エイヴォリー「眼鏡は見つかったけど、今度はチャティが居なくなるなんて……」水夫「艦長、そんなに気を落とさないで下さい」水夫「あいつブレイビスに行きたかっただけなのかな」水夫「罪作りな猫だぜ全く」
イギリスで一番美味しい食べ物、フィッシュアンドチップスが誕生するのは19世紀中頃だそうです。勿論その事はこの小説の、レイヴンという国とは関係ないんですけどね(震え声)
さて、同じ頃、ブレイビスの別の場所での、ジョフリー・ダンバー元大尉と二人の姪の話です。
この話は三人称で御願い致します……
昼前に一度雪が降って来た為、この日の運搬船から馬車へと石炭を運ぶ仕事は正午までで中止になり、ジョフリー・ダンバーは一度帰宅していた。
給料も半日分となる為ジョフリーの顔色は決して良くは無かった。そこへ。
「ジョフリー伯父さん!」
彼が帰宅するなり駆け寄って来た姪のエイミーの顔色は、伯父よりも悪かった。
「ごめんなさい……ごめんなさいジョフリー伯父さん、私、泥棒をしてしまいました!」
ダンバー家のテーブルの上には、破れて頭の左上の所が欠けた、マリー・パスファインダーの手配書が置かれていた。
ジョフリーは手配書を見て、深い溜息をつく。
「ごめんなさい、伯父さん、私、どんな罰でも受けます、御願いします、どうかこれからも、この家に置いて下さい!」
ジョフリーは自分の左手にすがりつくエイミーを見る。彼女はデイジーから見れば姉だが、9歳の女の子でもある。ジョフリーは思う。自分が9歳の時はこんなにしっかりなどしていなかった。
エイミーは自分にすがりついているが、そのエイミーの背中にはべったりとデイジーがすがりついている……エイミーも泣いてはいるがデイジー程の泣き方ではない。
エイミーとデイジーの母で、自分の妹のメアリは3歳年下だった。しかし9歳の頃の自分はこんな優しい兄ではなかった。その事を思い出すとメアリに申し訳ない気持ちで一杯になる。今はせめて、妹のこの世への未練となった二人の娘を、何とか少しでも幸せにしてやりたい。
ジョフリーは膝を折り、エイミーと視線の高さを合わせる。
「正直に話してくれた事は偉いぞ、エイミー」
エイミーの頭を軽く撫で、ジョフリーは静かにゆっくりと話す。
「手配書破りは、やってはいけない事だ……それは知っているだろう。だけどお前は気まぐれでこんないたずらをする子供ではない。誰かに吹き込まれたのか? 最近この女手配人の人相書きを、裏で売買している連中が居ると。デニスの親父の店に持ち込めば、金になると……」
エイミーは口をつぐむ。デニスは近所の意地悪な男の子だが、伯父さんがそんな事を知っているとは思わなかった。だけど今はデニスのせいになどしたくない。
ところが。
「待って! お姉ちゃんじゃないもん! 私が盗ったんだもん!」
そこで泣きじゃくっていたデイジーが姉の背中から離れてジョフリーに懐に飛び込んで来る。
「この絵を盗ったのは私だもん! かわいいおねえさんの絵だと思ったから! だからお姉ちゃんをハルコンさんの所に連れて行かないでぇ!」
「デイジー! ち、違うの伯父さん、これは……」
エイミーは狼狽する。伯父が帰って来る前にさんざんデイジーに言って聞かせたのに。デイジーは結局自分から白状してしまった。
これで妹が手配書破りをした事だけでなく、姉の自分が嘘の謝罪をしていた事まで伯父さんにばれてしまった。今度こそ伯父は失望し、自分達をこの家から追い出してしまうのではないだろうか。
伯父は好きな酒をやめ、美味しい物を食べる事も我慢して、自分達二人を養ってくれていたというのに……自分達は伯父の期待を酷く裏切った。エイミーは絶望に震える。
そんな二人の様子に、ジョフリーはひどく心を痛めていた。
こんな小さな女の子達が妹の為、姉の為、必死に嘘をついていたのだ。妹は姉をハルコンの家に行かせない為、姉は妹の罪を隠す為。
何故二人がそんな事をしなくてはならなかったのか。それは自分の稼ぎが少ないからだ。
自分が不器用で口下手でなければ、腹に受けた砲弾の破片の傷が元で軍をお払い箱になった人間でなければ、妹の忘れ形見にこんな惨めな想いをさせる事もなかったのだ。
「伯父さん、違うの、デイジーは悪くないの、デイジーは私の事を心配して……嘘をついたのは私だけなの!」
「お姉ちゃんのせいじゃないもん! おねがい伯父さん、お姉ちゃんをハルコンさんにあげるのだけはやめてぇぇ! 私が代わりに何でもするからぁ!」
「やめてくれ!」
ジョフリーは思わず、強い調子でそう叫んでしまった。
幼い姉妹は恐怖を感じたのか、体を震わせ、目を見開いて黙り込む。
「あ……ああ……そういうつもりでは……」
ジョフリーもつい、言葉を失ってしまった。こんな事ではいけない、何か言って二人を安心させなくては、ジョフリーは憔悴しそう思い、必死に言葉を探すが、口下手な男は何も上手い言葉を思いつく事が出来なかった。
代わりに出て来たのは、妹の、二人の母の名前だった。
「メアリは……」
姉妹も、伯父が口に出したその名前を聞いた。
「天国のメアリは、お前達を誇りに思っているだろう。二人ともよくぞそこまでお互いの事を心配し、その為に行動出来た。姉妹がそんなに深く互いを支え合ってくれるなんて、親にとってこんなに嬉しい事は無いんだ。二人とも本当に良く出来た。伯父さんも鼻が高いぞ、さすが俺の妹、メアリの子供達だ」
ジョフリーはそう言って、腕を広げる。
目を見開き、伯父を凝視していた姉妹の頬に、たちまち暖かい涙が溢れ出す。
「ごめんなさい、伯父さん!」「うわ……うわぁぁん!」
エイミーもデイジーも堰を切ったように、伯父の懐に飛びついて泣きじゃくる。
ジョフリーはそんな幼い姉妹の背中を撫でてやりながら、深い憂鬱に沈む。自分の不甲斐なさが、幼い姉妹をここまで追い込んでしまった。
石炭の積み下ろしの仕事は臭くてきつい仕事ではあったが、ごくごく単純な作業だった。監督は自分より若い奴だが、叱られるような事も無い。黙って言う通りにしていればいいだけの作業だ、その代わり、給料は安い。
この仕事は独り身の時には良かった。自分一人の食い扶持を稼ぐならこれで十分だった。しかし二人の娘を養える稼ぎかと言うと厳しい。
自分はもっと稼げる仕事を探すべきだったのだ。いや、今からそうしよう。ジョフリーはそう、心に誓う。
しかしその前に、この手配書を衛兵詰所に持って行かなくてはいけない。ちゃんと説明と謝罪をして許してもらうべきだ。それが真っ当な市民の務めである。
「さて、俺の今日の仕事は中止になってしまった、俺もたまには町を散歩でもして来るよ、お前達は留守番をしていてくれ」
「おさんぽ? ついていったらだめなの?」
「すまないなデイジー、ついでにこの手配書も衛兵さんの所に返して来るから、俺一人で行かせてくれ」
「伯父さん、私も連れてって、私が衛兵さんにごめんなさいを言うから!」
「間違って破いてしまったんだとこちらから届ければ大丈夫さ、エイミー。心配は要らないよ、二人で大人しく待っていて欲しい」
◇◇◇
ジョフリーは懐に手配書をしまい、姉妹を置いて家を出た。外は雪は降り止んでいたが、気まぐれな霧が戻って来て、昼だというのに街並みのほとんどが見えなくなっていた。
途中、ジョフリーは先日スリの疑いを掛けられた商店街の近くを通る。菓子屋はこの近くにある……今日の半日分の手当てでも何か買えるだろうか? 今日のような日には出来れば何か買って帰りたい。
クリームの載った菓子は厳しいが、砂糖をまぶして焼いた焼き菓子の数切れくらいなら買えるはずだ。ジョフリーがそんな事を考えていた、その時。
「ひったくりだ! 財布を取られた、誰かその赤いコートの男を捕まえてくれ!」
脇道の商店街の方で老いた男の叫び声がした。ジョフリーもそちらを向く……次の瞬間。その、赤いコートを着た男が、正面からジョフリーに突き当たって来る。
―― ドンッ!
赤いコートの男はジョフリーより背が低く、それ以上に元陸軍大尉の頑強なジョフリーと比べたらだいぶ貧相な男だった。
「畜生! 気をつけやがれ!」
ぶつかって跳ね飛ばされて地面に転がった赤いコートの男はジョフリーに向かってそう叫び、立ち上がって走り去る。
ジョフリーはその男の顔に見覚えがあった。彼は今度こそ、自分に恥をかかせたこの貴族崩れの盗賊を自ら捕えようと、男を追って駆け出そうとしたが。
「うっ……!」
その瞬間また懐の古傷が、目も眩む程の痛みとなって彼を襲う。
赤いコートの男が逃げて行く……しかし、次の瞬間。
「この野郎! 神妙にしろ!」
群衆の中に居た男が勇躍し赤いコートの男に飛びかかる。二人、三人と。たちまち捻じ伏せられた赤いコートの男は叫ぶ。
「何をするんだ畜生! 俺はスリなんかじゃねえ、俺の懐を探ってみやがれ! 何も出て来なかったら、てめえら許さねえぞ!」
しかし。赤いコートの男を押さえていたのは、普通の市民ではなかった。
「貴様等の手口は解ってるんだ、元貴族だが今は手配中の盗賊ラディック! お前の悪行もこれまでだ」
この日、盗賊ラディックは逮捕された。彼は父親の代まで叙任を受けた騎士の家柄だった。
何故身を持ち崩したのかはともかく。ラディックはやはり没落した元貴族の仲間と共に、この商店街を拠点にスリを働いていた。
ラディックは盗まれたという財布を持って居なかった。しかしラディックを逮捕した男達は市民でも管区の衛兵でもなかった。
「この盗賊はいつも盗んだ物をすぐ別の仲間に預け、衛兵から逃れるのだ。私はブレイビス司法局の保安官デニング。この男と接触した者達は動くな、持ち物を調べさせて貰う」
そしてジョフリーは保安官助手達から、ラディックの体当たりを受けた者として即座に持ち物検査を受け、今から自主的に衛兵詰所に返しに行こうとしていた、マリー・パスファインダーの手配書を発見されてしまった。
※お読みいただいている物語は「マリー・パスファインダーの冒険と航海」で間違いありません、どうか引き続きお付き合いいただければ幸いです……




