ベルボーイ「やはり42号室のお客様が戻られません……居るのは猫だけです」料理長「注文の料理はもう出来ています……どうしましょう」支配人「……」
話の順番が噛み合っていれば、こうはならなかったのに。マカーティがダンバーの身の上を知ったのは、フレデリクを追い返した後だった。自分の事なら我慢するが、他人の事は我慢出来ず、憤るマカーティ。
一方フレデリクは、とんでもない人を巻き込んでダンバーの二人の姪に伝言を届けに行ったていた。
マリー、いやフレデリクの一人称、ちょっと前からの話に戻ります。
わ、私のせいじゃありません……
伝言を頼まれた家を探し、私は何度も目的地の周りを行ったり来たりしていた。ロヴネルさんに見つかったのはその時である。
ロヴネルさんは目鼻を隠すアイマスクをしていた。しかしマスク一つで誰だか解らなくなるマリーと違い、ロヴネルはマスクをしていてもロヴネルである。
「ど、どうしたんだ? 仮面舞踏会にでも行くのかい?」
「シーグリッド姫から君に手を貸す事について許可を得て来た。今までストークに尽くして来た君の為、私が剣となり盾となる」
「困るよ! 君は自分が誰だか解っているのか!」
しかしロヴネルさんは、私が見つけられなくて困っていたダンバーさんの家を一瞬で見つけてくれた。
そこに居たのは10歳くらいの、震える少年だった。
「ジョフリー・ダンバーさんの家はここかい? 僕は彼から二人の姪の為に伝言を預かって来たのだけど」
「あ……貴方はダンバーさんを知ってるの!?」
少年はダンバーの家族ではなかった。デニスというその少年は、ダンバーの姪のエイミーとデイジーが、ハルコンという男に連れ去られてしまったと言う。
ハルコンは近所の廻船問屋の主人で、慈善事業と称して貧しい家の幼い少女ばかりを人買い同然に雇い集め、屋敷に住まわせている男だという。
ハルコンはダンバーは逮捕されたのでもう帰って来ないと言って、嫌がる二人を無理やり連れて行ったそうだ。
「フレデリク。今度こそ私にも手伝わせてくれ」
海軍提督に押し込み強盗の真似なんかさせられないと私は断ったのだが、複雑奇怪なブレイビスの街で素早くハルコンの家を見つけ出すには、結局ロヴネルの力が必要だった。大きな屋敷なんてこの街にはいくらでもあるのだ。
どうも相手も悪党らしいので雑に働く事にした私は、取り急ぎ屋根に上り様子を見る。するとちょうど、エイミーちゃんらしき女の子が、屋敷の主の部屋に連れ込まれて来るではないか。
船酔い知らずも無しに飛ぶように屋根に登ってついて来たロヴネルは、私が止める間も無くデイジーちゃんの方を探しに行った。
それからとにかくエイミーちゃんを助けようと天窓からハルコンさんちに御邪魔すると、歓迎の男達が8人も出て来た……あれには焦った。
室内でこの人数相手に逃げ回るのは無理だよ……そう思ったのも束の間、ロヴネルさんが別の天窓から飛び込んで来た。デイジーちゃんも救出済みだ。そして8人の荒くれも瞬く間に片付けてしまった。
何と素早く確実に仕事をする人なのだろう。こういう人が強盗や海賊にならなかった事は誠に幸いである。
そして私はハルコンさんちの正面玄関から、ロヴネルさんに続いて堂々と外に出た……屋敷の他の執事さん達は気まずそうに頭を下げているだけだった。あと、ここの女給さん達は本当に私より小さな女の子ばかりで、みんな太腿が見えそうな短いお仕着せを着せられていた。あの主人何かの罪で逮捕出来ないの?
デイジーちゃんはロヴネルにベタベタに懐いてしまっていて、ずっと片手で抱っこしてもらったまま首筋に抱き着いていたが、ダンバーさんの家に戻って来た頃には、眠ってしまっていた。
「エイミー! 大丈夫だったの!?」
「デニス……あなたが助けを呼んでくれたの?」
デニス少年は最初に見つけた時と同様、泣きそうな顔をしてダンバー家の扉の前に佇んでいたが。
「べ、別に。お前んち貧乏だから大変なんだろと思って。無事だったなら、ど、どうでもいいや、あー腹減った。俺もう帰るわ、明日も教室に遅れんなよ!」
色白で赤ら顔のデニス少年はそう言ってさっと背を向け、すたすたと歩き去ってしまった。あー。故郷の悪ガキ共を思い出しますねェ。
「あんな事言ってるけど、こんなに遅く帰ったら絶対お母さんに怒られるわ……デニスのお母さん、とっても厳しいの」
「そうか。まあ男はこういう時はどんなに怒られても平気なもんさ」
私は解ったような口を効きながら、エイミーちゃんに続いて家の中に入る。
ロヴネルはデイジーちゃんを奥のベッドに寝かせてから戻って来る。
疲れてたんだろうな、デイジーちゃん。
おじさんの帰りを待っていたら、ハルコンが来て、おじさんは悪い事をして捕まったからもう帰って来ないと言われ、無理やり連れて行かれて、お姉ちゃんと引き離されて……今日はたくさん泣いたのだろう。
だけど泣きたいのはエイミーちゃんも同じのはず。だけどお姉ちゃんはこんなに色々な事があった日に、泣かずに頑張っていたらしい。偉いな……まだ9歳くらいに見えるのに。
そんなお姉ちゃんに事実を伝えるのは辛いが。私はマカーティに伝えられた通りの事を告げる。ダンバーは盗みをして捕まり、牢獄に閉じ込められていると。
「ハルコンさんも……そう言ってました。じゃあ、それは本当なんですね」
エイミーは俯く。私とエイミーは小さなダイニングテーブルで向い合せに座っていて、ロヴネルは玄関の扉を少しだけ開けて外を見ていた。
「あの……伯父さんは何を盗んだのでしょう?」
「ああすまない、ジョフリーさん本人は元気そうだったし、話もしたんだけど……頼まれたのは伝言だけで、何故逮捕されたとか、そういう話は聞けなかった」
酷い伝言係も居たもんだ、私はそう言って笑おうかと思ったのだが。そこに至り、気丈に頑張っていたエイミーちゃんは突然大粒の涙をこぼし、嗚咽をあげ始めた。
「伯父さんは、私とデイジーが盗んだ手配書を衛兵さんの所に返しに行ったんです! だけど……きっと許して貰えなかったんだわ……」
「て……手配書を盗んだ?」
「マリー・パスファインダーという女の人の手配書なの!」
ぎゃ?
ぎゃ……
ぎゃああああぁあああ!?
「その手配書は裏の画商の所に持って行くと金貨で買い取って貰えるんだって……私達、おこずかいが欲しかったからそれを盗んだの!」
泣きじゃくるエイミーちゃん、だけど! ちょっと待て何の話っていうか、原因は私なんて事があるの!? 昨日今日まで知らなかったレイヴンの首都ブレイビスで暮らす人達が司直に逮捕された理由が私、そんな事有り得るの!?
「だけど怖くなって……伯父さんに相談したんです、伯父さんは私達を許してくれて、一人で手配書を返しに行って……そのせいで捕まったんだわ……!」
マリー・パスファインダーの手配書なら、私も一枚持っている。今回も何かに使うかもしれないと思って荷物に入れて持って来て、今は疲れて寝ているぶち君と一緒に、宿の部屋に置いてある。
ダンバーは自分に掛けられた疑いを晴らす為真冬の町で服を全部脱ぎ、疑いが晴れると自分を誤認逮捕した人々を許し、真犯人を通報しに行った、底抜けに正義感の強い男だ。そんな人物があんなへちゃむくれの似顔絵一枚の為に逮捕される事があっていいのか。
エイミーちゃん達もそうだ。こちらはまあ……お小遣い欲しさに手配書を盗むのはダメだけど、子供のした事だしなあ……そのせいで優しい伯父さんを取り上げられ、人攫いに連れて行かれるというのはあんまりだ。
私はふと、背中に圧を感じて振り返る……ああやはり、ロヴネルがマスク越しにも力を放つ熱視線で私の方を見ている。
「あの……君のおかげで友人の姪達を無事助けだす事が出来た、本当に感謝するよ……だけど君はそろそろ戻った方がいい」
私はとにかくそう言ってみる。正直、気が気じゃないですよ、どうするの、いくら幼い女の子達の為とはいえ、ストークの海軍提督がブレイビスで押し込み強盗紛いの事をした事がバレたら……今は一刻も早く帰っていただきたい……
「私には君のような叡智は無いが……ダンバー氏に二人を救出した事を伝えなくていいのだろうか?」
「あ……ああ、伝えた方がいいんだろうけど、一つ問題があって。ダンバーさんの同房の男は僕の友人なんだけど、そいつ、僕に二度と来るなと言うんだよ、また来たら大声を上げて看守を呼ぶとまで言う」
私はそこまで口に出してしまってから、にわかに青ざめる。ロヴネルが覆面をしていても眩しい、澄み渡る笑顔を向けて来たのだ。
「ならば私に任せてくれフレデリク、今からダンバー氏に会って、エイミーもデイジーも無事だと伝えて来よう」
「待ってくれあの」私はロヴネルの名を呼ぶ事を躊躇う。「君はいいから」
しかし私がロヴネルを止める前に、エイミーは椅子から立ち上がりロヴネルに駆け寄っていた。
「伯父さんに会えるんですか!? だけど伯父さんはクロスボーン城の牢獄に閉じ込められたと、ハルコンさんが」
ぎゃあああ何故それを言う!
「クロスボーン城の場所は解るか?」
「ブレイブ川の南岸沿いにあります!」
「待てッ、ちょっと待てって、そこは厳重に警護されているし今は夜中だ、今日の接見は無理だよ、明日僕が行って何とかするから、」
私は勝手に話を進めようとするロヴネルとエイミーの間に割って入る……するとロヴネルはエイミーにその場で待つよう指示し、ダンバー家の玄関を出て行く。私も、ロヴネルについて外に出る。
外に出たロヴネルは声を落として囁く。
「フレデリク。君もそこに忍び込んだのだろう? それも恐らく昼のうちに。そんな離れ業は君にしか出来ないかもしれないが、幸いにして今は夜中だ、今なら私でも、忍び込める」
「勘弁してくれッ……君は風来坊で無責任な僕とは違うんだ、そんな事を……!」
私はそう言い掛けるが……実際、今の私には他に味方が居ない。
デイジーちゃんは疲れて眠っていて、起こすのは可哀想なのだが……この姉妹は今はここに居ない方がいいと思う。ハルコンの用心棒は八人ともロヴネルがぶちのめしたが、朝になったら他の者を連れて仕返しに来るかもしれない。
そして姉妹を動かすならその事はダンバーさんに伝えてあげた方がいい。だから本当は私がクロスボーン城に行けばいいんだけど……そこであの頑固な狼ちゃんが問題になる。大声を上げて看守を呼ばれたら、とても困る。
アホのマリーが色々な事を無駄に考え、逡巡していると、ロヴネルが、チビの私に目線の高さを合わせて来る。
「あの姉妹を保護する場所なら、私に考えがある。その事を含めて私は彼女達の保護者であるダンバー氏に会って来ようと思う。あまり心配しないで欲しい。君のような英傑の目にどう映っているのかは解らないが、私もそれなりの死線を潜り抜けて来た人間だ。頼む。私に任せてくれないか」
マカーティに気づかれずにダンバーさんに会う方法も、この見知らぬ迷路のような町で二人の女の子を守る方法も、私はまるで思いつかない。もう、ロヴネルさんに頼るしかないじゃん。
そう言えば私、ホテルで夕食を御願いしてたっけ。朝は散々だったから夜はお高いコースを奮発したのに……ああいうのってお客が現れなかったらどうなるんだろう。従業員の皆さんで美味しくいただいてくれるのかしら。
給仕「こちらは前菜の、極光鱒のスモークのキャビア添えでございます」
料理長「北スヴァーヌのフルベンゲンより急送された特級品です。お口に合いますでしょうか」
ぶち猫「……」
給仕「魚料理になります。帆立貝と舌平目のムニエルでございます」
料理長「檸檬はお好みではないかと思い取り下げさせていただきました。舌平目の柔らかさと帆立の食感をお楽しみいただければ」
ぶち猫「……」
給仕「肉料理になります。仔牛のフィレ肉のソテーでございます」
料理長「一頭の牛から1kgも取れない希少部位です。スパイスに頼らず素材の味を生かした仕上げになっております、他の部位には無い肉質をご堪能下さい」
ぶち猫「……」




