イェルド「当直の兵の話では、隠密行動に出るとおっしゃられていたと」クロムヴァル「あんな人目につく隠密が居るものか……何という不覚」
いつもいつも、マリーの謎の貴公子ごっこに「乗る」どころか「勢いをつけて背中を押しまくる」ロヴネルさん。勿論、向こうは大真面目なのですが。
かくしてフレテリク・ヨアキム・グランクヴィストは身を翻し、ストークの美しき青年提督マクシミリアン・ロヴネルに背を向け、ブレイブ川沿いのハルコニーを歩き去って行く……めちゃくちゃ振り返ってロヴネルさんがどんな顔をしているのか見たいのを我慢しながら。
ああ……少女向け小説の登場人物になったような気分……フレデリクとマクシミリアン。鬩ぎ合う友情と使命感、己が誇りと祖国への愛……!
解ってくれマクシミリアン。だがこれは男の誇りの問題なのだ。マカーティの事で落とし前をつけるのは僕の仕事であり、例え君であろうと譲る訳には行かない。君だって誇りをなくした僕を見たくは無いだろう? なんちゃって、フレデリク君かっこいい!
じーん……(笑)
……
実際この問題でストークの人達の手を借りる事は出来ないよ。
もしかしたらフレデリク君がちゃんと御願いしたらストークは再びマカーティの為に猛抗議してくれるかもしれない。
だけどそんな事をしたら、まとまるべき他の交渉にも悪い影響が出る。
今ストークがするべき事は、レイヴンにこれまでの無茶な要求について謝罪、撤回させ、今後この問題でストークを煩わせる事の無いよう、何らかの約束をさせる事なのではないか。
しかし……そういう話をする為に、宰相閣下やお姫様まで出て来るもんかしら?
ウインダムで会ったシーグリッド姫は絵に描いたような王女様だったなあ。大変な美少女で華があって気ままで……意外と気さくで可愛らしい所も、本物の王女様らしいと思う。
ストークは何故あんな大規模な使節団を送って来たのか? ランベロウ氏の誘拐と身代金の件がそこまで大事になったのか?
さっきの場所からだいぶ離れたけど、ロヴネルさんはまだこっちを見てるかしら? もしかして真後ろをついて来てたらどうしよう。
私は立ち止まり、顔を上げる。いつの間にか小雪は止んで、代わりにまた霧が戻って来ていた。もう昼くらいだというのに、しつこい霧だなあ。
周りを見回せば、ブレイブ川の対岸もマカーティが囚われているクロスボーン城も、もう霧に隠れて見えない……ロヴネルさんの姿も、霧の中に消えていた。
アホのマリーは、耽美な幻想から目を覚ました。
いまだに私はストークとレイヴンの間に何が起きているのかよく解っていない。だけどウインダムでマリーが聞いた範囲では、何か知らないけど上手く行って、ストークは最悪の危機を脱し、レイヴンに何かの反撃をしようとしているという。
ロヴネルさんはああ言っていたけれど、今こそフレデリクはストークの皆さんの元に出頭し、罪滅ぼしをすべき時なのではないだろうか。
もうずっとまともに話も聞かず、勝手な事をしっ放しだもの。今度こそ……私のいんちきストーク語じゃなく、まともなアイビス語の通訳に来て貰って、私が何をしたのかを話して、ストークに何が起きたのかを聞いて、フレデリクなんて人は居ませんという事を話して、土下座をして……後は煮るなり焼くなり好きにしていただくべきではないのか。
だって万が一、私のせいでレイヴンとストークが戦争になったらどうするのだ?
今の私にはもうレイヴンにもストークにも知り合いが居る。
ロヴネル提督とヴィクター提督が直接対決し、双方の将兵が血を流すような事になったらどうするのだ?
解ってはいるんだけど、私は臆病な小娘だ。本当の事を言って大勢の人々の面前で批難と糾弾を浴びるのが怖いし、まな板の上で三枚に下ろされ鍋で煮られて網で焼かれるのは嫌だ。
だけど、もう潮時じゃないかなあ。
優柔不断な私の頭の中で、悪魔マリーに駆逐されたはずの天使マリーが戻って来る。やっぱり、ロブネルさんの所に戻ろう。
気が変わったと言って使節団の皆さんの所へ連れていっていただいて、ストークの人達に全部話して、レイヴンの人達にも全部話して……だからレイヴンとストークで争うのはやめて、マカーティの名誉も回復して貰えるよう、一生懸命御願いしてみよう。私は魔女として火炙りにされるかもしれないけど、仕方無いじゃん。
私はロヴネルさんの所に戻る為に振り返る、すると、私の真後ろには。
「……」
きちんと揃えた前脚に尻尾を絡めて座り、目を細めて私を見上げる、一匹の鉢割れ模様のぶち猫が居た……
「……」
「……」
私は思わず固まってしまった。
ぶち猫……ぶち君は少しの間私を見上げていたが、やがてふいと立ち上がると反転してすたすたと去って行く。
私は後ろからダイブしてぶち君に抱き着く。
「フシャー! ニャロロアオアー!」
「待ってぶち君ほんとごめん、行かないでーぶち君!!」
私のヘッジホグ号密航に付き合い、二日の間私が動きやすいよう船内で艦長や水夫達の目を引き付けてくれていたぶち君は、私に置き去りにされた後、自力でヘッジホグ号を降りこの大都会ブレイビスで私を探し回ってくれていたらしい。
◇◇◇
河畔の小広場でいくらかの露店が食べ物を売っていた。本当はいろんな露店が営業していたのだが、先程雪が降った時にほとんどの店が今日の営業を諦めてしまったらしい。
残っていたのは不人気な茹でジャガイモを売る店と、原料価格の高騰で客離れを起こしていた焼き鱈を売る店だけだった。
私は空腹ではあったが、何となくどちらも食べる気になれなかった。まあ私の腹具合はどうでもいいのだ、私は鱈を売る店に近づく。
「猫用に鱈のアラをくれないか? 頭とか尾の身とか、人間様が食べない所でいいから」
「坊ちゃん、鱈もやっと値下がりして来たんですよ、何でも北スヴァーヌ海が急に豊漁になったとかで、普通の身を買って下さいよ」
「いや、だって猫に食わせるんだよ、背や腹の身は勿体ないって」
ぶち君にじと目で見られながら、私は渋る商人がやっと差し出した鱈の頭と尾の身を受け取る。
「そんな目で見るなよ、ちゃんと食べやすいように切ってやるから」
ヴィタリス時代にさんざん鱒の加工の内職をやった私は、魚を切り刻んで食べられる身を取り出す術に長けている。自分が調理されるのは嫌なのに自分は調理をする、それが人間という物である。
私は鱈の頭から頬やえらの肉を切り出してぶち君に差し出す。
「へえ。貴族みたいな恰好をしてるのに、やるじゃないか坊ちゃん。魚の捌き方なんてどこで身に着けたんです?」
「狩猟は貴族の嗜みだよ、獲物から肉を取り出すのなんて基本中の基本さ」
広場には他にも昼食を当てにして来た人々が大勢居たが、屋台が閉まっているのを見て途方に暮れていた。皆、それでも不人気な焼きジャガイモや割高な焼き鱈は食べたくないのだろうか。
「おい、揚げ豚は無いのかよ」
「今朝は酷い霧で仕入れが出来なくて、もう材料切れですよ」
一方、近くの豚の揚げ物の屋台は店じまいをしている。がっかりして立ち去る客を尻目に、店頭の油を熱した鍋の下ではまだ石炭が燃えているのだが。石炭は臭いわね……値段は木炭の半分以下らしいけど。
「茹でジャガイモはどうだーい! 食ってみなよ、意外といけるよー」
そしてジャガイモの屋台のおばさんは一生懸命声を掛けているが、なかなか客は集まらない。新世界の産物であるジャガイモは北大陸に広く伝わっているが、あまり人気が無い……あのジャガイモを、そこの余った燃料で煮えている鍋に入れて揚げ物にさせて貰ったらどうなのか。
「坊ちゃんもどうです、焼き鱈。猫だって美味そうに食べてるじゃありませんか」
焼き鱈ねぇ……いつだかディアマンテの港の屋台で買った焼き鱈をウラドやカイヴァーンに渡して、自分は食べながら走った事があったような……いや、あれは揚げ物だったか。
どうしよう。焼き鱈と茹でジャガイモを食べようか? どちらも味付けは黒っぽい塩だけで、正直味は期待出来ない……
先程までの苦悩もどこへやら、私が今日の昼飯について考えていると。
「諸君、最新のニュースをもう聞いたか! 我らが国王陛下に、8番目のお子様がお生まれになったよ! 果たしてこのニュースを知らない者がレイヴン国民と言えるだろうか、さあ! 詳しい事はこの新聞に書かれているぞ!」
小広場に騒がしい新聞売りが駆け込んで来て、そう叫ぶ……
大都会ブレイビスの人々の反応は渋かった。すぐに購入した人も二人ほど居たが、残りは遠巻きに見ているだけか、無視している様子だ。
この知らせは私には少しも目出度くはない。それはつまり、中止されていた死刑執行が再開するという事ではないのか。




