジョフリーは沈黙したまま、優しくエイミーの肩を押し続けていた。それで、エイミーの方が観念して、伯父の背中に回していた手を緩める。エイミーの身体は、静かに伯父の胸から離れる。
ジョフリーは肩に手を置いたまま、エイミーを見つめる。王女様のお下がりのドレスを着せられたエイミーは、驚く程可憐に見えた。何だか笑ってしまいそうだ……実際、ジョフリーは少し笑ってしまった。
こんな素敵なドレスを着て、これではまるで結婚式のようだ。一体エイミーは何処へ嫁に行くのだろう? 冗談でそう考えた瞬間、今度はジョフリーの胸に感傷の大波が押し寄せ、たちまち目頭に涙が浮かぶ。
しかし。馬鹿な男が考えもなく涙目になったせいで、男の姪は急激で恐ろしい不安に狩られてしまう。
「どうして……? どこへ行くのジョフリー伯父さん、どうして何も言ってくれないの!?」
「ああ、いや、すまん、違うんだ……エイミー。お前も大きくなったな……少し前まで赤ちゃんだったような気もするのに、今のお前は立派な淑女だ」
普段なら、赤ちゃんなどと言われればエイミーはむきになって怒る。けれども、伯父の雰囲気から何かを察したエイミーは、再び伯父の身体にすがりつこうと手を伸ばす。
「そんな事無いわ、私はまだ子供よ、意地悪を言わないで!」
だが今度はジョフリーの手が優しくそれを拒んでいた。
「エイミー。俺は陸軍軍人……いや、レイヴン人の男なんだ。レイヴン人には、地域の、同じ場所に住む仲間達の安全を守るのは、その地域の人間全ての責任だという哲学があるんだよ。その務めに従って、俺は行かないといけないんだ。本当に俺達皆の為に尽くした男が、所以もなく殺されようとしている。俺はそれを止める方法を考えないといけない」
「でも……危険なんでしょう?」
「うん……まあ……そうだ」
エイミーは目を見開き、尚も伯父に迫ろうとする。ジョフリーはそれを押さえながら、視線を逸らす。
「だけど! 伯父さんはもう十分国王陛下の為に戦ったんでしょう!? そしてお腹に大きな怪我をして、軍を辞めさせられたんだって!」
普段、わがままを言う事もある妹のデイジーと違い、エイミーは大人から見て本当にいい子供であった。
エイミーは自分が両親を失った孤児であるという事を必要以上に理解していて、ジョフリーに対しても常に、自分は親類に迷惑を掛けている孤児だという態度で接していた。ジョフリーもその事には気付いていて、何とかエイミーのそういう遠慮を取り払おうと日々苦心していたのだが。
「なのに……どうして伯父さんばかり戦わなくてはいけないの!? レイヴンの男の人は他にもたくさん居るじゃない、なんで伯父さんだけが戦うの!? そんなのおかしいわ、御願い、おじさん、一緒に帰りましょう、デイジーと私と、一緒におうちに帰ろう、王女様には私が謝るから、元の家に戻って、今まで通り三人で暮らそうよ、御願い!」
エイミーはとっくに遠慮など無くしていた。伯父の手を掻い潜り、エイミーは再びジョフリーに抱き着く。
「お腹の傷が痛くて、石炭を運ぶ仕事も辛いんでしょう!?」
今まさにエイミーが体当たりして来た場所はちょうどジョフリーの古傷にあたる所だった。ジョフリーは軽く悶絶すると共に苦笑する……これでは喋りたくても喋れない。
「伯父さんは国王陛下の為に頑張って戦ったのに、陛下はただ伯父さんをクビにして、伯父さんが私達二人を苦労して養っているのに、助けてもくれないんでしょう!? 伯父さん、これからは私が働くわ、ハルコンさんの所でもどこでもいい、恥ずかしいお仕着せだって我慢するから、お互いに支え合って暮らすのが家族でしょ!? 私、家族じゃなきゃ、家族じゃなきゃ嫌!!」
さすがのジョフリーも、心を動かされそうになった。
ストーク大使館に居た方が、シーグリッド姫の厚意に甘えていた方がいい生活が出来るとか、そういう事ではない。
「色々と……驚いた。凄いなエイミー。お前はまだ9歳なのに、そんな事を考えていたのか。俺が9歳の頃なんて、その日その日の食い物の事しか考えていなかったよ。女の子は、成長が早いな……」
そう言って身長180cmのジョフリーは、身長130cmのエイミーの為に膝をつき、もう一度エイミーの肩を押してその身体を離し、顔色を引き締め、ゆっくりと語る。
「だけどエイミー、国王陛下の事をそんなに悪く言わないでやってくれ。仕方ないじゃないか、陛下はブレイビスだけじゃなくこの国全部を見ないといけないんだ、とても一人一人の兵士の事まで心配出来ないよ……だけど俺達兵士は、いつも国王陛下の為にと思う事で気持ちを一つにして来た。今回だってそうだ」
さすがにそんな事を言われても、理解も納得も出来ないが、尊敬する大切な伯父の言葉を否定する事も出来ない。そういう目で、エイミーは目線の高さを合わせてくれた伯父をじっと見つめ返していた。
伯父は再び頬を緩め、優しく笑う。
「大丈夫。俺だってこれからもお前達二人と一緒に生きていたい。きっと生きて戻る。だからシーグリッド王女やエイギルさん達の言う事をよく聞いて、待っていて欲しい」
自分にはこれ以上、伯父さんを止める言葉が無いと悟ったエイミーの心が崩壊する。溢れる涙を拭いもせず、エイミーはジョフリーの首に手を回し、ぎゅっと抱き着く。
「私は嫌……! だけど我慢して待ってる、だから絶対に帰って来て……神様と約束して、絶対に死んだりしないって、私とデイジーの所に帰って来て、また三人で暮らすって、私、伯父さんと一緒じゃなきゃ嫌、もうお父さんやお母さんみたいなお別れは嫌なの、御願い、約束して……ジョフリー伯父さん!」
ジョフリーは綺麗なハンカチーフなどという洒落た物は持っておらず、あるのは腰に提げた、一応井戸水で洗ってある手拭いぐらいだった。
エイミーに首を抱えられたまま、ジョフリーはそれを取り出し、幼い姪の涙をそっと拭いてやる。
「そんなに泣いたら、美人が台無しだぞ……やれやれ、やっぱりまだ赤ちゃんかもしれないな」
「伯父さん!」
「解ってる。メアリから預かった大事な娘達を残して死んだりするもんか。エイミー。俺は必ず戻って来る。だからどうか泣かないでくれ」
そんなに泣かれたら自分はこの場を離れられない、それを言ってしまったらエイミーは伯父を戦場に行かせない為に命懸けで泣き続けるかもしれない。大人びているようでも、エイミーはやはりまだ9歳の少女なのだ。
ジョフリーはそっと立ち上がる。エイミーの腕は、今度は力なく離れた。
「必ず、戻るから」
ジョフリーは微笑んでそれだけ言うと踵を返し、歩き去って行く。
エイミーは嗚咽を上げながら、その広い背中を見送っていた。
「ジョフリー伯父さん!」
エイミーは離れ行く伯父の背中に呼び掛ける。ジョフリーは振り向かなかった。
店の外に飛び出して行ったエイミーを追い掛けて来たロヴネルは、二人から少し離れた所でそれを見ていて、去り行くダンバーの背中に小さく敬礼をした。




