シーグリッド「フレデリク様……どうして御会いして下さらないの? これはきっと試練ですのね」
ロヴネルに救いだされたダンバー、ダンバーに救いだされた元貴族の盗賊。
そして未だ牢獄に居るマカーティ。
すみません、またちょっとだけ時間を戻させて下さい、今度はエイミー達から見た、今回の出来事です。
昨夜は家にハルコンとその手下が現れ、ジョフリー伯父さんは逮捕されたからもう帰って来ないと言われて、無理やりハルコンの家に連れて行かれた。
そしてデイジーとも離れ離れにされて絶望の底に落ちたかと思えば、お伽話から飛び出して来たような二人の仮面の貴公子が、自分もデイジーも助けてくれた。
そして家に戻って暫くすると、見た事も無い豪華な馬車がやって来て、中からまるで王女様のような人が降りて来た。
「夜分遅くにごめんなさい! 私はストーク王国の王女、シーグリッドと申しますわ! 貴女がフレデリク様のお友達のエイミー様ですのね!?」
その人は王女様のような人ではなく、本物の王女様だった。お付きの人達も立派な姿をした人々ばかりである。
「それで、あの……フレデリク様は! フレデリク様はこちらにいらっしゃいますのね!?」
王女様の一行が来るまでダイニングでフレデリクにお伽話を聞かせて貰っていたエイミーは頷き、家の中を見た。ところが。
「あれ……おかしいわ、たった今まで、ここにいらっしゃったのに……」
フレデリクは忽然と、姿を消していたのである。
シーグリッドは少しだけがっかりしたようだったが、自分はハルコンの仕返しからエイミーとデイジーを守るよう、ロヴネルに頼まれたと言って、そのままダンバー家に居座ろうとした。しかしダンバー家はこんな立派な人々が全員入るには狭過ぎる。
「あの、エイミー様、我々はストーク王国の正式な外交使節団で、決して怪しい者ではありません。宜しければデイジー様共々、私共のストーク大使館にいらっしゃいませんか? 姫とお付きの者が皆でここに居座るのは、その、近所迷惑になりそうですので……」
エイギルという王女様のお付きの紳士がそう提案してくれた時には、エイミーもホッとした。
◇◇◇
エイミーも十分この急展開に驚いていたが、もっと驚いたのはデイジーだ。翌朝目が覚めたら、自分は広くて暖かい部屋で天蓋付きの豪華で柔らかいベッドに、姉と並んで寝ていたのだから。
それから女給さん達にお姫様のお下がりの素敵なドレスを着せて貰い、広々としたダイニングに通されて、王女様と並んで座って、卵やヨーグルトや果物をたっぷり使った朝食をいただいた。
王女様はとにかく気さくな方で、ずっと二人と一緒に居てくれた。エイミーが私学舎に行かなきゃと言い出すと、馬車を出してついて来てくれる程である。
「エ、エイミー!? 一体どうしたんだよその恰好……」
豪華な馬車からお姫様の服を着て、お付きの者に囲まれて出て来た自分達姉妹を見てデニスは腰を抜かさんばかりに驚いていた。シーグリッド姫はそのまま教室について来て、その日の授業はシーグリッド姫によるストーク王国の紹介に乗っ取られてしまった。
「いつも私の親友、エイミーとデイジーに良くして下さって有難うございます! それでは皆様御機嫌よう」
その後二人はシーグリッド姫に乞われるまま、市内の名所を馬車に同乗して案内して回った。
ジョフリー伯父さんの事はその間もずっと気になっていたが、昨日自分達を助けてくれたロヴネルさんは、朝どころか前日の夜中からずっと、伯父さんが閉じ込められていたクロスボーン城を訪れたり、かつての伯父さんのお友達であるヨーク将軍に会いに行ったり、市内の牢獄を手分けして探してくれているという。
「大丈夫。今日の午後までにはきっとジョフリー殿を連れて戻れると思う」
ロヴネルは途中で馬車の近くにやって来て、そう教えてくれた。
デイジーは単純にロヴネルにもシーグリッド姫にも大変よく懐いていて、この驚きの奇跡を純粋に、心から喜んでいた。
エイミーにはもう少し知恵があったので、どうしても困惑は拭えなかった。ロヴネルは自分に対してもとても誠実で紳士的で、シーグリッド姫は本当に優しく気さくで自分にも妹にも親友のように接してくれる。
だけど自分達は本当にどこにでも居る普通の小娘で、異国の王女様や提督にそんな風に扱って貰える人間だとは思えない。
「凄いわ! 橋の上にあんなに大きな町があるなんて!」
「あれがブレイビス大橋なの! だけど、伯父さんにはあの橋には近づいたらいけないって言われてるの」
それでも、今は無邪気にシーグリッド姫と触れ合っているデイジーの方が、人として正しい事をしているような気がする。ともかく姫は、それを望まれているようなのだから。
しかしエイミーの胸にはもう一つ引っ掛かっている事があった。自分をハルコンから救ってくれた英雄、フレデリクは何故突然姿を消したのか?
シーグリッド姫はまだフレデリクに会った事がないそうだ。そしてとても会いたがっている。姫はフレデリクを運命の人、未来の夫かもしれない人とまで言った。
だけどフレデリクは姫に会う前に、煙のように姿を消してしまった……
一体何故? あの強く優しい英雄は、自分に会いたがっている、こんなに素敵な王女様を置いて、忽然と姿を消してしまったのだろうか?
ストーク王国の馬車は昼過ぎにはブレイビス市内にある評判のレストラン、トゥルーズに到着した。
そこは封建貴族などの上流階級だけでなく、海外進出で大いに発展するレイヴン王国の首都ブレイビスに発生した裕福な市民、中産階級層にも愛される名店で、アイビスの首都レアルで修業したアイビス人が料理長を務めているから、とても美味しいのだという。
◇◇◇
「すごい! こんなに柔らかくて美味しいお肉、初めて!」
「私も初めてですわ! このソースの香り、心が踊りますわね!」
ここでも気さくなシーグリッド姫は二人と共に驚き、共に楽しんでくれた。エイミーももう考え込むのをやめ、急に出来たこの年上の親友の厚意に甘えていた。
今日は昨日までと違う、真冬のブレイビスにしては珍しい快晴の日で、王女と二人の姉妹はこの名店の四階の、日差しのよく当たる広々としたテラス席に居た。
◇◇◇
ジョフリー・ダンバーはその様子をロヴネルと共に、店内の物陰からじっと見つめていた。傍らにはストーク王国の宰相エイギルの姿もある。
「本当に良くして貰って……全く夢のようだ。最早、何と礼を言ったものか解らない」
ダンバーは複雑な笑みを浮かべ、しんみりとそう呟いた。
「姫も本当に御二人のような素直な女の子が大好きなのです。レイヴンに来て早々に御二人のような友人が出来て随行の我等もとても喜んでいます。どうかお気遣いの無きよう」
エイギルは流暢なレイヴン語で、丁寧にそう言った。
「有難う、本当に……だけど……申し訳無いのだが、あの二人を……もう暫く預かって頂く事は出来ないだろうか? どうか御願いだ、勿論あんな賓客扱いでなくていい、何か、大使館とか駐在員の家の女給とか、そういう仕事をさせて貰えれば有難いのだが」
「それは……御二人にこれからも一緒に居ていただけるなら、姫がきっと手放しません、しかし何故?」
何かの覚悟を決めたように話すダンバーに、エイギルはそう尋ね返す。ロヴネルはただ、静かに目を細める。
「マイルズ・マカーティは俺達レイヴン人が救わなくてはならない。知ってしまった以上、俺には黙っている事など出来ない。大まかな話はフレデリク・グランクヴィストからも聞いたし、こちらのロヴネル提督にも伺った。そしてこの問題には、貴方方、ストークの使節団は直接関わらない方がいいと思う……レイヴン当局がそれを知れば、きっと話がこじれるから」
その点については正直、エイギルもロヴネルも同感だった。ロヴネルの方は既に牢破りをしてまで本人に会ってしまっているが、その話は誰にもしていない。
「俺はレイヴン国王に忠誠を誓う、ごく普通のレイヴン人だが……この問題については皆さん、ストーク使節団の利益に沿うよう行動する事を神に誓う。それが今の俺に出来るせめてもの礼だ……まあ、手配書破りの囚人の言葉だ、信じていただけないかもしれないが」
ダンバーがそう言うと、今度はロヴネルが即座に口を挟む。
「そんな事は無い。貴方のその言葉だけで私は十二分に報われた。ダンバー殿、本当に私に出来る事は他に無いだろうか? どうか後からでも、思いついた事は何でも言って欲しい」
ストーク人は往々にして、レイヴン人から見ると素っ気なく、フェザント人あたりから見ると有り得ない程素っ気なく見える。いつまで経っても他所他所しく、友達甲斐が無いと。気さくなシーグリッド姫は例外中の例外だ。
しかしそれは誤解である。ストーク人は本当に友達だと思った相手にはとことん世話を焼く。
「ありがとう、ではその時は遠慮なく頼らせて貰おう」
「……二人に会わなくていいのか?」
「すまないが、俺がちゃんと提督に救われたという事、その後で大事な仕事をしに出掛けたという事を、二人に伝えて欲しい」




