エイミー「もう遅いから……食べましょう、デイジー」デイジー「イヤ……おじさんと一緒じゃなきゃ食べたくない……」
そうしてジョフリーおじさんは、マカーティの居る牢に連れて来られました。
三人称ステージが続きます。
「顔をやられたのか? そこの桶の水を使えよ。その寝台も俺は好きじゃねえ、あんたが使うといい」
マカーティはあまり背の高い男ではなく、その身長は170cmに僅かに満たない。新入りの囚人はマカーティより10cmくらい背が高い。そして二十代半ば程に見えるマカーティに対し、ダンバーはその10歳くらい年上に見える。
新入りの囚人、ダンバーはどうにか一息ついたという風に肩を落とす。突然の逮捕からここまで、良い事は一つもなかったが、とりあえずこの牢獄の先住者は人当りの良い人物に見えた。
「有難う……俺はジョフリー、ジョフリー・ダンバー……その……手配書を盗んで逮捕された、泥棒だ」
「マイルズ・マカーティ。元船長ってのは看守に言われちまったな、そして、死刑囚だ」
マカーティはそう言って寝台から離れた壁にもたれて座る。
ダンバーはもう一度小さな声で礼を言って、桶の近くにあった小さな深い皿で水を汲み、一息に飲み干す。それからもう一度皿に水を少し汲み、懐から出した手拭いの上に垂らし、その手拭いで頬骨のあたりの腫れを冷やす。
暫くの間。無言の時間が流れた。
「一つ、いいか……? 君に聞くのは申し訳ないんだが」
「遠慮は要らねえよ」
「外の人間に、伝言を伝える方法は無いだろうか? 家で二人の姪が待っていて、俺が逮捕された事を多分知らない。二人はまだ幼く、保護者は俺だけなんだ」
マカーティは思わず、鼻で笑う。
ダンバーもその反応は予想していたが、今出来る事は他に無かった。
「二人の姪ね。可愛いのか? 俺は見ての通りの男前だが、どういう訳かとんと若い女に縁が無ぇ、俺が親切にしたらその子達に俺を紹介してくれるか?」
「いや君……お前、姪ったって9歳と6歳だ、俺がそんな妙齢の姪が居る年に見えるのか」
「何だよ、全く……じき死刑になるってェのに未だに若い女に縁が無いのか俺は。ま、自分の姪を死刑囚に紹介するおじさんは居ねえな……ヒヒ、ヒッヒッヒ」
マカーティはそう言って下品に笑う。ダンバーはただ、溜息をつく。しかしマカーティはダンバーが思うより親切な男だった。
「ここで使える物なんか殆ど無いが、ちょっとそこの俺の持ち物袋を見てみようか……看守に渡せる賄賂が何かあるといいが」
「いや待ってくれ、そこまでしたい訳じゃない」
「じゃあどうすんだ、お前んちの女の子達は? おじさんが帰って来なくて心配してんだろ……気にすんなよ、どうせ死刑になる奴の持ち物だ」
金は収監時に取り上げられた。武器になりそうな物や、神に祈る為の聖典も取り上げられた。マカーティに残されたのは自分のノートと雑貨だけである。
「ほら、このティースプーンは銀製だ、これで看守と交渉してみろよ。だが先に渡すなよ? 姪に伝言を頼み、返事を聞いて来れたら渡すんだ」
マカーティは、小さな銀製のスプーンをダンバーに差し出す。
「……綺麗な細工のスプーンだ。良い品物じゃないのか」
「別に。おふくろの形見だよ、だけどもう死刑になるんだから必要無ェ」
「そんな物を受け取れるか! 死刑になるなら尚の事だ、母の形見ぐらい最後まで持っておけ!」
ダンバーは首を振りそっぽを向く。
「じゃあ姪っ子はどうすんだよ、家族はお前だけなんだろ。近所に誰か味方になってくれる奴は居るのか?」
「もうその話はいい。終わりだ」
「なんでェ。折角手伝ってやろうっつってんのに」
二人はそれから暫く無言で居た。
その間に、分厚い雲に隠れて見えない夕陽が、ブレイビスの西の地平に沈んで行く。
二人はそれぞれ善良なレイヴン人ではあったが、どちらも謂れなき理由で刑を受けようとしていた。そして、どちらも刑を逃れるつもりが無かった。
「日が暮れたぞ。本当にいいのか? 女の子達は飯はどうしてんだよ」
「お前は何故死刑になるんだ。海軍艦長だったんだろう?」
沈黙を破ったのはマカーティだった。しかし。ダンバーがそう聞き返すとマカーティは再び黙り込む。
死刑になるまでここに居るだけのマカーティには、時間は十分にある。聞きたいというのなら、自分とグレイウルフ号の乗組員が見舞われた、理不尽な運命について話して聞かせてやろうか。
しかし……この男はこの男で何かおかしい。何故、他人の母親の形見に遠慮して幼い家族への連絡を諦めるような善良な男が、手配書泥棒などで逮捕され、恩赦も与えられないような特別な牢獄に収監されたのか。
このダンバーという男自身も、十分に理不尽な目に遭ってここに連れて来られたのではないか? マカーティはそう推理する。
「やっちゃいけない事をすれば、誰でも死刑になるだろ。それだけだ」
マカーティは、フレデリクの事も思い出す。
自分が処刑される事になったのはあの男との付き合いのせいではあるのだが、マカーティはそれを一抹も後悔していなかった。
グレイウルフ号がその使命を守り、フルベンゲンを海賊団の略奪から守れたのはフレデリクのおかげだ。
奴は自分の酷く身勝手な要請に快く応じてくれただけでなく、大海賊ファウストも説得して味方にしてくれて、自身は単騎暗躍して海賊船を一隻奪い、その船で背後から奇襲を加えるという大変な離れ業を見せてくれた。あの男の活躍無くしてあの勝利は無かっただろう。
自分もそれなりに修羅場を潜って来た人間だという自負はあるが、恐らくフレデリクはそれ以上の修羅場を潜って来たのだろう。巨大ダコと戦った時もそうだ。あの男は誰よりも大胆不敵だった。たった今まで奴を追い回していたグレイウルフ号の救援に豆大砲一つで駆け付けた挙句、化け物を自分の船に誘導して囮になる事で退治させたのだ。
あいつは本当に凄い奴だ。マカーティは心からそう思う。
それでも奴と顔を合わせる時は、どうしても喧嘩腰になってしまう……自分の短慮のせいもあるのだが、あの男が自分を怒らせる術に長けているせいでもあると思う。
困ったものだ……あいつとは一度くらい、仕事と関係無い所で焼き菓子でも摘みながら、ゆっくりとお茶を飲んでみたかった。
ふと気が付くと。ダンバーがまだ自分を見ている。マカーティは慌てて舌打ちし、渋面を作る。
「何だよ。何がおかしい」
「いや……すまない。だがお前は何故笑っているんだ?」
「はあ? 俺が? 笑う訳無ェだろ、もうじき自分が死刑になんのに」
マカーティは立ち上がり、鉄格子の嵌った窓辺の方へ行く。外にあるのは荒廃した殺風景な庭だけだ。しかしもうじきそれさえも見れなくなると思うと、どんな物でも愛しく見えて来る。
冬枯れの落葉樹の枝ですら、何かの趣があるように見える……フレデリクの事を思い出していた自分が笑っていたのだとしたら、多分それと似たような理由なのだと思う。
自分が、フレデリクを友達だなどと思う訳が無い。
「なあマイルズ、気は変わったか?」
マカーティがそんな事を考え、窓の外に向かって苦笑いを浮かべた瞬間。鉄格子の向こうのほんの30cm先の空間に、フレデリク・ヨアキム・グランクヴィストは顔を出した。
「なッ……!?」
「ちょっと下がってくれ、この鋸から試すから」
クロスボーン城の外壁に貼りついたフレデリクは左手で鉄格子を掴み、右手に持った鋸を鉄格子に当て、ゴリゴリと挽きだす。
「馬鹿、やめろ、よせ、」
マカーティは慌ててその刃を裏側から掴む。
「ああ、手伝ってくれ、そっち側を持って一緒に挽いてくれると助かる」
「聞けよ話を! 俺は脱獄なんかしないって言ってるだろ、つーか今は俺一人じゃねえんだやめろ、」
「誰か居るのか? 別にいいじゃないか」
フレデリクは窓の向こうから部屋の中を覗く。マカーティは焦りの色を浮かべて部屋の中に振り向く。
寝台に座っていたダンバーは目を丸くして立ち上がり、窓の外のフレデリクとその手前のマカーティを凝視していた。
「ち、違うんだダンバー、俺は何も頼んでねえ、むしろ二度と来るなって言ってるのに、こいつが勝手に来たんだ、や、やい腐ったイワシの酢漬け野郎、ヤモリの真似なんかしてねえでとっとと帰れ、じゃないと大声を出して看守を呼ぶぞ!」
「深窓の御令嬢かよお前は! ああもう、やっぱり鋸じゃきりが無い、楔を打って壁ごとぶっ壊すから……そっちの人でもいいや、ちょっとこのロープを持っててくれないか? あれ? 君もどこかで見たぞ……思い出した、貴方は昨日商店街でスリに間違えられていた男じゃないか」
フレデリクはダンバーを指差してそう言った。
マカーティは一瞬、ダンバーとフレデリクを見比べる。
「き、君は……昨日私を助けてくれた青年……」
「何故貴方が収監されてるんだ、こんな死刑囚と一緒に、貴方はスリでは無かったんだろう?」
フレデリクは無遠慮にマカーティを指差す。マカーティは額に怒筋を浮かべる……が、すぐに思い直し、声を落として鉄格子越しにフレデリクに迫る。
「ちょっと待て、グランクヴィスト……てめえはダンバーとも知り合いなんだな? だったら一つ頼みがある……聞き届けちゃくれないか」




