イェルド「御久し振りです、フレデリク卿」フレデリク「えっ、あっ、あー。馬車を用意してくれたのか、あー、ありがとう……」
スウェーデン風ミートボールはリンゴなどのジャムをつけて食べるんだそうです。サワークラフトもそうですが、野菜の育たない冬季にビタミンCを補給する為の生活の知恵だったのかもしれませんね。
ダンバーは密かに、ヨーク将軍に感謝していた。
権力を振りかざす軍幹部に逃げられた過去でもあるのか、ボーガンという保安官助手の軍属に対する執着心は異常だった。聡明で用心深いヨーク将軍はそれを見抜いたのだろう。
そしてこの状況は、ダンバーとヨーク将軍の勝利だった。
ヨーク将軍がダンバーを擁護し身元を保証する証言をすれば、保安官達は証言の内容を精査し、上げ足を捕ろうと躍起になっていただろう。しかしヨーク将軍は敢えて、ダンバーをただのごろつきだと切り捨てて見せたのだ。
そしてデニング保安官はダンバーを犯罪組織の構成員として追及するのを諦め、ただの手配書泥棒として、鞭打ち10回の刑にする事を決めた。
ボーガンは最後までダンバーを侮辱し、ヨーク将軍への当てつけでも引きだそうとしたのだが、ダンバーは将軍に感謝こそすれど、恨む理由など無かった。
「軍人崩れのコソ泥め……! 金貨10枚の罰金の支払いは半年以内だ! それが出来なかったら……10年や20年じゃ出れない牢獄が待っているからな……!」
これでいい。後は自分が鞭打ち刑を受けるだけだ。初犯の自分はそれだけで解放されるはずである。金貨10枚の事はその後で考えなくてはならないが、今は幼い姪達の元に戻り、安心させてやる事だけが肝要だ。
◇◇◇
ところが翌日。ダンバーの鞭打ち刑は、急遽中止されたのである。
「ジョフリー・ダンバー……お前には保釈金が支払われた。そこから出ろ」
「保釈金だと……? まさか」
ヨーク将軍がそこまでしてくれたのか? 彼は自分同様平民出身の叩き上げの軍人で、貴族のような荘園や資産も持っていないし、軍の給料もほとんど戦死した部下の遺族に寄付してしまう慈善家だ、そこまでさせてはいけないのだ。
それにヨーク将軍が結局保釈金を払ったと知れたら、ボーガンはまた戻って来てうるさく付きまとうかもしれない。
しかし出所したダンバーを待っていたのは、見覚えのない長身の銀髪の男だった。
「初めてお目にかかる。私はストーク海軍提督マクシミリアン・ロヴネル。エイミー殿とデイジー殿の代理人としてここに来た。二人は昨日ハルコンという男に連れ去られかけたが、フレデリクの手により救出され、今は我が国の外交使節団の団長を務めるシーグリッド姫の元に居る」
男は流暢なレイヴン語で、はっきりとそう言った。ダンバーは何が起こったのか全く解らず、暫くの間、呆気に取られていた。
「ああ……あの、一体何が起きたって……?」
「すまない、話が性急だったろうか」
「いや、そういう訳じゃなくて……あの、まず、俺の姪がどうしたって?」
「うん。御二人はブレイビスが初めてのシーグリッド姫の為に案内役を買ってくれた。今は馬車で市内の観光名所を巡っていると思う」
ロヴネルが話を先に進めるので、ダンバーはますます困惑する。
ストークの海軍提督は今日はアイマスクもしておらず、部下も連れて堂々と行動していた。その部下の一人の、黒髪でオールバックの男が自分の乗って来た馬をダンバーに薦める。
「昼食にはトゥルースという店を予約されていました。料理長はレアルで修行したアイビス人だそうです、急げば合流出来ると思います」
「姫はエイミー殿とデイジー殿を大変に気に入り、御二人もよく姫に懐いて下さっている。皆、伯父上の事を心配されているので、どうか私と同行していただけないだろうか」
「いや待て、ちょっと待ってくれ!」
ダンバーは辺りを見回し、街路樹の幹に手を当ててもたれかかる。そして呼吸を落ち着け、数秒考えてから……振り返る。
「自分に起きた事に理解が追いつかない……まず、俺の姪達の為にとても親切にしてくれた事に心から礼を言う……二人には、本当に俺の他に誰も身寄りが無いんだ……そして俺自身に対しても、どうして貴方方が親切にして下さるのか、全く解らないのだが……」
ロヴネルはただちに、微笑んで答える。
「先程申し上げた通り、エイミー殿とデイジー殿が貴方を助けたいと望まれたからだ。他意はない」
ダンバーは再び眩暈を覚えたが。そこで思い直し、腹の古傷に力を込め、背筋を伸ばして……ロヴネルの目を見る。
「助けていただいて申し訳無いのだが、俺にはすぐにやらなくてはならない事がある……その前に、もう一つ……御願い出来ないだろうか?」
「いいとも。私は何をすればいい?」
ロヴネルは微笑んで即答するが、ダンバーは困惑し頭を掻く。
「いいのか、そんな安請け合いをして……金もかかるし、その……大変に馬鹿げた事で……俺もそんな事をするのが本当に正しいのかどうか、正直まだ良く解らないんだ」
「しかし貴方がやりたいと思う事なのだろう? 私とフレデリクの名に於いて請け負う。さあ、言ってくれ」
ダンバーは覚悟を決めたように頷く。
「一人、助けたい奴が居る」
◇◇◇
ダンバーを罠に掛けて町で恥をかかせ、その翌日にダンバーらの証言で張り込んでいた司法局員に逮捕された、泥棒にして元貴族のラディックは、ダンバー以上に何が起きたのか解らないという顔で、城門から連れ出されて来た。
無傷で出て来たダンバーと違い、ラディックは顔じゅうが腫れ上がり、左腕は脱臼してだらりと下がったまま、右足は膝から下を引き摺っていて、杖が無くては歩く事も出来ない有様だった。
ラディックを両側から抱えて来た看守は城門の外に彼を放り出すと、黙って帰って行く。
「こりゃ、どういう事なんだよ……あの時の間抜け! お前が俺を連れ出したってのか!? ああ? 我輩にたかればどこからか金が出て来るとでも思ったか? 我輩が古い荘園でも持っていると思っているのか! ふざけるな! お、俺は本物の一文無しだ、盗んだ金も全部取り上げられた!」
いきり立つラディックを見て、ロヴネルを始めとするストーク人達も困惑していた。皆、ダンバーが助けたいというのは当然、勇敢で名誉あるレイヴン海軍艦長、マイルズ・マカーティの事だと思ったのだ。
しかしダンバーが求めたのは、クロスボーン城の海軍艦長ではなく、アーリング城のこの男の保釈だった。
「ああ!? 何の真似だ……何の真似だ貧乏人! 何故こんな事をした!」
自分を助けてくれたダンバーに、ラディックは食ってかかる。
「解らん……ただ、あそこに居るのは皆似たような泥棒や暴漢の類なのに、お前だけが元貴族だからって、あんな風に他の囚人共の私刑を受けるのはおかしいと感じた……そんな様子じゃ、あと二日も居たら殺されていたもしれない」
ダンバーがそう答えるとラディックは目を見開き、暫し呆然としていたが。
「ヒ……ヒヒヒ……ヒーッヒッヒッヒ!! おめでたい、おめでたい馬鹿め、何と浅薄な愚か者だ、ハーッハッハッハ! お前のした事で世の中の何が変わると思う!? 泥棒が一人、市中に放たれるだけだ、何と、何と愚かな……貴様なんぞにこの俺が感謝するとでも思ったか! ああ、お前が自由にしてくれたと言うのなら、俺はどこにでも行く、行ってまた盗みを働いてお前のようなノロマにその罪を押し付けてやろう、さらばだ諸君! ハーッハッハッハ!」
ラディックはひとしきり高笑いすると、杖をつき、痛めた足を引き摺って、よろよろと立ち去って行く。
ストークの軍人達の中にはその様子を見て憤る者も居たが、黒オールバックの男、イェルドに諌められ、皆静かにしていた。
ダンバーはロヴネルに詫びる。
「すまない。折角金を出して貰ったのに。彼が素直に反省するとは思っていなかったが……ともかく、俺自身の為に払って貰った分も含め、この金は必ず返す」
「頼むから気にしないで欲しい。本人には口止めをされていたのだが……我々が貴方を助けるのはフレデリクの為なのだ。フレデリクは我々にとっては大変な英雄で、そのフレデリクが、貴方を助ける事を望んでいるのだ」
ロヴネルの方はラディックの悪態にも気を悪くした様子は無く、穏やかにそう言った。しかし。ここに到ってもダンバーには、フレデリクという名前に心当たりが無かった。
「ちょっと待ってくれ、フレデリクというのは……先程、俺の姪達を助けてくれた人とだとも聞いたが、その、俺には心当たりの無い名前なんだが」
ロヴネルは今度は少し驚いた。
「フレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト……本当に御存知無いのか?」
「なッ……! グランクヴィスト、フレデリクというのは彼の事なのか!」
ダンバーはそれを聞いて、ここまでの流れの中で一番驚いた。
ではクロスボーン城で自分と同房となったマカーティを、窓の方から尋ねて来たあのアイマスク姿の小柄な青年が、前日には自分をラディックの奸計から救ってくれたあの青年が……エイミーとデイジーをハルコンから取り戻し、自分には鞭打ち刑さえも止める為、この立派な異国の海軍提督を差し向けてくれたのか?
確かに自分は彼に依頼した。自分は大丈夫だから心配するなと、二人に伝言して欲しいと。
しかしそれは、優しいが救いの無い嘘だった。自分にはすぐに戻れる当てはなく、二人の面倒を見てくれるまともな人間にもあてが無い、あとはグランクヴィスト青年が二人を見て、何等かの善意を発揮してくれる事を願うだけの依頼だった。
しかしグランクヴィストは、早くも手を出して来たハルコンから二人を奪還し、自分を本当に大丈夫なまま外に出し、その嘘を本当にしてしまった。
ダンバーは、決意を新たにする。
逮捕されるのも鞭で打たれるのも不運で不器用な自分が悪いだけの事で、仕方が無いと思っていた。
しかしダンバーは救われた。天使のような青年が自分も、姪達も救ってくれた。
ならば、今度は自分の番だ。
あの男は、ラディックのように金で簡単には救えない。彼の処遇には、何かの巨大な意志が介在しているのだろう。
「ロヴネル殿……俺を姪達に会わせてはくれないか」




