デニス「あ、貴方は誰? あ、あの……僕の……僕の友達がさらわれて……お、御願いします! 助けて下さい!」
マカーティとダンバー、そしてフレデリク、邂逅と別れ……
男達の戦いが、始まります。
ダンバーは保安官達に連れられ、牢を去った。
マカーティは思う。ハロルドを始めとする艦の仲間達にだって散々言われたのだ。王国の仕打ちはおかしい、従うべきではないと。彼等を説得し追い返すのは容易ではなかった。
それでも牢の外に居る連中はまだしも、同房の囚人にそれを言われるのはキツい。自分の望みは、死刑が執行されるまでの間を静かに過ごす事だけなのに。
しかし。一人になったマカーティが手に入れたのは安寧ではなかった。
マカーティはむやみに牢の中を歩き回る。
ダンバーに何が起きたのか? あの男はこんな特別な牢獄に連れて来られるような男ではない。それなのに。彼はこの牢獄からさえも連れ出され、どこへ行ったのか?
窓の外はもう完全に日が落ちていた。マカーティは鉄格子に取りつき、辺りを見回す。フレデリクは、戻って来ない。
「くそッ……あの野郎何やってんだ、呼んでもいない時には来る癖によォ!」
こんな事なら、フレデリクを無碍に追い返すのではなかった。
ダンバーの身の上を聞いてしまったせいで、マカーティの心は乱れに乱れていた。
レイス島の海賊襲撃事件から島民を守り抜いた守備隊の男が、酷い不遇を経て無実の罪で罰せられようとしているのだ。
あの男、自分は英雄ではないと言っていたが、保安官は最後に何と言った? 元大尉だと? ならばダンバーはあの絶望的な戦いに勝利した現場の戦隊指揮官の一人だという事になる。
マカーティは自分の持ち物袋に駆け戻り、真っ暗な中であの母の形見の銀のスプーンを探し当て、廊下側の扉の鉄格子に飛びつく。
「看守! 話がある、ちょっと来てくれないか! 看守!」
しかし。やる気の無い当直の看守は厄介事に巻き込まれる事を恐れ、マカーティの所へはやって来なかった。
「頼みがあるんだよ、外の奴に手紙を出したいだけだ、頼むからこっちに来て話だけでも聞いてくれ! 頼むよ!!」
◇◇◇
ブレイビス市内の、とある水路に面した大きな屋敷。
屋敷の主人ハルコンは最上階の自分の部屋の大きな暖炉の前で安楽椅子に座っていた。その目の前には、一人の少女が怯えた様子で立ちすくんでいる。
景気よく燃える暖炉の炎が、中年男と少女の横顔を照らす。
人払いがされていて、この広い吹き抜けを持つ部屋には他に誰も居ない。
「私の家で暮らす者には、豊かな教養と身だしなみを身に着けて貰う。汚水の周りを這い回るドブネズミではないのだ……服を脱ぎ、そのお仕着せに着替えなさい」
ハルコンは慈愛に満ちたような声でそう言った。しかし少女はただ震えている。
「何をしている? 屋敷の主人である私の指示には、ただちに従わないといけないよ……私が、優しく言っているうちにね。さあ、早く着替えるんだ」
ハルコンがそう言って少女を睨みつけ、立ち上がろうとした瞬間だった。
―― バリィーン! ガシャシャアン!!
「きゃっ……!」
「なッ……?」
突如吹き抜けの高い所にあったガラス窓が割れ、窓枠ごと部屋の中に落ちて来て粉々になった。ハルコンは身震いし、少女……エイミーも怯えて縮こまる。
そして粉砕され床に飛び散ったガラス窓の破片の中から、真っ黒な亡霊のような物が立ち上がるのを見て、エイミーは金切り声をあげる。
「きゃあああ!?」
ガラスの破片で怪我をしないよう、黒い外套で身を守りながら五階の窓枠を蹴り破って四階の部屋の床に飛び降りたフレデリクは、外套を勢い良く取り払いながら近くのテーブルの影に飛び込む。そのせいでハルコンやエイミーからは、黒い外套の中に居た人間が消えたように見えた。
「何事だ、一体ッ……!」
ハルコンは壁の金具に掛けてある自分専用の護身武器である、装填済みの短銃を手に取り、落ちて来た外套の方へ駆け寄ろうとしたが。
「ぎゃッ」
―― バターン!!
何かにつまずいて派手に転んでしまい、短銃を落としてしまう。
ハルコンがつまずいたのは偶然ではなかった。フレデリクは椅子の影から、たった今ハルコンに蹴られて結構痛かった自分の足を摩りながら立ち上がる。
「な、な、何だお前は!? 侵入者だ! 誰か、誰か!」
ハルコンは尻を引き摺って後ずさりしながらそう叫ぶ。
フレデリクはマスクの向こうで涙を堪え、痛みに唇を歪めながら、手にした自分の短銃をハルコンに突き付け、大股に近づいて行く。その表情はハルコンから見たら、自分に対し憤怒しているように見えた。
「ち、ち、違うッ! この女の子の住む家はドブ川沿いの地下一階で、きっと服には虱がたかっているだろうから、清潔で暖かい、そのお仕着せに着替えさせてあげようと……」
「目の前で着替えさせる理由は何だッ! 随分丈の短いお仕着せだな、こんなの膝も隠れないじゃないか! 僕は服飾にはうるさいんだこういうのは許せん!」
「やめ、やめて、ちょっと」
フレデリクは壁際に追い詰められたハルコンの鼻の穴に銃口を押し付ける。ハルコンは涙目で小さく首を振る。
その時。
―― バァン!
「御無事ですか社長ッ! な、何者だ貴様!」
「侵入者だ! チビの男の侵入者が一人!」
「ヒャッハー! 社長が危ねえってかー!!」
大きな部屋の扉が開き、人払いで外に出ていた住み込みの用心棒が次々と部屋に駆け込んで来る。男達は銃こそ持っていなかったが、剣やナイフで武装していて、普段はハルコンを商売敵の妨害から守ったり、ハルコンの商売敵を襲撃したりしている、荒くれ者共だった。その数は八人。
「賞金は俺の物だー!!」
人命についてあまり深く考えた事の無い男達は、主人が侵入者に銃を突きつけられている事も構わず、我先に手柄を立てようと突進して来る。
しかし。
―― ガシャーン!! バリバリバリ!
再び。五階部分の別の天窓が砕かれ、また窓枠やガラスと共に黒い外套を纏った亡霊のような何かが飛びこんで来る!
「ひ、ひええっ!?」
「今度は何だぁあ!?」
飛び込んで来た何かは、見事な着地を決め、黒い外套を払いながら素早く立ち上がる……そこに現れたのは、長い銀髪の男だった。
男は全員に背中を向けたまま、周囲の様子をざっと確認すると、両手で大事に抱き抱えていた何かを、そっと床に降ろす。
「大丈夫か。どこも痛くはなかったか」
「う……うん……痛く、ない」
銀髪の男がそっと降ろした少女を見て、叫んだのはエイミーだった。
「デイジー!」
「お姉ちゃん!」
二人の幼い少女はお互いの元に駆け寄り、しっかりと抱き合う。
「さて……」
銀髪の男が立ち上がり、皆の方に振り向く。背が高く肩幅も広い、堂々とした男だった。男は先に飛び込んだ小柄な男同様、アイマスクで目元を隠していた。
「あ、あの……」
早速妹を助けてくれた礼を言おうと顔を上げたエイミーが口籠る。男はアイマスクを貫通して少女の言葉を奪う程の美貌の持ち主だった。
「部屋の隅に下がっていてくれ。暫くこちらを見ないように」
「は……はいっ!」
長身の銀髪の男は、男の身長では寸足らずに見える短めのサーベルを抜き放つ。
「な、なめン」
斜め後ろから先手を取って斬りかかろうとした用心棒が、視界から消えた銀髪の男にサーベルの峰で後頭部を痛打され白目を剥き倒れる。
「えっ……」
目の前の味方が突然倒れた事に驚いた別の男は、自分が打たれたと気づく前に鳩尾にサーベルの柄を沈められ意識を無くす。
「や、野郎!」
用心棒達の一番後ろからこっそり弓を持って部屋に入って来た男は、銀髪の男を見失っていたが、とにかく矢をつがえ弓を構えようとした。しかし何故か指に弓の舷が掛からない……よく見れば、弓の舷が切れているではないか。しかし男が覚えていたのはそこまでだった。切れたのではなく切られた弓を持ったまま、男はうつ伏せに倒れる。
残る五人の用心棒が見たのは、燃え盛る暖炉の炎を怒りのように背に纏い、自分達をマスク越しに凝視している、長い銀髪の大男だった。
男達はそれなりに日々暴力に慣れ親しんでいる荒くれ者共だった。男達は気づく。これは関わってはいけないタイプの相手だと。理屈抜きで、勝てる気がしない。
だけど相手は一人、自分達は五人。雇用主の社長も後ろで見ているし、戦わないという訳にも行かない。
ただ一つ希望があるとすれば、この男は人を殺さない種類の暴君かもしれないという事だ。どうもこの男が放つ洗練された冷徹な殺気を見ていると、敵ならば平気で殺す軍人タイプの悪魔のようにも見えるのだが、少なくとも既にやられた三人は血を流していない。
「へっ……五対一でやる気かてめえ」
「ああ、五人で取り囲んで一瞬でケリをつけてやるぜえ」
「よし、行くぞお前ら」
「賞金は五人で山分けだなあ!? ヒヒヒ」
「ヒャッハー!!」
◇◇◇
冷静かつ狡猾な動きで残る五人を一秒に一人ずつ、確実に処理した銀髪の男は、もう一人の覆面男とハルコンの居る方に歩いて来る。
「ひっ、ひいいっ、待ってくれ、わ、私は慈善事業家なんだ、その娘達の唯一の保護者である伯父のダンバーは、反社会組織に手を貸した容疑で司法局の高等捜査官に逮捕されたんだ、だから私は、二人を保護してあげようと……」
フレデリクは腰を抜かしたハルコンを無視して銀髪の男に歩み寄り、他の誰にも聞こえないよう小声で囁く。
「頼むから無茶はしないでくれッ……君は自分の立場を解っているのか」
「フレデリク。君が自分の信念に従うのと一緒だ。私も今度こそ自分の信念の為に戦う……さあ。次は何をするのか教えてくれ」
銀髪の男、ストーク海軍提督マクシミリアン・ロブネルは、フレデリクから預かったサーベルに、まだ一滴の血も一筋の傷もつけていない事を確認すると、大事そうに鞘に納める。




