フレデリク「ああーもう! それで海軍省ってどこだよ、司法局はどこ! ブレイビス広過ぎ、道、複雑過ぎ!」ぶち猫「同じ所を何度も周り、何がしたいのだお主は」
当代の国王の名前が「ジェフリー」、元陸軍大尉の名前が「ジョフリー」、紛らわしくて申し訳ありません……作者が書き間違えていたらこっそり教えて下さい(小声)
虐げられた人々の物語が続きますが、これもマリー・パスファインダーの冒険と航海の物語の一部でございます。
ジョフリー・ダンバーは、自分が為すべき事について必死に考えていた。
自分を拘束したのは、親切だが頼りない地元の衛兵ではない。王国司法局直属の、犯罪者を狩る事に飢えた死神のような奴等だ。
子供が悪戯して取ってしまった物を、衛兵宿舎に返しに行く所だった。そんな事を正直に話した所で、納得する訳が無い。
「酒や肉を買う金が欲しかった。自分は石炭の水揚げの仕事をしているが、借金の返済の為に給料が手元に残らない。昨日の手取りは銀貨一枚、今日は雪の為に正午で作業中止になった。嘘だと思うなら勤め先に問い合わせてくれ」
本当はこんな事を、勤め先になど知られたくはない。そんな事をすれば無事帰れたとしても、現場の監督からはもう来るなと言われてしまう。しかし、自分を取り調べる保安官助手の瞳に狂気が宿っているのを感じたジョフリーは、仕事を守る事を早々に諦めた。
―― ガン!
その保安官助手に椅子ごと蹴り倒されたジョフリーは、取り調べ用の牢の汚れた床に崩れ落ちる。どうにか蹴りつけられる直前に、そうと解らないよう僅かに身をよじり、古傷を蹴られる事は回避したが。
「適当な事を言うな。貴様はこの女の犯罪組織の一員なのだろう?」
保安官助手は、机の上の手配書の少女を叩く。
「違う……俺は金が欲しかっただけで……」
「見て見ろこの手配書。気の毒に、別嬪さんの頭の隅の所が破けてやがる。こいつを誰かに売りつけようとしてたって奴がな、こんな剥がし方をする訳が無え、普通は破れないようにな、釘ごと引き抜いて剥がすだろうよ」
この手配書が破れているのは、背の低い子供が下から引っ張って剥がしたからだった。しかしそんな事はこの人物に言っても無駄どころか、姪にまで危害が及ぶだけだろう。
「グリーンラック師団のヨーク将軍に連絡を取ってくれ、俺の身元を調べたいなら実際それが一番早いはずだ、頼む……」
このやり取りも、既に三度目だった。一度目から殴られて口の中を切られたし、二度目は机に鼻先を叩きつけられた。
「クソがッ……!」
「もうよせボーガン、面倒だがそいつの言う事にも一理ある」
「何故ですか! こいつは陸軍のコネでも使って逃げようって腹です、そうに決まってる! 俺は……俺はそういう犯罪者が一番許せねえんだ!」
保安官は猛り狂う若い助手を容疑者から引き離し、耳打ちする。
「こいつは元陸軍だと言うがあの貧しさは本物だ、奴の靴を見ろ、左右とも靴底が笑ってやがる。陸軍高官にコネがあるような大物があんな靴履いてる訳がない。それに元陸軍なら管区の留置所なんかに入れておくのは失礼ってもんだ、退役軍人には色んな奴が居るからな……ボーガン。この紳士を特別な宿舎にお連れしろ」
そうして保安官達は、ジョフリーを別の牢獄に連れて行く事を決めてしまった。
ジョフリーは失意の底に沈む。泥棒として殴る蹴るの暴行を受けつつ、衛兵詰所の牢獄で一晩過ごし、罰金命令を受けて追い払われる、彼としては何とかしてそのくらいの落とし所に持って行きたかった。
だが保安官達はどうしても、自分をあの手配書の少女の犯罪組織の手下だという事にしたいらしい。それで陸軍の元上司の名前を出したら、この有様である。
エイミーとデイジーの事を思うと、胸が張り裂けそうだ。
自分が帰るまでどのくらいかかるのかは解らないが、その間どうか二人を守って欲しい。ジョフリーはそう、神に祈る。
◇◇◇
今は亡きグレイウルフ号の、元艦長、マイルズ・マカーティは空の明かりを頼りに、聖典の言葉を繰り返し読んでいた。昔、自分のノートに書き写していたものだ。
そこへまた誰か連れて来られたのか……小さな格子窓のついた扉の向こうの廊下で、話声がする。
「ここがどこだか解るか? ここはクロスボーン城、お前には取り敢えずここに居て貰う。それがどういう意味か解るな?」
マカーティは聞き耳を立てながら、外壁とこの部屋を隔てる鉄格子の窓の外を見上げる。夕闇が迫っている。もうすぐノートは読めなくなるだろう……自分が書いたノートなのだから、何が書いてあるのかは解るのだが。
「今日、国王陛下に八番目のお子様が御生まれになった、しかしこの城の虜囚にその事は関係無い……ここはレイヴン王国に対する謀反人だけを収監する牢獄、ここの囚人に恩赦が与えられた事は一度も無い、ふふ、ふ……」
マカーティはそれを聞き、初めて今日国王に八番目の子供が生まれた事を知った。そして真冬のブレイビスのどんよりとした空を見上げ、目を閉じて祈る。
「神よ、国王を救い給え。国王陛下万歳。王室が永久に繁栄しますように」
ジェフリー国王は元々はレイヴン本島北部の、連合王国内の別の国の王だった。そしてマカーティはやはりレイヴン本島北部出身で、昔からレイヴン国王となったジェフリーを敬愛していた。
13歳から士官候補生として軍艦に乗っていたマカーティは、まだ若いが歴戦の勇士でもある。マカーティは黒い翼のレイヴン海軍旗の元、幾つもの戦闘を経験して来た。
◇◇◇
それは敵艦の群れの中へ強行突入する、絶望的な戦いだった。
レイヴン海軍のガレオン型軍艦マンタレイ号。16歳の士官候補生だった自分は砲撃戦の最中に、下層甲板から上甲板の指令所へと伝令に走った。
「リプトン航海長が戦死しました! 下層砲列の指揮官を指名して下さい!」
即座に怒鳴り返して来たのは艦長のパーマーではなく、経験豊富だが平の水夫である操舵手のバイソンだった。
「馬鹿野郎こんなとこに来んなてめえが仕切れ! 見てわかんねえのか!」
マカーティも自艦の惨状が解らない訳では無かった。マンタレイ号は全体が彼我の砲煙に巻かれ、周りの状況はほとんど解らない。だけど砲弾はひっきり無しに飛んで来てその度に船体は引き裂かれ木片が飛び水夫が、海兵が傷つく。
先任の士官も生きているのかいないのか解らない。水夫を指揮するのは士官の仕事なのにまるで姿が見えない。
「パーマー艦長! 俺、どうすれば……」
マカーティは泣きじゃくっていた。
普段は軽口で自分をいじりつつ、何かの時にはしっかり助けてくれる先輩士官、自分のような若輩者を上司と認め何かと気を遣ってくれていたベテラン水夫、三つ年下のいつも不安そうな顔をしながら、必死に自分について来た後輩士官候補生……大切な仲間が何人も、目の前で死んだ。
パーマーはレイヴン海軍艦長らしからぬ、柔弱な程に穏やかな男だった。いつも「聖典より法典だ」と言って、事あるごとにマカーティのような若者を温厚篤実な声で諭していた。人の世を救うのは神の愛よりも厳格な法だと。
マカーティはパーマーに殴られた事など一度も無かった。それまでは。
「クソがぁぁ!!」
何が起きたのか。マカーティには全く解らなかった。体をバラバラにされるような痛みが走った。温厚だが長身で手足の長いパーマー艦長が、指揮台からいきなりマカーティの体を激しく蹴り飛ばしたのだ。
マカーティは舷側の手摺りまで吹き飛ばされ、叩きつけられた……次の瞬間。
―― ドォォン!! バキガラガラグシャ!
マカーティの視界の全てが粉塵に覆われ、何も見えなくなった。
「か……艦長!?」
敵艦から放たれた砲弾の一つが、砲煙を掻い潜り、真っ直ぐに……マンタレイ号の指揮所に飛来したのだ。
パーマーが蹴り飛ばしていなければ、マカーティは死んでいたかもしれない。
しかしパーマー自身は即死していた。そしてその砲弾は操舵手のバイソンにも深手を与えていた。
「バイソン!」
パーマーはもう助ける助けないという状態ではない。バイソンの目はまだ砲煙に巻かれたマストの天辺にあるはずの、黒い翼の旗を見ている。マカーティはバイソンに駆け寄り、その背中を支える。
「神よ……国王を救い給え……国王陛下……」
バイソンは最後の力を振り絞り出す。しかしその声はそこで途切れた。
―― 船が沈めば、誰も助からない。
マカーティはバイソンの体を離し、操舵輪に飛びつく。
「国王陛下万歳! 全員俺について来い、下層砲列は放棄して動ける奴は上に上がり怪我人は下へ行け、右舷砲列次弾装填急げ! レイヴン海軍は必ず勝つ!!」
深手を負って救いを求める仲間達に、まだ戦えと言わなくてはならない。それは最早純粋な狂気だ。
だけど生き残った誰もが、ありったけの力を出さなくてはならない。軍旗は飾りではなく、王冠は心の拠り所だ。だから軍人は、それを大切にする。
◇◇◇
束の間に昔の事を思い出していたマカーティは首を振り、目頭を指で拭う。
気が付けば、牢の扉が空いていた。
「この部屋はじき空きます、もう死刑が決まっていますから」
「大丈夫なのか、そんな奴と一緒で」
「元海軍艦長で自分の刑を受け入れてます。囚人ながら殊勝な奴ですよ」
看守が話している相手は、王国司法局の保安官だろうか。
この牢獄には他にも空き部屋があるはずだが、扉の鍵が壊れていたり窓の鉄格子が緩んでいたりして使えない部屋も多い。
マカーティは思う。殊勝な死刑囚とは恐れ入る。言われてみれば自分ではそのつもりだが。
しかし自分の顔見知りには殊勝という言葉など微塵も知ら無さそうな奴も居る。あの看守、今日ここに海賊が一人で押し入って来て、扉越しに怒鳴り散らした挙句、短銃で扉の鍵を破壊しようとしたという事は隠蔽しているのだろうか。
「まあいい……死刑執行も、程なく再開されるだろう」
かくして、クロスボーン城の牢獄の、マイルズ・マカーティ元艦長が囚われている部屋に、元陸軍大尉ジョフリー・ダンバーは収監された。




